「ジュビリー2000」

2000年1月5日(水)日本キリスト教団香里ケ丘教会・2000年新年祈祷会奨励

説教時間:約20分……ダウンロードしてゆっくりお読みください。

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聖書:レビ記25.8−17(ヨベルの年)(新共同訳・旧約・p.202−203)

  あなたは安息の年を七回、すなわち七年を七度数えなさい。七を七倍した年は四十九年である。その年の第七の月の十日の贖罪日に、雄羊の角笛を鳴り響かせる。あなたたちは国中に角笛を吹き鳴らして、この五十年目の年を聖別し、全住民に解放の宣言をする。それが、ヨベルの年である。あなたたちはおのおの先祖伝来の所有地に帰り、家族のもとに帰る。五十年目はあなたたちのヨベルの年である。種蒔くことも、休閑中の畑に生じた穀物を収穫することも、手入れせずにおいたぶどう畑の実を集めることもしてはならない。この年は聖なるヨベルの年だからである。あなたたちは野に生じたものを食物とする。
  ヨベルの年には、おのおのその所有地の返却を受ける。あなたたちが人と土地を売買するときは、互いに損害を与えてはならない。あなたはヨベル以来の年数を数えて人から買う。すなわち、その人は残る収穫年数に従ってあなたに売る。その年数が多ければそれだけ価格は高くなり、少なければそれだけ安くなる。その人は収穫できる年数によってあなたに売るのである。相手に損害を与えてはならない。あなたの神を畏れなさい。わたしはあなたたちの神、主だからである。

キリスト教の「Y2K問題」

  みなさん、あけましておめでとうございます。西暦2000年の幕開けです。世の中どこもかしこも「ミレニアム」「ミレニアム」といって騒いでいます。昨年末、コンピュータの2000年問題がずいぶん話題になりました。
  実は同じ時期、このコンピュータの2000年問題にかすんで、あまり日本のマスコミには取り上げられなかったのですが、キリスト教の2000年問題というのもありました。というのは、キリスト生誕2000年を記念して、カトリックでは「大聖年」――大いなる聖なる年のお祝いをやることになっているからです。
  カトリックの本山、ローマにありますバチカン市国では、この大聖年の行事のために、全世界のカトリック教徒や観光客が集まってくる準備に追われていて、昨年はそのピークに達していたんですね。
  「問題」というのは、別に悪い意味で「問題」だと言っているわけではないんですが、その絶大なる経済効果を指して言われていたものです。
  昨年末の情報では、ローマでは歴史的な建築物の改修工事でおおわらわで、町全体が工事現場のようになっていたそうです。週末のサン・ピエトロ広場には一日15万人近くの巡礼者が訪れると予想され、今年1年間で3000万から4000万人の巡礼者がやってくると予想されているそうです。
  それだけの人々が集まるのであるから無理もないかもしれませんが、どうしても信仰的な意義よりは、ビジネスの側面のほうが目立ってしまいます。Tシャツ、ロザリオ、法王のブロマイドなど、様々な「バチカン・グッズ」が売られ、それらの商品には正式な「バチカン・ブランド」であることの証明が法王庁から出されているそうです。挙句の果てには法王自身が歌った讃美歌のCDがすでに2500万枚以上も売れているという。ファースト・アルバムおよそ800万枚に達しようという宇多田ヒカルも真っ青。法王庁はボロ儲けです。(『CAT-Cross and Talk』1999年12月号、潟Aルク、p.6-7参照)
  もともと、この「大聖年」という行事も1300年に教会の財政を豊かにするために始められたものだそうです。世紀末の1年の間にローマを巡礼し献金すると、引き換えに贖宥状つまり免罪符をもらえて罪が赦される。バチカン当局は、この献金を聖堂建築とか十字軍とか植民地建設などの財源にまわしていたんですね。1517年になって、マルティン・ルターがそういう献金による恩赦のエスカレートに反対してカトリックを見限って、ヴィッテンベルクの城門に95か条の提題を貼り付けた歴史は皆さんご存知ではないかと思います。
  そういうわけですから、私たちプロテスタントでは、こういう「大聖年」の制度はありません。だいいち最近の研究では、イエス様がお生まれになったのは、おそらく紀元前4〜6年ごろであろうと。つまり西暦の計算がどうもずれていたということもわかってきておりますので、もうキリスト2000歳のお誕生日は少なくとも3年前には終わっとる、と、我々としてはちょっと冷静に受け止めておるのでございます。

ヨベルの年

  ところで、このカトリックの聖年制度。ラテン語で「アニュス・サンクトゥス(Annus sanctus)」とか「ジュビレウム(Jubilaeum)」と言います。英語では「ジュビリー(Jubilee)」とか「ジュビリー・イヤー」と言います。
  ではこの「ジュビレウム」「ジュビリー・イヤー」の語源はどこからきているのかと言うと、これは本日お読みしました旧約聖書レビ記に記されている
「ヨベルの年」から来ています。
  「ヨベル」というのは、元来「雄羊の角笛」という意味ですが、これはさっきもお読みしましたように、50年毎に角笛を鳴らして全住民に解放の宣言をする(レビ25章9−10節)という律法の取り決めから来ています。「ヨベルの年」すなわち「角笛の年」であります。
  「ヨベルの年」には何をするかというのは、先ほど読んだ聖書の箇所以降にもいろいろ細かく定められています。たとえば、土地や建物の所有権をもとの持ち主に戻しなさいとか、雇い人や奴隷をもとの出身地に戻してあげなさいとか、そういうことが決められています。
  要するに、人間がいろいろ経済活動をする中で、貧富の差とか労使間のギクシャクした関係とか金利の騰落とか、いろいろな不公平や問題が出てくるのですが、それを50年毎にご破算にして見直そうと言う制度です。なぜなら、それらの財産や土地は、根本的には神のもので、人間が神さまからお借りして管理を任されていると考えるからです。
  面白いのは、経済的に困っている人への融資では利子でもうけてはいけないと言っているところです。レビ記25章の35節以降です。ちょっと読んでみましょう。

  「もし同胞が貧しく、自分で生計を立てることができないときは、寄留者ないし滞在者を助けるようにその人を助け、共に生活できるようにしなさい。あなたはその人から利子も利息も取ってはならない。あなたの神を畏れ、同朋があなたと共に生きられるようにしなさい。その人に金や食料を貸す場合、利子や利息を取ってはならない。わたしはあなたたちの神、主である。わたしはカナンの土地を与えてあなたたちの神となるために、エジプトの地から導き出したものである」(レビ記25章35−38節)

  かつてエジプトで奴隷にされて苦しんでいたころの経験を憶えているのなら、いま暮らしに困る人をさらに追い込むようなことができるわけがないだろう、という事であります。いまの日本の中小企業や個人商店に対する金融業者の実態から見ると、耳の痛い言葉です。
  このように「ヨベルの年」の律法は、どうすれば不公平なく安心して暮らせるかということについて、非常に実際的な制度として、ユダヤの律法として定められたものです。ユダヤ教の律法にはいいもの悪いものいろいろありますが、これはよい法律であると思います。

ジュビリー2000

  さて、さきほど私はカトリックの悪口をさんざん申しましたが、カトリックは、この「ヨベルの年」にちなんだ善い事もやっていました。
  それは、カトリックが主催ではないのですが、カトリックが大々的に協力していた世界プロジェクトで
「ジュビリー2000」国際キャンペーンというものです。日本ではカトリック教会の大聖年準備特別委員会がこのキャンペーンの窓口になっていて、ホーム・ページも開設していました。「ジュビリー2000」ご存知でしたか?

ジュビリー2000日本実行委員会ホームページ: http://www.jca.apc.org/parc/jubilee/TOP.html
ジュビリー2000本部(イギリス)ホームページ: http://www.jubilee2000uk.org/

  これはイギリスで始まったキャンペーンで、2000年を目標に「もっとも貧しい国々の累積債務を100%帳消しにしよう」という運動で、世界約70カ国のNGOや宗教団体・労働組合によって一昨年から進められておりました。
  主にアフリカやラテン・アメリカなど第3世界と呼ばれる国々が、世界銀行や国際通貨基金(IMF)、先進諸国の政府や民間の銀行から、国の発展を目指す目的で膨大な資金を借りてきたわけなんですが、それらは全部、1960年代以降、先進国の指導で工業化を進めたり、農業の生産性向上を進めたりするための資金として使われてきたんですね。
  ところが、工業化したのはいいけれど、そこでできた第3世界の製品を、先進国は高い関税をかけて買わなかったり、作物の生産量が増えたのはいいけれど、そのために価格が暴落したり。結局値段が安くなった農産物の恩恵を先進国が受けただけという結果になっているらしいんです。また、1970年代後半から1980年代に入るころ、アメリカがインフレ抑制のためにドルの金利引上げを行なったために、こういう第3世界は、さらに利息が増えるという状況になりました。
  1982年にはメキシコが債務支払い不能宣言。他の債務国、たとえばアフリアのウガンダとか、コンゴ、タンザニア、その他約40カ国も次々返済困難な状況に陥って、だいたいこうした国は国家予算の3分の1ないし半分が利息を払うためだけに使われてしまうそうです。このために、福祉、教育、保健などの予算がカットされますし、国営企業も外国の企業に売却されますから、一時的には借金を返済できますが、その後はそういう基幹産業の利益は全部外国の親会社に吸い取られてしまうし、国内に残る資金がどんどんなくなります。
  あと、国営企業が民営化するとリストラでどんどん失業者が出ます。農業・漁業も、外国の大資本によって輸出するための生産が主になるために、獲れた農産物や漁獲を全部輸出して、自分らの食べる分はない。町には失業者・路上生活者があふれ、貧困が止められないという状況になっている国もいくつかあります。

「律法の成就」

  「ジュビリー2000」は、昨年6月のドイツ・ケルン・サミットで1700万人の署名を提出しました。これに応えて、サミットでは重債務貧困国(債務がGNPの80%を越えている国)について、債務削減をする合意がなされました。
  確かにこの「ジュビリー2000」には、いろんな意見もつけられています。たとえば「借金を帳消しにしたら、その分の埋め合わせは、こっちの国民の負担になるんと違うんか」とかです。確かに日本はフランスと並んで途上国に貸しているお金が世界でも多いほうで、ODA大国と言われています。けれど、これがほとんど不良債権になってて、これの取立てをやめるとなると、一般会計で埋め合わせることになります。
  それでは、アフリカ諸国の日本に対する債務を帳消しすると、単純計算でどれくらいかというと、だいたい7000億円くらいだそうです。これは、日本長期信用銀行いわゆる長銀に投入された公的資金とあまり変わらん額だそうです。それだけの額で、「5秒に1人、子どもが死んでゆく」という状況を終わらせることができるんですよ、とジュビリー2000に参加しているNGOの方は語っています。
  他にも意見はいろいろありますが、ここでこの際学んでおきたいのは、「キリスト教の福音が実生活に根ざした行動を取る」実例がある。しかもそれが世界レベルで行なわれているのだということです。
  どんな運動にも賛否両論あります。しかし、発言と行動をもってキリスト教が実社会で証を立ててゆくと言う姿勢については大いに学ぶところがあるんではないかと思います。
  台湾でも、昨年地震が起こった時には、教会が地域の連絡センターになったり、物資の配給の拠点として機能していると報告されています。これは地震が起こったからそうなったんではなくて、普段から地域の人に開かれた福音の実践を行なっているからに他なりません。
  まだまだ、日本のキリスト者は、キリスト者以外の人たちから、敷居が高いと思われているふしがあります。ちかごろ、生活にも心にも余裕のない人がどんどん増えてきて、世の中がだんだん荒れすさんできていますが、そんな世の中で、キリスト者として、また教会として、言葉や観念だけの雲の上に浮き上がってしまったような信仰生活をするのでなく、この社会において地に足のついた証をするためにはどうすればいいのか。
  主イエスは雲の上から見下ろすのではなく、我々のドロドロの地を這うような生活の真っ只中にやってこられたのではないのか。それを「律法の精神が成就した」というのではないのか。
  旧約の律法は、字面だけみればよい法律も悪い法律もありますが、今日のこの「ヨベルの年」の律法は、律法全体の根本精神、神さまの愛を実によく表していると思われます。その律法の成就として、
「主の恵みの年を告げ知らせるのだ」(ルカ4章19節、イザヤ61章2節参照)とイエス様がやってこられた。それでは、いま私たちはその「恵みの年」をどう「恵み」にふさわしいものにしていくのか。
  「ヨベルの年」の律法を読むにつけ、現在の私たちは
「律法の成就」(マタイ5章17節)を自分の証としていかに生きるべきなのか、悩むわけです。それを模索しつつ、試行錯誤しつつ、この2000年「ヨベルの年」を生きる者でありたいものです。

祈り

  私たちに命と愛を注ぎ込んでくださる神さま。
  私たち、あなたから多くのものをいただいて、こうして生きておりますことを感謝いたしますが、私たちはあなたにいただいたものの中から十分にあなたにお返ししているでしょうか……。あなたは私たちの全ての行いをご存じです。
  神さま、どうか私たちを、自分の救い、自分の癒し、自分の恵みのためだけでなく、あなたの救い、癒し、恵みを私たちの群れ以外の人とも分かち合い、今も生きて働くイエスさまと共に、福音の香りを広めるお手伝いができますように。この世での証へと押し出してくださいませ。
  この新しき1年のよきお導きをお願いいたします。
  この祈り、主イエス・キリストの御名により御前にお献げいたします。
  アーメン。

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