お金にならないことをしよう

2003年11月4日(火)同志社香里中学校高等学校・秋季宗教週間・早天祈祷礼拝奨励

説教時間:約15分……パソコンに取り込んでからゆっくりお読みください。

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聖書:コリントの信徒への手紙T 13章1−3節(新共同訳・新約・p.317)

  たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識とに通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。

なんのために生きるのか

  時々、教室でこんな会話をすることがあります。
  「なぁ、君は何のために勉強するんや?」
  「将来のためです」(模範回答ですね)
  「将来の、何のために学校来てるんや?」
  「いい仕事についてお金をもうけるためです」
  「仕事につくのはお金をもうけるためなんか?」
  「そらそうでしょう」
  「そうか。そしたら、君は将来お金持ちになるために何やってるんや?」
  そこまで聞くと、彼は絶句する。たぶん何もしていないからです。
  何をすることがお金もうけにつながるかわからないし、たぶん学校に来て勉強することが将来いい仕事についてお金をもうけることにつながる、とは本気で信じているわけでもないんじゃないでしょうか。

お金のために生きる人

  「人が働くのはお金のためだ」と言う人はたくさんいます。働くだけではなく、「人はお金を稼ぐために生きているのだ」と言う人もいます。また「世の中はお金だ」とまで言い切る人がいる。
  でも、わたしは「お金のために働く」と思っているから、日本は最近だんだんダメになっていっているんじゃないかなという気がしています。
  なぜなら、みんな簡単に「働いたらお金が入る」というけれど、実は働いたからといってもそんなに豊かにはなれないからです。
  日本では確かにアジアやアフリカの貧しい国々の人たちよりはお金はたくさん稼げるかもしれないけど、その代わり、出ていくお金も大きいです。日本ほど食べるものと住む家が高い国も珍しいと言われますしう、日本で暮らすのにはとにかくお金がかかる。お金がかかるから必死になって大金を稼ぐために働くけれども、大金を稼いでも出て行く金も多いから、余裕がない。「豊かな国」と言われているわりには、その経済を動かしているはずの大人たちを町に出て観てごらんなさい。ぜんぜん豊かそうな幸せそうな顔をしてないでしょう?
  それは、お金のために働いてきたはずなのに、働いても働いても思ったほどお金が儲からないから、何のために毎日しんどい思いをしているのかわからなくなってしまっているからです。

イキイキと生きる方法

  じゃあ、どんな時に人間はイキイキと生きることができるんでしょうか? みなさんはどんな時自分はいちばん元気が出ますか?
  ぼくが思うに、楽しく生きるには3つの条件が揃えばいいんじゃないか、と思うんです。
  まず1つ目は、「好きなことをしなさい」ということ。
  2つ目は、「お金にならないことをしなさい」ということ。
  3つ目は、「誰かのためになることをしなさい」ということ。

1つ目の「好きなことをしなさい」。

  たとえばクラブ活動というのは、たとえ練習がきつくても、たとえ必ずしも顧問と馬が合わなくても、続けることができるのはなぜかというと、それはそのクラブでやっているスポーツなり研究活動というのが、自分の好きなことだからだと思うんです。好きなことをしているときは誰でも楽しいし、イキイキと生きることができます。
  大人になって、社会人になっても、なにか自分の好きなことをできるように工夫してみてください。たとえそんなに給料がよくなくても、好きなことが仕事だったら続けられるし、また給料が安くても続けられるかどうかで、あなたがその仕事をどれだけ好きかがわかると思います。
  だいたい好きなことで食べていこうとすれば貧乏ぐらしは避けられませんけど、好きでない仕事をしてもこれからは儲からない世の中ですから、それならなるべく自分が本気で打ち込めるものは何かを探した方がいいと思います。それができないようだったら、その時は、自分がつくことができた仕事そのものを好きになるしか幸せになる方法はありません。

2つ目は「お金にならないことをしなさい」。

  お金は生きていくためには絶対に必要ですけど、お金を最終目的にしていると、思ったほどお金が儲からないので虚しくなってしまうよ、という話を先にしました。
  どうせなら、いっそのことお金になるはずのないことに夢を持った方が気が楽ですし、一生懸命やってもお金が入らないと悩むこともありません。
  たとえば、ぼくは自分が属している教会のメンバーと一緒に小さな演劇の活動をしていますが、これはぜんぜんお金が儲かりません。忙しい仕事の合間を縫って、台本を書き、練習をし、音楽を作り、舞台の設営をし、本番が終わる頃にはエネルギーを使い果たして、寝込んだりしますが、それだけやっても基本的にボランティア劇団なので、お金は入りません。観に来てくれた人にカンパを募ったりしますが、それは別の人権運動などに献金するためのチャリティです。むしろ、小道具とか衣裳代とか交通費とか、持ち出しも結構多い。とてつもなくお金と体力と消費します。
  でもぼくは、こういうことって、お金がもらえないから楽しいと思うんですね。お金をもらってしまうと、なんか自分がやっていることの値打ちが下がってしまうような気がします。お金より大事なことのためにやっているんだという気持ち。お金をもらえないからこそ純粋な気持ちでやれる、という事はあると思うんですね。それに、いっしょにやってる仲間も、お金のために働いているメンバーなんか一人もいませんから、ものすごく信頼できる。そしてみんな、むしろお金も自分で出しながら協力しているメンバーだから、きちんと自分の意見も言えるから考えてることもわかる。
  そういうわけで、お金のためになることより、お金にならないことで協力できる仲間と何かをする方が、よほどいいものができるし、楽しいんですね。

そして最後は、「誰かのためになることをしなさい」。

  どんなにお金にならなくても本気で打ち込めることを一生懸命やっていても、それが自己満足、自己完結で終わっている状態だと、だんだんその楽しさは虚しいものへと変わっていきます。
  ぼくは、この学校のボランティア部のみんなといっしょに、年に何回か大阪・西成区の「釜ケ崎」と呼ばれるところに、失業者の人たちやホームレスの人たちに食べてもらうためのおにぎりを握りに行くボランティアに行きますが、いちど失敗をしたことがあります。
  それは、建物の中でおにぎりを握ること自体が、あたかも活動のメインのように思ってしまい、その建物の前でお腹をすかせて待っている人たちの気持ちも考えずに、勝手に盛り上がってはしゃいでしまい、「おまえらは何しに来てるんや!」と注意されてしまったことです。
  どんなにいい事をしているつもりでも、相手の本当の気持ちをわかろうとする感性がなかったら意味がない。それどころか、かえって気持ちを逆なでする結果にもなるんだということがわかりました。
  おにぎりを握ることよりも、そのおにぎりを一人一人手から手へ渡し、言葉を交わして相手を知ってゆくことのほうがはるかに大事だし、面白いわけで、ぼくらはボランティアはやってきたけど、ボランティアの相手ときちんと出会うという事はできてなか
ったんだなあ、と思い知らされたわけです。
  その後、ボランティア部は、釜ケ崎だけではなく、親御さんのいない子どもや障がいを持つ子どもの施設などへの訪問を計画してくれており、しだいに「人と出会う活動」へとシフトしていこうとしているので、ぼくはとてもいいことだなぁと思っています。
  今日の礼拝で最初に読んだ聖書の御言葉(
コリントの信徒への手紙T13章1−3節)にも、「愛がなければ、やかましいシンバルと同じ」「愛がなければ、無に等しい」「愛がなければ、何の益もない」と書いてありますが、本当に人への愛がなければ、どんなにいい事をしていても、何の意味もなくなってしまう。いちばん大切なのは、他者に対する愛です。

必要なのは愛

  愛があれば、人生は虚しくありません。
  みんなが「人生は金だ」という時代ですが、そう言ってるみんなが全然幸せそうに生きていないのを観てほしい。幸せに生きるためには、ひょっとしたら発想の転換が必要かも知れない。
  自分が好きなことで、誰かのためにもなるようなことを、お金にならなくても一生懸命にやる。そのことで、人は幸せになれるんじゃないかな、と、ぼくは自分のささやかな経験から、そんな風に思います。
  みなさんにも、これからの厳しい世の中、幸せになってほしいなぁと願っています。
  祈りましょう。

祈り

  愛する天の御神さま
  この新しい朝も、新しい命を与えられ、生かされていることに感謝いたします。
  そして今日一日を、幸せな一日に自分からしてゆくチャンスを与えられていることにも感謝いたします。
  今日ここに、礼拝を献げるため集った生徒、教職員一人一人をどうか愛してください。あなたの愛と平和がわたしたち全ての者の間にあふれますように。そのことによって、わたしたちがあなたに与えられたたった一回の生涯を、幸せな一日一日の積み重ねで築いてゆけますように。
  この感謝と願いの祈りを、愛する主イエス・キリストの御名によってお献げいたします。
  アーメン。

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