イエスの復活

2013年4月7日(日) 

 日本キリスト教団徳島北教会 主日礼拝説き明かし

聖書朗読と解き明かし(32分間)+分かち合い(25分間)=合計57分間です。
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聖書:マルコによる福音書15章33~41節 (新共同訳・新約)

  安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。
ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。
若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」
婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。





説き明かしと分かち合いの録画(約57分間)


イエスの遺体

 おはようございます。イースターを迎えて1週間が経ちました。先週、高木牧師よりイースターの説き明かしがあったと思いますが、私もイエスの復活についてのお話をして、みなさんのお感じになられたこと、お考えになられたことをお聴きしてみたいと思います。
 2週間前に私がイエスの受難についてお話した時、イエスの遺体は杭に打ち付けられたままカラスや野犬の餌食になったと言っている学者もいれば、墓の中で朽ち果てたという説をとなえている学者もいるという話をしました。福音書には、アリマタヤ出身のヨセフという人がイエスの遺体をくださいとピラトに願い出て、自分の一族の墓場に葬ったと記されてますけれども、それが実在の人物で実際に起こった事かどうかという可能性は、研究者によってフィフティ・フィフティだという感触です。

ユダヤ人たちの反論

 ここで参照したいのがマタイによる福音書です。
 マタイ福音書を見ると、「イエスが蘇った」と初代教会が言い出した事に対するユダヤ教サイドの反論に対して、さらにその反論で返している記事があります。
マタイの受難物語にも復活物語にも、他の福音書には無い付け加えがありまして、イエスが葬られた墓の前に、大祭司たちに命じられた番兵が見張っていたと書いてあるんですね(マタイ27:62-66)。
 そして3日目、つまり日曜日の朝になると大きな地震が起こって、天使が降りてきて墓を封印していた石を動かし、イエスの復活を宣言します(マタイ28:1-8)。
 
「番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった」(マタイ28:4)と描かれています。そして番兵たちは祭司長たちにこの驚くべき出来事を報告します。そこで祭司長たちは相談して番兵たちに、「夜中に自分たちが寝ている間に弟子たちが来て盗んでいったと言え」と命じて、口封じのために多額のお金を握らせたということになっています。それでマタイは、「この話は、今日に至るまでユダヤ人の間に広まっている」と書き記しています(マタイ28:11-15)
 実際ユダヤ教のラビ文書の中にも、「イエス派の者がイエスの遺体を盗んだ」という記事があるらしいんですね。ですからマタイは、エルサレムのユダヤ人たちの間に「イエスが蘇ったというのは嘘で、実際には遺体が盗まれただけだ」という噂が流れているのに対して、「それは祭司長たちが流したデマだ」と言っているわけです。

墓に葬られた
 
 ここで気づかされるのですが、ユダヤ教サイドでも、イエスが墓に葬られたということは否定していませんね。「イエスは3日目に蘇った」というキリスト教サイドの主張に対して、「何を言っているんだ。イエスの遺体は杭につけられたままカラスの餌になったじゃないか」とか、「何を言ってるんだ。イエスの遺体は、他の死刑囚と同じように、ゴミ捨て場に放られて埋められたではないか」という反論をしてはいないわけです。
 ということは、イエスの遺体は墓の中に葬られたのであり、放置されたり捨てられたりはしていない、というところまではユダヤ教サイドも否定はしていないということですね。
 もちろん、マタイによる福音書が書かれたのは、イエスが亡くなってから既に50年近く経っていますから、ユダヤ教側もキリスト教側も、もはや証拠を確かめる手段は無かったかとも思うのですけれども、それにしても、「あの頃は受刑者の遺体を墓に入れるということは無かったはずだ」という反論が出てこないところを見ると、イエスの遺体が(それがアリマタヤのヨセフという名前の人物であったかどうかはともかく)イエスのシンパたちによって墓に葬られたというところまでは事実であったと考えてもいいのかなと思います。イエスの支持者たちがそういうことをしたであろう、ということはユダヤ教サイドでも否定はできなかったわけです。
 実際、
申命記21章22−23節にも「死体を木にかけたまま夜を過ごすことなく、必ずその日のうちに埋めねばならない」という掟もありますから、ユダヤ人であったイエスの支持者グループが遺体を日没までに墓に納めたということは十分ありうることです。

空っぽの墓

 そして、その金曜日の日没から安息日が始まり、人はみな家に引きこもり、やがて日曜日の朝になって(男性の弟子たちは皆逃げていますから)女性の弟子たちが墓場にやってきます(マルコ16:1-2)。イエスの遺体に塗るために油と香料を持参して。
 ところが、墓の表の石が動かされていて、墓の中は空っぽだった。墓の中に、白い長い衣を着た若者がいて、 
「あの方は復活なさって、ここにはおられない。弟子たちとペトロに告げよ。あの方はガリラヤに先に行かれる。そこで会えるだろう」と言ったとありますが(マルコ16:5-7)、これは事実だったでしょうか。
 マルコによる福音書の本来の結末は、16章8節であるとされています。新共同訳聖書も、その定説を踏まえていて、ここから先は後になって付け加えられた部分と分かるように、「結び一」、「結び二」と小見出しがついています。写本によって終わり方が異なるのですけれども、いずれも、マタイやルカの福音書がもっと後のエピソードを付け加えているので、それに影響されて、後の方に付け加えられたと考えられているので、元々のマルコの終わりは、この16章8節までであるということは確定的だとされています
 その16章8節はこのように終わっています。
 
「婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである」(マルコ16:8)
 これも奇妙な話ですね。「だれにも何も言わなかった」のだったら、この福音書の著者はどうやってこの出来事を知ったのでしょうか。誰にも何も言わなかった事を、この著者は知っているわけです。なぜこんな結末をマルコは用意したのでしょうか。
 その真相については、私もまだ勉強が足りないので、きちんと説明した本にまだ出会っていません。いろいろと自分では考えます。例えば、こう書く事によってマルコは、自分の書いている本が事実に基づいた記録ではないよ、と読者に知らせているのではないだろうか……とか。

謎の若者

 例えば、数年前に『ダ・ヴィンチ・コード』という小説と映画が話題になりました。イエスには実は妻がいて、子孫もいる、という設定に世界中の保守的なクリスチャンがカンカンになって怒り出して、たくさんの反論本が出ました。それらの反論本の内容も、ほとんど狂信的というか下らない内容のものばかりでしたが、実際に原作の小説を読んでみると、そんなに怒る必要はないんですね。ネタバレになってしまいますけど、原作では、イエスの子孫は小説の登場人物の一人なんです(これ以上は言いません)。ということは、それは実在の人物ではありません。最後まで読めば、それがフィクションであるということがわかるようにしてあります。
 それと同じように、マルコによる福音書も、それが事実に基づいた記録ではないのですよとさりげなく知らせるために、「誰にも何も言わなかった」という結末を用意したのではないか。そんな風に考えたりします。
 マルコによる福音書で、今日の箇所より少し前に、ゲツセマネでのイエスの逮捕の場面で、一人の若者が素肌に亜麻布をまとってイエスについて来ていましたが、イエスと一緒に捕えられそうになって、「亜麻布を捨てて裸で逃げてしまった」(マルコ14:51)という謎の記事があります。これも何の意図があって入っている記事なのかはっきりしないのですが、この記事はマタイとルカによる改訂版の福音書では削除されています。研究者の間では一応、これは著者自身を描いているのだろうということになっていますが、確定しているわけではありません。
 しかし私は、この若者が、空っぽの墓の中にいたという若者とかぶって見えてくるような気がします。本当にこのような若者がいたのかどうか、またそれは著者自身なのか、それはわかりませんが、とにかく直弟子であるペトロらのグループとは別の動きをしている人間がいるということを著者は示そうとしています。そして、その若者は、「復活したイエスはここにはいない。ガリラヤに行けばイエスと再会できる」と言います。

12弟子への批判

 これは、後のマタイ、ルカと全く異なる主張なんですよね。というより、マタイとルカが「修正しなければならない」と感じた部分でしょう。
 マルコには、最初から最後まで、イエスの死後間もなくしてエルサレムにできた12使徒の教会は、本当のイエスをまるで理解していない、という批判が見え隠れしているというのは定説になっています。
 その12使徒批判が最後まで貫かれていて、それで復活したイエスも、エルサレムにはいない、と。エルサレムではなくガリラヤに行けばイエスに会えるんだと言っているわけです。しかも復活したイエスは、見える姿では現れていません。
 マタイもルカも、さすがにこれはまずいと思ったんでしょうね。そこでマタイは、少なくとも女性の弟子たちはエルサレムの墓地でイエスが姿を現したことにした。そして12使徒はガリラヤに行って、ちゃんとイエスに会ったんだよという話を作っています。またルカは、さらにさかのぼって、12使徒がエルサレムにいる間にイエスが彼らの間に現れたことにしています。いずれも、紀元後70年にエルサレム教会がユダヤとローマの戦争に巻き込まれて消滅した10年後から20年後に書かれたものですので、エルサレム教会を美化するのは簡単です。
 しかし、マルコはエルサレム教会の滅亡直後に書かれたもので、エルサレム教会がなぜ滅んだのかということを説明するために、12使徒がイエスの御心から外れていたからだと言いたがっているわけです。

死の力からの自由

 ここまで考えた上で、もう一度、初めにお話しした、ユダヤ人たちが「墓が空になっていたのは、弟子たちがイエスの遺体を盗み出したからだ」とキリスト教に対する反論を試みていたということを思い出してみると、キリスト教徒たちが「蘇ったイエスを見た」と言えば、「それは幻だ」と反論してもよさそうなものですが、「遺体は盗まれたのだ」と反論しているということは、初期のキリスト教徒たちが強く主張していたのは、「墓は空だった」ということだったのではないかと思われるわけです。
 そういうわけで、あくまで推論ではありますが、女性たちが、イエスの遺体を収めたはずの墓が空になっているのを見たのは事実ではないか。そして、墓が空になっていたという話は、少なくとも初期のキリスト教会の間では知れ渡っていたのも事実だった。しかし、誰ひとり蘇ったイエスを生身で見た者はいない、ということなのだろうと思います。ということは、やはり遺体は盗まれたのでしょうね。
 しかし、空っぽの墓の話は、非常に強いインパクトを、イエスの支持者たちに与えたことは確かです。この出来事が無かったら、イエスの支持者たちが後にキリスト教になってゆく運動を始めることはなかったでしょう。
 おそらくイエスの死にどうしても納得がいかなかった人たちにとって、イエスが墓から出て行ったのだ、と考えたのは不自然なことではなかったのだと思います。
 自らを顧みることなく、貧しい人、病んだ人、虐げられる人の側に寄り、癒しを与え、赦しを宣言し、互いに愛することを説き、祭司たちが神殿で祀っている神よりも、「これこそが本当の神のわざだ」と感じさせてくれたイエスが、あんなにあっけなく無惨に殺されたことに、イエスについてきた人たちは、どうしても納得がいかなかったのでしょう。なぜ神がイエスを助けなかったのか。なぜこんな、あり得ない事が起こってしまったのか……。
 そこに「墓は空っぽだった!」という情報がもたらされたとき、「やっぱり!」という衝撃が走ったのではないでしょうか。やはり、墓も、死の力も、イエスを閉じ込めておくことはできなかったんだ! やっぱりイエスは神から見捨てられたわけではないんだ! そこから「神はイエスを蘇らせた」という言葉が広まり始めたのではないかと思われます。

イエスとの再会

 さて、イエスを信じていた人びとは、実際にどこでイエスと出会えたのでしょうか。イエスの姿は見えないまま、ただ「墓が空っぽだった」という噂だけで満足したのでしょうか。
 神秘的な解釈でもなく、超常現象でもなく、信徒たちがイエスと出会ったのは、どこか。それは礼拝においてです。
 イエスは生前、ユダヤ人として毎週シナゴーグ(ユダヤ教の礼拝堂)で、エルサレムに来てからは神殿で、礼拝を捧げていました。そのイエスの思い出を、イエスを信じた人びとは、やはり同じ礼拝の中で語り継いだのだと考えられます。
 特に、エルサレムの神殿では、イエスを偲ぶ礼拝などということは不可能だったでしょうから、案外、「ガリラヤに行けばイエスに会える」というマルコの証言は実際そうだったのかもしれません。イエスの言葉や行い、振る舞いを思い起こし、その意味をとらえ直す礼拝は、シナゴーグという小さな集まりの中で、当局に見つかりにくいところから広まっていったということは十分考えられるところです。
 イエスを思い起こしながら、聖書(旧約聖書)を読みながら、イエスのやったことと聖書に書かれてあることとの間に、様々な一致点を発見してゆきます。それによって、イエスのやったことが改めて大きな意味をもって会衆の間に共有されたとき、イエスの命が大きくみんなの間に迫ってきたんでしょう。
 特に、みんなでイエスの最後の晩餐を再現し、「これはあなたたちのために引き裂かれる私の身体である」というイエスの言葉を誰かが語ってパンを割いて分け、「これは私があなたがのために流す血だ」というイエスの言葉を誰かが語ってぶどう酒の杯を回すとき、イエスと共にイエスの身体と血を食す感動の中に、人びとはイエスが側にいることを感じたのではないでしょうか。「これは私の身体だ。これは私の血だ。あなたがたのために」と語る人に、イエスがのりうつって存在していることを感じたのではないでしょうか。
 最初のころのイエス派の礼拝は、実際に毎週、晩餐を囲みつつ行なわれたと言います。カトリックでは現在でも毎週のミサで聖体拝預を行なっていますし、聖公会は礼拝そのものを「聖餐式」と呼んでいて、当然毎週パンとぶどう酒が配餐されます。
 死の力を打ち破ったイエスが、今ここに私たちと共にいる、ということを毎週体感したのが、初期のキリスト教徒の礼拝であり、聖餐式でした。
 
キリストの身体、キリストの器

 いま、私たちは、写真やビデオなど、いろいろな記録媒体を使っています。そして、それらを大きな画面と美しい音響で映し出すこともできます。そして、そういう装置で記録した人の姿を、その人が亡くなった後でも、あたかもそこに蘇ったかのように再生することができます。さらには、今生きている人と一緒に生きてやり取りしているように演出することも可能です。
 そのような世界に慣れてしまっている現代人は、礼拝の中でイエスと再会すると言っても、あまり実感がわかないかも知れません。
 しかし、これは2週間前の礼拝でも申し上げましたが、電気もビデオもコンピュータもない古代人にとっては、礼拝こそが何年も何十年も前のことを、コンパクトに省略した形ではありますが、正確に伝えてくれるメディアでした。礼拝によって、人びとはイエスの言葉や振る舞いを再生し、何度もイエスに出会い直していたんですね。
ですから、イエスは礼拝の中で何度でも蘇り、今も生きていて、これから先もずっと、自分が死んだ後でも未来永劫イエスは生き続けると考えられたのです。と同時に、この礼拝を行なう共同体が、どんなに世界中に広がって数が多くなっても、それぞれの教会で行なわれる礼拝の中にイエスは生きており、教会はキリストの身体であり、どんなに数が多くなり、互いの物理的距離が離れたとしても、枝分かれして多くの粒の実がなるぶどうのように、「私たちはキリストの枝であり、実である」とを宣言することができたんですね。
 教会が、イエスの言葉や行いを伝え、イエスの身体と血を食する交わりを続ける限り、教会はイエスの身体であり、再生したイエスはその教会の中に生き続けるということです。
 また、礼拝の中でイエスと再会し、そのイエスを自分の心に刻み付けて日常生活に戻ってゆく一人ひとりが、キリストの器となり、パウロの言ったように、「生きているのは私ではなく、キリストなのだ」と告白することもできるわけです。
 私たちも、礼拝のたびにイエスと出会い、イエスと共にこの世に出てゆきたいと思います。
 みなさんは、どのようにお感じになりますでしょうか。



   
 
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