勝ち組と勝ち組

2006年9月4日(月)同志社香里中学校 ショート礼拝奨励

説教時間:約7分……パソコンに取り込んでからゆっくりお読みください。

礼拝堂(メッセージ・ライブラリ)に戻る
「キリスト教・下世話なQ&Aコーナー」に入る
教会の案内図に戻る

聖書:コリントの信徒への手紙一 12章24b−26節(新共同訳)

  神は見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。

勝ち組と負け組がある社会

  「勝ち組」と「負け組」という言葉を聞いたことがありますか?
  最近、よく新聞やテレビなどで、聞かれる言葉です。「勝ち組」というのは、この世の中で、経済的にも成功し、お金がたくさんもらえて、余裕のある生活や自分の楽しみを追求できるようになった人たちのことです。「負け組」というのは、反対に、競争に負けて、経済的にも行き詰まってしまい、毎日の暮らしにも困ってしまうほど、生活が落ちぶれてしまう人たちのことをいいます。ひどい場合は家を失って家族を失ったり、野宿をするようになってしまったりする人もいます。
  そして、これからの世の中は、こんな風に、勝ち組と負け組がはっきりと分かれていってしまうような世の中になるだろう、貧富の差が激しくなるような社会になるだろう、というようなことを多くの人が言っています。
  この学校に通ってきている人は、それだけである程度は、いわば、勝ち組になるチャンスをたくさん持っている人たちだと思います。たしかにこの社会で勝ち残っていくためには、ボーッとしてたらダメで、常に一生懸命努力をし、改善をして働く姿勢を身につけていかないと、いくら卒業した学校がよくても、個人の努力が小さければ勝ち組になることはできません。けれども、スタートラインとしては、少し有利なところに立っているのではないかな、と思います。
  しかし、この学校だけではなくて、広く社会を見渡してみれば、個人の努力でどんなにがんばってもスタートラインから負けていて、どうあがいたって豊かな生活も余裕のある楽しい暮らしもできない人たちが、これからはたくさん出てきます。
  明らかに不公平な世の中に、どんどんとなっていこうとしているのが、今の日本の状態です。日本の未来は、貧富の差がどんどん拡大し、少しでも障がいを持っている人や、体の弱い人、能力の劣っている人は、ますます損な生き方をさせられるような状況になっていきそうな気配です。

一緒に勝ち残る社会を生きよう

  キリスト教的に言うと、こういう風に、貧しくて毎日の生活にも困る人が出てくる一方で、贅沢なくらしができるお金持ちの人があらわれる、という風にはっきり別れてしまうような不公平な世の中は、あまり望ましいものではないと考えられています。
  もっともみなさんにキリスト教という宗教を押し付けるつもりはありませんが、キリスト教のものの考え方というのは、いまの日本で世の中の不公平をなくしたり、病人や障がいを持った人のお世話をする仕組みをつくったりすることに役立ってきましたから、ちょっと聞いてみてほしいのです。
  この学校で学んで頭を鍛え、体力を鍛え、みんなにはもちろん自分のために実力をつけていってほしいのですけれど、それは、他人を出し抜いたり押さえつけたりして自分が人の上に立つためなのではなく、自分も得をし、自分以外の人も得をするように世の中で働くことができるような、そんな世の中をつくっていけるような人になるために、自分を鍛えていってほしいと思うんです。
  勝ち組になることは悪いことではありません。しかし、自分が勝ち組になるために誰かに損をさせたり、誰かに貧しい思いをさせているとしたら、それはよくない世の中をつくっていることになります。
  自分が勝ち組になりながら、人を負け組にしないような、できれば自分も人も勝ち組にできるような、そんな大人げのある気持ちを、この学校で身につけてくれたらな、と思っています。
  祈りましょう。

祈り

  神さま。
  わたしたちが与えられているこの恵まれた環境を、無駄にしてしまうのではなく、いつも感謝を持って受け取り、じゅうぶんに生かして一日一日を大切に生きることができますように。
  わたしたちを、自分の得になることだけではなく、自分も人も得をしながら生きることができるような人間とならせてください。
  この祈りを、主イエス・キリストの名によって、お聴き下さい。
  アーメン。

礼拝堂/メッセージライブラリに戻る

小チャペル入口(ショートメッセージのライブラリ)に戻る

「キリスト教・下世話なQ&Aコーナー」に入る

ご意見・ご指摘・ご感想等はこちらまで→牧師あてメール