安きに流れない人が真の友を得る

2006年2月6日(火) 同志社香里高等学校 ショート礼拝奨励

説教時間:約6分……パソコンに取り込んでからゆっくりお読みください。

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聖書:
ローマの信徒への手紙 5章3〜4節 
(新共同訳・新約)

  そればかりでなく、苦難をも誇りとします。
  わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は連達を、練達は希望を生むことを。

箴言 27章17節 (新共同訳・旧約)

  鉄は鉄をもって研磨する。
  人はその友によって研磨される。

楽に流れない人生

  世の中にはね、本当に楽に流れるのが上手な人がいますね。ぜったいに自分を困難な状況に置かない人がいます。しんどそうな状況が予想された場合には、かならず姿を消してしまう。そして、しんどいことを全部他人に押しつけて逃げてしまう。そういう人、いますよね。
  ここにいる君らも、自分のまわりに思い当たる人がいるかも知れないし、あるいは「自分がそうや」と思っている人もいるかもしれません。「自分がそうや」と気づいている人はまだましですけど、自分でも自分がそうだと気づけないようになってしまっているような人もいるかも知れません。そうなったらもう致命的です。
  そういう人はもちろん高校生の君らの間にもいるだろうし、大人になって社会に出ても、必ずいます。
  自分の楽なほうに流れてしまう人というのは、そのことで結構人のことを傷つけているもんです。そういう人はまじめにやっている人の心をものすごく踏みにじります。本人は自分が楽にしているだけだから、誰にも迷惑をかけてないつもりかも知れませんが、実はまじめにやっている人間の気持ちをズタズタにすることで、かなりひどい精神的虐待をしているんですね。不真面目な態度を人に見せるということ自体、一種の暴力だろうとぼくは思います。
  そういう人には、あんまり明るい未来が待っていません。楽に流れることばかりをやっていると、人から信用されなくなります。誰も本心をしゃべってくれなくなります。みんなその人に迷惑をかけられているので、これ以上迷惑をかけられたくないから、その人からだんだんと遠ざかるようになります。寂しい人生です。
  もちろんそういう人にも友だちができる場合はあります。けれどもそういう人の友だちというのは、結局同じように自分の課題から逃げるような卑怯な人間ばかりの集まりになってしまいます。
  友だちというのは、自分を映す鏡のようなものです。「類は友を呼ぶ」という言葉を聞いたことはありませんか? 自分のまわりの友だちが、しんどさから逃げて逃げて、どうも中途半端な連中ばかりそろっているなぁと思えたら、それは自分自身がそういう生き方をしてしまっているからですね。
  けれども、そういう友だち関係は、結局自分のためにはなりませんし、友だちのためにもなりません。なぜなら、それは傷のなめあいや、足の引っ張り合いになってしまっていることが多いからです。
  さみしがり屋さんにはつらいことかも知れないけれど、自分のやるべきことをやるために、人間関係が変わってしまうことも、人間は受け入れなければいけないときがあると思います。たとえ、一時的には寂しい思いをすることがあったとしても、自分が変われば、また変わった自分にふさわしい出会いが与えられるもんです。
  今月の聖書の箇所として選んだところには、
「苦難は忍耐を生みだし、忍耐は練達を生みだし、練達は希望を生み出す」(ローマの信徒への手紙5章3〜4節)と書いてあります。
  できれば人生、楽に生きていきたいのは誰でも同じです。けれども、楽に流れることがクセになってしまったら、希望を見つける力まで失ってしまいます。苦しいことをあえてひきうけることでしか人間は強くなれないし、苦しみを経験して強くなれるから、希望も創り出すことができるのだと思います。楽に流れないで、自分だけの希望を見つけてください。
  一言祈らせてください。

祈り

  神さま。
  ここにいるみんなが、それぞれ自分のぶつからなければならない壁に、しっかりとぶつかって乗り越えてゆくことができますように、一人ひとりに力を与えてください。
  苦しいことがあっても、悲しいことがあっても、それに耐えて、笑っていくことができる力を与えてください。
  イエス・キリストの名によって祈ります。
  アーメン。

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