植物系の神さま

2002年5月17日(金)同志社香里高等学校・ショート礼拝奨励

説教時間:約7分

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聖書:ヨブ記 30章20節(新共同訳・旧約・p.813)

 神よ
 わたしはあなたに向かって叫んでいるのに
    あなたはお答えにならない。
 御前に立っているのに
    あなたは御覧にならない。

  神をたとえて表現する言葉はいろいろあります。「父なる神さま」とか「全能の王なる神」とか「万軍の主なる神」とか、本当にいろいろ。
  最近ぼくは、お祈りのときになるべく「父なる神」というのを言わないように心がけています。というのも、神が男であるかどうかなんて本当は誰も知らないんですね。かといって「母なる神よ」というのも根拠がありません。だから、普通に「愛する神さま」とかシンプルに「神さま」と呼びかけるようにしています。
  実はぼくは、「人間は『自分たち人間が地上で最高の生き物だ』と思い込んでるから、神も人間のような存在に違いないと思っているのではないか」と思ってたりなんかします。
  本当は神を人間みたいな意識や行動力を持つ動物にたとえることも、妥当なのか疑わしいと思うことさえあります。
  実はぼくは、「神は植物のような存在かもしれない」と思っているんです。
  そんな風に考えるようになったキッカケは、有名な映画監督のスピルバーグがあるテレビのインタビューで「E.T.は男か女か」という質問を受けて、「E.T.は植物かも知れないよ」と答えていたのを観た時です。
  昨年の高2の校外学習でUSJに行って、E.T.アドベンチャーに乗って、「なるほど、E.T.は植物かも知れない」と確かに思いました。まだE.T.アドベンチャーに乗ってない人は、乗ってみたらスピルバーグの言ってることの意味が分かります。「E.T.は植物かも知れない」
  もう一つヒントになったのは、私の妻です。私の妻は口下手です。私は家でもよくしゃべりますが、彼女は割と無口です。それで圧倒的に彼女の方が聞き役になる。こっちが色々しゃべっても「へーえ」とか「フーン」という返事しかしない。これは時々ストレスがたまります。
  一度、「じぶん一体まじめに人の話聞いてんのか」と聞いてみました。すると、「ちゃんと聞いてる」って言うんです。「ちゃんと聞いてるんやったら、もうちょっとまともな返事をするとか、何か思った事を言うとか、反応を示すことは出来んの?」と聞いたら、かなり長いこと考えてから、手をこうやって(ざわざわっと)動かしてる。
  「なにそれ?」って聞いたら、「葉っぱをザワザワっと……」。
  その日から私は自分の妻を「この人は半分植物なのだ」と思うようにしました。それからはあまりストレスを感じないようになりました。
  植物というのは、植木鉢の花でも、観葉植物でも、自分から話しかけてきたり、歩いてきたりはしませい。しかし、こちらの話は黙って聞いてくれるし、黙って側にいてくれるだけでも心が安らぐものです。
  植物に向かって話しかけることは限りなく独り言に近いですが、しかし、そこに確かに生きて存在している者が話を聞いてくれていると思うのと、ただの独り言とはやはり違う気がします。
  聞いてもらっているつもりで話すと、とりあえず気が済むし、自分の考えを自分でまとめることもできやすくなります。
  これは神に対する祈りととても似ています。だから、ぼくは祈るとき、神はいつも返事をしてくれませんが、それは神が植物系だからじゃないかな、と思って、安心して毎日祈っています。
  お話はこれで終わります。最後に、短く黙祷をしたいと思います。
  黙祷。
 
  (静寂の祈り)
 
  アーメン。

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