大切な人

2010年11月13日(土) 同志社里中学校高等学校 宗教週間早天祈祷礼拝メッセージ教

説教時間:約12分(音声版はありません)

礼拝堂(メッセージ・ライブラリ)に戻る
「キリスト教・下世話なQ&Aコーナー」に入る
教会の案内図に戻る

聖書:コリントの信徒への手紙(二)9章6〜7節(新共同訳・新約 p.335)

 つまり、こういうことです。
 惜しんで
わずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。
 各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。
 喜んで与える人を神は愛してくださるからです。

幸せって何ですか?

 「幸せって何でしょうか?」
 ある日、私の携帯に、ある卒業生のツイッターから問い合わせがありました。
 知っている人も多いと思いますが、ツイッターというのは、特に指定をしなければ、フォローしている人全員に配信されます。
 ということは、ぼくはこの卒業生から、「幸せって何ですか?」という公開質問状をもらった形になったわけです。
 私はどう返事したらいいものか考え込んでしまい、その日すぐに返事を書くことができませんでした。
 みなさんはどう思いますか? 人間にとって何が必要でしょうか?
 私は一晩考えて、翌朝、学校に来る電車の中で、私は返事を送信しました。
 「大切な人ができるってことが幸せのもとなんじゃないかな」

大切な人

 幸せが何かというのは人によって意見が違っていて当たり前なので、別に決まった正解があるわけではないんですが、私は私自身の今までの人生を振り返って、生きる原動力になってきたのは……「この人についていきたい」「この人を手伝いたい」「この人を助けたい」「この人に役立ちたい」「この人に喜んでほしい」……といった気持ちだったように思います。
 この弱肉強食の競争社会の中では、「みんな本当は自分のことしか考えていない」とか、「人間はみんな自己中心的な生き物だ」なんて言ってカッコつけてる人が多いですけれど、でも、それは大きな間違いだと思います。
 「自分のために生きる」なんて空しいですよ。
 若い頃はそれでも自分自身を発見するのが面白かったりするからそれでも困らないんですが、ある程度自分の人格が固まってくると、「自分のために生きる」なんて、そんな自己完結した人生はつまらなくなります。
 逆に、「この人の為になりたい」と思うような「大切な人」ができると、自分が生きている意味がはっきりします。生きる目的ができます。生きる意味や目的ができると、「自分はこの世に生まれてきて良かったな」と感じることができます。
 「生まれてきて良かった」なんて思えたら、それ以上幸せなことなんかないんじゃないかと思います。そう思いませんか?

愛する生物

 人間の心というのは、自分のためだけに生きるよりも、誰かの為に生きる方が、喜びも大きいし、生きるエネルギーがみなぎるようにできているわけです。
 もし神が実際にいて、人間のそういう性質まで作り込んだのだとしたら、これは本当に感謝すべき事ではないかと思います。
 私は、基本的には人間は猿から分かれ出て進化してできたと思っていますけど、そういう肉体的な成り立ちはそのとおりであったにしても、心の成り立ちのほうが、愛し、愛されることで生きる喜びを感じるような性質にできあがったのは、本当に奇跡のような有り難い話ではないかと思います。

大切な人は増える

 もちろん、今、中学生、高校生の段階で、そのような大切な人を見つけるのは難しいと思います。むしろ、みなさんは自分自身の事に関心が高い時期だと思います。
 でも、ぼくの体験から言うと、「大切な人」というのは、生きれば生きるほど増えてくるもんだという気がします。
 例えば、独身時代よりも結婚した方が、自分にとっての大切な人というのははっきりしますよね。結婚というのは、自分が仕える相手はこの人です、と一般公開するようなものです。
 それに子どもが生まれたりすると、「この子のために、私は生きなければ! せめてこの子が一人前になるまでは、私は死ねない!」と思うようになります。
 また、私は大学を卒業してからしばらく一般企業で勤めていましたけど、社員として業績を上げるには、ただ頭がいいとか、優秀だと言う事が大事なのではなくて、お客さんのことをどこまで親身になって考え、応えてゆけるかという事で、差がついていたような気がします。
 つまり、仕事をするにも、お客さんに対する愛がなければ、いい仕事はできないのです。
 その後、私はこの学校の教員となって、よりたくさんの「大切な人」ができたし、それは生徒さんだけじゃなくて、その家族の方や、また仕事仲間の中に友だちもできたりして、「大切な人」というのは、どんどん増える一方です。

死んではならない

 ということは、自分の生きる事の意味や喜びが、人生あとになるほど増えてくるということなんですね。
 自分という人間が生きてゆく中で、色んな人との出会いを体験することになるんですが、出会いが多くなればなるほど、自分にとって大切な人も増えて、生きる意味がどんどん増える。
 そんな人たちのために、何か自分にできることはないかな。自分が急に死んだら迷惑かけちゃうかな。と、そんな事を考えます。
 だから、人間というのは、神さまに許してもらえるなら、できる限り長く生きた方がいいんだろうなと思っています。
 まして、自分から命を絶つなんて、そんなにもったいない事はありません。大人になればなるほど人生楽しくなるのにね。

喜んで与えよう

 今日読んだ聖書の言葉には、「喜んで与える人を神は愛してくださる」(2コリント9章7節)と書いてあります。
 それは、喜んで人に与える人生のほうが、生きてて良かったと思えますよ、救われますよ、ということなんですね。
 自分の都合や自分の利益ばかり求めている人は、結局寂しい人生を送らざるを得ません。楽しい人生というのは、自分が何かをすることで、人の役に立てる人生です。それが神に自分が愛されていると、自分の人生そのものを神が与えてくれたと実感できる人生です。
 喜んで人に与える事のできる心と力を研いてゆく、そのような学校でありたいな、といつも思っています。
 それでは最後にお祈りをいたしましょう。

祈り

 慈愛に満ちた、命の源である神さま。
 今朝、こうして友と共にあなたの御前で祈りを合わせる事ができます恵みを感謝致します。
 私たちがこの学校で、いつか人に役立てるだけの力と良心を、しっかりと研くことができますように。生徒も教職員も、自分にできる最も良い言葉と行いをすることができるようにさせてください。
 お願いばかりですが、この祈りを、イエス・キリストの名によって、お聴きください。
 アーメン。

礼拝堂/メッセージライブラリに戻る

「キリスト教・下世話なQ&Aコーナー」に入る

ご意見・ご指摘・ご感想等はこちらまで→牧師あてメール