一緒に行こうよ

2014年3月9日(日) 

 日本キリスト教団徳島北教会 主日礼拝説き明かし

約24分間
礼拝堂(メッセージ・ライブラリ)に戻る
「キリスト教・下世話なQ&Aコーナー」に入る
教会の案内図に戻る



聖書:マルコによる福音書1章16−20節 (新共同訳)

 イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。
 また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。





ライブ録画:説き明かし(24分間)+分かち合い(42分間)=計66分間


ヨハネとの決別

 イエスは洗礼者ヨハネが逮捕され、殺害された後、洗礼者ヨハネとは全く逆と言っていい内容の活動を始めました。
 ヨハネは荒れ野で生活をし、そこに人びとを呼び寄せましたが、イエスはあちこちの町や村を訪ねて行って、人びとのところに出かけて行き、出会ってゆきました。
 また、ヨハネは「間もなく神の国が来る。だから、それに備えなさい」と教えましたが、イエスは「間もなく神の国が来る。それは福音、つまり良い知らせだから、それを信じなさい」と言い、神の国の先取りとして、愛餐の運動を始めました。
 そして、ヨハネは洗礼を授けましたが、イエスは誰にも授けませんでした。イエスの仲間になり、イエスの食卓に集うには、洗礼を受ける必要はありませんでした。
 イエスが亡くなった後、洗礼は再び行われるようになりましたが、これはおそらく、イエス派が迫害にさらされる中で信頼できる仲間とそうでない仲間を区別しなければならない必要が出てしまったことから、ヨハネ教団の時代からイエスについてきていたメンバーから、洗礼を復活させようという提案がなされたのだろうと考えられます。
 その他にも、宗教学的な一般論として考えても、入会儀礼としての洗礼式を絶対に廃止すべきだとまで言う必要はなかろうかとは思われますが、それにしても、イエス自身は全く洗礼を必要とせず、イエスの食卓には無条件に誰でも招かれ、歓迎されたのだということは、一番大事なこととして確認しておいたほうがよいのではないかと思います。

被差別者と被差別者

 さて、イエスは独自の活動をガリラヤ地方で始めました。ガリラヤというのは、ユダヤ人の住んでいる地域としては、北の外れの地方都市です。
 エルサレム周辺は都であって、宗教だけではなく政治的にも経済的にもユダヤ人社会の中心でした。ただし、基本的には砂漠型の気候で自然の環境は厳しいところです。日本で言えば東京というところでしょうか。
 それに対して、ガリラヤはエルサレムよりも自然環境が豊かで、農業やガリラヤ湖の漁業など第一次産業が盛んな地域です。しかし、ユダヤ人と敵対していたサマリア人の住む地方を挟んで更に北の外れ、しかも異邦人すなわちユダヤ人以外の民族が住む地方と隣接し、それらの異邦人との商売上の関わりも多いということで、異邦人の汚れが移っている、半分汚れたような地域ということで、「異邦人のガリラヤ」と差別的に呼ばれていた地域でもあります。そういうことで、今の日本に喩えれば、都市の人びとの食料の多くを生産しながらも、都市の人びとの使う電気を発電するための危険な原発を押し付けられている、すなわち都の人びとよりその命が軽んじられている東北の人びとになぞらえる人もいます。
 イエスの活動のほとんどがこのガリラヤ地方で行われたということは、イエスの関心は都の人びとよりも地方の被差別者にもっぱら向けられていたということになるでしょう、少なくとも活動の当初は。
そして、彼は自分の弟子にならないかと呼びかけて回る。誰に呼びかけたのか。漁師でした。
 漁師はギリシア語で「ハリエウス」といいますが、漁師は被差別階級でした。生臭い、生き物の命を取る仕事ということに加えて、湖の上というのは夜中は悪霊が行きかっていると人びとに思われていたというのもあるんですね。夜中に漁をして朝、港に帰ってくる漁師たちには悪霊が取り憑いていると言って気持ち悪がる人もいたようなんですね。
 さらには、ガリラヤ湖で取られた魚は、当時は冷凍技術などありませんでしたから、魚を保存するのは塩漬けにするんですけれども、ガリラヤの塩漬け魚は遠くはローマまでも輸出されていたという話もあります。そこで、ガリラヤの漁師たちは、異邦人に食料品を売る者、異邦人と公益をする者ということで、異邦人の汚れが移っていると蔑む人もいました。
 そういうわけで、漁師というのは、二重三重になんだかんだ理由をつけて蔑まれていた仕事です。
 これに対して、呼びかけた側のイエスはというと、大工ということですが、ギリシア語では「テクトン」と言います。これも人を蔑む時に使われることのある言葉だそうです。例えば、「ふん、テクトンじゃあるまいし」とか、「貴様、テクトンか」といったような使われ方をするような仕事ですね。あくまで当時においては、ということですけどね。
 というわけで、このイエスがペトロたちに声をかけたというのは、テクトンがハリエウスに声をかけた。蔑まれるような職業だった人間が、同じく蔑まれるような職業の人に、「仲間にならないか」と呼びかけたという出来事だったわけです。

家族を捨てる

 そしてイエスは呼びかけます。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」(マルコ1:17)。
 「人間をとる漁師にしよう」……魅力的な言葉ですよね。イエスには、こういう独特の印象的な、人の心をつかむ言葉のセンスが備わっていたようです。「君たちが今まで、魚の漁師だった。しかし、これからは人間の漁師だ」というわけです。
 ここでも、イエスのポジティブな姿勢がよく現れています。洗礼者ヨハネと違って、イエスは「俺のところに来い」という指導者ではなく、「私から出かけて行こう」とする指導者だというお話をしましたが、漁師も同じです。魚に「来い」と命令しても来ません。自分が湖に出て行って、網を降ろさないといけません。ですから、「人びとが来るのを待つのではなく、あちこちに出かけて行って、網に誘い入れようじゃないか」という積極的な姿勢を示しているわけです。
 しかも、「人を取る」「人を集めてくる」と言っても、基本的には「ハリエウス」すなわち漁師という蔑まれる仕事なわけです。ですからイエスは、「人から見下げられるような人間のままでいい。人から見下げられながら、人を集めるんだ」、つまり、人の上に立つ偉い人にしてあげると言っているわけではないということです。
 さて、そのために、ペトロたちは、仕事と家族を捨てて行かなくてはいけません。特に、ゼベダイの子ヤコブとヨハネの兄弟が「父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して」(マルコ1:20)と書いてあるのは、象徴的です。
 この時代は、仕事と家族、家柄というのは一体化しています。カースト制度のようなものです。漁師の父親の家に生まれたら、男の子は漁師になります。大工の父親の家に生まれたら、男の子は大工になります。職業の選択の自由はありません。収入が低いからといって仕事を変えたいと思っても、そういうことはできません。
 そして、家族を食べさせている父親の権威は絶対で、家族は父親に逆らっては何もしていけませんし、妻も子どもも言ってみれば父親の財産のようなもので、人間としての尊厳とか発言の自由などというものは許されていません。
 そして、これは後々の聖書の箇所でも何度か出てくることですが、イエスはどうも、この家父長制的家族、あるいは父権的家族といったものに対して、拒否反応を示しています。
 今日は詳しくは述べませんが、イエスにおいては、父は天の父おひとり、そして血縁であるかないかは全く関係なく、神の御心を行なう者は皆、母、兄弟、姉妹だということです。
 ですから、ここでヤコブとヨハネが、父を残してくるということは、このような父親中心の家族のありようを捨ててくるという意味で、象徴的なわけです。
 イエスの弟子たちは、このあと、血縁とか誰の息子であるとか妻であるとか、そういったこととは関係のない、ただ彼らの神の国運動に参加する人たちは皆、母であり兄弟であり姉妹なんだという共同体づくりに向かってゆきます。

ビッグ・スリー、あるいはフォー

 さて、ここでマルコが、シモン・ペトロとアンデレ、ヤコブとヨハネという漁師4人組を登場させていますが、これにも重要な意味があります。
 このことについてはっきりと言っている学者さんの本を読んだことはありませんが、おそらくイエスの直弟子は、この4人、あるいはシモンとヤコブとヨハネの3人でしょう。
 他にも弟子はいたでしょうし、女性の弟子としてのマグダラのマリアの存在も無視できませんが、男性の弟子の筆頭でリーダー格のメンバーはこの3人もしくは4人であったと思われます。
 マルコの福音書でいうと、9章のイエスの姿が変わるという場面で登場する弟子たちは、ペトロ、ヤコブ、ヨハネの3人だけです。13章でイエスがエルサレムの神殿を向いて、神殿にかこつけて色々と教えている時に、イエスのそばにいるのも、パトロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレです。そして、イエスの最期の夜、ゲツセマネで祈りを捧げる時に、イエスが伴ったのも、ペトロとヤコブとヨハネです。
 12弟子というのは、イエスが亡くなった後の初代教会が作った、教会の指導者の制度だというのが、歴史批判的な研究からの見方です。初代教会は、自分たちが復興のイスラエルであるということを主張するために、大昔のイスラエル12部族を模して、12人の使徒を立てました。そして、信徒に対しては自分たちがイエスに選ばれた者だと主張するために、イエスが12人を任命したという物語を作っていったわけです。
 しかし、実際に福音書記者が手に入れた資料には、シモン・ペトロとヤコブとヨハネがイエスとやりとりする伝承しか残されていません。それに、4つの福音書を読み比べると、12人の名前が、主だった人びと以外の末端の部分では、名前が一致していなかったりします。
 ですから、イエスの側近とも言うべき男性の弟子たちは3人、時々アンデレも加わって4人、あとはそんなに強い存在感を示していなかったのだろうと思われます。

ボス型とリーダー型

 そして、本日の聖書の箇所の最後の言葉。「(彼らは)イエスの後について行った」(マルコ1:20)。
 イエスはみんなの前を進んで導くリーダーなんですよね。「俺の所に来い」とか、「おまえ、行け」というようなボスではありません。
 最近見つけた画像でこんなものがありました。
 「ボス型とリーダー型の違い」という絵なんですが、まあ、言葉の正確な定義の話は置いておいたとして、ここではそういう風に呼んで、世の中には2種類のタイプの指導者がいるということです。
 ボス型というのは、上の図のように、「おまえら行け〜!」と命令して、部下に仕事を「やらせる」というタイプです。これに対して、リーダー型は、下の図のように、まず自分が先頭に立って、「一緒に行こう!」と言って一緒に荷物を引っ張ってゆくタイプです。
 イエスは明らかに下のリーダー型のタイプです。
 イエスは自分から出かけてゆきます。自分から行動します。「わたしについて来なさい」とひとりひとりに呼びかけ、またあちこちの町や村に自分から出かけてゆきます。
 ここで私たちがイエスから学べることは、まず、自分からひとりひとりに呼びかけることから何事も始まってゆくということです。これはイエスの神の国運動だけではなく、どんなことにも当てはまると思います。仲間を募るときは、ひとりずつ、1対1で声をかけてゆかないといけません。イエスは自分から歩いて出かけて行って、一人ずつ声をかけて弟子を集めてゆきました。来るのを待っているだけではなく、自分から出かけて行って呼びかけるのが大事だということです。
 私たちの宣教とは、あるいは伝道とは何かを考える上で、このイエスの宣教方法は、非常に示唆に富むものであると思うのですが、いかがでしょうか?

一緒に行こう

 イエスは、先頭に立って、「一緒に行こうよ」と誘ってくれるリーダーでした。
 一緒に出かけてゆこう。外へ出て行こう。町へ、村へ、そして私たちが今まで出会わなかった人たちのところへ、癒しと食事を持ち出して行こう。
 弟子たちがイエスと共に歩んだというのは、そういうことです。
 もちろん、今の私たちは教会という地盤があって、この教会に人を呼ぼうとしています。
 しかし、来るのを待っているというのが、元々のイエスのスタイルではなかったということは、覚えておいてもよいことですし、また私たちの宣教を考える上でも、何かのヒントを与えてくれるかもしれないと思うのですが、みなさんはどのようにお考えになるでしょうか?
 




Clip to Evernote

礼拝堂/メッセージライブラリに戻る

「キリスト教・下世話なQ&Aコーナー」に入る

ご意見・ご指摘・ご感想等はこちらまで→牧師あてメール