いいかげんな教え

2011年6月12日(日) 
 日本キリスト教団 飯塚教会主日礼拝説教

説教時間:約25分(音声版はありません)

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聖書:使徒言行録 2章1~13節 (新共同訳・新約p.214~215)

 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。
 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
 さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉で使徒たちが話しているのを聞いて、あっけにとられてしまった。
 人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」
 人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。

五旬祭のころ


 聖霊降臨日、ペンテコステ、おめでとうございます。
 イエスと弟子たちの最後の晩餐がユダヤの過越祭の食事だったという説がありますので、イエスが十字架にかかって命を捨てたのはユダヤの過越祭の頃であるとされます。その過越祭から50日たつと「五旬祭」という祭の日がやってまいります。
 そもそも過越の祭というのが、ユダヤ人の先祖:モーセに率いられたヘブライ人たちが奴隷にされていたエジプトを脱出することに成功したことを記念する行事で、その50日後にシナイ山でモーセが神さまと誓約を結び、最初の律法である「十戒」を授かります。それを記念するのが「50日目の祭」。10日が5回巡ってくるので「五旬祭」と日本語では言われているわけですね。
 そして、本日の聖書の箇所は、イエスの弟子であった12人の使徒、といってもユダが死んでしまっているので、11人になったところに、くじ引きであたったマティアという人物が加えられて12人に戻ったのですが(使徒1章26節)、この12人が、その頃はまだ「キリスト教」という新しい宗教を立ち上げようとしていたのではなかったので、あくまでユダヤ人として年中行事の一つとして、普通に五旬祭を祝うために集まっていたのですね。
 そこに、
「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ……そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出」すという非常に特異な体験をしたわけです(2章2〜4節)。

言葉が散らされる

 彼らは、当時エルサレムに集まりうる限りのあらゆる民族の言葉で語ったというのですが、この事で連想するのが、旧約聖書の創世記11章にあります「バベルの塔」の物語ですね。
 バベルというのは、実はバビロンのことを指すのだとよく言われますが、もしそうだとすれば、当時のバビロンの高層建築物といえば、ちょっとエジプトのピラミッドに似ていますが「ジグラット」という建造物です。ピラミッドのように頂上が尖ってはいませんが平らな場所があって、儀式を行う場所であるとか空中庭園ができていたとか、いろいろに推測されております。
 古来より権力者というのは、自分の権威を高い建物によって示そうとするものみたいですね。時代ごとにその時の最も高い建造物を見れば、そのとき誰が最も権力を持っていたのかがわかると言います。
 物語の中でバベルの人たちは「神に届くような建築物を作ろう」とします。それが自分たちの権威を各国に知らしめるには最も有効な方法だったのですね。「神に近いほどの権威を我々は持っているのだ」と示すわけです。
 しかし、その企ては神の怒りを買い、罰として神は人間界の言葉をバラバラにして互いに通じないようにしたというのがバベルの塔の話です。
 バベルがバビロンを指すのではあれば、それはユダヤ人が王国を滅ぼされ、多くの人が捕囚の民として強制連行された新バビロニア帝国での記憶にこの物語が基づいていると考えられます。
 かつての日本もそうでしたが、ある民族や国家を征圧し、国民を強制連行した帝国は、その民から名前を奪い、言葉を奪います。自分たちの言葉を相手に強要するわけです。日本に征圧された朝鮮半島の人びとが日本名を名乗り、日本語を話すよう強要されたのと同じです。そして、これもまた日本がやったのと同じですが、強制連行された民を自分たちの国の建設労働、土木労働に駆り立てました。
 しかし、ユダヤ人たちは、自分たちの言葉であるヘブライ語を守ろうとしました。また先祖から伝承された歴史を受け継ぎ、自分たちの信仰を確かめ、一致するために行われてきた礼拝も禁止されたので、どこでも持って歩ける神殿、持って歩いて隠す事のできる神の言葉として、現在の旧約聖書の原型となったユダヤ教のヘブライ語聖書の基礎になるような書物を編集し始めました。
 そのような経緯から鑑みると、このバベルの塔の物語は、高層建築物を建設するためにユダヤ人に強制労働を課したり、バビロニアの言葉を強制したりする事に、神は怒っておられるのだぞ、というメッセージが含まれているように思われます。

各国からやってきた人びと

 そして、再びペンテコステの物語に戻ってみると、やはりここでも、多くの異なる言語で神の業が語られるという現象が起こっています。一つの言葉で世界を統一したいと思う人間の支配欲を、神は快く思っておられないのかも知れません。
 ここで弟子たちは、様々な言語で話してはいますが、そこにローマ帝国の西側で公用語であったラテン語や、東側で広く通じる共通語であったギリシア語、あるいは誇り高きユダヤ人の言葉であるヘブライ語だけではなく、それ以外のあちこちの狭いエリアでのみ通じるような、地方ごとの独特な言語でキリストを宣べ伝えたということが、私には大事なことであるように思われます。
 9節以降に列挙されている様々な地方の名前は、いずれもエルサレムから見た東西南北の各地域を示しています。
 パルティア、メディア、エラム、そしてメソポタミアというのは、今で言うイラン、イラクの辺り。エルサレムから見ると、遠く東の方です。それからユダヤはユダヤですね。エルサレムも含むパレスティナ地方南部です。
 カッパドキアというのは現在のトルコの南東寄りの内陸部ですけど、パレスティナ地方から見ると、真北の方角です。そして、そのトルコの北東部で黒海に面している辺りがポントスです。
 アジアというのも、今のこの大きなユーラシア大陸の半分ではなくて、今は小アジアと呼ばれている所、まあやはりトルコ周辺ですね。フリギアという所も、現在のトルコの内陸部、中央部です。
 パンフィリアはそのトルコの南部で地中海に面した辺り。エルサレムから見て、地中海を挟んで北西の対岸です。
 エジプトはエジプトですよね。北アフリカ大陸の北東部、地中海沿岸で、エルサレムからは南西の方向ですね。モーセがヘブライ人を連れて来た所です。
 そしてキレネというのは、聖書の方にも
「キレネに接するリビア地方」(10節)と書いてありますが、現在エジプトの西隣にあるカダフィ大佐のいるリビアの東半分、エジプトに接している所がキレネです。イエス様が受難された時に十字架を担げなくなって、代わりに十字架を担げとローマ兵に命じられたのがキレネ人シモンでしたね。
 それで10節後半からは、ローマから来てエルサレム滞在中の者、これはギリシア語かラテン語でしょうか。それから
「ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり」(11節)ということは、ヘブライ語のネイティヴではなく、ヘブライ語が得意ではないユダヤ教徒もいたという事を示していますね。
 そしてクレタというのは、トルコとギリシアに挟まれたエーゲ海の南のほうにある島で、エルサレムからは真西の方にあります。
 最後にアラビアというのは、現在のサウジアラビアではなくて、かつてのユダヤ地方を、北はヨルダンから南はシナイ半島まで、ぐるっと東側を囲むような形で覆っている地域を指します。ここはやはりアラビア語なのでしょうか。
 そういうわけで、ここに書いてある各地名は、まさにエルサレムから見て同心円上に囲んで位置しているような地域の名前だったわけです。
 そして、そういう各地の人びとが、それぞれ自分の故郷の言葉で神の偉大な業を知らされるという体験をしたのでした。

汚れた言葉で

 ユダヤ的な観点から見ると、それはあり得ない出来事でした。
 ユダヤ人は「自分たちは神に選ばれた民族だ。神と契約したアブラハムの末裔なのだ」という誇りが非常に強いのですが、その結果、自分たちは「聖い」民族であり、ユダヤ人以外の全ての民族、すなわち「異邦人」は「汚れている」と見下すようになりました。
 そしてエルサレムから離れた、例えば北部のガリラヤのように異邦人との交易で栄えた町でも、異邦人に日常的に接しているので異邦人の「汚れ」が移っているとされて、同じユダヤ人でありながら差別、偏見の目で見られていました。そういう理由で例えばイエスもガリラヤ出身であったために、エルサレムのユダヤ教の権威者たちには侮蔑的な扱いを受けています。
 ユダヤ人にとって異邦人のすべてが汚れているのですから、ヘブライ語以外の言語も汚れたものと捉えられていたのは当然です。生粋のユダヤ人にとっては、ヘブライ語以外の言語など汚らわしくて口にできたものではないのです。
 ですから、異邦に住んでいるユダヤ人たちが(ディアスポラと呼ばれていましたが)都に巡礼に出てくるなら、ユダヤ人以外の人間に対しては帝国で広く通じるギリシア語を、ユダヤ人相手ではヘブライ語を話すというバイリンガルを使い分けるのが当たり前だったでしょう。
 しかし彼らはエルサレムのど真ん中で、同郷の者しかわからないはずのローカルな言葉を聞きました。彼ら自身が驚き、戸惑った(12節)というのは当然だと思います。
 聖地エルサレムでは、それらは汚れた言語です。でも、神の霊はあえてその汚れているとされた諸々の言語で使徒たちを通して語ったのです。

自分たちの言葉で

 この事件は、更に私たちにドイツのマルティン・ルターらが行った宗教改革をも連想させます。
 宗教改革が起こる直前まで、カトリック教会のミサは終始ラテン語で行われ、讃美歌も聖歌隊だけが前でラテン語の歌を歌っていたので、日曜日の礼拝に来ている人びとは全く意味がわからず、完全に見物客あるいは単なる聴衆になってしまっていました。


 宗教改革者たちの改革は当然、礼拝改革でもあったわけですが、それは礼拝を民衆の手に取り戻す事でもありました。
 ルターは聖書をドイツ語に翻訳し、ドイツ語の讃美歌を自ら作詞作曲したり、当時民衆の間で流行っていた歌に讃美の歌詞を乗せて、まあ要するに替え歌ですね。替え歌で讃美歌を作ったりして一般大衆が歌いやすい讃美歌をどんどん増やしてゆきました。
 そうしてドイツ人がドイツ語で賛美し、ドイツ語で聖書の言葉を聴き、ドイツ語で語られる説教を聴き、ドイツ語で祈るという礼拝が始まりました。そして、それ以来プロテスタントでは、皆自分の言葉で礼拝し、祈るという方向性が打ち出されてゆきました。それが結局、現在でも既に2700以上の種類の言語に聖書が翻訳され、広めようとする運動をする人たちの原動力になっています。
 ペンテコステの出来事、すなわち諸国の民が各々自分の言葉で福音に触れるという出来事は、このプロテスタントの精神にも相通じるものがあります。
 かつてバビロン捕囚の時、ユダヤ人は少数派で、弱者で、敗北者でしかありませんでした。そのユダヤ人から言葉を奪って支配したバビロニアに対して、神は怒りをあらわにされました。
 ところが、イエスの時代になると、ユダヤ人社会も大きくなって身分や経済力などの格差が大幅に広がり、権威主義が強くなりました。そして、たとえ同じユダヤ人であったとしても、「あいつは汚れている」「汚れた言葉をしゃべっている」と言った風に、自分たちが受けた差別と虐待を、自分たちの間でも再生産してしまい、弱者を苦しめていました。
 しかし神は、それを良しとせず、再び様々な国の言葉で福音を語らせるという奇跡を起こされた。ですから神さまの姿勢は一貫しています。小さな共同体のそれぞれの生き方を認めず、大きな権力、支配力、暴力で抑えつけることは神さまのご意志ではないということです。

いいかげんな教え

 さて、このような考え方は、イスラームの発想とは全く反対の方向性を持っています。
 ムスリム(イスラームを生きる人)は基本的にアラビア語で書かれたクルアーン(コーラン)しか本物のクルアーンとは認めません。翻訳されたクルアーンは解釈の書として認めはしますが、それはもうクルアーンではない。本当に神の意志を知るにはアラビア語のクルアーンをそのまま理解する以外にはないと考えています。
 これは見方によっては大変正解でありまして、確かに一つの言語を他の言語に訳すと、かならず意味のズレが出てきますに、翻訳する人にとってもどんな訳語を採用するかで主観的な解釈が絶対に入ります。ですからこのムスリムたちの考え方は全く正しいのですね。
 キリスト教の場合この辺りは非常におおらかで、そもそもヘブライ語がわからないユダヤ人が各地に散らばって住んでいて、そういう人たちのために「七十人訳」という旧約聖書のギリシア語訳が流通していましたし、今日のペンテコステの出来事でも、諸国の地元の言葉で語ってよいのだ、ということになっています。これはムスリムから見れば大変「いいかげんな教え」だということになりますし、実際キリスト教に対して疑問を持つ人も多いです。
 しかし、キリスト教の正典である聖書の扱われ方は、そういうことをとりあえず置いておいて、とにかく世界中の様々な原語に翻訳しようという方向で広められてきました。
ですから、この世界中のキリスト教の信じ方は、それぞれの聖書解釈によって無数のバリエーションがあって当たり前だし、それでいいのだということになる。
 唯一無二の客観的な真理があって、それによって一致しなければならないとか、我々が信じているものがそれだというような事は、キリスト教ではあり得ないのです。
 様々な人が、様々な言葉で理解し、様々なキリスト教的生き方の表現がある。あなたはそう信じている。私はこう信じている。それぞれ違っていても、それで良いではないかと認め合うしかできないはずなのです。いや、本当はどの宗教でもそうでなくてはならないのかも知れません。
 そういう考え方は、受け取る人によっては、「いいかげんだ」「真理は一つではないのか」と批判したくもなるでしょう。しかし、こうしておかなかったら、宗教というものは、昔からそうであったように、血みどろの争いを続けなくてはなりません。

ばらばらでよい

 大きく強い影響力を持った国家や民族は、少数派に対して、言葉も名前も、文化や歴史も伝統も、それに即した生き方も宗教的な祭儀も、全部否定してしまった上で、統一した言語を使わせ、統一した国の儀式を強制し国家を褒めたたさせようとします。
 しかし、それは神の御心ではないのだ、とペンテコステの物語は伝えています。
 自分で聖書を読み、自分で解釈し、自分の理解に基づいて行動する。それが間違っているかどうかを知る為にも、自分以外の人と対話する。相手の間違いを正そうとしたり、論破しようとするのではなく、新しい物の見方、独特の物の見方を学び、それぞれの解釈の中にこめられた歴史的な文脈を大切にし、それを知り合って楽しむ。そのために対話をするのであります。
 多数派による統一や一致は神の御心ではありません。むしろ、小さな一つ一つの人の群れを大切に守ろうとするのが、神さまのご意志なのであります。

新しいぶどう酒

 最後に、使徒言行録の著者、すなわちルカですが、この物語の終わりの部分に、「『あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ』と言ってあざける者もいた」(13節)と記されています。
 ここは実はルカが入れた一種のユーモアというかパロディではなかろうかと私は思っています。ルカ福音書の5章に、新しいぶどう酒を古い革袋に入れるな、そんなことをしたら革袋も酒もダメになる。
「新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れねばならない」(ルカ福音書5章38節)と記されています。
 これを連想させながらルカは、ペンテコステの出来事に際して、「新しいぶどう酒」に酔っているようだとあざける者を登場させています。しかし、実は使徒たちはまさに「古い革袋には入れられないような、新しいぶどう酒のような霊の力に突き動かされていた」わけです。「あいつらは新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言われると、「おお、そうだ。私たちは新しいぶどう酒に満たされているのだ」と切り返すユーモアです。
 そういう上品なジョークを使ってルカは、このペンテコステの出来事が、古い宗教の束縛を破り、力を持つ者の支配をはねのけ、小さな群れのそれぞれの生き方を、神が応援しておられる、と伝えようとしたのではないでしょうか。
 私たちは自分がどんなに少数派になっても、自分たちが信じたいように信じる権利が神さまによって保証されているのであります。
 祈りましょう。

祈り

 愛に満ちた私たちの親なる神さま。
 ここにこれだけの者があなたの名によって集まり、あなたのくださった愛と恵みを確かめ、祈りを捧げることができますことを感謝いたします。
 神さまどうか、私たちが、小さき者、弱い者を守り、共に人生を歩んでゆくために、どうか力を与えてください。
 この祈りを、イエス・キリストの名によって、お聴きください。
 アーメン。

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