向こう岸に渡ろう

2003年8月31日(日)日本キリスト教団大阪東十三教会・聖日礼拝説教

説教時間:約25分……パソコンに取り込んでからゆっくりお読みください。

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聖書:マルコによる福音書 4章35−41節(新共同訳・新約・p.68−69)

  その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。そこで、弟子たちは群集を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。イエスは言われた。「なぜ、怖がるのか。まだ信じないのか。」弟子たちは非常に恐れて、「いったいこの方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。

なぜ「渡る」のか

  「向こう岸に渡ろう」と主イエスはおっしゃいました(ルカによる福音書4章35節)。そして、イエスとお弟子たちは、ガリラヤ湖の対岸にある「ゲラサ人の土地」と呼ばれている土地に渡り、そこの墓場に住んでいた人を癒すことになります(5章1−20節)。
  さて、さっそくですが、ひねくれ者のわたしはここで、「なんでわざわざ船で渡らなあかんの?」と思ってしまうのです。
  まず聖書の巻末の地図を開けます。みなさんも巻末の地図をお開きいただければありがたいのですが、6番に「新約時代のパレスチナ」というページがあります。上のほうにガリラヤ湖という小さな湖があり、その左側がガリラヤ地方、右側がトラコン地方、そしてその下にあるデカポリス地方の中、湖の右下:南東方向へ少し離れたところに「ゲラサ」という地名が見えます。
  なんでこんなところに行くのに、わざわざ舟を使う必要があるのか。
  北はこの地図の一番上にあるシドンという町から(7章31節)、最終的には南は死海の近くのエリコやエルサレムまで歩いて旅をされるようなイエス一行のことですから、ゲラサ人の地方まで歩いて行ってもよかったのではないか? じっさい、ガリラヤ湖から死海に向かって流れるヨルダン川にも、橋こそかかってはいませんでしたが、歩いて渡ることのできる浅瀬が何箇所もあり、特に地図の右上にあるダマスコから、ガリラヤ湖の南側を通って、この「ガダラ」という地名の場所の近くを通り抜けて、ヨルダン川を渡り、そのまま山地を越えて地中海沿岸地域に抜けてゆく貿易路も通じていたくらいでした。
  ですから、別に湖に舟など出さんでも、歩いて普通の道を通ってデカポリス地方に入ったらええやないか、嵐に遭ったりする危険を考えたら陸路の方が安全やないですか、というのが率直な疑問でありました。
  もし、舟で行かねばならない必然性があったのだとすれば、考えられるのは、政治的、あるいは民族的な事情です。
  ガリラヤ湖およびヨルダン川をはさんで、ガリラヤ地方の反対側に広がるデカポリス地方。「デカ」は「10」、「ポリス」はギリシャ時代の植民都市「ポリス」ですので、「デカポリス」とはその名のとおり「10のポリス」がある地域という意味で、じっさいゲラサというのもこの10あると言われるポリスのひとつでした。
  この植民都市はギリシャ・ローマ文化の根拠地ですから、ユダヤ人にとっては汚れた堕落した文化の温床であり、異教徒の町でした。ゲラサの人びとも、自分たちはローマ人ではないけれども、ローマが大帝国となってこの地域を治める前から、ここは地中海文明の香り高いポリスである、あんな頑なな民族宗教に凝り固まった閉鎖的なユダヤ人のようにだけはなりたくないものだと、ユダヤ人を見下していたでしょう。そういうわけで、ユダヤ人もゲラサ人も互いに差別しあい、軽蔑しあい、敵対的な雰囲気の関係にあったようであります。
  したがって、そういう事情であれば、ゲラサ人が支配的な土地に踏み込んでゆく上で、ユダヤ人が堂々と陸路で入ってゆくのは、あまり安全ではない、ということも推測できるわけであります。
  実は、マルコによる福音書には、ほかにも「ヨルダン川の向こう側」(10章1節)という言葉が使われていたり、ベトサイダというとてもガリラヤ地方に近い湖畔の街についても「向こう岸のベトサイダ」(6章45節)という言い方をしたりしているところがあります。ベトサイダはイエスが最初の活動拠点として住んだカファルナウムにとても近い、すぐ行けるような距離ではあるのですが、ヨルダン川が間に流れている。渡れないわけではないが、あれは「川の向こう側」だ……と。
  「ヨルダン川の向こう側」、それは地理的にというよりも、むしろ心理的に遠かった「川向こうの土地」だったわけであります。
そういう事情ですから、ここでイエスが「向こう岸に渡ろう」と言う、この言葉は、「わたしたちとは敵対関係にある土地に出かけていこうじゃないか」という呼びかけだったことがわかります。

「向こう岸」とは何か

  「向こう岸」という言葉遣いをしていると、わたしたちはつい、川や、湖や、海を、土地と土地、人と人を「隔てるもの」として考えがちです。しかしそれは、陸地が人の住むところであり、領土の広さが国の広さであるというような考え方に馴らされてしまっているからに過ぎないのかも知れません。
  大昔、人類の始まりから、陸上のある特定の土地に定住するばかりが人の暮らし方だったわけではなかったのではないでしょうか。山に住み、川に住み、海に住み、あるいは旅をしながら生きる人びとは世界中にたくさんおりました。わたしたちが聖書で何度もお目にかかるイスラエルの人々も、もとは遊牧の民、移動民でした。
  個人的な話になりますが、わたしの父方の系図をたどっていくと、先祖は瀬戸内の水軍だったそうです。水軍は水の上が生活の場です。特定の土地にしばられず、自由奔放に移動できることこそが強みでした。しかし歴史の流れの中で、水軍の存在場所はなくなり、陸上に住み着かざるを得なくなったのが徳島で、しかし、その徳島で始めた生業が旅館であったという……旅の人:移動する人を相手にする宿屋であったというのは面白いなとわたしは個人的には思っておりますが、しかしその後、祖父の代以降、徳島の旅館は引き払って、明石、神戸と移ってきて現在に至っております。
  私の個人的な先祖の話だけでなく、昔の人々にとっては、日本列島は独立した陸地として見なされていたのではなく、千島列島やサハリンから朝鮮半島あるいは南西諸島に続く、島伝いの「海の道」の一部であったということも歴史家によって指摘されているようですね。日本海は大陸と島々の間の水溜りというか内海に過ぎないのでありまして、人びとは大陸と島々の間を、海を介して実にダイナミックに行き来し、文化、風俗、食物……あらゆるものを交換し合い、入り混じりあいながら暮らしていたと言います。
  そのことは、大陸/半島部/そして列島部での昔ながらの暮らしが、案外よく似ている部分が多いということ、また「日本人」の中にも遺伝学的にはアジアの色々な地域からのルーツが交じり合って認められることにも顕れています。
  そのような昔の人びとにとって、海は「隔てるもの」ではなく、交通路でした。海は、風さえあれば、陸よりも楽に、たくさんのものを運べ、そして自由に方向を変えながら通行できる「道」でありました。
  しかし、その海を、「道」ではなく、「隔てるもの」として利用しようとするのが、「国境」とか「領土」「国土」というもので人間の間に線を引いて区切ろうとする、政治あるいは権力者の発想です。
  日本に関して言えば、周囲の世界との分断は、織田信長・豊臣秀吉から始まるキリシタン弾圧・バテレン追放、そして豊臣の朝鮮出兵に端を発し、さらに徳川幕府の二百年以上におよぶ鎖国で決定的になりました。そして、いまだにその影響はぬぐい去れていません。いまだに、海が日本の「国土」を「守ってくれている」軍事上の「壁」だと思っている人はいのではないでしょうか。
政治によって海は「道」から「壁」に変えられました。政治が肥大化するにつれて、人と人の行き来は大層なものになります。
  つまり、人間と人間を隔てているのは、必ずしも自然環境ではなく、むしろ、人間の欲望や敵愾心なのではないか……。
本来「向こう岸」ではないところを「向こう岸」にしてしまい、人間を「こちら側」と「あちら側」に分けてしまうのは、お互いの無知や偏見や恐怖心なのではないか……。
  しかし、イエスはそれらを乗り越えて「向こう岸に行こう」と呼びかけられるのであります。

陸の人と湖の人

  イエスが舟を移動手段として用いる上で、かつて漁師だった弟子たちが大いに力になったことは言うまでもありません。彼らはいわば「湖(うみ)の人」――「海人(うみんちゅ)」?――です。舟の扱いについては彼らはエキスパートなわけで、実のところ彼らがいたからこそイエスはガリラヤ湖を自由に移動して町々を訪れることができたと言うべきでしょう。ペトロたちこそ湖を「隔ての壁」ではなく「道」として理解していたとしてもおかしくないはずの人びとでした。
  しかし、じっさいに「向こう岸に渡ろう」と言い出したのは、ペトロたちではなくイエスでした。漁師たちは、まさか自分たちが「向こう岸」のデカポリス地方に渡ることになるとは思いもしなかったでしょう。
  「ゲラサの人間と遭うのは、よくねぇ……」。
  たとえ「湖(うみ)の人」であったとしても、彼らの心の中にはデカポリス地方への見えない壁が築き上げられてしまっているのです。
  あるいは、元漁師の弟子たちは、そもそも自分たちが「湖(うみ)の人」であるという誇りなど少しも持っていなかったのかもしれません。当時、漁師は人々から見下される被差別階級の職業でしたし、できればイエスのような有名な先生の弟子になって、あちこちの町や村を旅し、水の上の生活を捨ててしまうほうが魅力的に思えたのかもしれない。彼ら自身が陸(おか)の人びとから見えない壁で隔てられていたから、彼らは自分たちの生活の場である湖を、ただメシの種である魚を獲る仕事場である以上に、可能性に満ちた世界であると積極的にとらえることができなかったのかも知れない。
  いろんなことが想像できるわけでありますが、いずれにしろ、弟子たちには、一人一人の心の中に高く分厚い壁が積み上がってしまっている。そこで、イエスは「じゃあ、その壁を超えてゆく旅をしようじゃないか」と、呼びかけてくださるわけです。

悪しき幻想からの解放

  さあ一行は「向こう岸」に向かって渡り始めるわけですが、やがて「激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸し」(37節)。弟子たちは「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」(38節)と叫んでしまう。するとイエスは波風を静めて、おっしゃることに「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」(40節)。
  この状況は、わたしたち自身が、「あそこはヤバい」と思っている地域に足を踏み入れるとき、あるいは知らない人たち、知らない国や、知らない人種の人たちの中に入ってゆくときに味わう不安や混乱に似ています。
  常にイエスのそばにいて、イエスの薫陶を受けていたはずのお弟子さんたちでさえ、大混乱パニックに陥ってイエスに助けを求めていたぐらいですから、ましてやわたしたちが「イエス様を信じていますから、わたしの心は凪のように平安です」などと言えなくても仕方ありません。
  また、いざ「向こう岸」に着いても、全てがスムーズにゆくとは限りません。こちらがもともと嫌悪感や恐怖を抱いていたのと同じように、相手も不信感や敵意を抱いている可能性もあるわけですから、最初は必ずしも喜ばしい出会いができない場合もあるかもしれません。
  イエスは「向こう岸」のゲラサ人の地方で、ある人を癒しますが、そのとき追い出した汚れた霊が「レギオン」という名前の霊であったことは意味深です。
  「レギオン」とはローマ帝国の歩兵5000人から6000人と騎兵120騎から成る一個軍団のことを指します。「レギオン」がゲラサ地方の人に取りついている。ローマの軍隊がデカポリス地方に取りついている。
  ローマは当時、帝国のいちばん端っこである、こんなユダヤ人の地方やゲラサ人の地方にまでも軍隊を駐留させて、軍事力で地元の人間たちの不満を押さえ込み、抵抗運動を鎮圧することを平和維持活動であるかのように称して、「パックス・ロマーナ」(ローマの平和)などと言っておりました。
  「レギオン」に取りつかれているとは、「力によってでなければ平和は維持できない」という悪い幻想に取りつかれているということです。そういう悪い幻想に取りつかれた人は、自分が武力に依存しているので、他人も同じだと思い込み、いつも他人の攻撃を恐れ、他人に先んじて自分の武力も強化しつづけずにもおれなくなります。あるいは、目に映る全ての存在が、自分を脅かすものに見えるようになり、病的な精神状態に陥ってしまいます。
  しかしイエスは、この悪い幻想をこの人から抜き取って沈めてしまう。恐怖に満ちた幻想から人の心を解放し、癒してしまうのであります。
  そして、
「自分の家に帰りなさい」(19節)と……。ユダヤ人はユダヤ人、ゲラサ人はゲラサ人、それそれが生きている場所で、敵意と恐怖からの解放を告げ知らせてくれるように、と願ったのでした。

向こう岸に渡ろう

  わたしたちは、互いに敵意を抱かされています。
  政治によって、あるいは政治権力が作り出した間違ったマスコミ情報や教育の影響を受けて、さらには本当に攻撃されることで、わたしたちは、差別意識や偏見、敵意、さまざまな恐怖心を持たされています。
  それらを抱えたままで、わたしたちが忌み嫌っていたり、恐がっているような場所、すなわち「向こう岸」に出かけて行き、そこに生きている人と接触することは確かに恐ろしいことです。
  しかし、いざ出会ってみると、「なんだ、お互いただの人間じゃないか」と気づかされるということもまた、よくあることです。
  「向こう岸に渡ろう」……それは、人と人の間に橋をかけ、和解と平和を作り出してくださるイエスのかけ声です。
  イエスを信じ、イエスを友に(艫に)、わたしたちが「向こう岸」にしてしまっている人と出会い、平和と友愛を作り出せる人間でありたいものです。
  波風騒ぎ立ち、不安と大混乱に陥るかも知れません。その度に祈り、祈る度にイエスに
「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」と叱咤激励されながらでありましょうが、それでもイエスと共に「向こう岸」に渡れる人になりましょう。

祈り

  愛する天の御神様。
  わたしたち人間をこんなにさまざまに違う形にお創りくださって、ほんとうにありがとうございます。
  どうかわたしたちに、人を恐れる気持ちを超えさせてください。どんなに自分と違う人であったとしても、喜ばしい驚きと楽しい出会いを与えてください。
  いつもあなたが共にいてくださいますから、わたしたちには恐れることはありません。
  愛する主イエス・キリストの御名によって祈ります。
  アーメン。


 
 ※挿入画像:ドラクロワ『大暴風の中』1841、油彩、ネルソン・アトキンズ美術館(カンザスシティ)所蔵(写真は日本聖書協会編『アートバイブル』2003、p.59より複写)

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