わたしたちの復活、わたしたちのガリラヤ

2012年4月15日(日) 
 日本キリスト教団 徳島北教会 復活節第2主日礼拝説き明かし

 説教時間:約25分(分かち合いの時間を合わせて65分) お聴きになりたい方は→audio

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聖書:マルコによる福音書16章1~8節(口語訳:新約p.81)

 さて、安息日が終ったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとが、行ってイエスに塗るために、香料を買い求めた。そして週の初めの日に、早朝、日の出のころ墓に行った。そして彼らは「だれが、わたしたちのために、墓の入口から石をころがしてくれるのでしょうか」と話し合っていた。ところが、目を上げて見ると、石はすでにころがしてあった。この石は非常に大きかった。墓の中にはいると、右手に真白な長い衣を着た若者がすわっているのを見て、非常に驚いた。するとこの若者は言った、「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのであろうが、イエスはよみがえって、ここにはおられない。ごらんなさい、ここがお納めした場所である。今から弟子たちとペテロとの所へ行って、こう伝えなさい。イエスはあなたがたより先にガリラヤに行かれる。かねて、あなたがたに言われたとおり、そこでお会いできるであろう、と」。女たちはおののき恐れながら、墓から出て逃げ去った。そして、人には何も言わなかった。恐ろしかったからである。




マルコ:最初の復活物語
  先週わたしたちはイースターを迎え、イエス・キリストの復活をお祝いしました。
 キリスト教の年中行事というと、ともすればクリスマスの方が盛大に祝われ、準備も念入りにやったりする事が多いのが現状ですが、最初の頃のクリスチャンにとっては、むしろ復活祭の方がメインだったようですね。クリスマスの方が、ミトラス教の冬至の祭を教会に取り込むためにできたのであって、そもそもキリスト教の始まりが復活を祝うところから始まりましたし、復活の朝が日曜日の朝なので、それが新しい聖日になったわけですから、キリスト教は元来復活が中心にあります。
 ところが、4つの福音書の復活物語をそれぞれ比較してみると、はっきりと4種類の特徴がありますので、一体復活とはどういう事件だったのだろうと、ちょっと悩んでしまったりします。
 例えばマルコは、元来16章8節で完結しているというのが、写本の研究によって得られた定説です。本日お読みしました聖書の箇所がその部分に当たります。そうなるとマルコの場合、安息日が始まる前にあわててお墓に入れただけのイエスの遺体に、油を塗ってきれいに拭いて丁寧に葬り直そうとした女性の弟子たちが、日曜日の朝早くにお墓の前に行ってみると、横穴式の墓のふたをしている石が既に転がされてあって、墓穴の中は空っぽだった。そこに1人の白い衣を来た若者がいて「イエスは復活してここにはいない。ガリラヤにいけばイエスに会えるだろう」と言います。それを聞いて女性の弟子たちはその場を逃げ去って、怖かったから誰にも何も言わなかったというわけです。
 ここでまず不思議なのは、唯一の目撃者がこの女性たちなのに、この人たちが「誰にも何も言わなかった」のでは、誰がこの話をマルコに報告したんだろうということになりますよね? ここで話を終えている、ということはマルコ自身、これが実際に起こった事件を目撃証言に基づいて書いているのではないという事を読者にほのめかしている可能性があるのではないかと思います。

マタイ・ルカ・ヨハネ:復活物語の発展

 マルコをお手本にしながら書かれたマタイ・ルカでは復活物語はどうなっているでしょうか。
 マルコでは墓の所にいたのがただの若者だったのに対して、マタイではそれは天使であったことになっています。また、「ガリラヤでイエスに会えるだろう」と言われたことが実現して、ガリラヤのある山の上で、弟子たちはイエスに再会することができたことになっています。
 実は「山」というのはマタイによる福音書においては「教会」のことを表す暗号だと言われているのですね。ですから、マタイの福音書では、イエスが人びとを教えるのは山の上ですし(山上の説教)、羊が1匹迷い出るのは山の中ですし、最後に復活したイエスが現れて「大宣教命令」でしたか、「世界に福音を告げ知らせよ」と言うのも山の上なのですね。
 しかも、これもマタイの特徴ですが、「枠構造」というのを大事にします。始まりと終わりを対になる言葉で挟むという文学的技巧ですね。マタイはもともとマルコに無かったイエスの誕生の物語を入れていますけれども、そこでは救い主の別名として「インマヌエル」(神はあなたがたと共にいる)という言葉が出てきます。それと対になるように、福音書の最後でも「わたしはあなたがたと共にいる」と復活したイエスが語ります。これで、誕生前に予言された事が、復活後に成就する、という枠構造が成立します。
 ですから、やはりマタイの福音書においても、物語は物語であると言わざるを得ないのですね。
 ルカはどうなっているかと言いますと、イエスが姿を現すのがもっと早くなり、弟子たちがガリラヤに行ってからではなく、エルサレムにいる間に現れます。そして聖霊が与えられるとイエスに言われて、弟子たちは最後の晩餐を行った部屋に帰り、そこで実際に聖霊が降りてくる体験が起こるというのがペンテコステの出来事で、それはルカ福音書の続編である使徒行伝につながるストーリーになっています。やはりルカにはルカの文学世界があるのですね。
 ヨハネになると、イエスの出現は更に早くなり、もうお墓の前に現れています。そしてイエスの遺体を探しているマグダラのマリアの背後に現れて声をかけるのですね。そこでマグダラのマリアがイエスに触れようとすると、イエスはそれを止めて、「私にすがりつくのはやめなさい」と告げます。イエスを信じる者は、イエスにすがりつくのではなく、自分で立ちなさいということを言おうとしているのでしょうか。ちょっとこの言葉の意図はよくわかりません。
 とにかく、4つの福音書はそれぞれ独自の復活物語を持っていて、それは時代が下るごとにだんだん細かい部分が出来上がっていったと考えられるわけです。
 そうなると、一体事実は何なのかという事になるわけです。

パウロから再びマルコへ

 新約聖書の中で最も早い時期に書かれたのはパウロの手紙です(それでもイエスの死後20年は経っていますが)。
 パウロが手紙の中でイエスの復活について書いている内容によれば、「3日目によみがえってペテロに現れ、12人に現れ、そしてもっとたくさんの人にも現れ、最後に自分にも現れた」ということです。具体的にどこでどのような体験をしたのかについては触れられていません。
 パウロ自身の回心の体験も、使徒行伝ではドラマティックに光と声の体験であったように演出されていますが、彼自身は何も手紙の中に書いていないのですね。ですから、やはり体験の中身はわかりません。
 ただ、パウロは回心するまではキリスト者を迫害し続けてきたわけですから、何らかの形で劇的に自分の人生をまるっきり変えてしまうような体験をしたことは間違いないのでしょう。それを「イエスは私にも現れた」と表現したのだろうと思います。
 そのパウロの後、更に20年ほどたってから、最初の福音書であるマルコが書かれていますが、マルコでは肉体の姿をとって現れたイエスと出会うという描き方を拒絶しているように私には感じられます。
 「墓は空っぽだった。そこにはもうイエスはいない。イエスに会いたければガリラヤに行きなさい」。そのメッセージと、あとは、女性たちは誰にも何も言わなかった、で終わり。イエスの姿を物理的に見ることよりも、大事なのは「ガリラヤに行きなさい。そうすればイエスに会えるよ」というメッセージのように思われます。
 マルコは12弟子のいる所にイエスが現れたという物語を書いていません。マルコはイエスの直弟子には批判的で、「弟子たちはイエスのことを全く理解していない」という記事を繰り返すのが特徴なので、12使徒が立てた教会としてのエルサレム教会を重んじる姿勢が全く無いのですね。ですから、マルコが12人の前にイエスが現れるという物語を書かないのは当然と言えば当然です。
 マルコによれば、誰の前にもイエスは姿を現さない。ただ「ガリラヤに行きなさい。そうすれば全てがわかるよ」と告げているわけです。

ガリラヤに行きなさい

 ガリラヤは、イエスが生まれ、育ち、最初に人びとを教え始めた所です。そして、最初にイエスの弟子になったのも、ガリラヤ湖で仕事をする漁師たちでした。非常に身分の低い職業で、生臭い匂いが体に染み付き、夜の湖は悪霊が出るという迷信もあって、恐れられたり、蔑まれたりする人びとです。
 イエスは大工の息子だったというのが事実に基づく伝承であるとすれば、イエスも身分の低い家の出身です。
 イエスが近づいていったのも、身分の低い人びとや、取税人のマタイやザアカイ、また娼婦のような、人から嫌われたり、罪人と呼ばれたりするような人たちです。また彼は多くの病人や障がいのある人を癒したと伝えられています。実際に奇跡が行えたかどうかは疑わしいのですが、それでも、イエスがどういう人たちを救おうとしたのかという方向性ははっきりと示しているように思えます。
 そして、エルサレムの都からやってきた律法学者や祭司たちなど、お金と権力を持っている人たちとは、最後まで仲良くできませんでした。
 エルサレムの身分の高い人びとは、ガリラヤ地方を蔑んでいました。異教徒と交わる事の多いガリラヤ地方の住人は、異教徒の汚れ(けがれ)がうつっていると考えられたからです。同じユダヤ人でも、エルサレムから見ると、ガリラヤ人は汚れの多い、見下げるべき人間でした。
 イエスは最終的にはエルサレムの都に行って殺されましたが、彼の生涯の大半の部分はガリラヤでの行動に費やされていました。イエスによって教えを受け、イエスによって癒され、イエスの友となった人びとはガリラヤ地方にたくさんいたはずです。そのガリラヤに生きる、汚れた民と呼ばれて蔑まれ、貧しく、あるいは病に悩む人たち。その現実と共にイエスは生きました。
 その厳しい現実に中に、イエスがいるのだと、そうマルコは私たちに伝えようとしているのではないでしょうか。
 「貧しい者は幸いなり、今泣いている人は幸いなり」……貧しさも悩みも一緒に負いながら、誰もひとりぼっちにはさせないよ、と声をかけて近づき、汚れや呪いも恐れずに病を抱える人に触れていったイエスの思いは、ガリラヤの人びとの間に生きている。「だからあなたもガリラヤに行きなさい。そこでイエスに会えるから」と言われているのではないかと私には思えます。

わたしたちのガリラヤ

 もしそのような解釈が妥当であるなら、イエスの復活というのは、死んだ人間の遺体が再び息を吹き返して、手と足に穴をあけたまま墓から歩いて出てくるということではないはずです。マタイ以降の福音書作家たちがそういう表現でイエスの復活を描いたとしても、それは古代人なりの考えでそう描いたのであって、大事なのはそこではありません。
 大事なのは、「イエスが今もわたしたちの間に生きて、働いてくださっている!」という感動です。
 ユダヤ人とユダヤ人で無い人との境界線、豊かな人と貧しい人との境界線、清いカーストと汚れたカーストとの境界線、健康な人すなわち清い人と病気の人すなわち汚れた人・呪われた人との境界線、そうやって人間と人間の間をズタズタに切り裂いて、格差がある事をよしとする世の中で、おそらく歴史上初めて、そのような境界線を乗り越えて、神の前には全ての人が兄弟姉妹であることを宣言し、共に食べ、共に生きる世界を目指そうとした人間。それがイエスです。
 人間社会の一切の格差を取り払って、一緒に食べ、語り、笑うという世界を初めて作ったのがイエスです。そして、そのイエスの言葉と行いが、イエスの遺志を継ぐ人びとによって続けられ、そこにイエスもまた共にいてくださる。それによって、生きている者と死んでいる者との間の境界線をも取り払ってくださった。そう信じる人たちがガリラヤにいるから、ガリラヤに行きなさい。そういうことなのだと思います。
 ですから、イエスの生きた時代からおよそ2000年経った現在、私たちにとっても大切なのは、「私たちにとってのガリラヤ」に、イエスと共に生きるということではないかと思われるのです。

イエスは今も生きて働く

 それは、この世において、苦労しながら生きている人間どうしのつながりを大切にし、互いの苦労をねぎらい合うこと。人種・民族・身分・宗教などの違いによって人を差別したり、遠ざけたりしないこと。お腹のすいている人には腹一杯食べてもらい、怪我や病気をしたり、どこか健康を損ねている人には手当をすること。眠る場所の無い人には、宿を提供すること。困っている人の悩みに耳を傾け、喜んでいる人と一緒に喜ぶこと。そういうことは、どうやらイエスより前に考えたり、実践したりした人はいなかったみたいですね。
 それだけに、当時の人たちにとっては、イエスの愛のわざは驚きの連続でした。触れても近づいてもいけないとされた人間の隔ての壁を、そんなものが無いかのように超越して愛のわざを実践されたわけですから。
 そして、イエスのわざに驚いて、目を開かれた人びとの一部は、その愛のわざを実践し続けようとしたのでしょう。だから、その姿を見よ。(エルサレム教会ではなく)人が生きている現場でイエスも今を生きて働いているという現実を見よ、ということなのだと思われます。
 教会の中にいても、教会の外でも、イエスと共に歩み、イエスのわざの中に自分も参与する。「私たちの間にイエスは今も生きて働いている」と実感すること。それが復活の本質ではないかと思うのでありますが、いかがでしょうか。


 





 

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