『カクレ』キリシタン

2002年2月24日(日)日本キリスト教団香里ケ丘教会・受難節第2聖日礼拝説教

説教時間:約25分……パソコンに取り込んでからゆっくりお読みください。

礼拝堂(メッセージ・ライブラリ)に戻る
「キリスト教・下世話なQ&Aコーナー」に入る
教会の玄関に戻る

聖書:マルコによる福音書 13章9−13節(新共同訳・新約・p.88−89)

  あなたがたは自分のことに気をつけていなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で打ちたたかれる。また、わたしのために総督や王の前に立たされて、証しをすることになる。しかし、まず、福音があらゆる民に宣べ伝えられねばならない。引き渡され、連れて行かれるとき、何を言おうかと取り越し苦労をしてはならない。そのときには、教えられることを話せばよい。実は、話すのはあなたではなく聖霊なのだ。兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。

九州の旅

  去る2月11日から15日の5日間、九州に高校2年生の修学旅行に言ってきました。この時期に修学旅行を行う学校というのは珍しいようですけど、実は昨年の秋の予定であったのが、9月に起こったテロの影響で急遽延期、行き先もハワイから九州に変更になりました。
  九州に修学旅行で行くといえば、長崎に投下された原爆の問題は避けては通れないテーマでして、これに関して現地のキリスト教学校・活水高等学校といっしょに学習と交流を行うという新しい企画を立ち上げまして、この準備と実施に疲れきり、旅行から帰ってきてから熱を出して4日間ほど寝込みました。
  九州といえば、原爆も大切なテーマなのですが、私にとってはキリシタンの歴史についても勉強になる旅でした。
  12月に一度下見に出かけましたが、その時にも、九州も西北端に近い平戸に足を運び、本業の合間に平戸のキリシタン資料館にも立ち寄ることができましたし、今回2月の本番でも、生徒と一緒なのでなかなかゆっくりものを考える余裕はありませんでしたが、それでも長崎から島原を回るコースに同行し、島原城跡の中にある――これ、本当は島原城は弾圧した側なので殺されたキリシタン側から見れば不本意なのではないかとも思いますけど――キリシタン資料室も訪れることができ、そこで、雲仙で迫害を受けたキリシタンのことや、天草四郎時貞に率いられて原城跡に立てこもり、島原一揆を闘った7万5千のキリシタンたちについても、すいぶん想像力をかきたてられました。
  島原のあと、フェリーで対岸の熊本に渡ったのですが、遠ざかるに連れて次第に全景が見えてくる島原半島を眺めながら、キリシタン弾圧から11年前の普賢岳の噴火災害に至るまで、重い歴史の積み重なった半島であることを思い起こし、何とも言えず感慨のため息を漏らさずにはおれませんでした。
  もともと私は一回目の大学生活では、文学部でキリスト教文学をかじっていて卒業論文は遠藤周作だったので、小説『沈黙』に描かれたキリシタン弾圧の現地近くを訪れるチャンスが得られたのは嬉しい事でした。残念ながら外海町の「遠藤周作記念館」は訪問することはできませんでしたが、これは今後の楽しみにしています。

「カクレキリシタン」

  遠藤周作は『沈黙』が有名ですけれど、他にも『海と毒薬』『イエスの生涯』『キリストの誕生』そして『深い河』といった、有名な純文学作品がたくさんあります。と同時に「狐狸庵先生」という号を名乗って語られる「狐狸庵閑話」と呼ばれる軽妙なエッセイもたくさんあります。「狐狸庵閑話」というのも、こりゃあかんわ、というもじりだそうです。
  遠藤周作と狐狸庵先生という二重人格的なキャラクターを使い分けるのが、この遠藤周作という作家の面白みなのですが、実は遠藤周作は大真面目に、
  
「日本でキリスト教信者でありつづけるには二重人格的にならずにはいられない」
  という言葉を発していたそうであります。
  もちろん現代の日本では、キリスト教の信者であるからといって、摘発されたり信仰を捨てるよう拷問を受けたりということはもはやないわけですが、その代わりキリスト教のことが正当に理解され共感されることも、また非常に少ないと言えるのではないでしょうか。
  現代のクリスチャンは命の危険を感じてまで信仰を守る必要はありません。しかし、現代のクリスチャンが置かれている立場は、かつてのキリシタンが置かれていたころよりも、より複雑な状況になっているように私には感じます。
  私たちはキリスト教信者であることを表立って責められることはありませんし、クリスマスや結婚式などキリスト教的な形式を持つものが世の中で歓迎されている面もあります。しかし、世間で「私はクリスチャンである」と表明して生きてゆくのは本当に骨が折れます。「この世で証しを立てなければ」と理想論をぶつのは簡単ですが、ちょっと人並みに遊んだりふざけたりすると「クリスチャンがそんな事をしていいのか」とからかわれ、かといってちょっと真面目にやっていると「クリスチャンはこれだからつき合いが悪い」と揶揄され、どっちに進んでも自分のことを理解してはもらえない孤独に陥りがちです。
  だからクリスチャンはあえて人前で自分がクリスチャンであるとは言わない……。多くのクリスチャンは外ではキリスト教の話をしないで、いわば「カクレキリシタン」になるわけです。

世に受け入れられぬ人々

  さて……弾圧時代のキリシタンは、信仰を隠せなかった者でも信仰を棄てますと言えばすんなりと帰されたようですが、そうでなければ、棄教するかあるいは命が果てるまで、残虐な拷問を加えられつづけました。
  度重なる迫害・弾圧の中で彼らは「カクレキリシタン」として潜伏するようになりました。つまり、表向きは仏教徒であるかのように装いながら、水面下で独自の儀礼を守り続けました。たとえばいったん葬式をしたあと、僧侶が帰ったあとで「経消し」――つまりお経を消す儀式――を行い、もう一度キリシタン式の葬儀を行うなどの独特の流儀を発達させてきました。
  1644年に日本人キリシタンの最後の指導者であった小西マンショという人が殉教した後、日本ではキリシタンは消滅したと当時は思われていたようです。それから230年が経って、突然幕末に最後の大弾圧が行われて始めて、実はキリシタンは潜伏しながら代々信仰を伝えてきたのだということが明らかになりました。
  この幕末のキリシタン発見は、長崎が鎖国を解かれて自由貿易港となって、港の近くにできた外国人居留地の、これまた外国人専用の礼拝堂であった「大浦天主堂」に、浦上地区の潜伏キリシタンの何人かがひょっこりやってきてフランス人の神父の前に現れ、信仰を告白した……そのことが、間接的にはきっかけになります。
  神父は秘密を守ろうとしましたが、浦上地区のキリシタン村の方で秘密が守りきれなくなり、浦上のキリシタン約3000人が全員流罪に処せられました。1865年「浦上キリシタン流配事件」と呼ばれていますけれども、実はその2年後には戊辰戦争から明治維新、そして8年後にはキリシタンが解禁になった、そういう非常に移り変わりの激しい時代のことです。
  この大浦天主堂に潜伏キリシタンが名乗り出た事件を、カトリックでは「キリシタンの復活」と呼ぶこともあるそうですが、その呼び方がふさわしいかどうかは論議が分かれるところです。230年間、キリシタンは死んでいたわけではなかったからであります。

生き延びるために

  ところで、潜伏時代も時を重ねるに従ってキリシタンたちも、当初は対立していた仏教会とも、次第に妥協といいますか、互いに顔を立てあって共存しようとする場合もあったそうであります。
  じっさい長崎は領主・大浦純忠が教皇領としてイエズス会に寄進した土地であるという背景もあり、弾圧が本格化する前の一時期は、人口のほとんどがキリシタンであったとも言われております。そのような土地柄ですから、たとえばお寺にしても、代官の言うとおりにいちいち真面目にキリシタンの摘発に協力していては、しまいには自分のところの檀家が全員いなくなってしまいますので、これは困るわけです。
  そこで和尚さんとしては、まずはお寺のやり方でお経をあげさせなさい、と。それで私が帰ってから「経消し」でも何でもやりなさい、と。そういう具合にお寺の顔も立てつつ、こちらの秘密も黙っておいてもらうという関係が成立していたようで、まぁそうでもなければ230年間全く発覚しないというのも不可能だったろうという気もいたします。
  先ほど申し上げました浦上のキリシタン流配事件でも、なぜ230年ぶりに突然幕末になってからキリシタンの摘発があったのかというのも、実は浦上のキリシタン村で、お寺の葬儀を断るという者が出てきてしまったためだということです。だから、発覚したというよりは、お寺さんの顔をつぶした、ということで摘発・弾圧につながってしまった可能性も無きにしも非ず。
  現在でも、細々とカクレキリシタンの儀礼を守っておられるグループが、平戸・五島などを中心に長崎県の各所に残っていますが、例えばさきほどから何度か触れているお葬式にしても、今ではまずは和尚さんがやってきてお経をあげて、それからキリシタンの「経消し」をやって、というのが普通の段取りになってしまっていたり、お寺には代々恩義があるから、後継者不足で自分たちの地域の集会が解散したら、仏教徒になってもよいと考えている人も多いそうです。
  キリシタンと言えば、「オラショ」という呪文のような祈りが有名ですが、あれも元のポルトガル語の祈祷書から口真似だけが伝わってきた物で、元来の意味はわからないままに唱えているものですし、年間40回近くも行われる行事も、そのおおもとの教会暦上の意味はまったく失われて、むしろ五穀豊穣であるとか家内安全であるとか、日本の神道の行事に似た意味づけが行われていたりします。
  それがカクレキリシタンの実態ですから、キリスト教が解禁になった時代にもカトリックに戻らなかったキリシタンが多かったことも頷けますし、現在でも戻る必要も感じないというキリシタンが存在するのも当然と言えます。
  そういうわけで、「カクレキリシタン」の信仰というものは、世間が一般的に抱いているような、「仏教や神道を隠れ蓑にして秘かに信仰を守っている」というイメージとはすいぶん違うというか。確かに当初は命からがら潜伏していたのでしょうけれども、次第々々に「仏教も、他の神々も拝み、キリシタンの神々も拝み」、「カクレ」もせず堂々と「カクレキリシタン」を続けるという状態になってきているわけです。
  それは、もはやキリスト教とは呼べません。いくつもの宗教の要素がごった煮のように混在した、いかにも日本的な宗教であります。よく言えば、「キリスト教的なものと日本的なものの融合」であり、見かたによってはこれも「日本に根付いたキリスト教」のひとつだよと言えるかも知れませんが、でもやっぱり、キリスト教と呼べるものでもなくなっているわけで、これはキリスト教を日本に根付かせたいと悩んでいる伝道者にとっては、まことに皮肉な歴史的事例であると言えます。

現代のカクレキリシタンたちへ

  私は、日本の一般社会に生きている普通のクリスチャン、日本の教会員のほとんどは、ある程度は「カクレキリシタン」なのだと思うことがあります。
私たちは、こうして日曜日に真面目に教会に出席して、自分ではまともなクリスチャンだと思っている人も多いかも知れませんが、実は私たちはすでに当初のキリスト教の姿とは似ても似つかないのであります。
  なぜならば、本日お読みいただきました聖書の箇所にも明らかなように、キリスト教とは、そしてイエスに従って生きてゆくとは、この世と深刻な対立と緊張の関係に立つということであって、少なくともこの福音書を書いた人々の頭には、妥協とか融合とか取引といった発想はみじんも見られず、むしろ殉教を覚悟しつつ、この世の敵意に対していかに自らの信仰をはっきりと言い表してゆくのかということしか問題にされていないからであります。
  聖書は、キリスト教を真の意味で理解しようとしない世の中において、いかにうまく溶け込んで、生き残ってゆくかという処世術に関しては何も語っておりません。聖書は、信仰を隠して生きる人には参考にはなりませんし、そのような人自身が自分から真剣に御言葉を必要と感じなくなるものです。
  聖書はむしろ、この世で信仰を言い表し、信仰に忠実に生きようとする故に悩み苦しむ人を励まし、また覚悟を与えるために御言葉を語っているのであります。
  もちろん、私は「カクレキリシタン」を非難しているわけではありませんし、クリスチャンはみなこの世でいじめられることを覚悟で信仰するべきだと極端な事を言うつもりもありません。仮に私自身がキリスト教信仰を棄てよと迫られ、自分や家族の命を狙われる、そんな時代に生きていたら、私は自分の信仰を告白しつづける自信はありません。「信仰を棄てます」と口で約束して、そして釈放されたら、またコソコソとキリスト教の集会に戻ってゆき聖書を開く、という……つまり、「カクレキリシタン」的な生活をすることになるでしょう。
  しかし、自分が人前で信仰に忠実ではないことに痛みを覚えつつ、やむを得ず、恥を忍んで「カクレキリシタン」的な生活をすることと、「カクレキリシタン」であることが当たり前になってしまって、この世の群衆にまぎれて上手く生きてゆくクセをつけてしまうこととは、まるで違います。
  もちろん神さまは、私たちがどのような生き方をしようとも、「沈黙」を守り、憐れんで赦してくださっていることでしょう。しかし、「カクレ」続ける自分に疑問を持たなくなってしまった人は、少しずつキリスト教ではない別の生き方に流れてゆくのであります。
  長すぎた潜伏生活が「カクレキリシタン」を変えてしまったように、この世にありさまに対してしっかりと向き合えなくなったキリスト教会は、次第にキリスト教とは言えない、趣味の同好会のような集団へとなりさがってゆきます。それが悪いことだとは誰にも言えません。誰も裁くことはできません。しかし、勇気をもって我々もキリストの十字架に続いてゆこうではないかと覚悟した最初のクリスチャンたちが守ろうとしたものを大切に扱わない者は、どんなに熱心な教会員であるように振舞ってはいても、クリスチャンとは似ても似つかない存在になってゆくことは確実なのであります。
  ですからクリスチャンは、いつでもこの世に対して、寂しくて辛いかも知れないけれども、媚びを売るでもなく、迎合するでもなく、人の評判に振り回されず、他の誰でもない神が温かい眼差しを向けてくださっていることを信頼して、しっかりと独り立ちした精神の持ち主として生きてゆくことを、志す者でなければならないのであります。

祈り

  祈ります。
  愛する天の神さま。
  あなたに与えられた一度きりの命を、私たちは何と自分勝手な用い方をしていることでしょうか。ちっぽけな自分の保身、自分の満悦、自分の栄光のために、この世で立ち回ろうとする愚かな私たちを赦してください。
  どうか、この試みと誘惑の多い世の中で、私たちがあなたへの愛と誠を、少しづつでも勇気をもって、言葉であるいは行いで高らかに表してゆくことができますように。
  この小さな祈りを、愛するイエス・キリストの御名によって、御前にお献げいたします。
  アーメン。

礼拝堂/メッセージライブラリに戻る

「キリスト教・下世話なQ&Aコーナー」に入る

ご意見・ご指摘・ご感想等はこちらまで→牧師あてメール