あるに甲斐なき我をも召し

2008年6月29日(日) 日本キリスト教団高の原教会 主日礼拝説教

説教時間:約25分……パソコンに取り込んでからゆっくりお読みください。

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聖書:マルコによる福音書3章13~19節 (新共同訳・新約)

  イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た。そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。こうして十二人を任命された。シモンにはペトロという名を付けられた。ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、この二人にはボアネルゲス、すなわち、「雷の子ら」という名を付けられた。アンデレ、フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルファイの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、それに、イスカリオテのユダ。このユダがイエスを裏切ったのである。

12人の男たち

  イエスは御自分の弟子たちのなかでも、特に12人の者たちを選び出して、「使徒」と名付けられた、と本日の聖書の個所には書かれております。
  この12というのは象徴的な意味を持つ数字で、たとえば少し昔の白黒映画になりますが『12人の怒れる男』という作品にも、キリストの12人の弟子たちを思わせる12人の陪審員の物語が描かれています。いま、日本でも裁判員制度について、さまざまに取りざたされていますので、もう一度この『12人の怒れる男』を改めて鑑賞をするのもいいのではないかな、思います。
  さてこの12という数字には、新約聖書の中では新しいイスラエル12部族という意味がこめられていますので、イエス自身がローマ帝国の占領からイスラエル民族の復興を目指していたというなら、意味もあるでしょうが、じっさいには本当に12人という弟子集団が実在したかどうかも、疑われております。
  おそらく、イエスの弟子の数はイスラエルの12部族を表す12人でなくてはならないという風潮が初期のキリスト教会の中にわき起こって、それであえて12人の男性に設定され、福音書に書き込まれたのではないかという説もあります。
  いずれにせよ、イエスにはもっとたくさんの弟子がいたはずです。その中で「これと思う人々を呼び寄せられ」(マルコ3章13節)たと書いてありますから、12人だけがイエスの弟子ではない、ということははっきりしています。
  たとえば、福音書の物語のなかに、何度も登場するマグダラのマリアという女性は、イエスの有力な弟子であったはずですが、福音書が書かれたのは、女性の地位を大きく書くということが考えられないような時代でしたから、彼女の存在は過小評価されています。しかし、復活したイエスに最初に出会ったのはマグダラのマリアたちであった、という証言を消すことまではできず、どの福音書にも、女性たちがイエスの復活の第一発見者であると書かれています。

12人の謎

  この「使徒は12人」ということ自体がフィクションなのではないだろうか、ということは他の視点からも疑われておりまして、たとえば、コリントの信徒への手紙(一)の15章3節以降を見てみますと、パウロがイエスの復活について語ったところですが、こんな風に書いています。そこを朗読してみます。
  
「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。次いで五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、そして最後に、月足らずで生まれたような私にも現れました。」(コリントの信徒への手紙(一)15章3〜8節)
  ここでパウロは復活したキリストがまずケファに現れ、その後12人に現れたと書いています。ケファというのは、シモン・ペトロのことです。ということは、ペトロは12人の一員ではないのでしょうか?
  また、ヤコブに現れた後に、使徒たちに現れた、と書いてあります。ということは最初に出てきた12人の弟子たちと「使徒」というのは別の人びとなのでしょうか。
  パウロの手紙は、福音書よりかなり早く書かれたものです。ですから、まず「イエスを囲む12人」という言い伝えだけがあって、それがそれぞれ誰のことをさすのかについては、伝承されてゆくうちに、次第に決まっていったのではないかと推測されるわけですが、多くの問題はまだ謎のままです。

12人の素顔:漁師たち

  しかし、たとえフィクションの可能性が高いといえども、イエスの弟子集団の代表として選ばれた12人、なかなかユニークな顔ぶれでした。この人選だけで、何かのメッセージを伝えようとしているのではないかと捉えることもできるのではないかと思います。
  イエスはまず4人の漁師を弟子にされた、と福音書においては伝えられています。後にイエスによってギリシア語で「ペトロス」あるいはヘブライ語で「ケファ」と呼ばれることになるシモン、その兄弟アンデレ。次にゼベダイの子ヤコブとヨハネの4人です。イエスはこの2組の漁師の兄弟に対して、「人間をとる漁師にしてあげよう」という、謎めいた言葉によって、4人を仲間としました(マルコによる福音書1章17節他)。
  当時、漁師というのは、被差別階級に属する職業でした。当時はカースト制のような身分制度で、父親の職業を男の子が継ぐ、というルールがガッチリと人びとの社会階層を固定していました。
  なぜ漁師が差別されていたのかというと、生き物の命を奪う生臭い仕事であったことと、当時、人里離れた森の中や砂漠や湖などは、悪霊がすんでいるとされていたため、一晩湖の上で仕事をして朝帰ってくる漁師には、悪霊が取り憑いているかもしれない、と思われて、漁師にあまり近づかないように、という扱いを受けていたのでした。
  その仕事をしている人がいなければ、人びとは魚を食べることができないのですから、本来ならば漁師には感謝と祝福が与えられてもおかしくないのではないかと思いたくなりますが、そういう風にはいかないようです。これは日本でも、畜産業、牛や豚などの肉を食用にさばく仕事は特定の部落の人にやらせて、肉は食うけれども、「あいつらは生き物の生皮をはぐ職業の人びとだ」と言って差別し、偏見を向けてきた矛盾も日本にはありますので、それと同じようなことが2000年前からも行われてきた、ということなのであります。
  そういうわけで、4人、つまりイエスの弟子たちを代表する12人のうち、3分の1が被差別階級の出身であったということ。これは、イエス自身の出身との関連もあったかもしれません。イエスの父親となったヨセフは大工であったと伝えられています。大工という仕事の具体的なイメージも、現在の私たちが思い浮かべるような材木を組んで家を建てるという仕事ではなく、石工(いしく)つまり石工業者に近いものであった、という節もあります。
  石工も漁師と同じく被差別階級の職業でした。石を削りだす仕事のために、常に粉塵を吸い続けるので、肺を痛め、長生きはできない職業でした。そして、大工としての仕事がない時には、ぶどう農園に臨時で雇われる貧農でもありました。
  イエスがヨセフのもとで大きくなったということは、当時、職業の選択は許されていなかった訳ですから、当然、大工あるいは石工の仕事を継いだということになります。
  イエスが公の活動に出たのは、30歳ごろのことだったと言われていますが、当時は30歳といえば、もはや青年ではなく、むしろ熟年と言いましょうか。10代の半ばまでには60パーセントが、20代の半ばまでには75パーセントの人が死んだといいますし、貧農階級で30歳まで生きる人はたいへん少なかったようです。ということは、イエスは30歳になるまでは、弟たちと共に大工または石工として家族を養うために働いていた。そして、自分の人生の終わりが見えてきてから、ナザレの家を出て、公の活動をし始めたというわけです。

12人の素顔:徴税人

  12弟子のほうに話を戻します。
  4人の漁師のあとに弟子になったと思われる人びとの名前は、マルコによる福音書によれば、フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルファイの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、そしてイスカリオテのユダです。
  このうちこのマタイと呼ばれた弟子は、マタイによる福音書においては「徴税人のマタイ」と呼ばれています。マルコ福音書では徴税人のレビという人がイエスの弟子になっている物語があるのですが、マタイはこれを徴税人マタイという名に改めて語り直しています。なぜそういうことをしたのか、はっきりしたことは私にはまだわかりません。
  とにかくこのマタイが徴税人という職業であったことを主張するということは、マタイもまたユダヤ人社会のなかで蔑まれる立場にあったということを示すことになります。
  よく知られたザアカイの物語でもそう描かれておりますが、徴税人というのは大変人びとから嫌われております。ユダヤ人のなかから選ばれ、占領国であるローマ帝国に雇われた徴税人は、ユダヤ人のなかの裏切り者、あるいは罪人と見なされていました。また、この徴税人は、自分がローマと契約を交わした金額以上に取り立てれば、それだけ自分の所得が増えるので、たいへん強引な方法で、人びとの荷物や財布をこじ開けたりしながら、無茶な取りたてをやっていたようであります。
  そんな徴税人を弟子のなかに入れるということは、罪人をかくまうということですから、これが本当なら、イエスの率いる集団を見て眉をひそめる人も多かったことでしょう。

12人の素顔:双子

  マタイの次に名を挙げられているのはトマスです。トマスも嫌われ者です。トマスはギリシア語では「ディデュモス」と呼ばれていました(ヨハネによる福音書20章24節)。これは「双子」という意味です。
  今でこそ双子というのは「可愛いね」と言ってもらえることも多く、うちの娘たちも、みなさまに可愛い可愛いと言われて、大層ありがたいことであります。
  しかし、古代においては、双子が生まれるというのは、不吉なことが起こる前兆とされました。同じ顔かたちをした子どもが並んで立っているというのは、昔の人たちの目にはたいへん人間離れした気持ち悪いものに映ったようです。よく「犬腹」という言葉が日本でも使われましたが、犬のように一度に複数の子どもを産む獣のような腹、という差別用語であります。まあそれでも、犬印の腹帯というのもありますから、犬にあやかって安産多産の祈願に使われることもあるということで、このあたりはいろいろあるようでございます。
  問題は、この「双子」というニックネームをつけられたトマスの、もう一人の兄弟はどこに行ったのか、ということです。古代では双子が生まれた場合、そのことを隠して、どちらか一方弱そうな方を間引きするか、里子に出すなどの措置がとられたようです。どういうわけか、このトマスの場合、双子であることがなぜ発覚していたのかはわかりませんが、12弟子のうち半数の6人が(シモンとアンデレ、ゼベダイの子のヤコブとヨハネ、そしてアルファイの子のヤコブとタダイ)、それぞれ兄弟のペアでイエスのもとにいるのにも関わらず、トマスは独りでいます。ということは、彼と一緒に生まれたもう一人の子どもはどうなったのでしょうか。
  兄弟を奪われ、にも関わらず双子の片割れと気味悪がられてきたこのトマスの人生の暗い一面を想像させられます。

12人の素顔:熱心党

  そして、熱心党のシモン。
  熱心党というのは、ガリラヤ地方を本拠地としていた、反ローマ帝国のテロリスト集団です。ガリラヤ地方というのは、当時のユダヤ人の観点から見れば、外国人と交わることも多い、ケガレた地域でしたが、意外にユダヤ民族主義、あるいは国粋主義的な運動がよく起こる地域だったようです。
  しかし、ユダヤ人にとっては民族の怒りの代弁者、つまりユダヤ人のヒーローである熱心党であったとしても、通常はローマ軍による摘発を恐れて身を隠しているはずです。ここでシモンが「熱心党の」と呼ばれているのは、本当に熱心党のメンバーだったのではなく、ローマに対する反感を持っていて、熱心党を支持している、という程度のものだったかもしれません。
  しかし、たとえそうだったとしても、ユダヤ民族の裏切り者でローマに雇われた徴税人のマタイと同じ弟子集団として同居する、そんなことが可能だったでしょうか。あるいは本当にシモンが熱心党のメンバーであったら、徴税人マタイは寝首をかかれていたかも知れません。
  そういうわけで、イエスの弟子の12人としてあげられた名前を、こうしてざっと眺めてみると、決して一枚岩ではない。よく言えば多様性に満ちており、見方によっては、単なるバラバラの集団であったと言うこともできます。あえて共通点といえば、みな一様に貧しかったということと、人が蔑んだり、恐れたりするような仕事についていた人びとであったということです。
  統一性のない、しかし、どこか一癖ありそうな集団、それがイエスの一行であったと、福音書は述べているのであります。

「こんな俺でもいいのか」

  イエスを最初に信じた人びと、クリスチャンという言葉もなかったようないちばん最初の頃に、イエスに呼ばれ、イエスに従った人びとは、今まで述べてきたような、貧しい、そしてどこか危険な匂いを感じさせる若者たちでした。
  彼らを生み出した底辺の階級に属する人びとは、彼らを見て、はやし立て、称賛し、応援したことでしょう。しかし逆に、裕福な暮らしをした身分ある人びとは眉をひそめ、できることなら相手にしたくないと思ったことでしょう。
  イエスはそんな常識破りとも思われるようなグループを作ることから全てを始めました。その集団は、決して一枚岩でもなく、決して成熟し、洗練されているわけでもなく、どちらかと言えば、一筋縄ではいかないような人びとでした。しかし、そんな危うさをもった彼らが、イエスの目には、磨く前のダイヤモンドの原石のように見えたのではないでしょうか。
  イエスについていった若者たちは、自分が磨く前の宝石のような可能性を持っていると思っていたわけではなかったでしょう。ただ、イエスという人のカリスマ性、威厳といったものに惹かれてついて行ったのかも知れません。
  しかし、この方についていけば、何か自分が今まで知らなかった、大きなものに出会えそうだ、何か違うものを手に入れることができそうだ、という期待を持ったことは確かでしょう。
「人間をとる漁師にしよう」(マルコによる福音書1章17節)という言葉に魅せられて、自分の人生の何かが変わることの期待に胸をはずませたのではないでしょうか。
  「こんな俺でもいいのか? この人はこんな俺でも連れて行きたいと思っているのか?」と自問自答したか、あるいは聖書には書かれていませんが、シモン・ペトロなどはイエスに尋ねたかも知れません。「俺は一介のただの漁師だ。そんな俺でもいいのか?」
  他の弟子たちも、「俺は徴税人だ。それでもいいのか?」、「俺は熱心党だ」、「俺はどうせ双子の片割れだ」、「それでもいいのか?」とイエスに問うたのではないでしょうか。しかし、イエスは言うのです。「君は君のままでいい。俺を信じてついてきてくれ」。
  男性の弟子のお話ばかりでは不公平ですね。マグダラのマリア。この人は7つの悪霊に取り憑かれて苦しんでいたところを、イエスに助けられた人です。未婚の女性が父親のもとを離れて一人でさまようこと自体、当時ではありえないことです。しかし、家族が見放さざるを得ないほどに彼女の病気は重かったのではないでしょうか。彼女もイエスに問うたかも知れません。「私は、一人の孤独な放浪の女です。こんな私でいいのですか?」 イエスは「それでいい。そのままついてきてほしい」と言ったことでしょう。
  そしていま、私たちも、イエスについてゆきたいと思うなら、その思いだけで充分なのではないかと思います。イエスの呼びかけは、彼が死んでから2000年近く経った今も、まだ続いています。イエスの呼びかけに対して、「こんな私が神に認められるわけがない」、「こんな私にはふさわしくない」、「こんな私には似つかわしくない」と思う必要はありません。むしろイエスの招きは、私たち自身が「どうして私を選んだのですか?」、「本当に私でいいのですか?」と驚くような形でやってきます。
  イエスについてゆけば、新しい人生の可能性が開かれます。イエスをキリストとあおぎ、彼に導かれながら、与えられた人生の限られた時間を、大切に生きてまいりましょう。
  あなたは、あなたのままで、良しとされているのであります。
  祈りましょう。

祈り

  愛する天の神さま。
  今日もあなたに生かされて、あなたの命と愛を分かち合う、この礼拝に集わせてくださって、ありがとうございます。
  あるに甲斐なき我らではありますが、どうかあなたに用いられて、よい人生を生きることができますように、どうかお導きください。
  アーメン。

  今回の説教の後、「イスカリオテのユダ」についても、もっと語ってほしかった、というご意見をいただきました。
  ユダについては、私の中で位置づけがはっきりとしていません。何よりユダについての勉強が足りません(他の弟子たちについて勉強が十分だという意味ではありませんが)。
  また、ユダについて語りだすと、説教のテーマが大幅にずれていってしまうという不安もありました。
  そういうわけで今回においてはユダを取り上げることはありませんでしたが、いつかユダについての説教もできるようになりたいと思います

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