生き方としての学び

2004年9月6日(月)同志社香里中学校ショート礼拝奨励

説教時間:約7分……パソコンに取り込んでからゆっくりお読みください。

礼拝堂(メッセージ・ライブラリ)に戻る
「キリスト教・下世話なQ&Aコーナー」に入る
教会の案内図に戻る

■聖書:マタイによる福音書22章34〜40節(新共同訳・新約p.44)

  ファリサイ派の人々は、イエスがサドカイ派の人々を言い込められたと聞いて、一緒に集まった。そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つに基づいている。」

三つの愛

  この夏休み、全国の聖書科の教師が集まる研修会で、札幌のとわの森三愛高等学校という学校に見学に行ってきました。

「とわの森」
 とわの森三愛高校裏に広がる原生林。


  「とわの森」というのは「永遠の森」という意味で、学校の裏側には見渡す限りの原生林が広がっていて、その森の自然をいつまでも守っていこうという思いを込めて「永遠の森」=「とわの森」です。
  「三愛高校」の「三愛」=「3つの愛」というのは、この学校の精神、この学校の目指す人間を表していて、「神を愛し、人を愛し、土を愛する」人になる、というものです。
  「神を愛し、人を愛する」というのは、今日読んだ聖書の言葉にもあるように、キリスト教にとって一番大切な生き方の基本です。これに「土を愛する」を加えているのが、この学校の特徴です。
  というのも、この学校は、ぼくら同志社と同じようにキリスト教主義によって建てられた農業高校です。ぼくら人間は、神さまが造ってくださったこの地球の大地から野菜や米を通じて豊かな食べ物をもらうわけですから、この大地:土を大切に育てていく農業をする人を育てんといかん、というわけです。
  そこで、土を豊かにする農業は何かというと、それは酪農。牛を飼うことですね。牛を飼うとウンチが出ます。ウンチが出たら、それを土に返します。土に返すと土が肥えます。肥えた土から作物ができて人がそれを食べ、草が生えて牛をそれを食べ、牛乳を出す。人がそれを飲む。
  土を育て、作物を育て、牛を育てて、人が育つ、という風にいい循環を作るための農業を勉強しているわけです。

それで私は生きてゆく

  ぼくらが見学に行くと、学校の農業クラブの子が、研究発表をしてくれました。研究テーマは「牛糞の効率的な処理技術」。牛が大量に出すウンチを、どうやって体積を小さくして扱いやすくし、うまく肥料にすることができるか、しかもそれをいかに安く実現できるか、という技術開発をやっていました。うちの学校の化学部顔負けの立派な発表でした。
  その発表を聴いてすごいなーと思ったのは、本当に自分たちが考えた技術が使えるかどうか、実際に農家に出かけて行って、使ってもらったり意見を聴いたりしてまわっていたことでした。
ただ自分らが実験してできた、満足した、ではなくて、本当に世の中に通用するものをやらないと意味がないんだ、という思いがひしひしと伝わってきました。
  それもそのはずで、そこで発表してた生徒は、みんな将来自分が酪農家になって、牛を飼い、牛乳をしぼり、市場に出荷し、「それで自分は生きてゆく」と目標をしっかり定めているからですね。
  しかも、その目標は尊いんですね。「自分が生産した牛乳が日本全国の家庭で飲まれてゆく。自分が日本人の健康を支えてゆくんだ」という責任感があるからですね。
  だから日々の勉強にも意味が出てくるし、やりがいがあるから、一生懸命やる。牛のウンチの話をしてても、笑い事じゃない、真剣で誇り高く、しかも自信に満ちています。

生き方としての学び

  自分は何をして生きてゆこうか、どういう形でこの世の中に役立っていきたいか、それを考えることができない人は、何をやっても意味が感じられず、面白くないし、自信もつかないと思います。
  ぼくも偉そうなことは本当は言えないんです。目標がわからなかった中学生時代は、成績はいつも下から数えた方が早かったです。でも、社会人になってから、牧師になろうと決めて勉強しなおしたら、大学院に入学したときは一番で入れました。
  その時思いました、「ああ勉強って頭やなくて気持ちやなぁ」って。
  今日なんである高校の話を中学の礼拝でしているかというと、それは今日紹介した高校に入った人は、入学するときに既に自分の目標をある程度定めているから、つまり中学時代から「何をしてこの世の中で生きていくのか」ということを考えてそういう高校に入っているからです。
  何のために自分をこの世に生まれたのだろう。
  何のために神は自分の命をこの世に送り込んだのだろう。
  自分がこの一度かぎりの一生を使って、この世で果たすべき使命はなんだろうか。
  そういうことをしっかり考える人は、ちゃんと道が開けてくるし、何のために学ぶのか、ということに目が開けてくると思います。
  お祈りしましょう。

「三愛」
 礼拝堂入り口近くの壁。

祈り

  愛する天の神さま。
  今日はこのような清々しい朝を私たちに与えてくださって、ありがとうございます。
  神さま、ここにいる一人ひとりに自分が生きている意味をどうか示してください。それは一人ひとりが自分で発見しなくてはいけないことを私たちは知っていますけれども、どうかそのヒントを与えてください。
  「求めよ、そうすれば与えられる」という聖書の言葉を信じさせてください。
  この祈りを、わたしたちの主イエス・キリストの御名によって、御前にささげます。
  アーメン。

礼拝堂/メッセージライブラリに戻る

「キリスト教・下世話なQ&Aコーナー」に入る

ご意見・ご指摘・ご感想等はこちらまで→牧師あてメール