イエスの受難

2013年3月24日(日) 

 日本キリスト教団徳島北教会 主日礼拝説き明かし

説き明かし約28分間+分かち合い約34分間=計62分間
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聖書:マルコによる福音書15章33~41節 (新共同訳・新約)

  昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「そら、エリヤを読んでいる」と言う者がいた。ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付け、「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と言いながら、イエスに飲ませようとした。しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った。また、婦人たちも遠くから見守っていた。その中には、マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、そしてサロメがいた。この婦人たちは、イエスがガリラヤにおられたとき、イエスに従って来て世話をしていた人々である。なおそのほかにも、イエスと共にエルサレムへ上って来た婦人たちが大勢いた。





説き明かしと分かち合いの録画(約62分間)


レント


 レントも大詰めです。
 今日から始まる一週間は、受難週、または聖なる週(英語でもHoly Weekといいます)と呼ばれ、いよいよイエスの受難を偲び、木曜の日没から金曜の日没までのイエスの苦しみを思い、そして安息日が明けた朝にイエスの復活を喜び、同時に春の到来もお祝いするという日が待っているわけですね。
 復活祭の前の一ヶ月間は悔い改めの時期で、イエスの苦しみを思い、喪に服するように過ごす季節である、という風に考える人たちがいます。
 断食まではしないとしても、「レントの間くらい酒を飲むのを控えような」と言う人もいるし、普段から浴びるように飲んでいるくせに、レントの間だけは一滴も酒を飲まないという牧師も私の知り合いにいます。
 しかし、ちょっと見聞を広くしますと、例えば「シメイ」とか「レフ」「マレッツ」といったブランドが有名なベルギービールは、トラピスト会などのカトリックの修道院で醸造され始めたもので、中には、修道士がレントに断食をするにあたって、それでも修道院の仕事をしようと思ったら体力がもたない。そこで食事や水を取る代わりに、ビールで栄養補給をしよう、と言うことで作られていたビールもあります。そうなりますと、食事を減らしてでもビールを飲もう、ほろ酔い加減で仕事をしよう、というのが正しいレントの過ごし方だという考え方もできるわけで、所変われば品変わるというのは本当だなと思わされます。

イエスの受難

 イエスの受難については、近年では歴史的な研究を踏まえて、いろいろ新しい解釈がなされて、いくつもの本が出版されています。
 その中でも、最も過激な部類に入るものの中には、肉体の復活は無く、イエスの遺体は墓の中で朽ち果てたのだとか、あるいはイエスの遺体は墓に収められる事もなく、十字架に打ち付けられたまま放置され、鳥や犬が肉を食い散らかしたとか言っているものもあります。
 私もどちらかというとリベラルな方で、科学とか医学の研究結果を優先するきらいがありますから、聖書に書いてある事を文字通りの出来事の記録とは思っていませんが、その一方で「それでは一体何を信じたらいいんだろう」と求める気持ちもありますので、たとえイエスの遺体が野犬に食い散らかされていたとしても、そこから何を学び、何を信頼して生きてゆけばいいのかな、という事を考えてしまいます。
 リベラルな立場の研究では、歴史的な事実がほとんど無いと言われているイエスの受難物語の中で、「これは歴史的な事実だろう」と私が思っている事を何点か挙げさせていただきます。

最後の晩餐

 まず、最後の晩餐、または主の晩餐と呼ばれている食事で(それが本当に過越祭の食事であったかどうかはとりあえず置いておいて)、少なくともパンを自分の体になぞらえ、赤ワインを自分の血になぞらえたのは事実であっただろうと思います。
 なぜなら、それがあまりに印象的であったからこそ、弟子たちの記憶に残ったのでしょうし、だからこそイエスの死後、意外と早い時期にイエスを偲ぶ食事の儀式、つまり聖餐式が出来上がっていたのだろうと。そしてその聖餐式が確立していたから、それを基にして最初の福音書記者マルコが最後の晩餐の場面を書いたんだろうと思われるんですね。
 福音書の中の最後の晩餐の場面は非常に短くてシンプルです。それは、実際のイエスと弟子たちの最後の夕食がパンとワインだけの簡単な食事だったわけではなくて、実際には色々食べており、色々会話もしていたんでしょうけれども、マルコに伝わっていた情報はパンとワインとイエスの言葉の中でも決定的に大事な制定の言葉だけだったわけで、なぜそのような伝わり方をしたのかというと、それが儀式の中でくりかえされていたからだと言われているんですね。
 儀式というのは一種のメディアとも考えられまして、写真も録音機も無い古代に、文字を読み書きできない人も多い中で、言葉によるメッセージを伝えてゆく一つの手段とも言えるんです。
 それはあまりたくさんの細かい情報を伝える事はできないんですけど、単純化された内容であれば、儀式の参加者や司式者が呪文のように唱える事で、世代を超えて生き生きと伝えていく事ができます。
 ですから、マルコが受け取った最後の晩餐についての情報は、かなり単純化されてはいますが、イエスの死後40年近く経っても意外に正確に伝えられたんじゃないかと思います。
 つまり、パンとワインに自分の体と血をなぞらえ、自分の死が近いことを予言した発言は恐らく事実だっただろうと思われます。実際その後すぐにイエスは捕らえられて殺されたので、その食事の鮮烈な印象は弟子たちの心に一層深く刻まれただろうと思われます。

逮捕と尋問

 次に、オリーブ山に登って、ゲツセマネという場所でイエスが祈り、祈った後か祈っている際中に逮捕されたというのは本当の事だったでしょう。
 弟子たちの中でも、ペトロとヤコブとヨハネの3人がイエスと一緒にゲツセマネに来ていますが、この3人は福音書の中でも何回も登場しており、おそらくイエスについて来た集団の中でも、この3人が本当のイエスの側近だったと思われます。12人というのはイエスの亡くなった後の初代教会での指導者の数であって、生前のイエスの直属の弟子は3人、もしくはペトロの兄弟のアンデレを入れて4人だったのではないかと私は思っています。
とにかくこの3人は後々初代教会を築いていった人たちなので、この人たちが信徒たちにもイエスの逮捕の顛末を話したでしょうから、これは3人が目撃した事実でしょう。
 その後、イエスが大祭司の屋敷に連行され、さらにその後、ローマから来ていた総督のピラトの官邸に連れて行かれたことも、おそらく事実でしょう。
 ただし、屋敷の内部での最高法院のメンバーたちによる胡散臭い裁判の様子や、ピラトの官邸でのバラバを釈放するかイエスを釈放するかといったようなやりとりは、ほぼ100%創作であろうと考えられます。
 これにはいくつか理由があるのですが、全てをお話ししていると大変時間がかかりますので、ここでは一点だけ申し上げますと、このような支配者たちの屋敷や官邸内での会話が、当局に追われている側のイエス派のセクトの人間にキャッチされているということは考えられないからです。イエス派が知らない事は後のキリスト教の福音書記者にも伝わりません。
 従って、イエスの弟子たちおよびイエス派のセクトの人びとが知っているのは、自分たちの先生が真夜中に逮捕され、翌朝には杭に打ちつけられて処刑されたという事実だけであっただろうと考えられます。

十字架

 次に十字架ですが、これは実は我々が馴染んでいるあの十文字の形であったかどうかを疑問視する研究者がいます。
 我々が読んでいる日本語の聖書で「十字架」と訳されていますけれども、この原語であるギリシア語の「スタウロス」という言葉は、もともと「十字架」という意味ではありません。単に木でできた「杭」という意味しかありません。
 そして当時のローマ帝国での処刑法は、囚人を1本の杭に打ちつける、あるいは苦痛を長引かせるために両腕を広げる形、つまり縦の杭の上に横の杭を乗せて固定しただけのT字型の杭であったという研究があるんですね。
 ですから、イエスが両手を広げて打ちつけられたなら、それは十字架ではなくT字型の杭であっただろうと。
 十字架というのは、後になってイエスの頭の上に「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と書かれた板を取り付けられたという話が付け加わって、それに伴って出来上がった伝承ではないかなと思います。

臨終

 そして、杭につけられたイエスの発した言葉ですが、もし福音書が事実を伝えていたとしても、最初の福音書マルコが伝える、「我が神、我が神、なぜ私を見捨てたのですか?!」という叫びだけだったでしょう。
 男性の弟子たちは全員逃げ去っていたので、この叫びを聞いたのは、女性の弟子たちだったであろうと思われますが、マルコはこの叫びだけを記録しています。
これが、マルコの改訂版として書かれたマタイやルカになってきますと、イエスが十字架上で詩編の言葉を暗唱していたり、「主よ、この人たちをお赦しください。自分が何をしているのかわかっていないのです」とか、ヨハネでは「成し遂げられた」とか言いますが、どれも、イエスを神格化したり、イエスの死に崇高な目的があったのだという、後づけの信仰理解が反映してセリフが付け加わってきます。
 しかし、マルコが伝える「我が神、我が神、なぜ私を見捨てたのですか?!」という叫びは、どうしようもない絶望の泣き言でしかありません。しかし、あまりにも人間的といいますか、人間としてこの状況で発してもおかしくない嘆きの言葉だと思います。
 これがおそらくイエスが実際に発した呻きでしょう。おそらくマルコはそれを目撃者から伝えられた通りに書き記したのでしょう。

イエスの絶望

 以上がイエスの受難物語の中で、おそらく歴史的事実であろうと思われる部分です。もう一度まとめます。
 イエスは弟子たちとの最後の夕食で、パンを自分の体に見立て、ワインを自分の血に見立てて、自分の体がパンをちぎるように引き裂かれ、血が流されることを予告しました。しかし、その血を回し飲みすることで、弟子たちに自分の命が染み渡り、弟子たちがイエスの血を飲み交わすことで固い絆で結ばれることを示しました。
 その後、イエスは弟子たちの目の前で逮捕され、おそらく翌朝には杭に打ち付けられました。弟子たちにとってはあまりにもあっという間の出来事で、もう少し何らかの手続きがあってもよかったのではないか、また、どうして神はイエス先生を見殺しにしたのか、非常に混乱したことでしょう。
そして、イエスはおそらくT字型に組まれた材木に打ち付けられて見せしめにされ、悶え苦しんだ末に、「わたしの神さま、わたしの神さま、どうして私を見捨てたのですか?!」と叫んで果てた。それでイエスの生涯は終わりました。
 このような叫びをあげた瞬間のイエスの心境はいかばかりだったでしょうか。神への失望、絶望、怒り……。ひょっとしたらイエスは、最後の最後に神さまが自分を助けてくれるのではないかと期待していたのかもしれません。彼は全身全霊をかけて、神に愛されるべき人たちを愛し、赦されるべき人を赦し、癒されるべき人を癒そうとしてきました。
 そして、ガリラヤの貧しい民衆を苦しめている元凶であるエルサレムの神殿に挑戦し、神殿を本拠地にした支配体制こそが神の正義と愛を歪めている、と批判しました。それらは全て神のために、そして神に愛された人のために尽くしたことでした。
 ところが、神は何も報いてはくれませんでした。そればかりか、イエスが無惨に殺される瞬間にも、彼を助けることはありませんでした。イエスは神に裏切られたと思ったかもしれません。味方は全員自分を捨てて逃げてしまいました。彼は全くの孤独でした。真っ裸で杭に打ち付けられました。恥ずかしい姿をさらし、これ以上の屈辱はありません。そして、手足の激痛と吊り下げられているが故の呼吸困難、脱水症状、その苦痛は死の瞬間まで続きます。もう絶対にこの苦しみから帰ってくる事はできません。もう自分は終わりだという絶望。その孤独と恥と苦痛と絶望の中で、彼は神に恨み言を言ったのでしょう。
 「わたしの神さま、わたしの神さま、どうして私を見捨てたのですか?!」

誰がイエスを殺したのか

 このイエスの情けない死に様から、私たちは何を見出せばいいのでしょうか。
 ただ一人の憐れな宗教と社会の改革者が、当局の怒りを買って、惨めに殺された。それだけで終わりでしょうか。
 なぜ私たちは、このレントの季節に教会に集まり、イエスの死を思い起こそうとしているのでしょうか。
 ひとつには、イエスを死に追いやったのは、私たちの罪の結果であるということを心に刻むためです。
 貧しい人の不満を吸い上げ、病人を癒し、差別されている人の友となり、支配体制に挑戦する……そのような人物を祭り上げてもてはやす。しかし、その人物があっけなく体制に打ち破れる、あるいは自分たちにとって利益にならない存在になってしまうと最低の評価を下して揶揄する。こういうのはポピュリズムと言って、現在の世の中でもしょっちゅう見られるものです。
 確かに直接にイエスに手を下したのはユダヤの祭司たちであり、ローマの総督であったわけですが、それを煽り立てた群衆のポピュリズムにも責任の一端があると私は思います。
 支配者たちと群衆の間には弟子たちがいます。弟子たちもみんなイエスを捨てて逃げてしまいました。ユダだけではありません。イエスと共に死んでもいいと約束した者たちがみんな結果的にはイエスを見捨てて逃げたのです。むしろイエスはみんなを助けるために一人で捕まり、一人で殺されたのでしょうね。
 そして、最後まで人に対する恨み言を言わなかった。「ペトロ、ペトロ。なぜ私を見捨てたのだ」とは言わなかったのです。そうではなく「わが神、わが神、なぜ私を見捨てたのですか」と言いました。
 これは彼があくまで人に対して、その罪を責めることなく、徹底的に神と共に人を赦す立場を死の瞬間まで貫いた証拠だと思います。彼は人に怒りをぶつけず、神に怒りをぶつけました。
 これはイエスがいかに人に対して優しい人であったかを物語る叫びだと思います。
 この言葉を、おそらく女性の弟子たちから聴いて、男性の弟子たちは、このような師匠を見捨てて逃げた自分たちがいかに罪深いことをしたのかを思い知らされ、胸を叩いてもだえ苦しんだのではないかと思います。
 イエスを死に追いやったのは、少数派を切り捨てることで社会の安定を図り、少数派を虐待することで社会の鬱憤を晴らす政治家たちの支配とその事なかれ主義、群衆のポピュリズム、直弟子たちの裏切り、等など……つまりイエスの死においてはイエス以外のその場にいた全ての人に罪があるということであり、また私たちもそれから2000年も経っていても、相変わらず同じような罪を犯し続けているのではないかと問い直されるのであります。

共苦するイエス

 もうイエスの惨めな死のもう一つの意味は、私たちが苦しみを味わう時、イエスはその苦しみを分かってくださるということです。
 イエスは、恥と孤独と苦痛と絶望の極限を長時間味わって死んでゆきました。人間としてこれ以上残酷な苦痛は無いと言えるほどの残酷さです。その昔、「ギロチン」という処刑道具がありましたが、あれは「人道的な処刑法」と言われているのですね。あっという間に死ぬので、受刑者が長く苦しまなくて済むからという理由だそうです。本当にギロチンが人道的か議論の余地がありますが、それにしても、その理屈から言えば、杭に打ち付けて殺すというのは、もっとも長い時間肉体的な苦しみを引き延ばして殺すという非常に「非人道的」な処刑法です。
 人間として生きている限り、イエス以上の苦しみを受けた人はおそらくいないでしょう。ということは、我々が生きている間、どんなに苦しい思いをしたとしても、イエスほどではありません。
 私は別にここで、「あなたはイエスほど苦しくは無いはずだ。だから我慢しなさい」と言いたいわけではありません。
 そうではなく、私たちが人生の壁にぶち当たって失意のどん底に落ちた時、また「誰も私の心をわかってくれない」と孤独に陥った時でも、イエスがもしここにいたなら、きっと私のことを分かってくれる。イエスならこの痛みを知っているはずだ、イエスならこの孤独をわかってくれるはずだと思うことができるのではないでしょうか。
イエスの痛みは私の痛みと同じだ、あるいはそれ以上だと思うことができるのではないでしょうか。

イエスの優しさ

 ですから、杭に打ち付けられて無残に殺されたイエスは、私たちの罪深さを証しているのですが、同時に私たちの罪を決して責めることなく、私たちが苦しみや孤独に落ちた時には、私たちと共に苦しみ、一緒に神に向かって嘆きをぶつけてくださる、とことんまで優しい方であるということも明らかなのであります。
 私たちはこの受難週に、私たち自身の罪深さを悔い改めつつも、このとことんまで心優しいイエスに感謝し、その優しさに習いたいものだとも思うわけです。
 みなさまはどのようにお思いになるでしょうか。



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