追いやられる者の間に

2011年12月24日(土) 
 日本キリスト教団 香里ヶ丘教会 クリスマス・イヴ音楽礼拝説教

 説教時間:約12分 お聴きになりたい方は→audio

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聖書:ルカによる福音書2章8~20節(新共同訳:新約p.103)

 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。
 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
 「いと高きところには栄光、神にあれ、
 地には平和、御心に適う人にあれ。」
 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。
 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。
 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。
 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。





誰に顧みられる事もない夫婦

 クリスマス、おめでとうございます。今夜、こうして皆さんと共に、イエス・キリストのご降誕をお祝いすることができます恵みを心から感謝いたしております。
 喜びのメッセージの題名に『追いやられる者の間に』というのは、似つかわしくないとお感じになる方もいらっしゃるかもしれません。
 しかし、聖書のクリスマスの物語には、神の子イエス・キリストの誕生という喜びの知らせが、人があまり顧みない、むしろ世の中からはじき出されているような、隅っこに追いやられた者たちの間に、真っ先に告げ知らされたのだという大事なメッセージが込められています。
 天使ガブリエルはナザレの少女マリアの所にやってきて、彼女が神の霊によって既に身重になっていることを知らせましたが、彼女の住んでいたナザレという村は、
「ナザレから何か良いものが出るだろうか」(ヨハネ1:46)と蔑まれるような、被差別の地域でありました。
 また、マリアの夫となるべきヨセフは大工であったと伝えられておりますが、当時多くの人口が集まって住宅を建てるような大仕事が多くあるわけはなく、たいていはせいぜい机や棚を作るような木工業を細々と営んでいたり、時には地方の領主が命令する宮殿などの建築工事に応募して日雇い労働で日銭を稼ぐような毎日であっただろうと思われます。
 あるいはナザレ地方で大工といえば、石工:大型建造物に使うような石を切り出す下請け労働のことを指し、作業中に生じる粉塵で肺を痛め、長生きはできない仕事であったとする説もあります。
 神の子を託された若い夫婦は、ごく平凡な、というよりはむしろ蔑まれるような出身地の、底辺労働者の世帯であったということです。そして、底辺労働者は、子々孫々まで底辺労働者です。自由競争というものが無いカースト制の社会でしたから、大工の子は大工であります。

隅に追いやられた者たち

 この夫婦以外に、神の子の誕生を知らされたのも、世の中から疎んじられているような人びと、あるいはおよそ救い主を待ち望んでいるとは想定されていなかった意外な人びとにでありました。
 ルカの福音書によれば、天使が救い主の誕生を最初に知らせたのは、野宿をしながら夜通し羊の番をする羊飼いたちでした。
 羊飼いもまた身分の低い底辺労働者でした。それに加えて、汚れた職業の者として蔑まれてもいました。
 当時、森の中や砂漠、荒野など、人里離れた所には悪霊が住んでいると信じられ、そういう場所を長く旅していると、悪霊が乗り移ることがあると考えられていました。
 そうでなくても、たとえば現在の日本でも、住む家がなくて路上で寝ている人を見ると(実際にはその本人の方がよほど危険な状態で寝ているのに)、恐ろしがって遠ざかろうとする人がいますが、古代における言わばホームレスの底辺労働者である羊飼いも、同じように定住民に恐れられ、ひょっとしたらあいつらに襲われて金品を盗まれるかも知れない、などとありもしないことを恐れては忌み嫌われていたのであります。

思いもかけぬ方角から

 一方マタイの福音書には、三人の学者たちが東方から訪ねてきたと記されております。
 東方とはペルシャ(現在のシリア)の辺りか、あるいはもっと東のバビロン(現在のイラク)の辺りか、福音書の記事だけではハッキリとはしませんが、とにかく救い主を待ち望んでいたユダヤ人の想定には全く入っていない地域の人たちだったことは間違いありません。
 イエス様が誕生された当時、ユダヤ地方(現在のパレスティナ地方)はローマ帝国の占領下にありました。イタリアのローマに都があるこの大帝国は、現在のヨーロッパの南半分と北アフリカ、すなわち地中海沿岸地域を、強大な軍事力で平定し、統一していました。ローマ軍によって各地の諸部族の地域紛争を抑え込んだ状態を、人びとは「パックス・ロマーナ(ローマの平和)」と呼んでいました。
 ユダヤ地方は、その大帝国の東の端っこに位置しており、ローマ人にとってはユダヤ人の民族自立運動を抑え込むのに手間がかかる地域でありましたし、ユダヤ人はローマの支配を退け、ユダヤ人の王国を再興するべき新しい王:メシアの登場が待たれていました。
 皮肉な事に、ローマ人と地中海を挟んで西に向かって睨み合い、メシアを待ち望んでいたはずのユダヤ人の、その背後の東方から、「そちらにメシアがお生まれになったはずですが」と訪ねてきた学者たちがいたというお話なのです。

居場所が無かった

 このように、神の子の魂が誰にも顧みられない若者たちのもとに宿り、その誕生が誰からも蔑まれた人びとの所に告げ知らされ、誰もが予想していたかった所から人が拝みに来る……それがクリスマスの物語です。
 それはつまり、神さまがもし喜びをこの世の人間に与えるとすれば、人間が普段見落としているような場所にいる人、誰からも顧みられていない人、むしろ蔑まれているような人の所から、そうされるはずだということです。
 喜びとは縁の無い所、豊かさや、安全や、人との温かい交わりから断ち切られているような人の所、寒く、安全でもなく、食べるにも事欠き、人との絆も断たれている。そういう人の所に喜びがもたらされなくては、本当の喜びとは言えない。神の子の誕生物語にはそういうメッセージが込められているのです。
 いま、ここで私たちは、ひとときの温かい喜びに満ちた交わりを共にしましょう。そして、ここからその喜ばしい交わりを持ち出して、少しでもふだん私たちの目の届く所から追い出してしまっている人、見落としていた人と共に分け合えるように、私たちを大切に思ってくださる神の愛を胸に抱いて、それぞれの場で生きてまいりましょう。
 祈ります。

祈り

 愛する天の神さま。
 今宵このように多くの兄弟姉妹と共に、御子のご降誕を祝う礼拝を捧げることができますことを、心より感謝致します。
 私たち人間の目の行かない所、手の届かない所へ、真っ先に喜びを告げ知らせてくださるあなたの愛を、私たちの生きるこの世の隅々へと持ってゆけるように、どうか私たちを導き支えてください。
 主の御名によって祈ります。
 アーメン。


 
  当日、礼拝に続いて第2部として上演された、ヴァイオリンとヴィオラの二重奏の映像をお楽しみください。





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