ここにはおられない

2004年4月21日(水)同志社香里高等学校・新入生創立者墓前礼拝奨励

説教時間:約7分……パソコンに取り込んでからゆっくりお読みください。

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聖書:ヨハネによる福音書 第12章24−25節(新共同訳・新約・p.192)

  はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至る。

終わりから考える:お墓の前で

  ここは、同志社共葬墓地。同志社の創立に関わった人々、また同志社に生涯をささげた昔の人びとのお墓がある場所です。
  特に、墓地の入り口を入った正面に、同志社の創立者・新島襄のお墓があります。
  新島襄がいくつで亡くなったか知っている人、いますか? けっこう若くして亡くなっているんですよ。実は、46歳で亡くなっています。
(トシやんか〜と、一部生徒から笑い声があがる) トシやんか、とか言うけど、ぼくだってもう来年40です。34歳を越したときには、「ああ、イエス・キリストより長生きしてしもたなぁ」と思いましたし、あとたった6〜7年で新島襄が死んだ歳になるんかと思うと、じぶんはそれまでにどれだけのことができるんかな、と思います。みなさんも、大人になって歳をとるにつれ、きっとそういうことを考えるようになると思いますよ。
  いくら君たちが若いと言っても、死について考えたことが全くない、という人はいないんじゃないですか? 人はいつか死にます。今日、家に帰る途中、車にひかれて死んでしまうかも知れません。死は年齢と関係なく、やってくるときにはやってきます。ですから、自分は死ぬまでに何ができるんだろうか、どんな風に自分は終わりを迎えるのだろうか、死を迎える時、自分はどういう生き方をしているのだろうか、ということを考えておくのは意味のあることだと思います。

もっとも苦手なことを

  さて、新島襄は、1890年1月23日、46歳という当時の平均から見ても早い時期にこの世を去りました。
  創立当初の同志社は本当にお金が足りなくて、新島襄は学校に寄付をしてくれる人をつのるために、日本全国旅から旅へと走り回っていました。全国の財界人や政治家を回って、頭をさげて、同志社のために、日本の将来のために、教育のために、「お金をください」とお願いして回っていたんですね。その旅の途中で、神奈川県の大磯というところにある旅館で、一生を終えられた。
  きっとね、すごいストレスだったと思います。
  そもそも新島襄が最初に公の場で「お金をください」と人にお願いのは、アメリカで10年間学んで日本に帰る直前のことです。キリスト教の教会の大会議の場で、「日本に学校を建てたいから、お金を寄付してください」と訴えたときです。
  その時新島は、「日本男子にとって、お金をねだることほど、いやしいことはない。しかし、わたしはあえてお願いします。お金をください」と涙ながらに訴えたといいます。
  新島はもともと幕末の武士の子として育てられた人です。サムライとしての気位(きぐらい)もあったでしょう。最近の君らくらいの年齢の若い子らは、大人の顔を見たらすぐに「おごってください」と条件反射のように言う子が多いけれども、幕末のサムライの子であった新島は、「人にお金をねだるほど、恥ずかしいことはない」という気位の高さや誇りというものを持っていたわけです。
  そんな新島にとって、日本全国を、「お金をください」と言って歩くのは、相当にキツイ仕事であったと思います。おそらくそのストレスから、彼は命を縮めたのでしょう。

ここにはいなかった

  新島襄はそうやって、同志社を支えるためにあちこち走り回っていたおかげで、実はほとんど学校にはいませんでした。
  その間、学生たちは、たとえば先生方が決めた教員会議の決定が気に食わないからといって、反乱を起こし、授業をボイコットしたり、ストライキを起こしたり、するとまたまた今度は教員会議がそういう学生たちに退学処分を決めたりなど、けっこう荒れておりました。新島校長が帰ってきて、その話を聴き、朝のチャペルでの礼拝で、「このような騒ぎはひとえに校長であるわたしの責任である」と言って、杖で自分の手を血が出るまで叩いて罰したというエピソードも伝えられています。
  そして、しかし学校に長くとどまることもできず、また寄付をつのる旅に出てゆくわけです。
  学生たちは、「なんや、校長ぜんぜん学校におらへんな。どこ行ってんのや? 何やってんのや?」と思っていたでしょう。
  しかし、新島は学校のだれも知らない、見えないところで、学校のために祈り、命を削って働き、自分の愛する学校から離れたところで生涯を終えたわけです。

見えない愛

  自分がもっとも愛する人びとのために、見えないところで、祈り、働き、命をささげた人、そういう人によってこの学校が建てられたのだということを、おぼえておいてほしいと思います。
  世の中には、見える所で、見える形で人を愛する愛もあるだろうけれども、見えないところで、見えない形ででも愛そうとする、そういう愛もあります。
  そして、見えるところでだけ愛してくれる愛よりも、見えないところにいても、なお愛してくれるような愛こそが、より信じるに足る愛ではないかな、とも思います。
  神さまの愛もそんなものかもしれません。神は見えないけれども、自分を愛してくれている。見えないところでも愛してくれるからこそ、その愛は本物であり信頼に足るのです。
  そういう愛を、自分も実践しようとして生きた人によって、この学校が建てられた、ということを胸にとどめておいてもらえれば、と思います。

祈り

  愛する天の御神さま。
  今年もこうしてたくさんの新しい生徒諸君が、ここ同志社で高校生活をスタートできることを、心から感謝いたします。
  どうかこの人たちが、これからの学校生活において、学ぶ意味、生きる意味を求めて、それを見出すまでしっかりとした歩みを続けることができますように、どうか神さま、この人たちを導いてください。
  この祈りを、主イエス・キリストの御名において、お聴きください。
  アーメン。










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