初夢

2011年1月6日(木) 日本キリスト教団香里ヶ丘教会 新年祈祷会奨励

説教時間:約20分間 音声版はありません。

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聖書:マタイによる福音書7章7〜8節 (新共同訳・新約)

求めなさい。そうすれば、与えられる。
探しなさい。そうすれば、見つかる。
門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。

3つの夢

 みなさま、明けましておめでとうございます。
 1年の始まりですので、「往く年来る年」ということで、昨年を振り返り、今年の私の夢をお話ししてみたいと思います。
 昨年:2010年は、私にとってはとても大切な節目の年になったと思います。というのも、私が数年来温めてきた構想というか、夢が実現したからです。また、たくさんの新しい出会いがありました。
 数年来の夢というのは、昨年、同志社香里史上初めて、クリスマスのページェントを行うことができたからです。
 私が今から13年前、初めて同志社香里に遣わされた時、あの学校のキリスト教教育はほとんど死にかけていました。学校の中にあるキリスト教的なものは、聖書科の授業と週に2〜3回の礼拝だけで、それ以外のものは全てが破壊し尽くされていました。
 そこで、私は3つの目標を立てました。
 1つは、ボランティア活動を根付かせること。これは、私が大学時代、ハンセン病の療養所に行っていたことや、名古屋での会社員時代、教会を通じて貧困や野宿者の問題に少しばかり関わっていたりしたことが原体験になっていて、これを中学校/高校でもやってみてはどうかと思ったわけです。
 2つめの夢は、聖歌隊を作ること。これは私が大学時代、関西学院大学で聖歌隊に入って歌っていたので、見よう見まねで何とか始めてみようと思った訳です。
 そして3つめは、一般のお客様を呼んでのクリスマス・ページェントをやってみたい、ということでした。これも学生時代、関西学院や神戸女学院のクリスマス礼拝に参加した思い出が原体験としてあり、そして現在の職場に入ってから、大阪女学院のページェントに触れて、その見事さに衝撃を受けたことに後押しされています。

ボランティア・サービス

 まず1つめのボランティア活動。これはあの学校では比較的容易に立ち上げることができました。
 というのも、私が入社する前の年に、今は亡き西成教会の金井愛明牧師が、同志社香里の礼拝に来られて、釜ヶ崎の日雇い労働者の暮らしの厳しさを語られ、米が必要だと訴えられたのですね。
 そしてそれを聞いた当時の教頭先生を中心とした何人かの先生方が釜ヶ崎に足を運び、現実を見て、米を献げる「献米運動」というものを立ち上げました。
 またすぐに、これは生徒さんにも参加してもらわないと、ということで、おむすびを握って配る「炊き出し」のボランティア活動も始まりました。私はこれを継承して、さらに生徒のクラブ活動へと発展させればよかったわけです。
 そして、そのクラブが恒常的に核となるボランティア活動を行いながら、クラブの部員以外の一般生徒にも参加を呼びかけるという形にして、活動の輪を広げたかったのです。
 しかし、思わぬ抵抗にも遭いました。例えば、クラブ活動を管轄している部署から、「ボランティアとはクラブ活動で強制的にやらせるものではない。だからクラブ化には反対だ」と圧力をかけられ、私自身だけでなく、クラブ化を目指して努力していた生徒たちまで追及して責められたりしました。
 そのときの担当者が「おまえがやってるのは、ええ事やから反対しにくいんじゃ!」と言ったのをよく憶えています。
 最初の頃は、釜ヶ崎の炊き出しにボランティアを募集しても、10人を集めるだけでもやっとでした。しかし、それでも13年続けてきた結果、現在では一度礼拝の後に生徒さんに呼びかけをすると、募集した人数の倍以上の申し込みがあって、もったいない話なんですが「次回に回ってくれますか」とお断りするような状況になってきました。
 ありがたい話です。

クワイア

 2つめの夢であった聖歌隊:クワイアを創立するのは、入社して5年目くらいです。今から8年前です。
 同志社には京都の今出川キャンパスで毎年行っている「全同志社クリスマス・キャンドル・ライト・サーヴィス(当時の名称:略称CLS)」という行事がありました。
 が、当時、本当の意味では「全」同志社ではない、と言われていました。同志社国際と同志社香里の2校に聖歌隊が無く、参加していなかったからです。
 このイベントは学生の実行委員会で運営されていたのですが、実行委員の学生たちもその事を悩んでいて、まずは私に司式を担当してみませんかと水を向けてきたのでした。
 私は初めて司式者としてこの礼拝に参加してみて、これはすばらしいと思いました。同志社のいくつもある学校の聖歌隊が一同に会して、一緒に賛美したり、単独で歌ったりする交流礼拝なんですね。これは是非参加しなければと思いました。
 しかし、私も失敗を恐れるタイプなので、慎重に進めようと思いました。そこで、軌道に乗り始めていたボランティア部を連れて、裏方のスタッフを引き受けることにしました。そして、生徒たちの間にこの礼拝の目撃者を増やして、「これに是非参加したい」と思う人を増やそうとしました。
 案の定、「ここで歌ってみたい」という生徒さんたちが現れたところで、「じゃあ友達をかき集めて、とりあえず歌ってみようよ」と合唱団を募集しました。
 もちろん最初は技術的にはボロボロです。それはわかっていました。だから、香里の売りは笑顔と元気だ! と生徒さんたちを説き伏せました。ですから、我々は「下手だけど、何だかとっても仲良くて楽しそうですね」と言われて喜んで調子に乗って、今までやってきました。
 今、このクワイアは、相変わらず下手なので、普通のコーラス部としてコンクールに出るなどはできないのですが、そのかわり、学校の近くの老人ホームや障がい者の施設などに出かけていって歌ったりして、まあキリスト教学校らしい活動をしているのかな、と思っています。

ドラマ・クラブ

 さて、3番目の夢がなかなか実現しませんでした。
 実は、毎年の文化祭で、生徒さんたちとオペラを制作していた先生がいました。ところが生徒さんたちはオペラばかりやる先生に嫌気がさしてまして、自由な演劇をやりたいと思っていたんですね。そこで、私が演劇をかじっているらしいという噂を聞いて、私の所に来たわけです。
 演劇といっても私がやっていたのは、日本キリスト教団部落解放センターが主催している「解放劇」という啓発劇ですけど、それなりに風刺やメッセージ性だけでなく娯楽性も追求していたので、けっこう本気だったんですね。
 それで私は二つ返事で演劇部を立ち上げ、自ら顧問になりました。もうおわかりでしょうけど、私は生徒さんたちの思惑とは別に、この演劇部を核にしてクリスマス・ページェントを実現できたら、と夢見たわけです。今思えば、勝手な思惑ですよね。ただ、私はそれを「やりなさい」とは言わずに、「こんなのもできたらいいね」と言うにとどめて時期を待ちました。
 そして、毎年「ページェントできたらいいなあ」と言いながら振り向いてもらえず10年近くが経ちました。
 やっと「何ですか、そのページェントって言うのは?」と興味を持つ生徒さんが現れたのが、昨年です。そこでページェントとは何かを教えてあげて、教会や学校で行われているページェントの写真を見せて、やろうよと誘って、演劇部の子たちも半数くらいはやる気になってくれて、衣装も作って、やるぞ! と思っておりましたら、新型インフルエンザが大流行しまして、人が集まる行事は一切中止になりました。学校の普段の礼拝も、全て放送礼拝になりました。

ページェント

 しかし、この1年間の猶予ができた事が結局良い結果に結びつきました。台本を見直し、よりストレートにクリスマスの物語を誰が見てもわかりやすいように書き直す事ができました。
 また、演劇部の生徒がやると決めずに、出演者を生徒の一般公募で募ることにしました。こうすることで、少しでも一部の特殊な人のやっている事という印象を拭ってオープンなものにする事を目指しました。
 結果論ですが、そうやって演劇部員以外の出演者のために、衣装や道具を作るという事が、普段とは違う使命感みたいな、演劇部にとって良い刺激になったようでした。
 また、偶然ですが、たまたまうちの学校の礼拝堂に、新しいプロジェクタ(映写機)が入ったんですね。これは、私もその一人ですが、礼拝のお話などでよくパソコンで作ったプレゼンテーションを映写して、映像付きのお話をする人が増えてきたんですね。また、学校説明会をするにしても、毎回前に机置いて古い映写機置いて暗い画像見せても、かえって印象悪いわけです。そこで新しい明るい映写機が入りました。
 そこで、その映写機を使って、賛美歌の歌詞や、今何の場面かを示す表題を映写したり、博士たちを導く夜空の星の絵を映したらええやんかという事になり、賛美歌を歌うたびに会場の電気をつけるようなみっともない真似をしなくてすむようになりました。そして、映写するための背景画は、美術部に描いてもらおうということになりました。
 かくして2010年のクリスマスに、聖歌隊、演劇部、美術部、そして有志の生徒さんたちが手を組んだ、キリスト降誕劇と歌を中心とする礼拝ができあがりました。これで、私の3つの夢は完成しました。

新しい夢

 もちろん、この3つを達成したからもう良いという事はあり得ませんで、また新しい目標ができてきています。
 それは例えば、修養会です。これはキリスト教学校では、よく行われていて、「修養会」とか「リトリート」とか呼ばれている、礼拝や聖書研究などを中心とした、宗教色の強い宿泊行事です。
 これも、「やりたいんです」とうちの先生たちに話すと、現段階で「なんですか、それ」みたいな反応ですので、本当でしたら今年からやりたいんですが、まああまり焦らずに進めてゆこうと思っています。
 私がこの学校に来た時は、クリスチャンは私を含めて5人しかいなくて、しかも他の4人はお互い非常に仲が悪かったです。その様子を見て、周囲のクリスチャンではない教員たちは、キリスト教に対して非常に悪い印象を抱いていました。みんな「礼拝は嫌いだ」「宗教は嫌いだ」と言っていました。キリスト教教育、行事に協力する人はほとんどいませんでした。
 それから10年以上経って、互いにいがみ合っていたクリスチャンたちも、キリスト教が大嫌いなノンクリスチャンたちも、病気や定年で退職してゆき、環境はかなり良くなりました。
 ですから、これからが一番肝心なんだ、と思っています。
 これから、クリスチャンの教員を採用してもいいな、採用しなければいけないな、と思ってもらえるようにならなければいけません。また、教員の中で神とイエスを信じる人を育てないといけません。それが私の次なる夢です。
 今は、聖書科の教員以外は誰も洗礼を受けた人はいません。しかし、それでも、賛美歌を歌い(以前は教員はほとんど歌ってなかったのです)、お祈りができる人が増えてきました。ノンクリスチャンでよくここまでやってくれるなと正直驚くような人も現れ始めました。
 しかし、教師は忙しいです。土日もクラブの指導や補講や受験生募集なのでほとんど休みはありません。そうなったら、どうすれば聖日礼拝なんかできるのかというと、もう学校の中に教会を作ってしまう以外に方法がないんじゃないかと思うようになっています。
 つまり「同志社香里教会」ですね。もちろん地域の人にも案内して伝道します。
 まあしかし、そんな事をやると、私は死にます。今でもただでさえ土日も返上して働いていますので、ほぼ不可能ですね。ですから、これは夢のまた夢です。引退したら第二の人生でできるかも知れませんが、そこまで体力が残っているかも自信がありません。

求めよ

 しかし、とにかく求めて、探して、門を叩いておれば、何とか道は開けて行くものだな、という感想を今は持っています。
 公にしているので、多くの方がご存知ですが、私はうつ病の治療中です。薬を多量に飲み続けて、もうすぐ5年になります。
 クリスチャンに裏切られて、ノンクリスチャンから疎ましがられて、上司にいじめられて、教団議長からいじめられて、心の病気になってしまいましたが、そのおかげで「死にたい」と思う人の気持ちもわかるようになったし、何でも神さまは恵みに変えてくださるんだなと思うようになりました。
 ですから、私は今、薬のおかげも大きいですが、割と楽観的な気分で日々の仕事に打ち込む事ができています。時々ダウンしますが。
 求めて、探して、門を叩き続けて、そして時々お祈りもしながら、夢を抱き続けていれば、何とかなります。
 ですから、私たちも皆それぞれの持ち場で生かされていますけれど、神さまにこの世での命を授かっている間は、神さまが導いてくださる希望を信じて、明るい気持ちで新しい歳も歩んで行きましょう。
 祈祷会のメッセージというよりは新年の抱負みたいなお話になりましたが、要するに
「求めなさい。そうすれば、与えられる」(マタイ7章7節)ということであります。
 祈りましょう。

祈り

 神さま、今年もこうして新しい歳を迎え、みな和やかに集い、あなたに賛美をささげ、互いに祈りを合わせることのできる、この恵みを心から感謝いたします。
 私たちは様々な場に生かされながらも、いつも、あなたの福音が多くの人に伝わればよいのに、という夢を抱いております。
 どうかその夢を実現へと導き、あなたの住まれる教会が、多くの人の喜びの場となりますように。その為にわたしたちができる事をお示しください。いつも人のため、世界のため、あなたのために、祈りつつ働く私たちであらせてください。
 この感謝と願いを、イエス・キリストの御名によってお聴きください。
 アーメン。

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