ささげる

2010年6月7日(月) 同志社香里中学校・高等学校 早天祈祷礼拝奨励

説教時間:約12分(音声版はありません)

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聖書:ヨハネによる福音書15章12〜13節 (新共同訳・新約)

 わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。
 友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。

友のために命を捨てる

 私は同志社香里の出身ではありません。中学は、兵庫県の西宮市にある関西学院中学部というところに行きました。この同志社香里と同じキリスト教の学校で、大学がついている学校で、私も今のみんなと同じように、週1回の聖書の授業を受けていました。
 この関学の中学部に入学して、最初にズシーンと衝撃を受けたのは、なんといっても「白木少年像」のことです。
 「白木少年像」というのは、この中学部の校門を入った所に、座って、ちょっとうつむいて考え事をしているようなポーズの、一人の少年の銅像があります。白木真寿夫(しらきますお)さんという少年の像です。
 何年の出来事かはきちんとおぼえてないんですが、とにかく旧制中学の時代の関西学院中学部5年生だったそうですから、今で言えば高校生にあたる年齢の人です。
 その白木少年が、ある日従兄といっしょにボートで須磨の海に出ていたそうです。ところが、突然激しい風が吹いてボートが揺れて、従兄が海に投げ出されてしまいました。白木少年は制服のまま海に飛び込んで、従兄を抱えて泳ぎ、海岸近くまで運んで、近づいて来た船に彼を預けると、自分は力つきて海中に沈んでいったそうです。
 白木少年のご両親は大変嘆き悲しんだそうですが、それにしても他人の為に命を顧みず行動した息子さんが、そういう形で関西学院のキリスト教の精神を表したことを誇りにも思われて、学校に1本の桜の樹を贈られたんですね。その桜は「白木桜」と言われて、今でも関学の中学部に植わってます。そして「白木少年像」も、その白木真寿夫さんを記念して作られたんですね。
 私は、その話を聖書の時間に、今日の聖書の箇所と一緒に聴きました。
 
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネによる福音書15章13節)

白木少年からの問いかけ

 これは当時の私にとっては大きな衝撃でした。
 「そんな生き方、あるいは死に方があるんだー」という衝撃ですね。
 当時私は、死ぬということを異常なほど怖がる子どもでしたので、余計にそうだったのかも知れませんが、自分の一度しかない一生を、そういう形で人のために捧げて投げ出してしまう人間がいる、それが最も尊い愛の形である、という価値観に初めて出会って、心底びっくりしました。そして、そういう死に方をした人を、ある意味学校の理想の生徒として讃えている、そんな学校にもびっくりしました。
 それから、もう30年以上が経って今に至っているわけですが、まだ白木少年からの問いかけは、自分の中に生きています。
 もちろん、自分が白木少年のように、人のために命を投げ打つような勇気があるのか、また、普段からそれくらい強い愛をもって人のために尽くして生きているのかというと、全然そんなことはなくて、「あーもっとラクしたいなー」とか、「どっちが自分にとって得かなあ」とか、そんな事ばかり考えて毎日過ごしていたりするのが実態です。
 でも、それでも白木少年のことを忘れてしまっているかというと、そういうわけではなく、ずーっと30年間、彼は私の心の片隅で問いかけ続けています。
 「こういう生き方、そしてこういう死に方があるんだよ」と。
 人間はいつか死んで一生を終わるのですが、同じ死ぬのなら、自分のことばかりやって死んでしまうよりは、何か人のためになることをしてから死なないといけないんだろうな、という想いはいつも心の中に抱いています。

危険を冒せとは言わないが

 聖書の授業のカリキュラムで、うちの学校の中学1年生は、同志社の建学の精神を学びます。主に新島襄の生涯と同志社の創立してから間もなくの歴史を中心に授業をしています。
 私の勉強不足かもしれませんけど、同志社の学生で人を助けて死んだ人として語り継がれているような人は、私は知りません。
 けれども、ほんの3年くらい前のことだと思いますが、同志社香里の卒業生で、今はもう休部状態になっている山岳部のOBですが、樺井毅さんという方。死んだわけではありません。生きておられます。いま、大学を卒業して会社に就職して、2年目くらいではないかと思います。まだ若い人です。
 この人は同志社大学在学中に、ガソリンスタンドでアルバイトをしていたんですが、スタンドの近くで民家が火事になって、スタンドの店長と一緒に現場にかけつけて、燃え盛る家の中に飛び込んでいって、中で動けなくなっていたおばあさんをおぶって、無事に救出してきました。
 その勇敢な行動を讃えて、京田辺市の消防本部から表彰されています。無事に帰って来て良かったけれど、命を落とす危険も冒していたわけで、彼はクリスチャンではないけれど、そういう行動ができるというのは、やはり同志社香里のキリスト教精神にふさわしい行動をしたんだな、と思います。
 そもそも遡れば、同志社という学校も、日本の未来のために命を危険にさらそうとした新島襄の冒険がなかったら始められなかった学校ですし、じっさい新島先生も自分の命を削って日本の良心を生み出す同志社のために苦闘する旅の途中で命を落としたわけです。
 私はみなさんに、「命を危険にさらすようなことは、あえてしないでくださいね」と、これは強くお願いしたいです。けれども、自分の一度しか与えられていない命を、自分のために消費してしまうより、誰かのために役立てる事のほうが、値打ちがあると思います。
 決して死に急いではいけませんが、生きている間は、あの人のためにこうしよう、この人のためにこうしよう、ということを心がけて、命を誰かのために捧げること。それがみなさんの人生をずっとずっと豊かにしてくれると確信しています。
 受け取るばかりよりも、与えるほうが、実は自分にとっては幸せなことが多い。そのことを信じてほしいなと思います。
 祈りましょう。目を閉じてください。

祈り

 私たちひとりひとりに命を与え、この世に送り出してくださった神さま。
 私たちが与えられたこの命を、自分のためだけではなく、自分以外の人のために使う事ができるように、しっかりとこの学校で知恵と能力を身につけることができますように。
 聖書に書いてあるとおりに、友のために命を捨てることは難しいですが、友のために、また世の中のために命を使う人間とならせてください。
 この祈りを、イエス・キリストの御名により、お聴きください。
 アーメン。

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