落ちたゴミを拾おう。

2009年4月21日(火)同志社香里高等学校 ショート礼拝奨励

説教時間:約7分……パソコンに取り込んでからゆっくりお読みください。

礼拝堂(メッセージ・ライブラリ)に戻る
「キリスト教・下世話なQ&Aコーナー」に入る
教会の案内図に戻る

聖書:マタイによる福音書 6章1〜4節(新共同訳)

 「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。
 だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている。施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」

キレイな学校

 今年、最初に当たった礼拝で、「これを話そう」と、ずいぶん前から決めていた事がありました。それは「床のゴミを拾おう」という事です。
 この学校は、廊下といい、階段といい、この礼拝堂といい、中庭といい、たいへんキレイですね。
 他の学校の先生や、業者さんなど、お客さんがこの香里を訪ねて来られると、よく「きれいなキャンパスですね!」とほめられます。それを聞くたびに私は、「いやあ、どうもありがとうございます」と口では言いますが、内心「いやあ、そんなに自慢するようなことではありませんけどね」と思っています。なぜかというと、別にこの学校の廊下や中庭がきれいなのは、生徒である君たちや、教師である私などが、自分で掃除をしているからではないからです。そして、自己管理が要求されているはずのクラブの部室や更衣室などは、たいてい散らかっていることが多いからです。
 教室以外の、この学校の面積のほとんどは、営繕や美化のおじさん、おばさんたちが掃除をしてくださっています。営繕のおじさんたちは学校の中だけではなく、学校の前のバス停や、ミニストップのあたりまで、君たちが通るようなところは、ゴミを拾ってくれています。そういうことをみなさんは意識していましたか?
 もし、考えた事もないのだったら、今日以降、意識の片隅にでも置いといてくれたらなと思います。

見えないところで何をするか

 今日読んだ聖書の箇所、マタイによる福音書6章では、「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい」(1節)と書いてあります。また、神は「隠れたことを見ておられる」(4節)とも書いてあります。
 人前ですばらしいことをするかどうかはともかく、人間の本当の値打ちは、人の目のないところで何をやっているかで違ってくるのではないかと私は思います。人に見られてないところで、どんなトレーニングをしているか。人に見られてないところで、どんな本を読んでいるか。人に見られていないところで、人のためになることをどれだけしているか。そういったことが人間に差をつけてゆくのだろうな、と思います。
 また、人に見られていないところで何をするかで、その人の本性が現われるということも言えるのではないかと思います。表向きいい人のように見えても、陰で悪い事やズルいことをしている人もいれば、表向きは対して評価をされることをやっているようには見えなくても、実は人知れず人のためになることを誰にも評価もされないのに一生懸命やっているという人もいます。
 そんな風に、「誰にも見られていないときに、あなたが何をするかを、神さまは見ているんだよ」ということを言っているのが、今日読んだ聖書の箇所です。

捨てるか、拾うか

 そんなわけで、人が見ていないときに自分は何ができるだろうか、などと考えながら学校の廊下を歩いていましたら、ふと見るとくしゃくしゃにまるめた紙くずが落ちている。自分が捨てたゴミではないし、自分が拾わなくてもどうせ営繕さんが掃除してくれるやろ。そう考えることもできます。それに、せっかくゴミを拾うんやったら、誰か見てて「おっ!」と言って欲しいなあという気持ちもあったりなんかする。しかし、誰も見ていないわけです。そして、そこであえて廊下にゴミが落ちているのを放置していくということには、一抹の良心の呵責があります。仕方なく、拾う。そして最寄りのゴミ箱に捨てる。これだけのことですが、いざやってみると実にすっきりと気分よくなります。
 というわけで、私はみなさんにも、床にゴミが落ちているのを見つけたら、たとえ誰も見てなくても、拾うことを勧めます。ゴミを見つけたら、「誰か拾うやろ」ではなくて、自分から拾ってみてください。すると、とても気持ちがスッキリします。どうぞ今日からでも、やってみてください。それがこの学校を今よりもよくしてゆく、小さいけれどもひとつの力になるんじゃないかなと思います。
 最後にお祈りします。

祈り

 愛する天の神さま。
 日々こうして生かしてくださっていることを感謝します。
 あなたが見守ってくださることを思い、誰にも見られてなくても善いことができるような人間になれますように。
 願わくは、人の目がないと悪を働いてしまうような人間にはならないように、どうか私たちを戒めてください。
 この祈り、イエス・キリストの名によってお聞きください。
 アーメン。

礼拝堂/メッセージライブラリに戻る

小チャペル入口(ショートメッセージのライブラリ)に戻る

「キリスト教・下世話なQ&Aコーナー」に入る

ご意見・ご指摘・ご感想等はこちらまで→牧師あてメール