ぼくらはみんなで生きている

2014年7月20日(日) 

 日本キリスト教団西大和教会 創立記念・家族の日合同礼拝説教

29分間
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聖書:
創世記1章24−31節 
(新共同訳)

 神は言われた。「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」そのようになった。
 神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しとされた。
 神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
 神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。
 神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」
 神は言われた。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。
 地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」そのようになった。
 神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。

創世記6章5−8節 (新共同訳)
 兄主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。
 主は言われた。「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する。」
 しかし、ノアは主の好意を得た。





ライブ録画:聖書と説教(29分間)

 
『ノア』を観ましたか?

 さて、みなさんにちょっとお訊きしたいのですが、いま映画館でやっている『ノア 約束の舟』という映画をごらんになった方はどれくらいいらっしゃいますか?
 いかがでしたか?
 面白かったですか?
 私の友達のクリスチャンの人たちは、みんな口を揃えて、「面白くなかった」と言っています。クリスチャンでない人にとっても、あんまり面白くなかったみたいです。ぼくが映画館に行ったときは、映画が終わってみたら、周りにいた人たちはほとんど寝てました。
 『ノア』と聞いたら、みんな何を期待して映画館に行くんでしょうねえ? やっぱり、箱船にたくさんの動物が、オスとメスのペアで仲良くやってくる楽しい絵本のような映像ですかね?
 いいですよね。ライオンや虎や熊や羊やキリンや象やシマウマやカンガルーやお猿さんも、みんな夫婦でやってくる。鳩もクジャクも鳶も鷹も鷲も鶏もインコも、みんな夫婦でやってくる。カブトムシもクワガタもバッタもカマキリも……もういいですね?
 そうやって、みんなみんな夫婦で仲良く箱船に乗って来る。そして、箱船の中で、あっちでガーガー、こっちでピヨピヨ、そっちでパオーンと言っている。そういう何とものどかな楽しい映像を期待していた人は、全然そういうのが出て来ないので、ガッカリしたでしょうね。
 もちろん動物たちが乗って来る場面はあるんですけど、やって来た、乗って来た、そして薬草の煙で眠らされて、あとはグッスリおやすみなさい、洪水が終わるまで寝ていなさいね……ですよね。
 そして、映画はほとんど人間ドラマで、しかも話している内容が難しい。そして、話している時以外は、人が殴り合ったり殺し合ったりするシーンばっかり。血なまぐさい場面が苦手な人は、目を背けたくなるようなシーンも多いです。
 ですから、ちっとも楽しい映画ではありません。

人間は最高の生き物ですか?

 でも、ぼくは、面白いな、と思いました。ちょっとぼく変わっているのかも知れません。面白い! と思いました。なかなかこの映画、大事なことをぼくらに問いかけているんです。
 それは何かと言いますと、「おい、人間たち。お前たちは自分たちがこの地球上で一番偉いと思っているんじゃないか? 人間は他の動物たちより偉くて、地球で最高の生き物なんだと勘違いしていないか? それは違うんだぞ!」という問いかけなんです。
 皆さんは、この地球上で、人間が一番偉い動物だと思いますか?
 確かに脳みそは他の動物とは比べ物にならないくらい発達しました。いろんな難しいことを考え、いろんな便利なものを発明しました。でも、その結果、人間はこの地球の上で何をやっているでしょう?
 石油や宝石を地面の下から掘り出すために、土地の奪い合いをして殺し合いをしたり、自分の国が一番強いんだと見せつけるために、武器をたくさん作って殺し合いをしたり、他の動物の肉を食べたいからと言って、ものすごくたくさんの動物を殺して、切り裂いて、引きちぎって、すりつぶして……。しかも、食べるだけならともかく、毛皮のコートやマフラーやブーツを作るために、生きたまま皮を剥かれ、はがされて、体中から血や膿をたらしながらそのまま捨てられて、もだえ苦しみながら死んでしまう……そんな動物たちがたくさんいます。
 地球上の全ての生き物に命を与えたのは神さまです。その神さまが、人間が他の生き物の皮を剥いだり、肉や骨を切り裂いて殺しまくっているのを観たら、どう思われるでしょうか? 殺される動物たちが、どんなに可哀想にと思われるでしょうか? そして、他の動物たちを殺したり、人間同士でも武器をとって殺し合いをしている人間たちを観たら、どう思われるでしょうか?
 「こりゃあ、人間を作ったのは失敗だったかな……?」
 だから、神さまは、「人間はもうダメだ。汚れのない他の生き物は助けることにして、人間はもう地球上から消し去ってしまおう」と考えて、洪水を起こしました、というお話なんですね。
 神さまから観れば、人間も、他の動物も植物も、みんな同じです。みんな神さまの作った大切な作品です。なのに、人間だけが無駄に他の動物を殺し、人間同士でも殺し合っている。
 本当に、人間は地上でいちばん優れた生き物ですか?
 本当に、人間は最高の生き物なんですか?
 ひょっとしたら、一番悪い生き物なんじゃないですか?
 そういう問いかけが、この映画ではなされているんだな、とぼくは思いました。

「人間が大事」は「私が大事」

 人間がいちばん偉い。人間の生活が大事だ。人間が豊かになり、強くなることが大事だ。とにかく人間が中心なんだ……そう考える人がたくさんいます。
 でもその結果、人間はどんどん数が増え、だんだん住む場所や食べ物や、火を燃やしたり、電気を作ったりするための資源の取り合いをするようになりました。そして、殺し合いの強い人たちが集まった集団が、弱い人たちから住む場所や食べ物や資源を取り上げてしまうようになりました。
 そして今では、本当は地球上に食べ物はたくさんあるのに、ほんの一部の強い国が、それを独り占めしてしまって、他の弱い国の人たちが食べる物がなくてバタバタと倒れ、死んでいる有様です。
 実は私たちの日本も、そのような強い国の仲間入りをして、弱い国からたくさんの食べ物や資源を奪っている国です。
 しかし、それでも強い国は、「もっと強くなりたい! もっとたくさん奪いたい! もっと腹一杯に! もっと便利に! もっとお金持ちに!」と、どんどん欲張りになってゆき、もっと弱い国を痛めつけ、奪おうとしています。
 つまり、何が起こっているのでしょうか?
 人間が、「人間がいちばん偉い。人間がいちばん大事だ」と思って増えてきた結果、人間は「俺がいちばん偉い。私がいちばん大事だ」と考えるようになり、人間同士で争うようになったということです。
 「人間がいちばん」という考えは、結局「私がいちばん」という考えにすり替わってしまうのです。それが人間を醜い争いと暴力に駆り立てます。
 このままで人間はいいのでしょうか? また、このままで地球はいいのでしょうか? どうにかならないものでしょうか?
 私たちはどうしたらいいのでしょうか……?

人間中心主義をやめよう

 そこで、『ノア』という映画は提案しています。
 「もう人間がいちばん偉いという考えは捨てましょう」と。
 人間だけが特別じゃない。人間も、他の動物も、植物も、みんな神さまから観れば、同じ神さまの作品なんだということに、もう一度気づこうよ、と呼びかけています。草花も木も、魚も獣も人間も、みんな同じ神さまの作った命の入れ物なんです。
 そして、この命というものは、他の生き物に命を与えることで、命を永遠につないでゆくように作られています。
 たとえば、草や木の実を草食動物が食べます。その草食動物を肉食動物が食べます。あるいは、小さな魚はプランクトンを食べ、その小さな魚を大きな魚が食べます。お猿さんの仲間や私たち人間は、それらの生き物、動物も植物もみんな食べます。そうやって、命というものは、他の命をいただくことで生きています。
 だから私たちは、地球上のあらゆる生き物を食べることで、それらの命をいただいているということに「ありがとう!」という思いを持たないといけません。感謝しないといけません。
 私たちが食べているものは、全て生きていた生き物です。ですから、神さまに感謝し、その生き物たちにも感謝するということが絶対に大切です。私たちは、それらの生き物たちからもらった命で、生きている、生かされているという気持ちを持たないといけません。
 したがって、食べるためには、最小限の命をいただきますが、自分たちが贅沢な洋服を着たり、高級な椅子に座るために、動物を殺してしまうというのは、どうでしょうか。少し考え直したほうがよいかもしれませんね。それは私たちが生きるためにどうしても必要だからその動物の命をいただいたというのとは違いますから。

命は与え、引き継がれる

 また、人間はいつかは死にますね。せっかく神さまが命をくださったのに、なぜ私たちはいつかはその命を失わなくてはいけないのでしょうか?
 それは、命というものは一人だけのものではないからです。
 一つの命が大切なのは言うまでもありません。
 しかし、その命は、ある程度生きたら、次の人に渡すように、というのが神さまの望みなんですね。
 それは子どもを作り、育てて、次の世代に命を引き継ぐということでもありますし、別に自分が子どもを産まなくても、自分よりも後から産まれてきた子どもを大事に守り、育てるということで、次の時代の命のために自分の命をささげることができます。
 ですから、私たちは、自分に命が与えられたことを感謝しながらも、新しい命をしっかりと守り、いつかはその新しい命に主役を譲って、自分は去ってゆく。そういう形で、自分の命を手放してゆくということが望まれているわけです。
 命は一人だけのものではありません。それは、他の生き物からいただいて生きているものであり、やがて他の人のために使えて、捧げて終わるものです。
 そうやって、一つの命は生まれて、生きて、死んでゆくのですが、神さまが作った命そのものは、ずっと受け継がれてゆく。そういうものとして神さまは私たちを作ったんですね。

神さまのお気に入り

 ですから、私たちは今こそ、人間中心の考え方を捨てて、神さまと神さまの作られた命を中心に考えないといけないのではないでしょうか。
 あろうことか、日本の行く末を決める力を持っている人たちは、今、「もっと資源を! もっとお金を!」という自分たちの欲望を満たすために、戦争を始める用意を着々と進めています。
 そして、戦争を始めるためには、兵隊が必要ですから、いまここにいる子どもたちに殺し合いをさせるために、兵隊に入らせるために用意をどんどん進めています。
 兵隊を使って戦争をするということは、人間の体が吹き飛ばされ、引きちぎられ、穴だらけにされるということです。
 大人が贅沢な生活をするために、これから命を受けついてゆくはずの子どもや若者の命を、こんな風に奪ってしまっていいのでしょうか?
 いいはずがありません!
 また、他の国の子どもや若者の命を、こんな風に奪っていいでしょうか?
 いいはずがありません!
 それは、神さまが与えてくださった命を、めちゃくちゃにつぶしてしまうことです。これ以上、神さまを悲しませることがあるでしょうか? 神さまは私たちを観て、心の底から嘆いておられるのではないでしょうか? それこそ、今、この現代という時代に、神さまの涙で、この世の人間たちを洗い流してしまいたいと思いつつ、忍耐しておられるのではないでしょうか?
 何度も繰り返しますが、私たちも、他の生き物たちも、みな神さまの作品です。神さまから与えられた命を、私たちは共にしていて、互いに自分の命を捧げ合って、仕え合って生きなくてはなりません。
 本日お読みした聖書の御言葉にあるように、「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった」と書いてありますよね。神さまは、ご自分の作品を見て、「うん、なかなかいいじゃないか。素晴らしい」と喜ばれたんですね。地球上の全ての命は、神さまのお気に入りなんです。
 神さまがそういう思いで、一つ一つの命を産み出されたこと。それに思いを馳せてみましょう。全ての命が神さまのお気に入りであることに心を留めて、全ての命に触れるようにしましょう。
 そうすれば私たち人間は、今までの血塗られた歴史の方向を変え、喜びの深い、新しい歴史を刻むことができるのではないでしょうか?
 命を作られた方にしっかりと心を向け、その方とその方が作られた命を喜びつつ、与えられた人生を、この命のために捧げましょう。
 
 祈ります……。




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