天国のマンション

2014年10月19日(日) 

 日本キリスト教団徳島北教会野外礼拝説き明かし

 (於 徳島キリスト教霊園)

20分間
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ヨハネによる福音書14章1−7節 (新共同訳)
 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。
 行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。
 わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」
 トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」
 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。
 あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」





ライブ録画:聖書と説き明かし(20分間)+分かち合い(35分間)=55分間

 
死んだらどうなるのか

 今日は台風に遭うこともなく、こうして野外礼拝を皆さんと一緒に行うことができますことを心から感謝しています。しかも、今日は徳島キリスト教霊園での墓前礼拝も兼ねています。私が徳島にずっと来る前から、このお墓に入っておられる方もいらっしゃいますが、今は天の神さまのもとに居られるその方々とも心を寄せながら、礼拝を持ちたいなと思います。
 本日お読みしました聖書の箇所、ヨハネによる福音書の14章1節から7節ですが、まず最初に、
「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか」(1-2節)と記されていますね。
 
「わたしの父の家には住む所がたくさんある」(1節)というのは面白いですよね。もし私たちがこの世の生涯を終えたら、神さまのところにはたくさん住む場所があるよ、と言っているわけです。
 これは本当にイエスが言った言葉かどうかはわかりません。ヨハネによる福音書というのは、イエスが亡くなってからおよそ70年後に書かれた本です。
 イエスもパウロも、「もうすぐこの世が終わる」と思っていました。特にパウロは「自分が生きている間にこの世は終わり、神の王国は来る」と信じていました。
 しかし、パウロが亡くなってから後の時代、福音書記者たちの時代になると、この世の終わりと神の国がやってくることへの期待は残っていましたが、「それはいつになるのか?」という疑問が湧いてきました。また、「自分がこの世にいる間には、神の王国が来ないかもしれない」と思う人も増えてきました。
 そうすると、当然、「自分は死んだらどうなるのか? 死んだ後はどこに行くのか?」という疑問が湧いてきます。ヨハネはパウロからも1世代から2世代くらい若いですから、このような教会の人たちの疑問に答えようとして、このような神さまのところに住む場所があるんだ、というような事を書いたのかも知れません。
 もちろん、イエス自身が言った可能性もあります。「私の父の家には住む所がたくさんあるんだ」という言葉が大変印象的だったので、教会の人たちの間で語り継がれてきたのかも知れません。
 でも、イエスはどちらかというと、「神の国は近づいた」と宣言し、「神の国は死んだ者のものではなく、生きている者の国だ」、「7回結婚した人の死んだ後の配偶者のことなんか知るか」と言い切ったりした人ですから、それとはどうもマッチしない気もします。
 そういうわけで、これはイエス自身の言葉ではない可能性の方が高いとぼくは思っているのですが、たとえヨハネの言葉であったとして、「神の家には住む所がたくさんあるんだ」というのは、素敵な考えだなと思います。

天国のマンション

 神さまの家にはたくさん住む所がある……ということは、人間はあの世で自分の家を持てるわけではないんですね。天国はあくまで神の家なわけです。そして、人間はその神の家に住ませてもらえるというわけですね。
 この「住む所」という言葉は、原語では宿とかホテルの部屋のようなイメージを表しています。神さまの驚くほど広い、それこそこれまで生まれて来た全ての人を収容できるのですから、無限に広いと言っていいわけですが、その家に神の時間……すなわち永遠に住ませてもらえる。つまり、永遠に滞在していいリゾート・マンションのような所なんだぞ、とヨハネは言っているのですね。
 もし死んでから行く所がそんな所だったらいいですよね。これはなかなか素敵です。我々が死んだ後、なかなかいい暮らしが神さまのもとで待っているわけです。
 また、既に世を去った方々も、今は神さまのもとでリゾート・マンションのような暮らしをしているのかなあと思うと、こちらも安心しますよね。
 本当にヨハネが言ったとおりならいいのにな、と思います。私たちは死んだ後のことを怖がる必要はありません。私たちは死ねば肉体から解放され、自由な霊として神さまのもとで引退生活を楽しめるわけです。
 あと、贅沢を言わせていただけるなら、美味しい食事とお酒があれば言うことなしです。

イエスは道である

 では、そのような天国の世界に行くためにはどうしたらいいのでしょうか?
 ヨハネの話は単純明快です。
 イエスの口を通して、ヨハネはこう言います。
 「その道をあなたがたは知っている。わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている」
 イエス曰く「我即道也」。イエスが道であるとは、イエスに倣って人生の道を歩めということです。
 さらに「我即真也」。イエスが真理であるとは、イエスに倣う生き方こそ本当の生き方であり、本当の意味で生きるということ、正しい道であるということです。
 そして「我即命也」。イエスが命であるとは、イエスを生きるということが本当の命を生きるということなのだということです。
 イエスに倣い、本当の人生を歩もうとする者は、その道を突き詰めれば、「イエスを生きる」という状態になってゆくのですね。またそれは、イエスの霊を自分の中に受け容れて生きるということと同じです。イエスの命を生きるということです。やや象徴的な表現ですが。
 そして、このイエスは、私自身が神を生きているのだ、と自ら例を示すのですね。
 「あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている」と。
 わたしを知るということは父を知るということである。わたしを見ているということは、既に父を見ているのだ。そう言うのですね。
 それと同じようにあなたがたも私を生きなさい。そのようにイエスは勧めているのですね。

パウロとの共通点

 さて、このヨハネの死後の世界についての考え方は、先程1世代か2世代離れていると言いましたが、意外にパウロと共通する見方でもあるんですね。
 コリントの信徒への手紙の一には「私たちの体は神の神殿です」という言葉が何度も繰り返されています。
 私たちの体は神の霊、すなわち聖霊が宿る神殿なんだと。これは例えばグノーシスと呼ばれた人々の思想と似ているようで違う考え方なんですね。パウロがグノーシスから影響を受けていると言っている学者は多いんですけど、影響を受けていながらも、同じではないんですね。
 グノーシスは、肉体を堕落した汚れた牢獄のように捉えていて、死ぬ事はこの牢獄からの解放なんですね。だから死を望んでいるわけです。
 パウロはこの肉体を聖なる霊が宿る神殿だと、かなり前向きに捉えています。「体を大切にしなさいよ」というわけです。私たちの体は聖なる神殿だから、壊してはいけませんよ、と言っています。
 そして、それと同時にパウロはコリントの信徒への手紙の二では、
「わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです」(5.1)と述べています。
 ヨハネの言っている「天国のマンション」と似ていますでしょう?
 「地上の住みかである幕屋が滅びても」と言いますが、「幕屋」というのは、神殿ができる前の移動式のテントのような礼拝所のことです。十戒の板を箱に入れて御神輿のように運んで、落ち着く土地を見つけたら、その御神輿の周りにテントを張って幕屋を作るんですね。つまり、「動く神殿」ですから、パウロの言葉遣いに従えば、これは私たちの体のことです。
 この体が滅んでも、神によって備えられた天にある永遠の住みかがあるんだよ、とパウロも言っていますね。面白い一致だと思います。

あの世を楽しみにしつつ、この世もしっかり

 さて、そういうわけで、ヨハネが言っていることを参考にして、私たちは死ぬ事を恐れず……と言い切るのは難しいかも知れませんが、死ぬ時の苦しみは一時で、その先には神さまのリゾート・マンションが待っていると楽しみにして逝くことにしましょう。
 それと共に、パウロが言っているように、この世の体も大事な霊の入れ物ですから、この体を大切にして、この世の人生をしっかり生きましょう。
 イエスに倣い、イエスと共に、イエスを生きる、本物の人生をこの世でしっかり歩みたいものです。そうやって生ききった先に、本国である天に帰りたいものですね。
 




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