イエスとの出会い直し

2011年7月10日(日) 日本キリスト教団徳島北教会主日礼拝説教

説教時間:約25分間 音声版はありません。

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聖書:使徒行伝9章1〜9節 (口語訳・新約p.195)

 さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅迫、殺害の息をはずませながら、大祭司のところに行って、ダマスコの諸会堂あての添書を求めた。それは、この道の者を見つけ次第、男女の別なく縛りあげて、エルサレムにひっぱって来るためであった。
 ところが、道を急いでダマスコの近くにきたとき、突然、天から光がさして、彼をめぐり照らした
 彼は地に倒れたが、その時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。そこで彼は「主よ、あなたは、どなたですか」と尋ねた。すると答があった、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。さあ立って、街にはいって行きなさい。そうすれば、そこであなたのなすべきこ事が告げられるであろう」。
 サウロの同行者たちは物も言えずに立っていて、声だけは聞えたが、だれも見えなかった。サウロは地から起き上がって目を開いてみたが、何も見えなかった。そこで人々は、彼の手を引いてダマスコへ連れて行った。彼は三日間、目が見えず、また食べることも飲むこともしなかった。


迫害者サウロ

 おはようございます。今日はサウロ、後にパウロと呼ばれた使徒の回心についてお話をしたいと思います。
 サウロがもともとキリスト教を迫害していたユダヤ教徒であったことは有名な話ですね。このサウロが最初に登場するのは、使徒行伝7章54節以降、初代教会で12人の弟子とは別に選ばれた7人の福音伝道者のうちの一人ステファノが、厳格なユダヤ教徒たちに石打ちで殺される場面です。
 57節以降をちょっと読んでみます。
 
「人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、『主イエスよ、わたしの霊をお受けください』と言った。それから、ひざまずいて、『主よ、この罪を彼らに負わせないでください』と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。サウロは、ステファノの殺害に賛成していた」(新共同訳:使徒言行録7章57〜8章1節)
 ユダヤ教の中にナザレ派、またはイエス派というグループができてから、こんな風にユダヤ教の本家本元から厳しい迫害があったわけですが、全てのユダヤ人がイエス派の人びとを殺すべきだと考えていなかったわけではなかったようです。
 例えば、さらに使徒言行録の5章後半を見てみますと、大祭司に命じられて使徒たちを殺そうとした人びとに対し、ファリサイ派のガマリエルという律法の教師はこのように言います。
 
「あの者たちから手を引きなさい。ほうっておくがよい。あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら、諸君は神に逆らう者となるかも知れないのだ」(使徒5章38〜42節)
 このガマリエルという人の落ち着きとバランス感覚は素晴らしいですね。ユダヤ人すなわちユダヤ教徒はイエスを殺した人たちということで、福音書作家たちからは大抵ひどい書かれ方をしているユダヤ人ですが、このガマリエルだけは冷静沈着な人物として描かれています。

神秘体験

 サウロもガマリエルの指導を受けたということが伝えられていますが、もしそれが本当なら、彼は自分の指導教授よりも過激なユダヤ教原理主義者と言えます。
 彼は
「家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた」(使徒8章3節)、また「主の弟子を脅迫し、殺そうと意気込んで」(9章1節)「この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行」(2節)していたとも言われております。
 そんな彼がなぜ、突然回心して、キリスト教の大伝道者に変わったのか。それについては、いろいろな説が唱えられています。
 今日お読みいただいた聖書の箇所は、サウロがダマスコに向かう途上で、光と声という形でイエスがサウロに話しかける有名な場面です。
 ところが、この事件が書いてある通りに実際に起こった可能性は低いといわれています。
 というのも、このサウロの神秘体験は、合計3回この使徒行伝において語られていますが、お互いに矛盾する内容になっています。
 今日読んだ9章では、突然天からサウロに降り注いだ光によって、サウロは地に倒れた、とされています。そしてサウロに同行していた人たちはイエスの声を聞こえても、光や人の姿は見えず、ただ突っ立っていたことになっています(使徒9章4〜7節)。
 しかし、ずっと先へ進んで使徒行伝22章では、彼は自分の体験について話していますが、そこでは
「一緒にいた人々は、その光を見たのですが、わたしに話しかけた方の声は聞きませんでした」(使徒22章9節)と語っています。
 さらに、その先の使徒行伝26章でも、彼は自分の体験について話していて、そこでは
「私たちが皆地に倒れたとき」(使徒26章14節)と言っていますが、これはサウロだけが倒れて他の人は立っていた、という最初の記述と矛盾します。
 そういうわけで、サウロが似たような体験をした可能性がありますが、それについてこの使徒行伝の著者であるルカが手に入れた情報は、互いに良く似た体験談で、しかしその間にある小さな矛盾に手を入れることができずに自分の著書に分散させて配置したのかなと思ってみたり。
 またそういう事なら尚更、ルカは事実を知らないのだろうと思ってみたり。まあ、もしサウロの体験が実際あったとしても、ルカがこの書物を書く30〜40年ほど昔のことですから、それも不思議ではないなと思われます。
 とにかく、事実の詳細はわかりませんが、サウロには何か劇的な体験があり、それによってイエスと出会い直し、彼はイエスのために命をささげてキリスト者の道を宣べ伝える人間へと生まれ変わったのですね。

サウロの負い目

 サウロはキリキア州のタルソスという街の出身です。キリキア州というのは今の地中海の北東側、トルコ南東部、シリアとの国境あたりの海岸に面した地方です。
 エルサレムを含むユダヤ地方から離れて生活するユダヤ人を「ディアスポラ」と言いますけれども、サウロもそのようなディアスポラの家庭の出身です。しかし、ローマの市民権を持っていたと言いますから、かなり社会的地位はしっかりしていたと思いますし、ヘブライ語とギリシア語、ラテン語を使い分けていたと言われます。
 その彼がユダヤの律法を学ぶ為にエルサレムに留学していたという事は興味深いことです。
 というのは、私には何人かの在日韓国人、在日朝鮮人の友人がいますが、自分の民族的な出自が朝鮮半島にあるということで、韓国に留学したりするのだけど、本国にいる韓国人と自分が同じ民族だとどうしても実感を込めては言えない、というのですね。これはたとえばハワイやブラジルに生まれ育った日系人が日本に留学しても同じような感覚を覚えるようです。
 ユダヤ人というのは非常に選民思想的な民族意識が激しく、ユダヤ人以外の全ての民族を「異邦人」「異教徒」「汚れた」民として見下します。イエスやペトロといったガリラヤの人びとがエルサレム人に蔑視されるのも、ガリラヤ人は交易で仕事上異邦人と接する機会が多いため、エルサレムの生粋のユダヤ人より汚れていると見なされていたからですね。
 韓国語で日本人のことを侮蔑して呼ぶ言葉で「チョッパリ」というのがあります。これはあの美味しい豚足(チョクパル)から来た言葉なんだそうです。そして、本国の韓国人が在日韓国人、朝鮮人のことを侮蔑して「パンチョッパリ」と言う事があります。「半分チョッパリ」「半分日本人」という事ですね。
 これと同じような扱いをサウロが受けたとしても不思議はないと思います。彼自身としては自分のユダヤ人としてのアイデンティティをより極めようとしてエルサレムにやってきたのに、エルサレムでは「お前は半分汚れたローマ人だ」と揶揄されたのではないかと。
 ユダヤの一般大衆はローマ帝国に属州として支配され、税を搾り取られ、いつか天からメシアがやってきて、自分たちの独立した王国を再建してくれるだろうという期待がぐんぐん高まっていた時代です。反ローマのテロリストたちが、ローマの役人や軍人を暗殺したり、反乱の武装蜂起を行なっていました。
 このような反ローマの雰囲気が漂う中へ入って行ってみれば、彼はローマの市民権も持っていて、エルサレムの多くのユダヤ人よりも社会的地位が高く、法的にも守られています。自分たちより汚れたディアスポラの若造が、自分たちにはない特権階級を手に入れているということで、面白くないと思ったユダヤ人は多かったでしょう。
 そのような不安定な立場にいたサウロが、その頃、エルサレムで木にかけられて処刑された男の教えを唱えている異端的な分派に対する迫害、排斥運動に加わる事で、自分のエルサレムにおける立ち位置を確保しようとしたという事を想像するのはそんなに難しいことではないように思います。

共通の敵

 使徒行伝に最初に出てくるサウロは、率先して石を投げる者ではありませんでした。石を投げる人びとの上着を預かって番をする係でした。単なる推測ですが、サウロはこのユダヤ人たちの間で決してリーダー的な立場ではなく、むしろ着ている物を預かっておけと命じられた下っ端のような存在だったのではないかと思います。
 しかし、やがて彼はイエスを信じる人びとを誰よりも熱心に追跡し、逮捕し、投獄し、時には殺害するようになります。しかも、ユダヤ州だけでなく、シリア州のダマスコまで追いかけてゆくという執拗さです。
私は、この執拗さ、残虐さに、完全に心のバランスを失ってしまった人間の姿を見ます。過度に攻撃的な人というのは、自分の中に負い目や劣等感などのコンプレックスや、何か自分にとって大切なものが満たされないフラストレーションが溜まっている可能性が高いでしょう。
 サウロの心には、ユダヤ人の中のユダヤ人でありたいと願って律法を学びに来たのに、半分異教徒であるかのように蔑視されて、そうやって見下げられながらも自分はユダヤ人として生きてゆく以外に道はないという行き詰まりを感じていたことでしょう。
 「誰かと手っ取り早く仲良くなるには共通の敵を作れば良い」と言いますが、サウロは、裸のまま木にかけられ、嘲られながら死んでいったイエスとかいう男の教えについていこうとする分派を誰よりも積極的に攻撃することで、自分のユダヤ教への忠誠心を示そうとしたかったのではないでしょうか。

キリストと共に死ぬ

 しかし、ステファノの殺害の場面の描かれ方でも明らかなように、原始教会の人びとは、イエスが十字架の上で死んだ時のように、「私の霊をお受けください」(使徒7章59節)、「この人たちに罪を負わせないでください(お赦しください。何をしているのか分からないのです)」(使徒7章60節/ルカ福音書23章34節)と祈りながら死んでゆきます。
 そんな死に方をしてゆく者に手をかけながら、サウロは非常に後味の悪い思いをさせられ続けたでしょう。抵抗もせず、信仰を貫いて死ぬ人びとを何度も繰り返し目の当たりにして、自分が正しい事をしているとは思えなくなってきたのではないでしょうか。
 人を捕え、投獄したり、殺したりというのは、並大抵ではないエネルギーを使うでしょう。自分に矛盾を抱えながら、そのような激しい振る舞いをし続けるには、かなり無理があったでしょう。
 そして、そのような幾つもの自己矛盾を抱えたストレスから、「殺されるべき罪人は、むしろ自分ではないのか」という問いが生まれたのではないかと私は思います。
 律法学者のガマリエルが言ったように、もしこの分派が神から出たものであれば、自分は死んだ後、神の前で「なぜ私の子どもたちをこんなに殺したのか」と問われることだろう。そうすれば自分は神に対する反逆者として裁かれることになる。
 目の前で殺されてゆく人たちが決して邪悪な信仰に毒されているとは思えない。殺してはならない人びとを自分は殺している。イエスを殺したのと同じように、殺している。私は、イエスを殺している。イエスを殺したのは私だ……! 本当に死ななければならないのは、私のほうだ。私こそ十字架にかけられなくてはならない。キリストと共に私は十字架につけられなくてはならない(ローマの信徒への手紙6章6節)。
 こうして、神とイエスとイエスを信じて自分に殺された数多くの犠牲者に対する罪の意識に押しつぶされたサウロは、自分をキリストと共に十字架にかけられて死んだ者としました。
 そして、それから彼は、イエスの道の伝道者として、一命をなげうって務めました。
 
「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」(ガラテヤの信徒への手紙2章20節)という彼の言葉は、彼が生きているのはもはや自分のためではなく、キリストに命を捧げている状態なのだということ。キリストの為に命を捧げきっているのだということを示しています。

イエスとの出会い直し

 さて、こうしてサウロ、すなわち後のパウロの回心のプロセスを少し合理的に解釈してみましたが、いかがでしょうか。
 サウロの場合、彼は激しい感情に突き動かされて行動する人だったので、イエスとの出会い直しの体験もかなり激しい宗教体験になったようです。
 しかし、宗教体験というものは人それぞれ異なるスピード、異なるインパクト、そして異なる啓示を携えてやってきますから、全ての人がサウロと同じような経験をするとは限りません。ゆっくりと、だんだんと、そしてサウロとは違った見識を与えられる事もあろうと思います。
 ただ私たちは、「自分はキリストと共に死んだ。今、生きているのは自分ではなく、キリストが自分の中で生きてくれているのだ」と言うまでに自分を捧げきる生き方があり、そのような人がキリスト教の信仰の一つのモデルを示したという事は深く受け止めないといけないと思います。
 サウロがそうなったのは、自分というものに、とことん失望した、自分がとことん駄目な人間だと思い知らされたからです。自分には生きている価値など微塵も無いと実感したからです。
 しかし、そんな自分が十字架につけられて、キリストと共に葬られて、そして再び起こされたキリストと共に新しい人生を生きよう、と足を踏み出すのです。そのサウロの中にキリストが復活しています。
 礼拝というのは本来、キリストと共に死ぬ追体験をし、キリストと共に生まれ変わるというドラマを毎週繰り返すものであるべきなんですよね。ですから、毎週聖餐(聖体拝預)を行うカトリックや聖公会の方が理にかなっていると言えばかなっています。
 願わくば私たちも、こうして神の家である教会に帰ってきて、過ぐる一週間の罪を悔い改め、新しい一週間を新しい自分に生まれ変わって生きてゆく事ができるようにしたいものです。その為に一週一週の礼拝を大切に守っていかないといけませんね。
 では、説き明かしはこのへんで、これから分かち合いをいたしましょう。どなたからでも、ご自由にお声を上げてください。

祈り

 愛する神さま、いつも私たちを愛し、守ってくださってありがとうございます。
 私たちはサウロのような激しいあなたとの出会いを経験する者、もっとゆっくり経験する者、さまざまな人間が一同に集まっていますが、皆それぞれのあなたとの出会いの中で、いつも新しくされて、あなたに人生を捧げて生きる事ができますように。
 あなたに自分を捧げて、本当に望んでいた人生が歩める、そんな喜びを私たちにも与えてください。
 イエスの名によって祈ります。
 アーメン。

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