あなたは平気でいられますか?

2012年7月10日(火) 

 近江兄弟社高等学校1年生「平和礼拝」奨励
(『あなたが死んでも平気な人たち』を改題、改訂)

説教時間:約30分

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聖書:ルカによる福音書16章19—31節 (新共同訳・新約p.141-142)

 「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやって来ては、そのできものをなめた。
 やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。そこで、大声で言った。『父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。』
 しかし、アブラハムは言った。『子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない。』
 金持ちは言った。『父よ、ではお願いです。わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。わたしには兄弟が五人います。あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』
 しかし、アブラハムは言った。『お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい。』
 金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ、もし、死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、悔い改めるでしょう。』
 アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。』」



金持ちとラザロ

 こんにちは。大阪にあります、同志社香里高等学校という所から来ました、富田といいます。よろしくお願いします。
 さて、さっき読んだ聖書の箇所を、もう一度思い出してみましょう。もう閉じちゃった人は141ページです、もう一度開けてみましょう。
 少し長いですけれど、簡単なお話ですね。
 ある金持ちが贅沢に遊び暮しています。この金持ちの家の前に全身皮膚病にかかったラザロという名のホームレスの男が横たわっています。ラザロは金持ちがむしゃむしゃ食べている、そのテーブルからポロッと落ちるような食べ物の欠片だけでももらえたらいいのに、と願いながら路上で死んでしまいます。金持ちも、自分の家の前にホームレスが横たわっているのを知っていながら放置して贅沢な暮らしを続け、やがて死にます。そしてラザロは天国に行き、金持ちは地獄の炎で焼かれます。
 金持ちが目を上げると天国でラザロが楽しく飲み食いしているのが見えます。そこで金持ちは「ラザロに水を持って来させてください」と、これも厚かましい願いですが、そういうことを言います。すると「お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは悪いものをもらっていた。だから死んだ後は、ラザロは慰められ、お前はもだえ苦しむんだよ」と言われてしまいます。
 そこで金持ちは自分の兄弟にはこんな目に会わないようにラザロを遣わしてくださいと厚かましいことを願います。しかし「そういう事は聖書に書いてある。聖書に書いてある事に耳を傾けないのなら、たとえラザロが蘇って行ったとしても、そのラザロの話を聞いて悔い改めたりなんかはしないだろう」と言われてしまいます。
 とてもわかりやすい物語ですね。金持ちは貧しい人のことなんか気にしてないし、路上で野垂れ死にしても平気です。でも死んだ後、この世で苦しんでいた人は慰められ、この世で良い思いをしていた者は地獄の炎で焼かれるよ、というお話です。
 昔のヨーロッパのキリスト教の国々では、こんな話でも、それなりに真面目に信じる人たちがいて、例えばフッガー家やメディチ家といった大金持ちの人びとは、「自分たちは、今は大儲けして、この世ではいい思いをしているけれども、世の中にはラザロみたいに貧しくて、長生きできずに死んでいく奴もおる……。死んだ後、俺らが地獄に落ちて永遠に火で焼かれるというのは、嫌やなぁ……」と思うわけです。
 そこでそういう金持ちは、教会にドカンと巨額の寄付や広大な土地を寄進して、貧しい人には無料で食べさせ、家の無い人や旅人に宿を貸し、病気の人には手当をし……といった事を行う施設を作りました。そして、それが大元になってヨーロッパでは社会福祉や奉仕活動が社会に広がっていったんですね。
 ですから、昔も今と同じように貧富の差はありましたけれども、その一方で、金持ちの罪滅ぼしというか、社会的に弱者の立場に立たされている人が目の前で野垂れ死にしてゆく、仕事の無い人が普通の人がやらないような危険な仕事や戦争に駆り出されて死んでゆく。そんな状態で、自分たちだけが安全で贅沢な暮らしをしていていいのかな……と、ちょっとだけ反省というか、さすがにこんな不公平を、神さまも黙って放っておくということはないだろう。ひょっとしたら俺ら、あの世でバチがあたるかもなぁ……というくらいの感覚は、昔のヨーロッパ人にはあったんでしょうね。
 それに引き換え、今の日本ではどうでしょうか?

 今日は「平和礼拝」ということなので、皆さんにひとつ質問をしてみたいと思います。よく考えてくださいね。
 「今の日本は平和だと思いますか?」
 どうですか? 平和ですか? 平和に暮らせていると思う? そう思えることって、すごく幸せなことだと思うよ。
 でも、ちょっと考えてみて欲しいんですが、例えば、さっき読んだ聖書のように、金持ちとラザロのような関係が今の世の中にあったとする。
 例えば、自分はこの物語に出て来る金持ちのように、そこそこそんなに大きな不満もなく暮らしてて、平和にやっている。けれども、扉を開けて外を見てみたら、実はラザロのような貧乏人が今にも死にそうになっているとすれば、どうでしょうか? 空気ぶちこわしですね? 食べてた食事もまずくなるような感じ。
 ぼくらは扉を閉めているから、ラザロの存在に気づかない。あるいは誰かに見えないように扉を閉められてしまっている。だから、自分が普通に暮らしている一方で、誰かが命を粗末に扱われ、バタバタと死んでいってるという事実を突きつけられたら、どうやろか?
 そういうのは、本当に「平和」って言えるんやろか? どう思う?

平和では無かった時代

 今から60数年前、日本は明らかに平和ではありませんでした。日本は太平洋戦争を戦っていました。この戦争を「大東亜戦争」と呼ぶ人もいます。そして、この戦争はアジアの国々を欧米の植民地政策から解放して、独立を助けるために行われた正義の戦争なんだ、と言う人もいます。
 戦争が行われてた間、日本の国内では、どんどん日本軍が欧米諸国を打ち破って勝ち進んでいるかのような報道がなされてました。今のようなテレビとかインターネットなどが無くて、新聞とラジオと映画館で観るニュース映画だけしか無かったような時代です。それで「勝った勝った。また勝った!」と言って喜んでいたわけです。
 戦場に連れて行かれるのは、ここにいるみんなと同じくらいの歳からちょっと上の世代の人で、「召集令状」と言って、「お前は何月何日からどこどこの第何十連隊に行け」という命令のハガキが来て、それが来ると近所のおじさんやらおばさんやらが「おめでとうございます〜!」とやって来て、「お国のために役に立ってください。私らほんまに誇りに思うてます〜!」と言って、「バンザーイ! バンザーイ!」と送り出されて行きます。そして、みんな中国大陸や朝鮮半島や南方の島々に送り込まれてゆきます。そして、欧米の軍隊を相手に華々しく戦った、勝利を手にするぞ! と勇んで行くわけです。
 でも、これは戦争が終わってから分かった事ですけれども、全然日本軍は勝ってなかったんですね。南の島のジャングルで、あるいは岩石しか無い岩砂漠のようなところで、食べる物も無くなり、弾薬も無くなり、薬も無くなって、兵隊さんもたくさん死んで、ボロボロになってました。
 この大東亜戦争で、海外で亡くなった方は、およそ230万人おられたそうです。その内、戦いで死んだ人が何人いると思いますか? 実は戦闘中に死んだ人は2割くらいで、あとの8割は餓死か病死だったそうです。食べ物も薬も無いのに、無理な作戦で前へ前へと行かされて、退却するのは軍人の恥であるとか、捕まって捕虜になる前に自決しろとか、そういう教育を受けていて、退却できなかったし、退却したり逃げようとすると味方に撃たれてしまうのですね。 それでみんな死んでゆきました。
 日本に残って応援していた人たちは、「勝った勝った。また勝った!」というのを信じていたわけですが、さすがに日本の空にアメリカの爆撃機が飛んできて爆弾を落とすようになると、「勝った勝った、というのはホンマかなー?」と気づき始めた人もいたようですけど、最終的には広島と長崎に核兵器が投下されて、日本が降伏してから、そして海外に派兵されていて何とか生き残った兵隊さんたちが日本に帰り始めてから、全て嘘だったということが明らかになっていったわけです。
 日本に残っていた、ここにいる君らのような学生・生徒は、「兵隊さん、ありがとう」「お国のために、ありがとう」、感謝しなさいと学校で教えられていました。でも、まさか自分たちが送り出した兵隊さんの8割が飢えと病気で死んでいたとは思いもしなかったでしょうね。

いま「平和」なのか

 さて、その戦争が終わって67年たって、今の日本はどうでしょう?
 今の日本は、どこかの国と武力紛争をしているわけではありません。日本は、今は軍とは言わずに自衛隊と呼んでいますが、自衛隊がどこかを爆撃しているということはありませんし、逆に他の国から日本の領土に軍隊が入って来られているわけでもありません。
 もっとも、軍隊というのは実は普段から毎日戦争状態なんですね。戦争状態になることを「事が有る」と書いて、「有事」って言うんですけど、軍隊では常に毎日が有事です。ですから、軍隊の基地の周りに住んでいる人は毎日戦争状態と同じように戦闘機やヘリが発着をしているし、うるさくて迷惑で、事故も起こるし、かないません。
 でも、ここ近江八幡辺りにいると、そういう有事の実感は無いんじゃないかなと思います。ありますか? あると感じる人もいるかも知れないけれども、無いと思う人の方が多いんじゃないですか?
 でも実は、今、現時点で、日本国内でも非常に残酷な戦いを一部の人にやらせている場所があるんです。武力紛争ではないんですが、ある意味戦闘中と言ってもおかしくない。そこで働いている人は、常に死と隣り合わせにいるということを実感してて、今日明日自分が死んでもおかしくないとわかっていながらも、日本のために自分がやらなきゃダメなんだと思って戦っている人たちがいるんです。
 そして多分ここにいる多くのみんなが、普段そうやって自分たちのために命を落としている人がいるんだということを、全く意識してないと思います。

戦いを強いられる人たち

 その戦いは今、日本のどこで行われているのか。
 日本に54基の原子力発電所:原発があります。この滋賀県のすぐお隣の福井県でも、ついこの前大飯原発が再稼働したばかりです。一昨日の夜中にフル稼働の状態に入りましたね。
 みんなはテレビのニュースや新聞とかを見てる人なら、東日本大震災で東京電力の福島第一原発が津波に呑まれて、爆発事故を起こして、放射能がまき散らされて、多くの人が避難しないといけなくなったということくらいは知ってますよね?
 そして、その事故の後処理をするために、全国から労働者が集められて、働かされています。まあそこまではニュースでもよくやっているわけです。
 でもね、実は事故なんか起こさなくても、原発というのは定期検査をするだけでも、原子炉の中に人が入って雑巾がけで掃除するような作業が必要な、あんまりスマートじゃない機械なんです。
 原子炉の中なんか電力会社の人は絶対に入りません。ものすごい危険だって知ってるから。
 そういう一番危険な場所に潜り込まされて作業させられるのは、会社や店がつぶれたり、リストラされたりしてお金に困って、借金取りに追いかけられていたり、家を失ったり、家族と別れ別れにならざるを得なかった、生活困窮者です。ホームレスもたくさんいます。
 そういう人たちを全国から集めてくるのが、暴力団関係者です。「兄ちゃん、お金に困ってんやろ? ええ仕事あるで」と言うてね。あるいは、大阪のネットカフェなんかで、ホームレスになる寸前で何とかネットカフェに泊まって生き延びている「ネットカフェ難民」と呼ばれるような若い人たちにも、「兄ちゃん、あんたらお国の為に役に立てる仕事あるで」と声をかけるんです。すると、そういう若い人たちが「え? お国の為に役に立てるんか。行くで! 行く行く!」とついて行くわけです。そして連れて行かれる先が原発……。
 そこで、ビニールの雨合羽に手首足首と顔の周りにガムテープを巻いただけの、出来損ないの宇宙服みたいな防護服を着さされて、ガスマスクみたいなのをかぶらされて、原子炉の中に入れられて雑巾掃除や機械のネジを締めたりといった作業をやらされる。
 一応、人間が一度に浴びたらいけない放射線量を越えるとアラームが鳴る線量計を胸につけていきます。でも、そういうのはすぐに限界値に達して鳴ります。あまり頻繁に鳴るから、壊れていることにして、外して作業するようになります。なぜかというと、決められた時間以内に作業が終わらないと給料がもらえないという約束になっているからです。
 それに原子炉の中は運転停止中でも熱い。摂氏50度くらいになっていることもあります。だから防護服を着てると熱いし、マスクが曇ってよく見えない、でも作業は急いでるので、みんなマスクを脱いでしまうんですね。放射線というのは見えないから、その怖さがわからないんで、「大丈夫やろ」と言って外すんですね。そうしてみんな150年分、あるいは200年分の放射線を一時に浴びて被曝します。
 現場で防護服を頑張って脱がなかった人でも、原子炉から飯場(労働者が寝泊まりしている所)に帰って来るバスの中で「ああー熱かったあ!」と防護服を脱ぎます。その防護服そのものが汚染されているんですから、何のために着ていたかわからない。そうやって結局バスに乗っている人全員が被曝します。
 2日目からの作業では、作業員の名前を書いて登録する時に、「名前を変えろ」と言われます。つまり偽名で登録します。というのは、もう昨日一日で浴びてはいけない放射線量を越えてしまっていますので、今日は別人になりなさいということです。そして、またその日も150年分の放射線を浴びて仕事をします。
 そしてそういう熱い作業をしますから、仕事から帰ったら飯場でビールでも飲みたい所ですが、ビール1本3千円、弁当一食6千円とか取られるわけです。そんなことをしてると一日たとえ1万円近くもらっていても、そんな給料はすぐ無くなってしまうので、辞めて帰る事ができなくなるんですね。
 そうやって2、3年あっちこっちの原発で働いているうちに、髪の毛も眉毛も体中の毛が抜けて、気分が悪いなあ、体調悪いなあと思っている矢先に、ある日突然「ゲホッ!」と血を吐いて倒れるわけです。
 それで誰かが救急車を呼ぶかと思ったら呼ばないで、代わりにヤクザの若いのがやってきて車の後ろに放り込んでどこかに行ってしまう。すると、もう二度と戻ってきません。どこかのウナギかハマチの養殖場にでも放り込まれて餌にでもなったのかなあ、と作業員の間に噂が流れる。もしそれが本当なら、そのウナギやハマチをぼくらは食べているわけですが……。
 作業員が死んでも、みんな偽名を使っているし、既に借金に追われて家族とは離ればなれになっているから、いつどこで死のうが誰も知らないままに終わってしまいます。
 そうやって日常的に名も無い人間の命を奪いながら、今日も原発は運転されています。その原発で作られた電気を使っているのが、ぼくであり、君らです。

いま、本当に「平和」なのか

 ここで、ぼくは「みんな! だから原発を止めるために一緒に抗議行動しよう!」とか、「原発を使わなくても済むように、電気を使うのをやめよう!」とか、「節電しよう!」とか、そういう事を呼びかけようと思っているわけではありません。
 ただ、「あんまり世の中進歩してない」「あんまり世の中変わってないな」という事を言いたいと思います、67年前と。そして、君らに自分の心で感じて、自分の頭で考えて欲しい。
 67年前まで、日本の国内にいる人びとは、政府にも軍にもマスコミにも騙されて、自分たちが送り出した兵隊さんたちが輝かしく勝利の快進撃を続けていると思ってた。そして「兵隊さん、ありがとう」と言って、無事を祈ってた。でも、実際にはあっちでもこっちでも作戦失敗で、ほとんどの人が無駄に死んでた。
 じゃあ今はどうかというと、いま日本の国内にいるほとんどの人は、日常的に人が死ぬような作業をしないと発電者が運転できないなんて事は全然知らされていません。政府もマスコミも隠しています。自衛隊だってそんな危険な場所には入らない。でも、誰かがいかなきゃ電気は保たん。そうなると、一番お金に困っている人が行かされるわけです。
 そして、この仕事をやっていたら、2、3年以内に確実に死ぬと分かっていて、政府も電力会社も財界も暴力団もみんな本当の事を隠しているという事も全部わかった上で、「でも、誰かが行かんとたくさんの人が困るんやろ?」と言って働いている労働者がいるんです。
 この状況に対して、「労働者さん、ありがとう」と言って、感謝して済ませられるのかな、という事を、今ぼく自身が悩んでいて、非常に困ってるんです。こんな日本って本当に「平和」って言えるのかな?
 どう思う? 67年前と何が変わってるんやろ? 1億の人を守るために230万人の命が使い捨てにされて、それは全てが終わった後に分かったわけだけど、今も1億6000万の人を守るために、今はもっと目立たない形で、でも何万人もの人びとの命が使い捨てにされていて、それは今は隠されています。
 ぼくが何でこんな話を知っているのかというと、実際に現場で働いて帰ってきた人の体験や、その周りの人の話を聞いたからです。そうでなかったらぼくも知らないままでした。君らも知らんかったでしょう?
 でも、あの福島第一原発の事故の後処理で、今あの現場におよそ1万8000人ほどの労働者が送り込まれているらしいです。その人たちがあと長くても2、3年後にバタバタと死に始めた時、それをどうやって隠すのかな? 隠しきれるのかな? ……と思います。
 もしそれが隠しきれなくなった時に、初めて原発に対する世の中の見方が大きく変わるのかも知れへんけど、それまでに一体どれだけの人が殺されるんでしょう?
 今日読んだ聖書の物語では、金持ちはラザロが家の前で餓死しようとしているのを知っていました。でもそれを放置しました。
 君らは、自分の扉の前にラザロが死にそうになっているのを、今までは知らなかったかも知れない。でも、扉の前には死にかかっているラザロがいるという事を知ってほしいと、ぼくは思いました。そして、そのラザロのおかげでぼくらが暮らしていけてるということも知ってほしい。そして考えて欲しいです。「これでいいのかな」と。
 祈ります。

祈り

 この世を造り、私たち一人一人に命を与えてくださった神さま。
 私たちの生きているこの世界は誰かが死んでくれることを前提に運用されるような地獄のような有様になってしまっています。このような世の中にした私たちの罪を知らしめてください。
 ここから悔い改め、どのように生き、どのような社会を作ってゆくかを考える知恵と実行する勇気を与えてください。
 イエスの名によって祈ります。
 アーメン。




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