多数決では決められない

2006年10月28日(日)日本キリスト教団香里ケ丘教会聖日礼拝説教

説教時間:約15分……パソコンに取り込んでからゆっくりお読みください。

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聖書:マルコによる福音書4章30−32節(新共同訳)

  更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」

宗教改革の記念

  教会の暦では今日は「宗教改革記念礼拝」ということになっています。
  宗教改革とは、私たちプロテスタントの教会が、カトリックの教会の輪から離れて、新しいキリスト教を作っていった、その出来事のことをさします。
  ドイツではマルティン・ルター、スイスではジャン・カルヴァンという人が、宗教改革者として名を知られていますが、彼らは当時のカトリック教会を改革しようとして、教会に問題提起をしました。
  しかし、結果からいうと、宗教「改革」とは言いながら、実は「改革」には失敗しているわけなんですね。改革しよう、変えていこうとしていた教会から、彼らは破門されてしまうことになったので、追い出されただけで本体のカトリック教会の改革をなしとげることはできませんでした。
  その代わり、追い出された者たちが手を組んで、新しい教会を作っていった、それがいわゆる「宗教改革」と呼ばれている事件なので、カトリック側から見れば、これは「改革」ではなく、「教会分裂」ととらえられています。何度もある教会分裂の一つです。
  実はカトリック教会を改革しようとしたのは、ルターらが最初ではなくて、イギリスのジョン・ウィクリフであるとか、ボヘミア(現在のチェコ共和国)のヤン・フスといった、ルターよりも前の世代の人たちも教会を変えようとしたのですが、結局捕まって異端とされ、火あぶりで処刑されたりしています。
  ルターは、最初はフスやウィクリフのことを「異端である」という教育を受けていたのですが、やがて、フスやウィクリフが言っていたことを勉強するうち、「彼らの言っていることのほうが教会が言っていることよりも、まともではないか」と思い始めたのですね。
  そこで、いったん疑問を持ってしまうとその疑問を止められなくなって、たとえば当時のカトリック教会が「これを買えばあなたの罪は赦されて地獄行きはまぬがれる」と言って免罪符を販売し、その収益がサン・ピエトロ寺院の建設費用に当てられているという金もうけの構造や、ローマ教皇を頂点とする身分制度の問題や、司祭が結婚できないというきまりなど、あらゆることが「おかしい」と感じ始めたのです。
  特に免罪符の問題は、ルターにとっては重要な問題で、ルター自身、「どうすれば自分の罪が赦されて、神に愛してもらえるのか」ということをいちばん重要な課題としていたので、「紙切れ1枚買えば1つ罪が赦される」とか、「買えば買うほど赦される」というような、いい加減なものの考え方には納得がいきませんでした。
  そして、彼はカトリック教会への問題提起として95か条からなる質問状をたたきつけました。1517年の10月31日のことです。この日を記念して、宗教改革記念日は毎年10月31日となり、これに一番近い前の日曜日の礼拝を「宗教改革記念礼拝」とすることになったのですね。

宗教的破門と政治的対立

  ルターはこの問題提起のせいで、カトリック教会と完全に対立してしまい、教会から破門されました。
  ルターがフスのように火あぶりにされなかったのは、ドイツの封建領主たちがローマ教皇や皇帝の支配に対して反抗しようとしていた時代で、その領主のひとりであるフリードリッヒ3世がルターをかくまって守ったからでした。
  フスの生きた1400年代前半には、フスは誰にも守られず火あぶりにされましたが、ルターの生きた1500年代には、宗教的な理由だけではなく、ローマ教皇による土地の支配から自由になりたい各地の領主たちが、ローマ教皇に反抗するルターを守ったのでした
  そして、このルターに刺激された改革運動が、ヨーロッパ各地で広がって、宗教改革者たちは次々とカトリック教会を離れ、プロテスタント(すなわち「抵抗者」)と呼ばれる教会を新しく建ててゆくようになったわけです。
  こんな風に、単に宗教的なものの考え方の対立だけではなく、政治的にも各地でローマ教皇やローマ皇帝に対して独立しようとしていた人びとがいたために、プロテスタントとカトリックの対立は、あちこちで戦争になり、たくさんの人の血が流されました。
  1600年代になって、やっとプロテスタントとカトリックの立場は対等に扱われるようになっていったようです。

多数派では決められない

  というわけで、宗教改革とは、つまるところ、多数決で負けた人たちが、それでも自分の信念を曲げずに独り立ちしていった、という事件である、ということができると思います。
  政治的な事情があって、ルターなどの宗教改革者が処刑されずに済んだということはありましたが、たとえ処刑されたとしても、ルターは自分の考えを曲げはしなかったでしょう。
  キリスト教というのは、歴史上、重要な教理や教義を、いろいろな会議で、多数決で決めてきました。三位一体の教理だって多数決で決められたものです。そして、ルターの時代にもルターの言うことが正しいか正しくないかを、多数決で決めようとしました。ルターの場合、彼がかけられた会議をヴォルムス帝国議会というのですが。
  そして、会議の結果、ルターの考えていることは間違っているという意見で議場は一致し、ルターは多数決で完全に負けてしまったのです。
  それでもルターは、「わたしはここに立っている。わたしはこうするより他ない。神よわたしを助けたまえ」と言い残して議場を去りました。
  このルターの態度は、「たとえ人間が多数決で決めたことでも、神さまから見れば間違っているかも知れない」ということをわたし達に示しています。
  ある会議で多数決で否決されたものでも、他の場所で、意気投合するものが現れれば、そこで新しいグループを結成することができる。宗教改革というのは、こういうことの前例となりました。ですから、宗教改革以降、プロテスタントが生まれたとは言いましたが、プロテスタントというのは結局実にたくさんの無数の小グループに分裂していかざるを得なかったのですね。
  現在、日本のようなクリスチャンの極端に少ない国に置いてさえも、プロテスタントは驚くほどたくさんのグループや教団にわかれています。世界に目を広げてみれば、数え切れないほどの分派、教派があり、またそれらが交じり合ったものもあり、とても同じキリスト教とは思えないようなものもキリスト教として存在しています。
  もし、この現実も神の御心の一つなのだと信じるならば、このことはわたし達に謙虚であるようにと教えてくれます。わたしたちが会議で話し、多数決で決めることというのは、必ずしも自分たちが正しいということを保証しているわけではないということです。
  物事にはいろんな見方、感じ方、考え方があり、満場一致ほど危険なことはない。逆に多様な意見や、意外なものの考え方を生み出さない体質でこりかたまった組織ほど、神の御心からは離れてしまうかもしれないということです。
  また、わたしたちクリスチャンは、いまだ日本では少数派です。しかし、少数派であることを自覚することで、学ぶことはいろいろあると思います。日本で少数派であるわたしたちは、少数派だから必要ではないとか、少数派だから間違っているとか、そういうことは決して言えないのだ、ということを知っています。そして、たとえ多数決で負けてしまったとしても、負けた側の論理にも耳を傾けるべきことがあるはずだ、ということにも気づくことができます。
  たとえ自分が多数決で負けてしまったとしても、決して失ってはならないものがある、ということも覚えておかねばなりません。多数決で負けたからといって、それが自分が間違っているという証拠にはならない。たとえ少数派であったとしても、神が自分を見捨てたわけではない。自分が自分の良心にしたがっているかぎり、神は自分を見捨てはしない、と信じ続けることが大切なのだ、ということも、わたしたちは学ばなければならないのではないでしょうか。
  宗教改革を記念するこの日こそ、わたしたちは、少数者のグループから立ち上がってきたわたしたちプロテスタントの信仰の伝統を思い起こしたいものです。
  祈りましょう。

祈り

  愛する天の御神さま。
  豊かな実りの季節、わたしたちがこうやってあなたのもとに礼拝をし、喜びや悲しみ、苦労や笑いを共にするために、集められていることを感謝いたします。
  私共がいつも、小さな声、弱い意見を見捨てることがないように、わたし達を導いてください。とりわけ、聞き取りにくいあなたの御声に耳を傾けるわたしたちであらせてください。
  この祈り、主イエス・キリストの御名によってお聴き下さい。
  アーメン。

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