宇宙的に考えてこの世の生活を送る

2009年9月25日(金) 同志社香里高等学校 ショート礼拝奨励(改訂版)

説教時間:約9分(前後のアナウンスを入れて11分) お聴きになりたい方は→audio

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聖書:マタイによる福音書6章19~21節 (新共同訳・新約)

あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。

宗教と経済に関係があるか

 おはようございます。聖書科の富田です。
 さて突然ですが、みなさんは、宗教と経済がどのように関係しているか、考えたことがあるでしょうか。たぶんないだろうと思います。あるいは、宗教と経済なんて関係ないよ、と言いたい人もいると思います。
 しかし、宗教というのは、人の心や行動全般に影響を与えますから、当然経済活動にも影響します。
 9月7日(2009年)の日経新聞に載っていた記事ですが、たとえば、宗教心と経済成長率に関係があるという話があります。
 死後の世界、つまり天国や地獄などの存在を信じている人の比率が高い国のほうが、そういうものを信じてない人が多い国よりも、経済成長率が高いそうです。
 これは、ぼくたちの予想に反しているんじゃないかなと思います。よく「宗教は阿片だ」とかいって、「あの世に希望を持たせて、現在のこの世での命をないがしろにするから、自爆テロなんかをするんだ。だから宗教なんてロクなもんじゃない」と言われたりするわけです。
 しかし実際には来世を信じる人が多い国の全てで自爆テロが起こっているわけではありません。自爆テロというのは、たとえばイスラエルやアメリカなどといった軍事大国に攻撃されて、その攻撃でたいせつな人の命をたくさん奪われて、自分にはもう失うものはない、自分の命を捨ててでも侵略を食い止めたいと思った人がやっていることなので、来世を信じる人がみんな自爆をするわけではありません。
 むしろ、この世でしっかりと働いたり、善いことをしっかり積んだ人が来世でも天国に行けるということで、この世での人生をより充実させようとする人が多いわけです。そうなると「人間、死んだら終わりさ、フン」とか言って虚しい気分で毎日をただ送っているよりも、来世の天国を信じて生きている人のほうが、よほど前向きな生き方をしていて幸せなのではないかという気がします。

 さて、その新聞記事には、反対に、熱心に教会に行く人の比率が高いほど、経済成長率が低いという結果も出ているそうです。
 これはまあ、わかりやすいです。毎週日曜日必ず休んで、場合によっては平日も時々教会に行っているような人が多い社会は、まあ仕事よりは自分の時間を大事にする人が多いということになりますから、成長率は上がらんだろうなあと思います。しかし、それは自分の信仰でそうしているから、それは納得の上なわけです。

宇宙的に人の命を考える

 日本ではどうでしょうか。日本では宗教と経済が関係なんかしてない、と思っている人が多いかもしれません。
 でも、私は、日本人が神や仏といった、自分を超えたものを意識しないように、しないように、としているために、自分が何のために生きているのか、何のために生きたいのかということが見失われていってるんじゃないだろうかと感じることがあります。
 物質的な満足しか目に入らなくなっているのではないか、お金や物以外に値打ちのあるものなんか無いんだ、と殊更に思い込もうとしている、あるいは人にも伝えようとしているように見えます。
 目に見えないものに値打ちがあるかも知れないのに、「そんなもんあるわけないやろ」と、この社会ではわざと虚しがって見せて、お互いに足を引っ張りあっているように感じます。
 そして、それは結局生き方としてはあんまり幸せではない、という気がします。お金や物がたくさんあることが幸せなんだと思っている人が多いと、そういう富を追求する人が多いわけですから、さぞかし豊かな社会になるだろうと思えるかも知れません。でも、現実にはそうなっていません。いま日本に住んでいる人の多くが、自分の生きている意味や、喜びを見いだせているでしょうか。
 成長はどこかで必ず限界を迎えます。これ以上は富は増えないと感じる地点に必ずたどり着きます。見える富を価値の基準に置いている人は、ここで絶望に襲われてしまいます。そして、なんとか少しでも見える富を生み出す事ができないか、と必死の戦いを死ぬまで続けるしかなくなります。

 もう少し視野を大きく持ってはどうでしょうか。
 宇宙が始まって136億年、地球が生まれて46億年、不思議な事に太陽と月がちょうど同じような大きさで地球の昼と夜を照らし、不思議なDNAのらせん構造がなぜか生まれて、細胞が出来て、生命が生まれて、人間が登場して、こんなに脳が発達して、こんなに火を扱うのにちょうどいい体のサイズで、文明を生んで、社会を作って、そんな人間世界の中で、何億分の一というものすごい確率の生殖細胞の結びつきで、「私」という存在が生まれてここにいる。自分という人間がここに存在していることは奇跡なんだと。ものすごく稀なことで、とんでもなく値打ちがあることなんだ、と自覚すれば、生き方も少し変わってくるんではないかと思うんです。
 で、もっと大事なことは、自分だけではなく、自分以外の人間もやはり価値ある存在だということです。自分と同じように奇跡の存在が他にもいて、その人と今こうして出会っていることも、また奇跡です。
 そんな尊いたくさんの存在、あるいはたった1人でもいい、自分以外の存在に奉仕することを、自分の喜びにすることができたら、その人生は幸せなんじゃないかなと思います。そして、そうすることを自分の喜びにして、高いモーティベーションで働く人が増えたら、きっと世の中も活性化されていくんじゃないか、と思うのはあまりに楽観的すぎるでしょうか。
 人ひとりの存在を宇宙的にとらえる気持ちから、世の中が明るく元気なものになることを信じるのは、甘過ぎるでしょうか。
 しかし、同じ状況を前にして、ものの見方一つで自分の世界が変わるなら、それは大事な事なんではないでしょうか。

祈り

 祈ります。どうぞ目を閉じてください。
 神さま、私たちひとりひとりが、生きている意味と喜びを共にすることができますように、どうか私たちの進むべき道を示してくださいませ。
 この祈りを、イエス・キリストの名によってお聞きください。
 アーメン。

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