やりなおし

2004年9月10日(金)同志社香里高等学校ショート礼拝奨励

説教時間:約7分……パソコンに取り込んでからゆっくりお読みください。

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■聖書:ルカによる福音書13章6−9節(新共同訳・新約p.134)

  そして、イエスは次のたとえを話された。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。
  そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』
  園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」

弱さを認め合う

  みなさん、人生ってやりなおしがきく、と思いますか?
  この夏休み、全国の聖書科の教師が集まる研修会で、札幌の「北星学園余市高校」という学校の校長先生にお話を伺う機会がありました。
  北星余市というのは、3年前に生徒のマリファナ所持で問題になったり、「ヤンキー故郷へ帰る」など、テレビや本で有名になった吉家先生のいる全国的に有名な学校ですね。もちろんテレビで紹介された先生だけががんばっているのではなくて、全ての先生が、それぞれの強みもあれば弱点もある中で、支えあっておられます。
  この学校には全国から、学校を退学になったり、不登校になったり、いろいろに挫折を経験した高校生が集まってきています。勉強がそこそこできるんだけどエリート校では落ちこぼれてしまった人とか、スポーツはそこそこできるんだけどスポーツの強い子ばかり集まっている学校ではすっかり自信を失ってしまったとか。
  でもたいていの学校では「自分の弱さを認める」ということを許してくれません。それを認めてしまうと完全に自分の敗北を認めるようで、自分の弱さを本人も認めたがりません。しかし人間ですから弱い部分もあることは事実で、それで結局行き場がないままに引きこもったり、自分を傷つけたり、暴力事件を起こしたり、そうしてもといた学校におれなくなった人が、もういちど高校生活をやりなおすために来ているのが、北星余市という学校です。
  だから、なかなか生活指導の状況も気合が入っているというか、入らざるを得ないというか、面白かったのは、お話に来てくれた校長先生が、「うちの学校ではだいたい生徒の喫煙率が50パーセントくらいなのですが、これは多いのでしょうか。少ないのでしょうか」と言われて、研修会に出ていた他の学校の先生方が、「多いです! それは多いんですよ、校長先生」と笑いが出る一幕もありました。

やりなおす

  その校長先生がおっしゃったことで一番印象に残ったのが、「やりなおし」ということでした。
  生徒が問題を起こしたときにこういう事を話すそうです。
  「おまえはこんなことをしに余市に来たの?」
  「おまえはやりなおすために、ここに来たんだろう?」
  ここでやりなおせなかったら、もう後はないのです。それを確認することから、全ての対話が始まるそうです。
  今日、中北先生に読んでいただいた聖書の箇所は、やりなおしに関するたとえ話です。
  ある人が、いちじくの木を植えたのに、3年たっても一向に実がならない。そこで「切り倒せ」と雇い人に命じます。するとこの雇い人は「ご主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください」(ルカによる福音書13章8−9節)と言いました。
  このいちじくの木は、ついにやりなおしのきかない土壇場に追い詰められたと言えます。やりなおしをこれまで3年間許してもらえたいちじくの木が、ついにあと1年で結果を出さなければ切り倒す、という最後の警告を受けたわけです。やりなおしにも限度がある、ということなのかもしれません。

今、ここで、できること

  ぼくは基本的には人生というのはやりなおしがきくと思っています。
  しかし、「今、ここで、できること」というのは、やりなおしがききません。
  生きている限り、やりなおしはきくけれども、それは、もう別の場所に行ってしまってのことです。元いた場所で、もう一度やりなおすということはむずかしい。
  そういう意味では、「今」という時間、「ここ」という場所は、二度と戻ってきません。「今、ここで、できること」は、やはりやりなおしがきかないのですね。
  ですから、みなさんにも、「今、ここ」での学校での時間を、本当に大切に過ごし、何事も真剣に取り組んでほしいな、と思っています。
  最後に一言お祈りします。

祈り

  愛する天の御神さま。
  ここにいる一人ひとりが、一度しかない人生、一度しかない若い日々、一度しかない今日一日を、悔いなく過ごすことができますように、どうか導き、お守りください。
  この祈りを、主イエス・キリストの御名において、お聴きください。
  アーメン。

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