知らない人に開かれた心

2007年6月29日(金) 同志社香里高等学校 ショート礼拝奨励

説教時間:約7分……パソコンに取り込んでからゆっくりお読みください。

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聖書:コリントの信徒への手紙一 12章12〜26節 (新共同訳・新約)

  わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません。おのおの善を行って隣人を喜ばせ、互いの向上に努めるべきです。

「分け合い」と「ゆずり合い」のなさ

  高3と高1の聖書を担当しています。先週の木曜日、朝から出張で学校に来れなくて、高1の授業はほかの先生に取っていただき、高3の授業には自研材料を用意しました。
  その高3の自研なのですが、その中にこんな質問を入れていました。「あなたは、日本社会では、『分け合い』『ゆずり合い』の精神が生きていると思いますか?」という質問、それからその次に、「あなたは学校では、『分け合い』『ゆずり合い』の精神が生きていると思いますか?」という質問です。
  別にアンケートを取ろうと思ってこんな質問を入れていたわけではないのですが、読みながら「これはアンケートとして面白いぞ」と思って集計してみました。たった2クラス約90人だけの抽出ですけれども、他のクラスともあまり変わらないかも知れませんから、何かの目安にはなるんじゃないかなと思って数えました。
すると、こういう結果になりました。
  「日本社会で『分け合い』や『ゆずり合い』が生きているか」
  「生きている」と答えた人が59パーセント。ほぼ6割、過半数ですね。具体例として電車の中で席をゆずる場面を見た、と書く人が多かったです。けっこうそういう場面を見ている人が多いようです。そして、「生きてない」と感じる人が27パーセント。ほぼ3割。あとの1割の人は、「わからない」あるいは「どちらとも言える」というような答の人でした。およそ60パーセントの人が、日本社会一般では思いやりの心があると感じているらしいことがわかります。
  それでは我々のこの学校ではどうか。「分け合い」や「ゆずり合い」が生きているか。
  「生きている」と答えた人は、22パーセントでした。「生きてない」と答えた人67パーセント、ほぼ7割。「わからない」「どちらとも言える」という人が11パーセントでした。圧倒的多数の人が、「この学校には「分け合い」も「ゆずり合い」もない、と感じているという結果が出ました。
  具体例としては、最近はましになったという声もありましたが、食堂や購買での割りこみ、横入りという声が多数ありました。また、通学路での自分の権利の主張と譲り合いのなさを指摘する人も多かったです。わかっている人にはわかっているんですね。
  そのほか、この学校の生徒の様子を、客観的によくとらえている声もありました。「友達同士では『分け合い』や『ゆずり合い』もあるが、知り合いでないと関係なくなる」、「全般的にはできてないけど、クラブの中では生きている」、「道路を自分たちの道のように歩いて、周りの人が見えてない」、「自分のクラブの先輩や顧問には礼儀正しいふりをするが、それ以外の人の前ではめちゃくちゃ」、「マナーのひとつもなってないような人たちが強くなれるわけがない」という厳しい意見など、いろいろ多数の意見がありました。

知らない人と接するために

  それらの意見を総合的に見てみて、一つのパターンが見えてきました。つまり本校の生徒は、全般的に見て、自分の知り合いや仲間にはゆずり合いの精神があるけど、そうでない人には知らんふり。自分たちの群れのことだけしか見てない内向き志向で、自分たちの群れ以外の人が見えてない……という性質があるのではないかなということです。
  自分の群れは大事にするけど、それ以外の人のことは知らん。「そんなの当たり前やん」と思う人もいるかも知れません。でも、それでは社会はやっていけないんじゃないでしょうか。
  本来、マナーとか思いやりというのは、自分のよく知らない人に対して行うことです。知らない人というのは何をする人かわかりません。だから、仲間うちよりも気を遣って配慮しなくてはいけないんです。そのためにマナーというルールが存在します。
  知らない人とぶつかってトラブルを犯す人は、このことがわかってないんです。知らない人というのは、知っている人よりも注意して接近しなければいけないから、思いやりやマナーや礼儀というものが必要なんです。
  思いやりやマナー、そして礼儀正しさを見につけた人は、初対面の人ともコミュニケーションが取れるようになり、荒々しい社会を生きていけるようになります。そんな人間に、みんなが生まれ変わってほしいなと思います。
  お祈りします。

祈り

  天の神さま。
  今日も生きておれることを感謝します。
  ここに集う諸君が、マナーと礼儀を備えた立派な社会人として、この厳しい社会を渡ってゆくことができますように、成長させてください。
  この祈り、イエス様の名によってお聴きください。
  アーメン。

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