あなたは自由ではありません

2010年2月19日(金) 同志社香里高等学校1年生 学年礼拝奨励

説教時間:約6分(前後のトークを入れて約10分) お聴きになりたい方は→audio

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聖書:ヨハネによる福音書8章32節 (新共同訳・新約p.182)

 あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。

あなたは自由ではありません

 おはようございます。
 今日読んでいただいた聖書の言葉は、みんな何回か学校の礼拝で聞いて、記憶に残っている人も多いんじゃないかと思います。
 
「真理はあなたたちを自由にする」、真理を手に入れれば、あなたは自由になりますよ、ということです。
 では、真理とは何でしょうか。英語ではtruth、真理以外にも、本当のこと、事実などを意味する、広がりのある言葉です。
 「真理はあなたたちを自由にする」、というのは言い換えるなら、「本当のことを知れば、あなたも自由になれますよ」ということですね。
 という事はひっくり返すと、「あなたはまだ本当のことを知らないから、なかなか本当に自由にはなれませんよ」という事にもなります。

自由の錯覚

 たとえば、皆さんは恋をしたことがありますか?
 我々の人間関係の中でも、もっとも関心が高いという人が多いであろうと思われるのは、恋愛の問題です。
 人が人を好きになるのは、自由だと思いますか?
 たいてい人が人を好きになるのは、「よし、この人を好きになろう」と決めて好きになるのではありませんよね? 気がついたら好きになってます。
 それは好きなタイプの顔であったり、好きなタイプの体型だったり、性格だったり、生き方であったり……そういった、ある条件の人が自分のストライクゾーンに入ってくると、自動的に自分が反応しています。
 それはあなたの意志によるものではなくて、自動的な反応に過ぎませんよね? 自動的な反応なのに、それを私たちは「ああ、私はこの人が好きなんだ」と後から追いかけて、自分の自由な感情であるかのように思っているだけです。

自動的反応の奴隷

 それは、たとえば、お腹がすく、お腹がすいたら、食べたいと思う。だから食べる。するとお腹が満たされて満足する、というのも同じです。
 お腹がすいて「食べたい」、「食べよう」というのは、いかにも自分の心で自発的に思っているような気がするけど、それは生物としての神経の自動的な反応です。身体が自動的に「食べたい」と思っているのであって、自分の意志で「よし、これから俺は『食べたい』と思おう」と決めて思うわけではないです。自動的な反応に過ぎないのに、それを私たちは自分の自由意志だと錯覚しているのです。
 そんな風に考察してゆくと、我々は、実はほとんど刺激に対する自動的な反応だけで毎日を生きているようなものだということがわかってくると思います。
 腹減った→食べよう、眠たい→寝よう、寂しい→甘えよう、しんどい→やめよう、ややこしい→無視しよう、欲しい→取ろう、気持ちいい→やめられない……それは全部、体の自動的反応で、多くの人はその自動的反応の奴隷であって、そこから自由ではないんですね。

自動的反応から逃れて

 逆に言うと、そのような欲望や刺激に対する自動的反応から離れて、自分の意志の通りに言葉を発したり、行動をしたりすることができれば、我々は一歩自由に近づくのではないかな、と思います。
 我々は実はほとんど自動的な神経の反応に引きずられているだけで、本当に自由なのではない、ということも人間の真理の一つです。
 しかし、そのような本当の自分たちの姿を知る事で、我々は本当の自由に向かって一歩踏み出すということもできるのではないか、と思います。
 最後に一言お祈りします。目をつむって、手を合わせてください。

祈り

 愛と善と美の源である神さま。
 私たちを今日も生かしてくださり、ありがとうございます。
 「真理は自由を得させる」との御言葉の通り、私たちが真の自由に向かって精進することができますように。日々注意深く、他者への配慮をもって生きる事ができますように、どうか私たちを教え、導いてください。
 この祈りを、イエス・キリストの御名によってお聴きください。
 アーメン。


 
参考文献:小池龍之介『仏教対人心理学読本』サンガ、2009年

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