働かざる者たちへ

2004年6月25日(金)同志社香里高等学校ショート礼拝奨励

説教時間:約7分……パソコンに取り込んでからゆっくりお読みください。

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■聖書:テサロニケの信徒への手紙(二)3章10〜15節(新共同訳・新約p.382)

  実際、あなたがたのもとにいたとき、わたしたちは、「働きたくない者は、食べてはならない」と命じていました。ところが、聞くところによると、あなたがたの間には怠惰な生活をし、少しも働かず、余計なことをしている者がいるということです。そのような者たちに、わたしたちは主イエス・キリストに結ばれた者として命じ、勧めます。自分で得たパンを食べるように、落ち着いて仕事をしなさい。そして、兄弟たち、あなたがたは、たゆまず善いことをしなさい。もし、この手紙でわたしたちの言うことに従わない者がいれば、その者には特に気をつけて、かかわりを持たないようにしなさい。そうすれば、彼は恥じ入るでしょう。しかし、その人を敵とは見なさず、兄弟として警告しなさい。

働かざる者、食うべからず

  「働かざる者、食うべからず」という言葉があります。「働きたくない者は、食べてはならない」ということですね。
  ぼくは中学から高校、大学と関西学院を出させてもらいましたが、関西学院に通学していた10年間、この「働かざる者、食うべからず」という言葉をなんべん親に聞かされたかわかりません。
  これキツイ言葉ですよね。高校時代なんか働けるわけないやないですか。親に養ってもらってるわけですよね。その親が「おまえは働いてないからメシを食う資格もない」と言うわけです。
  まあ要するに、「親に食べさせてもらってる分際で、親に口答えするな」という意味だったんでしょうね。
  しかし、この腹の立つ言葉が実は聖書に由来していたのだということを28歳になって会社を辞めて神学部に編入学してから初めて知ったときは、ほんまに驚きました。

自由の代償

  6月の始めの礼拝で校長先生が、目指す大学に受かったにも関わらず、お父さんが学費を払ってくれなかったので断念せざるを得なかったというお話をしてくださいましたが、ぼくの場合も、やはりオヤジは学費を出してくれませんでした。
  ぼくの場合、関西学院も大学への進学はこの学校と同じように推薦だったんですが、どうしてもオヤジが「行け」と言う学部と、自分が行きたい学部が違うんですね。どんなに話しても話は平行線、そしてしまいには「そこまで言うんやったら、好きにせえ。そのかわりワシの言うとおりにできん奴のために出す学費はない」と言うわけです。
  そこでぼくは強硬手段に出ました。学部の志望を書く書類に、オヤジが言ったとおりの学部を、言ったとおりの順序に、ボールペンで、ちょっと薄めに書きまして、そしてオヤジがハンコを押す。それから、あの、ボールペンでも消える消しゴムというのがありますね、紙の表面を少し削り取るような硬い消しゴム。あれでコシコシコシと消しまして、自分の行きたい学部を書きました。そして何食わぬ顔で担任の先生に提出したんですね。これ、よい子はマネをしてはいけません。
  で、結局オヤジは学費を払ってくれませんでした。それでどうしたかというと、ラッキーなことに、母親が貯金を取り崩して学費を納めてくれ、その借金を母に返済するために、ぼくはアルバイトを始めました。
  いちばん儲かったのは、泊り込みの警備員のバイトで、ぼくは職場と大学を往復し、家には帰りませんでした。夜の工場の警備などで、小さいプレハブの小屋に電気ストーブ1個で凍え死にそうになりながら冬の夜を過ごして、生きて朝を迎えると大学まで自転車で直行、みたいな生活を4年間続けました。あー生きて朝を迎えられえるというのはありがたいことやな、と思いました。

恨みと感謝

  オヤジとはなかなか和解できませんでした。実は20年たった今でも、あの学費を納入する期日まで冷たくぼくを無視していたオヤジに腹が立つ感情は完全には消えていないです。
  でも、感謝している面もあるんですよね。
  というのは、自分で学費を稼ぐわけですから。自分が受けている授業が1時間あたりいくらだという感覚になってくるんですね。すると、授業で寝たり、サボったりしたくなくなってくる。1回1回の授業を大事にするし、勉強もはかどりました。やっぱり自分で学費を稼ぐくらいでないと授業のありがたみはわからんもんやな、と思いました。
  自分で稼いて、自分で払う、ということで、やっと学園生活というものが本当に自分のものだ、という実感が持てるようになったのかもしれない。もし、ずっと親のすねをかじって学費を出してもらっていたら、いつまでたっても「学校なんて親に行かされているだけや」なんて甘ったれた感覚のまま大人になっていたかもしれない。そう思うと、あの腹立つ頑固オヤジにも感謝せなあかんのかな、と思ったりもします。
  ここにいる皆さん。親も他人です。自分のために他人を働かせて当たり前のような顔をして生きている高校生ではいないでください。
  祈りましょう。

祈り

  愛する天の神さま。
  今日の一日もベストを尽くすチャンスを与えてくださり、ありがとうございます。
  どうか、あなたに与えられた一日一日を大事に送り、将来ここにいる人たちが、自分の力で自分の暮らしを立て、他者を養うことのできるような力を持つ人として育ち、満足のゆく人生を送ってゆけるように、どうか導いてください。
  この祈りを、主イエス・キリストの名によってお聴きください。
  アーメン。


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