平和のリスク/常識を超えて

2001年11月9日(金)同志社香里中学校高等学校・宗教週間・早天祈祷会奨励

説教時間:約20分……パソコンに取り込んでからゆっくりお読みください。

礼拝堂(メッセージ・ライブラリ)に戻る
「キリスト教・下世話なQ&Aコーナー」に入る
教会の玄関に戻る

聖書:マタイによる福音書 5章38節(復讐してはならない)(新共同訳・新約・p.8)

 あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。

復讐してはならない

  言っている事とやっている事が違う人というのはいるものです。私も時折そういう人間であることは認めます。ただ「君のやっている事は、ふだん君自身が言っている事と違っているよ」と人に教えてもらった時には、「すみませんでした」と謝ることができる自分ではありたい、とはいつも思っています。
  ……世の中には時折、言っている事とやっている事が違っているせいで大勢の人の命が奪われるということもあります。この場合は、ただあやまっただけで済まされるような問題ではありません。
  9月11日にアメリカで、いわゆる「同時多発テロ」が起こった3日後に、アメリカの連邦議会は、報復攻撃を行なうためのあらゆる手段を取ることのできる権限を大統領に与えることを決議しました。連邦議会の圧倒的多数の議員が、報復を叫ぶ大統領を支持しました。
  これは聖書の教えとは違っています。聖書には、さっき読んでいただいたように「『目には目を、歯には歯を』ではないんだよ。復讐してはいけないんだよ」と書いてあります。その続きには、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈れ」とも書いてありますし、他にも「報復は神さまのご意志に任せるべきであって、あなたが報復してはいけないんだ」と書いてあるところもありますし、「剣を取る者は剣で滅びる」つまり、戦争で物事を解決しようとすると、自分も戦争で滅びる、と書いてあるところもあります。
  アメリカ合衆国という国は、キリスト教の国とは言い切れないけれども、でも、キリスト教の信徒が国民の80パーセントを超えているし、国の儀式もたいていキリスト教の形式をベースにして行なわれています。大統領の就任式も牧師が立ち会って、礼拝の形式で行なわれます。大変キリスト教の影響の大きい国ですし、もちろんブッシュ大統領はクリスチャンです。
  「キリスト教の教えと、キリスト教の信者の行いが一致していないことがある」という一つの大きな例がここにあります。あるいは、この事は、それだけキリスト教の教えというのは、じっさいに行なうのは難しいんだよという、いちばん大きな証拠だと言えるかも知れません。

勇気ある反対者

  アメリカの連邦議会は、大統領に報復攻撃の権限を与える決議を、上院では全員賛成で、下院では420対1で可決しました。たった一人、反対票を入れた方、それが、みなさんの手許にあるプリントに印刷されています、バーバラ・リー議員です。
  彼女の反対演説を、今日はコピーしてきました。一部のクラスでは授業でも配りました。時間があまりありませんので、全部を読むのはやめておきますが、バーバラ・リー議員は、この発言の後半で、1964年にベトナム戦争へ突入する決議をアメリカ連邦議会が下した時、たった二人の反対者がいたこと、そしてこの二人は結果的に正しかったのだ、と述べています。
  アメリカ連邦議会は、その前にも、ある国に対する全面報復決議を下したことがあります。1941年、日本による真珠湾攻撃に対する報復決議です。この決議の結果は、日本各地への空爆、そして最終的には広島と長崎に2発の核爆弾が投下され、約30万人を超えるといわれる民間人の犠牲という形になって現れました。
  そしてこの決議の際にも、実はたった一人の反対者がいたと言います。
  たった一人で反対意見を言うのは、とてもつらい事です。戦争をしないこと、平和を主張することなんて、当たり前の事を主張するだけのように思いがちですが、じっさいに平和を主張するというのは、たいへんな反対を受け、しんどい思いをすることです。
  バーバラ・リー議員は、この発言の最後のほうで、
  「私はこの投票をするのに思い悩んできました。しかし私は今日、ナショナル・カテドラルでのとてもつらいが美しい追悼会の中で、この投票に正面から取り組むことにしたのです」
  と語っています。そして、
  「牧師の一人がとても感銘深く『私たちは行動する際には、自らが深く悔いる害悪にならないようにしましょう』と語ったのです」
  という言葉でしめくくっています。

悔い改め〜平和のリスク

  海外への修学旅行をキャンセルして、行き先を国内にする学校が多いそうです。私たちの学校も、私が担任をしている高校2年生はハワイへの修学旅行をキャンセルし、行き先も時期も変更して、いま計画を進めているところです。
  行き先を国内に変更すると言っても、沖縄は例外です。沖縄への修学旅行は相次いでキャンセルされているそうです。
  皮肉だなと思いました。つい最近まで、NHKの連続ドラマで『ちゅらさん』とかやっていて、ゴーヤーマンとか流行って、沖縄出身のタレントにみんなでキャーキャー言っていたのに、こういう非常時になると「沖縄は危険だから行くな!」と言うのが本音です。
  沖縄の人に悪いな、と思うんです。
  実はインターネットの、あるメーリング・リストで、沖縄の人に言われました。
  「あなたがた本州の人は『沖縄は危険だ』『沖縄は危険だ』と言うけれども、沖縄も日本と違うのか。私ら沖縄に住んでる者も日本の国民なんですよ」
  また、こんな声もありました。
  「観光客と違って、沖縄に住んでる者にとっては、ここは普段から危険なところです。沖縄には米軍の基地がありますから、普段からアメリカ兵による暴力や強姦が起こってる。そういう犠牲を沖縄に払わせて、日本は安全を守ろうとしてる。そして、アメリカでテロが起こると『沖縄は危険だ。行かないでおこう』。いったいあなたがた本州の人間にとって沖縄って何なんですか?」
  沖縄で修学旅行をしようという学校の多くが、「沖縄に行って平和について学びましょう」というのを目的にかかげています。そういう学校が軒並み、「沖縄は危険だ」と言って旅行をキャンセルする。しかし、「その危険の中で生きている沖縄の人の気持ちも理解しようともしないで逃げ回って、何が平和学習なんですか」と言う人の話も聞きました。
  ちょうど2週間ほど前、ぼくは、九州は長崎のあるキリスト教学校の先生と会ってお話する機会がありました。そして、
  「どうやら、うちの学校、今年は海外の修学旅行をキャンセルして、九州に行くことになるかもしれません」
  と言いました。すると、
  「長崎の人もねー、つらいんですよね。キリスト教国に原爆を投下されたわけですよ。キリシタンの街でしょう。キリスト教の信徒の方多いのにね……。それに、みんな九州は安全だと思ってるんですよねー。かつて核兵器を落とされた街なのにさぁ。今回のテロだって、やられたのは民間のビルでしょ? いったい日本のどこが安全なんでしょうねぇ」
  と、苦笑いしておられました。原爆の被害を受けた街の人はそういう感覚でものを見ているんだと、思いを改めました。
  「海外も沖縄も、やめよう」というのが常識的な判断だというのは、ぼくも分かってます。ぼく自身も高校2年の担任として、行き先の変更に賛成しました。
  けれども今は、本当はこういう時だからこそ、いま危険なところに住んでいる人、あるいはかつて戦争で痛めつけられた経験を持つ土地の人の気持ちをわかろうとする姿勢がないと、平和を学ぶなんて事はできないんじゃないか。たとえ、圧倒的多数で行き先変更が決まっていたとしても、もう少し考えて意見を言えばよかったと思って、悔いています。

常識を超えて

  最近よく「常識」という言葉を聞きます。「軍隊を持つのも戦争ができる状態にするのも、普通の国だったら常識だ」と言う人がいます。
  今回のアメリカの、テロに対する報復戦争についても、「被害者の気持ちを考えると、報復するのは当たり前だと思う。仕方ないと思う」という意見が、よく聞かれました。
  しかし、これも被害者の遺族がみんなそういう風に考えているわけではないんだよ、という一つの例(アンバー・アマンソンからの手紙)をプリントの裏側に刷ってきてますので、またこれも後で読んでくれたら嬉しいです。
  みんなが「常識だ」「当たり前だ」と思っていることでも、それはいつも正しいとは限らない。ぼくはそう思います。
  人間には戦いや争いを見たい心があります。昔から色んな国で、決闘や処刑を見せ物にする風習はたくさんありましたし、ケンカを見るのが好きな人は多いし、ミリタリー・マニアもいるし、シューティング・ゲームやウォー・ゲームも流行っています。だから、戦争をするというのは人間にとって常識なんだというのが、実は正解かも知れません。
  しかし、ゲームやドラマと、本当に人が殺されていくことは違います。「常識なんだから戦争は起こっても仕方がない」と言うのは、間違いではないかと思います。
  ぼくはこの学校の生徒である皆さんに、戦闘で体を撃ち抜かれたり、引きちぎられたり、押しつぶされたり、熱線で焼き殺されたり、蒸発させられたり、といった死に方をしてほしくない。そう一心に願っていますし、またここにいる人でなくても、遠くの見知らぬ人であっても、そういう形で殺されたりしてほしくない。
  だから、常識に反してでも、戦争には反対しなければならない。たとえ少数派であっても反対をやめない。それがキリスト教であり聖書に書いてあることを守ることだと思っています。
  そして皆さん自身には、ゲームの世界でうっぷん晴らしをするのは別にいいですから、少なくとも生身のリアルな人間の世界ではお互いの命は守り合う、そんな世界を作れる人になるために、成長していってくれたらと願っています。

「祈り」

  祈ります。
  天の父なる御神さま。
  ここに集う生徒諸君が、これから大きくなり、旅立ってゆく社会が、平和でありますように。
  また、彼ら一人一人が、この世に平和を作り出すための使者となれるように、この同志社香里の日々を、よき勉学と鍛錬の時として用いることができますように。
  我らの主イエス・キリストの御名によって、祈ります。
  アーメン。

※ バーバラ・リー下院議員の発言、および、真珠湾攻撃に対する米国の報復決議についてのエピソードは、同志社国際中学校高等学校・聖書科教諭・山本真司先生から提供していただきました。

礼拝堂/メッセージライブラリに戻る

「キリスト教・下世話なQ&Aコーナー」に入る

ご意見・ご指摘・ご感想等はこちらまで→牧師あてメール