世の中が悪ければ病人が増える

2014年5月18日(日) 

 日本キリスト教団徳島北教会 主日礼拝説き明かし

25分間
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聖書:マルコによる福音書1章29−39節 (新共同訳)

 すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。
 夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。町中の人が、戸口に集まった。イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。
 朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。シモンとその仲間はイエスの後を追い、見つけると、「みんなが捜しています」と言った。イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。





ライブ録画:説き明かし(25分間)+分かち合い(55分間)=計80分間


何が悪いものが入ってくる

 今日は、イエスが彼の側近となった4人の漁師を弟子にした後、カファルナウムにやってきて会堂で悪霊にとりつかれた人をイエスが癒した後、会堂から出て、シモンとアンデレの家に行ったときのお話です。
 シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていた。そこで、イエスが彼女をお世話すると、熱が去って行ったというのですね。
 この場合、「熱」というのも、「熱が下がった」と言うのではなくて、「熱」という悪霊と同じような何者かがいて、それが彼女にとりついていたのを、イエスが追い出したというイメージで書かれています。
 シモンの姑、ということは、シモンはカファルナウムの女性と結婚して妻の家族と一緒に住んでいたんでしょうか? ちょっとそのあたりはよくわかりませんが、少なくとも、パウロの手紙を見ても、イエスが亡くなった後も、シモン・ペトロは妻を連れて歩いていたと書かれていますから、シモンが「全てを捨ててイエスについてきた」というのが当たっているかどうか……少なくとも妻は捨てなかったんですね。妻のお母さんのお世話もイエス先生にお願いしていますし、別に全てを捨てて来たわけじゃないかな。まあ別に全てを捨てなくちゃいけないということもないじゃないですか、という気がいたします。
 そして日が沈みますと、町中の人たちがイエスに癒していただこうと、病人や悪霊に取りつかれた者を連れて来たと言います。
 この病人と訳されている言葉も、直訳すると「悪い状態を持っている者」という意味で、何か悪いものが体の中に入ってきているというイメージで見ているという点では、悪霊に取りつかれている者というのと、あまり大きな違いはありません。何か悪いものが、それが悪霊の場合もあるし、別のものである場合もあるけれども、とにかく目に見えない生き物のようなものが入って来て悪さをしている、という捉え方です。
 それに対して、イエスは悪霊よりも強い霊の力でそれらを追い出したということですね。

宣べ伝えに行く

 さて、その翌朝か、あるいは何日か後のことかはわかりませんが、朝のまだ暗い時間に、イエスは人里離れた所で祈っていました。そこにシモンとその仲間たちがやってきて、「みんながあなたを探しています」と言います。するとイエスは、「よそにも行こう。近くの町や村にも行こう。そこでも私は宣教する。そのために私は出て来たのだ」と彼らに言います。そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出した、とあります。
 ここでの「宣教」というのは、何かを宣べ伝えるという意味では使われていません。イエスの活動全体のことを指します。つまり、話して教え、伝え、食事を共にし、癒しを行なうという活動全体です。何かの新しい宗教を広め、信者を増やそうとしていたわけでもありませんので、「伝道」という言葉も当てはまりません。
 そういう文脈も踏まえて、私たちも、「伝道」と「宣教」という言葉を区別して使っているところがあるんですね。イエスの活動全体を、この新共同訳聖書では「宣教」という言葉で訳して表現しているのであり、私たちがイエスにならって、イエスに従って行なうことも、すべてが「宣教」になるわけです。「伝道」も含んでいますし、「伝道」も大事ですけれども、何よりも大切だというわけではない、もっとトータルに「宣教」という言葉で幅広く取り組んでいこうよ、というのが私たちのスタンスです。
 そして、イエスはガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出した、ということは、イエスがいよいよ使命感を持って、自分の故郷やシモンたちが住んでいたカファルナウムを離れて、あちこちに移動しながらの活動を始めたのだということですね。
 会堂に行った、ということは、もちろん人々に教えたのでしょうけれど、カファルナウムの会堂での出来事(1.21-28)のように、教えることと悪霊を追い出すことを同じ場所で行なうこともあったでしょうし、特にこうして「悪霊を追い出された」(1.39)と特筆されているくらいですから、イエスのガリラヤでの活動の中で、悪霊を追い出すというのは、非常に大きな意味を持つ、大切な要素だったということが言えます。

古代人の体調不良

 ここだけに関わらず、イエスのガリラヤでの活動の物語では、イエスが悪霊を追い出すという記事が頻繁に書かれています。
 それらを読んでいると、ずいぶん当時はたくさんの人が悪霊にとりつかれていたんだなと思わされます。
 当時の人は今の私たちのように、ウィルスや微生物といったものの存在を知らないので、体調が悪くなるとなんでも悪い霊や汚れた霊が体に入ったからだと考える傾向があったことは先に述べましたけれども、これは私も含めて現代人も、よく医学を知らないままで、「これは何かウィルスが入ったかな?」とか、「これはストレスかな?」とか言っているのも、呼び名が変わっただけで、やっていることは同じという気もします。今の私たちが、ウィルスとかストレスと言っているものを、当時の人は悪霊とか汚れた霊と呼んでいただけなんですね。ただ、昔の人のほうが、「霊」という言葉で擬人化していたというか、何か得体の知れない姿の見えない生き物のように感じていたというだけの違いです。
 とにかく、イエスの時代、イエスが住んでいた地域では、それだけ、私たちだったら、「何かの感染症かな?」、「ストレスかな?」、「どうも最近調子がおかしいな」という体調不良の人が非常に多かったということは言えるわけです。
 もう一つ、イエスの癒しの物語を見ていて感じるのは、イエスは急に体調が悪くなったとか、咳が出るとか、急にお腹が痛くなったといった、急性の症状を治療したわけではないということですね。
 それに、怪我人を治療した物語がほとんどありません。思い出せる限りでは、ヨハネの福音書での逮捕の場面でペトロが切りかかった男の耳が切り落とされたのを、もう一度くっつけてやったという話くらいのものでしょうか。
 というわけで、イエスはもっぱら慢性病、つまり長年それで苦しんでいるという病しか癒していません。
 長年抱えていて、持病になってしまっている病というのは、もはやその人の人生や個性といったものの一部になってしまっている。その重荷からイエスはその人を解放したのだということである。
 つまり、イエスの癒しの物語とは、イエスによって人生を変えられるということを表す物語でもあるんですね。

社会が悪ければ病人も増える

 イエスが取り組んだのは、怪我や急病ではなく、もっぱら悪霊が取りついたと考えられるような、原因がはっきりしない体調不良だった。あるいは、長年その人に取りついて、持病となり、その人自身を乗っ取ってしまっているような病だったと……。
 では、なぜイエスはもっぱらそのようなタイプの病を相手にしようとしたのでしょうか? また、そのようなタイプの病の人がなぜイエスの周りに押し寄せるほどたくさんいたのでしょうか?
 ひとつには貧困があったでしょう。当時は一部の大金持ちと大多数の貧困層という極端な格差社会でした。
 十分な栄養を摂ることができないということはもちろんですが、貧困は精神の荒廃ももたらします。明日、食べるものがあるかどうか、この先、生きていけるかどうかという絶望感や不安は非常に大きなストレスになります。貧困によるストレスで胃に穴があく人もいます。貧困は心身共に人を痛めつけます。栄養失調だけでなく、霊的にも病んでしまうんですね。
 それに加えて、これは貧困の原因でもありますが、ユダヤ人社会における神殿税とローマ帝国からの人頭税という二重の税制も重圧でした。神殿を中心とするユダヤ人社会の指導者たちは、ガリラヤなどの地方部に土地をもっている地主たちで、現地の小作人から収穫や税金を吸い上げて肥え太っていました。イエスがエルサレムに上京して来て神殿で暴れたのも、このガリラヤ時代からの怒りが根底にあると考えられます。
 その一方で、ユダヤ全体がローマ帝国に占領されていたので、ローマ人たちに払う人頭税も課されていました。この人頭税の取り立ても非常に荒っぽいもので、徴税人たちを町や村や街道沿いに派遣して、ほとんど強盗か恐喝のようなやり方で奪ってゆく。街中でも家でも、この徴税人に出会う可能性もストレスになります。
 また、現代のアメリカの占領下にある国々でも同じ状況だが、こういう民族意識が強く、宗教の違いに非常に強い違和感を覚えている人々を大国が押さえ込んでいる場合、占領国に対するテロ活動というのものが必ず発生しますし、それを警戒して大国の軍隊による民間人への生活の介入、ひどいのになると、家々に押し入って取り調べや暴力を振るったりといった事態も発生するでしょう。
 そういうわけで、徴税人はいるわ、ローマ兵はいるわで、外を歩き回っても家にいても結構なストレスがあった可能性があります。
 さらに加えて、ここは、現代人の感覚と少し異なっている点ではありますが、当時はもっと全てが宗教的に捉えられた時代です。ユダヤ人は神に選ばれた聖なる民ですが、それ以外の異民族、つまり異邦人は汚れた民であると見なされていまして、異民族とあまり接触すると、汚れがうつるという感覚があったのですね。ですから、ガリラヤのように北のはずれで、異邦人との公益が盛んだった地域は、エルサレムの都からは「異邦人のガリラヤ」といって差別されていたわけです。
 しかし、異邦人のガリラヤだけでなく、ユダヤ地方全体が実際にはローマ人たちに占領されて支配されている状態であり、ユダヤ人の中心である神殿もローマと妥協して、ほとんど傀儡政権になっているという状況ですから、ユダヤ人たちの間では、汚れた人間たちにユダヤが侵されているという鬱屈した感覚が蔓延していたのですね。ユダヤ全体が汚されていると。これも毎日が非常に面白くないというか、自分たちは非常に望ましくない状態にある、ユダヤ全体によくない空気、つまり悪い霊が蔓延しているという風に感じているわけです。今の日本に喩えれば、PM2.5や放射能が飛び交っていて、呼吸をするのもはばかられる、外に出るのも控えなさい、という生活を続けるようなストレスの高い状態です。
 こうなると、このユダヤ地方の人たちに病人が増えてもおかしくない状況だと言えるのではないでしょうか。

イエスの闘い

 現代の日本で霊的な病と言えば、うつ病がよく話題になります。そして、実施「うつ病が増えた」という統計もあり、「ああ、日本もどんどんストレス社会になっていっているのだなあ」と思わされるのですけれど、世界の情況を見てみると、ある海外の大学の調べでは(オーストラリア:クイーンズランド大学)、日本やアメリカよりもロシアのほうがうつ病の患者の率は多いし、一番多いのは、アフガニスタンやパレスティナ自治区といった中東の非常に政治的・軍事的に緊張が高い地域、リビア、アルジェニア、スーダン、コンゴ、ソマリア、ボツワナなどのアフリカ諸国という結果が報告されています。日本よりもイエスの置かれていた時代・社会と近い、政情不安定で敵意や危険が多い地域ですね。
 こうして考えてみると、霊的な病というのは、個人の問題というだけではなく、社会的な側面が多いということを思わされますし、病気の広がり方から、その社会がどういう状態かが見え隠れするということが言えると思います。
 ということは、イエスが行なっていた癒しの活動は、このような社会状況に対する止むに止まれぬ闘いでもあったとも言えるのではないでしょうか。
 そう考えると、イエスが「私はイスラエルの失われた羊のために遣わされたのだ」と言ったということも理解できるような気がします。彼にとってはまずはユダヤ人の汚れを払うことが大事で、異邦人の救いというのは当初は目に入っていなかったわけです。もっとも、それは後日、シリア・フェニキアの女性との出会いによって変えられてゆくわけですけれども。
 イエスは、武力をもってローマ人たちを暗殺するテロのような闘いはしませんでしたが、ローマ帝国や、ローマ帝国にすり寄って権力や利権を温存しようとしていた神殿の政治家たちによって汚されていたユダヤを浄めたいという思いをもって、彼なりの抵抗運動を「悪霊を追い払う」という行為を通して行なっていたと思われるのですが、皆さんはどのようにお感じになるでしょうか。
 そして、翻って私たちの身の回りを見れば、私たちが自分たちや自分の家族や知人、あるいは他人のことであったとしても、霊的な病に苦しんでいる時、その人の個人だけを見るのではなく、その人の置かれた状況や、ひいては私たちの社会まで視野に入れることも必要ではないかと思われるのですが、いかがでしょうか。
 私たちが、「癒したい」、「癒されたい」と思う時、私たちがどんな世の中を生きているのかということと決して無関係ではない、ということを今一度意識したいと思うんですね。
 そして、イエスが「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである」と決意を語ったとき、彼が単に個々人を健康にしたいという思いからだけではなく、この地域全体を霊的に救いたいという使命感だったということも覚えておきたいと思います。
 本日の説き明かしは以上です。





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