NON SIBI 〜 良心を手腕に

2004年4月20日(火)同志社香里高等学校・ショート礼拝奨励

説教時間:約9分……パソコンに取り込んでからゆっくりお読みください。

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聖書:ローマの信徒への手紙 15章1−2節(新共同訳・新約・p.295)

  わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません。おのおの善を行って隣人を喜ばせ、互いの向上に努めるべきです。

フィリップス・アカデミー

  この春休み、語学研修の付き添いでアメリカに出張し、その際に、マサチューセッツ州にある、われわれの同志社の創立者、新島襄が学んだフィリップス・アカデミーという高校と、アーモスト大学(アムハースト大学)に訪問するチャンスをいただきました。
  中でも、フィリップス・アカデミーでは、こちら同志社香里から行った高校生諸君と、同年輩の子らが学んでいるというわけで、向こうの日本語クラスでいっしょに授業に参加させてもらったり、寮の部屋に案内してもらったり、生徒食堂でご飯を食べたりと、けっこう有意義に楽しんできました。
  教室の建物はもちろん、寮や食堂まで、むかし140年前に新島襄自身がそこで生活し、学んでいたものが、いまでも改修工事を積み重ねながらきれいに使われていて、ぼくらも「新島襄もここで学んだんですよ」という教室に座って、その雰囲気を味わうことができたことには、なんとも言えない静かな感動がありました。

NON SIBI

  さて、フィリップス・アカデミーで、ぼくが一番印象に残ったのは、実はこの学校のスクール・モットーでした。
  ここに拡大コピーで、フィリップス・アカデミーの校章を持ってきました。これが昔から使われているフィリップス・アカデミーの校章です。
  この校章の真ん中の上のほうにある、太陽のように輝いている中に書かれているのが、スクール・モットーで、ちょっと見えにくいかもしれませんが、「NON SIBI」(ノン・スィビ)と書いてあります。
  聞きなれない妙な言葉に聞こえると思いますが、これは英語ではなくラテン語で、英語に直すと「not for self」、日本語では「自分のためでなく」となります。
  今日読んだ聖書の箇所に「自分の満足のためではなく、他の人を喜ばせるために、善いことが行えるよう、お互い努力しなさい」という意味のことを書いてありますが、この「自分の満足のためではなく」というのが「NON SIBI」です。

言葉をかたちに

  そして、この「NON SIBI」:「自分のためではなく」というスクールモットーが、ただのお題目とかスローガンとして言葉だけ掲げているというのではなくて、ちゃんと授業にも反映していました。
  いちばん分かりやすい直接的な例で言うと、「Community Service Program(コミュニティ・サービス・プログラム)」という授業があって、要は日本語で言うところのボランティア実習なんですが、学校のまわりの児童養護施設や老人福祉施設や、その他いろんなところに出かけていって、じっさいに地域の福祉や市民活動に役立つことをやって帰ってきます。
  この授業だけのパンフレットでも、30ページくらいのしっかりしたボランティアのカタログになっていて、どんな場所でどんなサービスをどれくらいやり、それはどういう目的で誰の役に立つことなのかを、実習先ごとにまとめてありました。
  そして、そのパンフレットのいちばん最初に、「この授業は、『NON SIBI』という本校のスクールモットーに基づいている」と、ちゃんと明記してあります。スクールモットーがただの言葉で終わっているのではなくて、それが学校のプログラムのどこに形となって現れているのか、ということがはっきり言える学校というのは、本当にうらやましいと思いました。

良心を手腕に

  よく「なんのために勉強するのか」と言う話をしたときに、「自分のためだ」と答える人がいる。
  でも新島襄は、同志社という学校を、自分のために自分の能力を鍛える人のために建てたわけではありません。
  今から140年ほど前、新島襄は、この「自分のためではなく、人を喜ばせるために」力をつけなさいという教育をフィリップス・アカデミーで受けて、そして日本に帰ってきて、同志社の教え子には「良心を手腕に運用する」人物となることを求めました。「良心を手腕に運用する」という言葉は、毎年入学式で朗読される『同志社大学設立の旨意』という文章の中に出てきます。
  「自分のためでなく、誰かのために役立つ人」でないと、働く場所を見つけることはできません。しかし「誰かに役立ちたい」という「良心」だけあっても、本当に人に役立つためには「手腕」がなければ、つまり知識や技能・技術など、じっさいに良心を形にする力がなければ、どうしようもありませんね。人の役に立つ人だけが、仕事をゲットできて、この世で生きていけるわけです。自分の興味や関心のためにしか生きられないような人は、この世では必要とされませんから。
  だから新島は、自分のためではなく人を喜ばせるために、具体的に世の中で役に立つ頭と体を鍛えなさい、と願って同志社を建てたわけです。きれいごとではなくて、たいへん理にかなっていることです。いま同志社で学ぶみなさん一人ひとりも、自分のためでなく、具体的に社会に必要とされるような人間となるために、頭と体をきたえるようにしてくれたら、と思っています。
祈ります……。

祈り

  愛する天の御神さま。
  今日もこうして生きる命を与えられ、健康と安全が守られて、暮らしていけることを感謝いたします。
  ここに集う諸君が、将来、世の中に出て、必要とされる人間となって世の中に仕え、必要とされることで幸せな生きがいのある人生を送っていけますように。
  そのために力をつける学校生活を、どうか一日一日お守りください。
  この感謝と願いの祈りを、主イエス・キリストの御名によって、おささげいたします。
  アーメン。

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