誰もいないと思っていても……

2007年9月18日(火)同志社香里高等学校 ショート礼拝奨励

説教時間:約8分……パソコンに取り込んでからゆっくりお読みください。

礼拝堂(メッセージ・ライブラリ)に戻る
「キリスト教・下世話なQ&Aコーナー」に入る
教会の案内図に戻る

聖書:マタイによる福音書 6章1−4節(新共同訳・新約)

  「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。
  だから、あなたが施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく、彼らは既に報いを受けている。施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」

コマーシャル

  ぼくはコマーシャルを観るのが好きです。テレビを観ていて、番組そのものよりもコマーシャルのほうを熱心に観る事のほうが多いです。たった15秒、30秒の短い時間のなかに、映像作家の技術、センス、メッセージが凝縮されているんですよね。だから、ぼくはコマーシャルを観るのが大好きなんです。
  最近、印象に残ったCMは、セコムという警備保障会社のものです。
  渋谷の交差点かどこかのような人通りの激しい雑踏が、突然ある瞬間にピタッと静止してしまう。けれども、一人の青年だけが自由に動けるという設定です。
  自分以外のすべての人が静止していて、目の前で手を振っても反応もないし、誰も自分のことを見ていないようです。
  そうやってピタッと時間が止まったままの人々の間を通り抜けながら、青年はある住宅地に入っていきます。そして、1軒の家の扉が開いているのを発見します。たぶん、たまたま扉が開いた瞬間に世界の時間が止まってしまったので、開いたままになっているのでしょう。
  青年はふとその家の門を通り抜け、家の中をのぞいて見ようとします。誰も止める者はいません。動いているのは風に揺れる花だけ。そのまま開いている扉から家に入れそうです。
  その瞬間、誰も見ていないと思っていたはずなのに、家の前で静止しているひとりの女性の目だけが、じっと彼の行動を追うのですね。しかし、そのことに彼は気づかないで、どんどん玄関に近づいてゆく。
  そして、やがて玄関から「入ろうか」とした次の瞬間、彼は「いや、やっぱりやめておこう」と玄関から引き返して、門の外に出てきます。
  その瞬間、静止していたはずの群集が、いっせいに動き出して、「おめでとう!」と彼を取り囲んで、拍手をします。
  そして、最後にナレーションが入ります。
  「誰もが彼のように強くはないから」
  誰もが彼のように強くはない。そうです。人間は、誰かに見られていなければ、何をしだすかわかりません。そういう弱さを人間は持っています。

誰もいないと思っていても

  森永製菓というお菓子の会社があります。「エンゼルパイ」というお菓子で有名です。ぼくはこの「エンゼルパイ」と「カスタード・ケーキ」が大好物です。
  さて、この森永のCMソング、「♪だーれもいないと思っていても、どこかでどこかでエンゼルは〜」という歌です。
  エンゼルというのはご存知のように天使のことです。誰もいないと思っていても、ちゃんと天使が見てるんだよ、ということですね。でも、悪いことをしないように見張っているだけじゃなくて、誰も見ていなくても、あなたのいいところは天使が見てくれているんだよ、というメッセージなのかも知れません。
  また、天使とか悪魔とか神さまといった概念が入ってくる以前から、日本には、「誰も見てねぇと思っていても、ちゃーんとお天道様(おてんとうさま)が見ていなさるんでぃ」と言いながら、人の見ていないところでもきちんとした生き方をするように教える知恵があったんですね。
  人に見られていなくても、自分の心のなかに良心の目というものをしっかり養って、たとえ周りに誰もいなくても、自分なりの良心に従った行動ができるような人間でありたいとぼく自身思っていますし、みなさんにも是非そうなってほしいと思います。
  お祈りします。

祈り

  愛する天の神さま。
  わたしたち一人一人が、独立・自立した心の持ち主として、自由な意志で良心に従った行動を選び取ることができますように、どうか導いてください。
  イエス・キリストの名によって祈ります。
  アーメン。

礼拝堂/メッセージライブラリに戻る

小チャペル入口(ショートメッセージのライブラリ)に戻る

「キリスト教・下世話なQ&Aコーナー」に入る

ご意見・ご指摘・ご感想等はこちらまで→牧師あてメール