生まれてきてくれて、ありがとう

2009年12月16日(水) 同志社香里中学校・高等学校合同クリスマス放送礼拝奨励

説教時間:約20分(音声版はありません)

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聖書:ヨハネによる福音書3章16節 (新共同訳・新約)

 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

サンタクロースを信じていますか?

 みなさんは、もうXmasプレゼントは何がいいか決まっているでしょうか。今年のXmasには何が欲しい、とお家の人にねだって、そして家族で一緒に百貨店に買いに行ったりする人も多いんじゃないかなと思います。
 親にねだったり、一緒に買いに行ったりするのは、サンタさんを信じていない証拠ですが、みなさんは一体、何歳頃までサンタクロースの実在を信じていたでしょうか。
 うちには、小学校6年の娘が1人と、4年生の娘が2人います。この下の双子の4年生は、サンタの実在を全く疑っていません。上の6年生の子は去年までは信じていました。今は全く信じていないわけではないんですが、あまりに友だちが「サンタなんかはほんまはおらん。サンタの正体は親や」と言うものですから、ちょっと半信半疑になっているようです。
 まあしかし、中学1年生以降ずっとサンタを待ち続けるというのは、ちょっと不可能かなと我々親も思っていますので、一応、「サンタからのプレゼントは小学校までで終わりですよ。中学生になったらお父さんやお母さんに買ってもらうんだよ」というサンタからの手紙(一応、英語の手紙)を作っておこうかな、と計画しています。
 そのほうが、サンタは存在しないと言ってしまうよりも、サンタの存在が守られるような気がするからです。
 ま、こんな風に、子どもはサンタを信じた時期を過ぎて、親からプレゼントをもらい、その時期を過ぎて、やがて自分が自分の子どもや親戚の子ども、あるいはそれ以外の人のためにサンタになる大人へと成長してゆきます。
 そして大人になるにつれ、自分がXmasプレゼントをもらえるチャンスはぐっと減ってゆきます。大人と子どもの違いは、プレゼントをもらう方が多いか、あげる方が多いかの違いではないかと思います。

子どもは宝

 しかし、私がクリスマスのたびに思うのは、子どもは大人にとって宝物だということです。この宝物が自分のもとに送られてきたことを感謝をもって受け止めたい、この子どもたちが私に与えられたプレゼントだ、と思うのです。
 そして、その子には「生まれてきてくれて、ありがとう」と伝えてあげたいと思っているのです。
 大人にも子ども時代はありましたし、子どもにも将来大人時代があります。先に生まれた者も、後に生まれた者も、同じ人間です。その違いは、先に生まれてきたか、あとに生まれてきたかということに過ぎません。ですから、私は、子どもを見ると、自分より後から生まれてきた後輩を見るような気持ちになります。
 その後輩に対して私は、「よう来てくれたなあ。君に会えてよかった。『この世』というのは、なかなかいい所やで」と伝えてあげたいと思うのです。
 そして「生まれてきてくれて、ありがとうなあ」と言ってあげたいのです。

「生まれてきてくれて、ありがとう」

 今も思い出します、私の長女が「生まれてきてくれて、ありがとう」と誕生日に言われたときのことです。
 うちは10年前からビデオを撮りためていて、ちゃんとその時のことも映像として記録に残っているのですが、3歳の誕生日の夜、バースデーケーキをもぐもぐ食べている娘に、私の妻は「しおんちゃん、生まれて来てくれてありがとうね!」と言いました。すると、娘の体がぐらりと揺れて、ひと呼吸おいて、それから3歳の娘は何と言ったと思いますか?
 ……彼女は「だーーーーっ!!」と叫んだのでした。きっと照れくさかったのでしょう。しかし、我々親の気持ちは、確かにどすんと彼女の胸には届いたようでした。だから、本当にその言葉を彼女に言ったことはよかったと思っています。
 大人にとって、子どもは宝です。それは親にとって宝なのはもちろんのこと、教師にとって生徒一人一人もまた宝物なのだと思います。
 だから、ぼくは、例えば今は宗教主任なので担任クラスは持っていませんが、クラブやクワイアやボランティアなどの関連で、お家の人と話す時、その保護者の方にとってかけがえのないもので、ぼく自身にとっても貴重な宝物について話すように心がけているつもりです。
 そして、生徒のみなさん一人一人に、「ほんまに、よう『この世』に来たなあ」と言ってあげたいし、この世はなかなか生きる値打ちがある、いい所だと言ってあげたい気持ちでいます。

大人には大人のつらさがある

 親にとって子どもは宝のはずだ、と言いましたが、そうは言っても、「自分の親は本当に自分のことを大事にしてくれているのか。信じられない。自分なんか全然大事にしてもらってないじゃないか」あるいは「放っといてくれ」と思っている人もきっと多いだろうと思います。私自身も、長いこと自分の親はこの世で一番最低な人間どもだと思ってました。
 しかし、大人になってから、なんとなく親が話してくれるようになったり、あるいは親を見ていて自然にわかってきたりするのですが、子どもがどんなにいい子でも、親には親の人生の壁とか悩みとか困難があって、それに立ち向かって苦しんでいたり、疲れ果てていたりするんですね。そうやって生きるだけで精一杯で、なかなか思うように完全な親にはなれないんです。
ついつい私たちは自分の親に対して、神のような完全な愛を求めがちです。しかし、親は人間であって、神ではありません。いや、私は神だって全然「万能」だとは思っておりませんので、まして人間である自分の親が完璧でないのは当たり前です。
 ですから、みなさんが、「自分の親は自分のことを可愛くないんじゃないか」と思うことがあっても、そんな事はまずないでしょう。親自身が非常に生きることに疲れている場合や、超えなければならない課題や壁があって途方に暮れている時は、いい親を演じていられない。それだけだと思います。

生きているだけでプレゼント

 何度も繰り返しますが、みなさんは宝のような存在です。ですから、みなさんは何も特別な事をしなくても、生きているだけで宝物です。生きているということで、十分Xmasプレゼントなのです。
 もし、それ以上に何かしたいと思ったら、何か感謝を表せるプレゼントがいいと思います。
 けれども、Xmasはみんなにとっても一番お金が無くなる時期かもしれません。ですから、せめてカードだけでもあげてはどうでしょうか。そのカードには、「お母さん、私を産んでくれてありがとう。お父さん、私を育ててくれてありがとう。」という言葉で十分だと思います。
 「生まれてきてくれてありがとう」、「生んでくれてありがとう」、「あなたの子でよかったよ」……そんな言葉のやりとりだけで、十分クリスマスは幸せなんじゃないかと思います。
 このメッセージは実はたいへん大切な事を私たちに教えてくれます。
 それは、人はただ生きてそこに存在しているだけで値打ちがあるということです。

敗者復活戦のある世の中

 残念ながら、一般社会でも、また学校においても、こういうことは感じにくいというのが現実です。
 というのも、たとえば学校では、「どんなに人間は平等ですよ、全ての人に同じ人権があるんですよ」建前でと言われてても、結局は成績で進路が決まってしまう。勉強ができるかできないかで将来の人生まで決められてしまう、という現実があります。
 これはたいへん厳しい現実で、たとえば、学校にいる間は勉強で差がついてしまいますが、社会に出ると、また違った基準で差をつけられます。それが収入の差になり、生活の差になるから恐ろしいです。もっとも、学校の勉強ができる人が社会で必ずしも成功するとは限らないので、勉強の苦手な人でもチャンスはいくらでもあるのが実社会です。しかし、とにかく、世の中の現実は平等ではありません。
 それにも関わらず、あえて私たちは「人間はみな生きている限り、同じように尊い存在なんだ」ということを叫ばないといけないと思います。
 能力のある人が存在する価値があり、能力の無い人や負けた人は生きている価値はない、という考え方をすると、恐ろしい世の中になります。人間は死ぬまでずっと勝ち続けるわけにはいきません。時には負けることもありますし、失敗をすることもあります。若い間は連戦連勝の人でも、歳をとるとそういうわけにはいかなくなることもあるでしょう。絶対に前を知らないという人はいないでしょう。
 にもかかわらず、人の存在価値を何か見える能力だけで決めようとすると、年寄りは業績が上がらないから存在する意味が無いとか、障がい者は業績が上げられないから存在する価値がないとか、ホームレスは殺してもいいとか、そういうとんでもないことを言い出す人が実際出てきます。
 しかしたとえば私などは、実際今まで生きてきて、ちょっとここでは言えないような大失敗をやったり大失態を演じたり大敗北を喫したりして、何度か「もう俺の人生はおしまいだあ〜」と思ったことが何度もありますが、その度に人生をやり直し、立て直すことが許されて、いま何とかこうして生きているので、やりなおしのチャンスというものが、どんなにありがたいか身にしみてわかっているつもりです。
 自分はこうして生きている、生きている限り安心して幸せになりたい、という感覚は、勝った人だろうが負けた人だろうが、金持ちだろうが貧しい人だろうが、同じだろうと思います。全ての人が同じ給料で、同じ地位でなければならない、なんてことは全く望んでいませんが、たとえ負けた人でも敗者復活戦のチャンスがあり、能力の低い人にはそれなりに満足できる仕事と暮らしがあっていいんじゃないかと思います。

「生きててくれて、ありがとう」

 その根底にあるのは、「人間は生きている限り、みなその存在は同じように尊い」という考え方です。「人はみな同じ尊厳を持っている」という言葉に言い換えてもいいと思います。これは本当に大事なことです。 人は生きてそこにいるだけで値打ちのある存在だということです。そして、それを実感するために、どこかで敗者復活のチャンスがあったり、負けた人でも誇りを持って生きられる場所も必要だと思うんです。
 何しろ、私たちにとっての最大のプレゼントは、この命です。新約聖書の中にも、「人が世界を手に入れたとしても、自分の命を失ったら何になるだろうか」という言葉もあるくらい、命というのは大事なものです。そして、その命は自分のものだけが大事なのではなく、誰の命も大事です。ですから、私たちが「生まれてきてくれてありがとう」という言葉に加えて、もうひとつ言うとすれば、「生きててくれてありがとう」という言葉になるでしょう。
 いま、日本では1年間で3万人の人が自らの手で命を断っているといいます。一日100人近くの人が、自分で自分を殺しています。「生まれてきてくれてありがとう」「生きててくれてありがとう」と言ってくれる人がもっと日本にたくさんいたら、ひょっとしたらこの数字が少なくなるのかな、と思いたい気持ちになります。
 私はみなさんに伝えたいと思います。「みなさん、生まれてきてくれてありがとうございました。そして、今日も生きててくれてありがとう」。ほんまに感謝してます。
 お互いに「命」という最高のプレゼントを感謝しながら生きていきましょう。
 最後にお祈りをします。目を閉じてください。最後に「アーメン」と言いますから、みなさんも小さな声でもかまいませんので、「アーメン」と言ってください。

祈り

 私たち一人に一つずつ命を与えてくださった神さま。
 こうして私たちが生きているということを感謝いたします。
 この世の中の全ての人が、生きていることに歓びを感じることができますように。
 その歓びの権利がどんな人にもある、ということを実現できる世の中を私たちに造らせてください。
 この祈りをイエス・キリストの名によってお聴きください。
 アーメン。

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