あなた

1999年10月17日(日)キリスト教学校教育同盟・関西地区・新人教師研修会・聖日礼拝説教

説教時間:約15分……パソコンに取り込むか、または印刷してからゆっくりお読みください。

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聖書:ヨハネの手紙T 4章7−12節(新共同訳・新約・p.445)

  愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。神は独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。


あなた

  私が実物を見たわけではないのですが、ハワイの、ある教会でのお話です。いま私の勤めている学校は高校2年生が修学旅行でハワイに行っているのですが、この旅行の下見に行った同僚の先生の話です。
  空き時間に見学ルートの近くにあったキリスト教の教会に、ふらりと寄ったそうです。
  教会の入り口近くの壁に、ある貼り紙がはってあったという。そこには「もっとも大切な短い英語の言葉」というものが書いてあったそうです。
  まず最初は、単語6つで言える最も大切な英語表現。そこに書いてあったのは、
I was wrong, please forgive me. だったそうです。「私が間違ってました。赦してください」へりくだる心、ですね。
  次に、単語5つでは、
You did a good job. 「よくやったね」と相手を賞賛する言葉。
  単語4つでは、
What is your opinion? 「あなたの考えを聞かせてください」と、自分から心を開いて相手の言葉を聞く態度。
  だんだん短くなってきます。単語3つでは、
Can I help? 「何か私にお手伝いできますか?」という歩み寄り。
  単語2つで、
Thank you. 「ありがとう」感謝する心。
  そして最後に、単語1つで表現できるもっとも大切な言葉が書いてありました。
  いろんな考え方があるでしょうが、その教会に掲げてあった「単語一つで表現できる最も大切な言葉」とは、一体なんだったと思いますか?
  ……答は、
You. 「あなた」です。
  「あなた」という言葉が単語一つで表現できる最も大切な言葉。「あなた」こそ、もっとも大切な方ですよ、というメッセージです。

教師は牧師?

  最近『学校崩壊』という本が話題になりました。この本に面白いことが書いてありました。
  この本に「日本の教師は西洋の牧師のような仕事をさせられてきた」という一節があります。この言葉を読んだとき、「ああそれは面白い言い方だなぁ」、と思いました。
  「教師は、学力だけでなく、生活の仕方や社会性、そして、やっていいことと悪いこと(道徳)まで教え、生徒の抱えている問題や悩みにもかかわることになったのである。日本の教師は、教師としての役割と牧師としての役割の両方を要求されることになった」と書いてあります。
  なるほど、日本のように、人口に対して教会に通う人がとても少ない国においては、教会の牧師よりもはるかに学校の教師の方が牧師のような働きをしているのかもしれない、と思います。
  生徒本人の問題や悩みのみならず、場合によっては本人の家庭の問題、保護者の愛情関係、本人の友人や恋人などの問題……などなど、無理に立ち入ろうとしなくても、目に入ってきてしまいます。その上、来たい人だけが来ているような教会とは違い、生徒たちの内には学校に来ることさえも悩みの種の一つになっている人もいるような状況です。
  そんな難しい状況の中で、私たちは生徒たちに勉強を教えるだけでなく、一人一人の魂に配慮しながら仕事をすることを求められているわけです。
  でも、私たちのほとんどは牧師になろうとして学校に勤め始めたわけではないですよね? 私たちは、いわば、否応なしに牧師のような仕事をせざるを得ない状況に押し出されている、と言えます。
  そして、時に、自分の力量のなさ、経験のなさをいやというほど味わわされたり、生徒の悩みよりも自分の悩みや疲れに落ち込んでしまったり、むなしさに押し流されてしまったりするときもあります。私自身、生徒よりもまず自分自身が癒されたい、と思うことがよくあります。
  途方に暮れたとき、人間は一種の視野狭窄になります。本当は近くにあるはずの希望さえも、視野が狭くなって見えなくなってしまうような状態。それが「こころの視野狭窄」です。

愛は神

  こんな、自分の値打ちがひどく下がっているように思える時にこそ、「あなたは価値のある人だ」「あなたは大切な人だ」と、私たち教師自身に語りかけてくれる書物があることを思い出したい。そう思うのであります。
  本日お読みしました聖書の箇所、
ヨハネの手紙Tの4章11節にはこう書いてあります。
  
「愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです……」
  私たちが誰かを愛そう、あるいは愛さなければ、と思う前に、私たちはすでに愛されているのだよ、と聖書は伝えています。
  「神がわたしたちを愛された」と言われても、「神さまなんか見たことも会ったこともないし、よう分からん」という人もたくさんいます。
  実は私自身も、クリスチャンではありますが、神さまをこの目で見たわけでも会って話したわけでもありません。雲の上にいるヒゲ親父を想像してそれを信じようとしている訳でもありません。
  本日の聖書の箇所をもう一度見ていただくと、7節と8節には、「愛する者たち、互いに愛し合おう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているんだ。愛することのない者は神を知らないんだ」と書いてあります。
  キリスト教の信仰があるとかないとかいうこと以前に、愛する者はすでに神を知っているんだ、と書いてあります。なぜなら、
「神は愛だからです」と。
  この「神は愛」という言葉は、「愛は神」と訳してもさしつかえありません。「愛は神」「神は愛」、ちょっとつかみどころがないけれども、人を愛することのできる人は、もうすでに神を知っており、神の愛の中に包まれて生きているのだ、言われております。
  だから私自身も、「神を信じる」という言葉でイメージが湧きにくいときには、「愛を信じて生きてみよう」と思い直すわけです。

大切な「あなた」

  この他にも、旧約聖書には、神の言葉を代弁した預言者の書に、こんな言葉があります。
  
「わたしの目にはあなたは値打ちがあり、尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ書43章4節a)と。
  「そうか、私は愛されるに足る存在なのだ。私自身が値打ちのある大切な存在なのだ」、と思えてこそ、私たちも自分以外の人を大切にすることができるのではないでしょうか?
  私たちは一人一人尊い、愛されている存在です。
  願わくば、私たちが日々出会いつづける生徒たちにも、その一人一人に、神にとっても、私たちにとっても、「『あなた』……あなたはとても大切な人なんですよ」というメッセージを発しつづける者でありたい。そう思います。
  祈ります。

祈り

  命であり、愛である、私たちの神さま。
  昨日から本日にかけて、新しく私たちの仲間となった方々と、共に学び、交わりのときを過ごし、今またこうしてあなたの御前に日曜日の礼拝を献げることができますこの恵みを、感謝いたします。
  私たちが、常にあなたの愛を全身に充満させ、共に仕え合うために練達しつづける者となれますよう、どうか神さま、私たちを励ましてくださいませ。
  この研修会が実り多く、喜びに満ちたものとなりますように、どうか終わりまでお導きください。
  お願いばかりの貧しき祈りではございますが、この祈り、イエス・キリストの名によってお献げいたします。
  アーメン。

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