順番めぐり

2004年10月25日(月)同志社香里中学校・ショート礼拝奨励

説教時間:約7分……パソコンに取り込んでからゆっくりお読みください。

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聖書:ヘブライ人への手紙11章13−16節(新共同訳)

  この人たち皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを明らかに表しているのです。もし出て来た土地のことを思っていたのなら、戻るのに良い機会もあったかもしれません。ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです。

志を継ぐ

  ここ1−2ヶ月の間に、大切に思っていた先輩が亡くなられるという出来事が立て続けに起こりました。
  そんなにベッタリとしたお付き合いではなかったのですが、まぁたまには連絡を取る人であったり、たびたび一緒に仕事をしたり、という人たちでした。
  しかし、お互い忙しいわけで、そう頻繁に会わなくても、ぼくはその人を心から先輩として尊敬し、どうやらあちらもぼくのことを常に心にかけていたり、心配してくれていたらしい、それを信じることができる人でした。
  そういう、心から信頼できる人、自分に大切なことを教えてくれた人、大切なものを残してくれた人に別れを告げるのは、本当に寂しいことです。
  ぼくは今、あと2ヶ月ちょっとで40歳というところで、いまどきの平均寿命から見ると、だいたい半分くらいを生きちゃったのかなぁという感じです。
  先輩たちにこの世を去られてしまいますと、もうその人たちに甘えたり、頼りにしたりすることもできないわけですし、それどころか、自分に大切なものを残してくれた人たちの、その人たちの夢、その人たちの志を、今度は自分が責任をもって継いでいかなくてはいけないのだなぁ、と思い、また、自分もそういう年齢になっちゃったんだなぁと思います。

見守り、見守られるつながり

  死んだあと、自分の意識はどうなると思いますか?
  死んだら、人間の意識はどうなるのか。自分はどうなるのか。あの人の心はどうなったのだろうか。
  それは誰にもわからないけれども、亡くなったあとでも、どこかで見守っていてくれたらいいなぁ、と好きだった人のお葬式に出るたびに思いますね。これは、ぼくがクリスチャンであるからとか、あるいは仏教徒だからというのでもなく、そういう感覚を持っている人は多いと思います。
  ぼくら残された者がしっかりがんばっているかどうか、楽しみにしながら見守ってくれていると思っていたいです。
  それは、見えないところから、神さまが楽しみにぼくらのことを見守ってくれているという感覚と、ちょっと似ています。
  そうやって見てくれているから、「落ち込んでばかりいないで、がんばろう」という気持ちもわいてきます。「がんばらないと、あの人に悪いなぁ」とか「恥ずかしいなぁ」と思ってしまうのですね。
  そして、いつかは自分もこの世を去っていくんだなぁ、なんてこともよく考えます。去っていく先輩たちと、こうして目の前にいる君らのような人生の後輩たちの間に挟まれて真ん中にいるような気がするので、そんなことを考えるんですね。
  もっとも、まだまだ自分がこの世を去る前には、亡くなった方々の志を継いで、必死に働かないといけない時代がまだ何年もあって、死ぬのはそれからだ、とは思っていますけどね。それまでは死ねない、と。

順番めぐり

  まぁそういう風にして、人の思い、愛情、志というものは、順番めぐりで世代から世代へと受け継がれてゆくものなのだろうと思います。
  ここにいるみんなにも、自分より先に生まれてきた人たち、自分よりも先に神さまからこの世に命を送り込まれてきた人たちから、多くのことを学び取ってほしいし、既にこの世を去って神のもとに帰った人の本をしっかりと読んでほしい。
  そして、自分よりあとから神にこの世に送り出されてきた人に対しては(そういう、いわば「後輩」みたいな世代の人たちは、もちろん君たちが大きくなるにつれて、どんどん多くなってゆくわけですが)、親切に、いろんなことを教えて、大切にしてあげられるような人になってください。
  お祈りをいたします。

祈り

  愛する天の御神さま。
  今日も生かされていることを感謝します。
  与えられた限りある人生の日々を大切に生き、あなたにこの世の命を与えていただいた責任を、しっかりと果たすことができますように。
  ここにいる若い人たちがそのための準備の学びを、この若い日々に手を抜くことなくなすことができますように、どうかこの子たちを導いてください。
  この祈りを、主イエス・キリストの御名によって、お聴き下さい。
  アーメン。

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