恐怖の独裁者の知らぬところで

2015年1月11日(日) 

 日本キリスト教団 徳島北教会 公現日記念・新年礼拝 説き明かし

27分間
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マタイによる福音書2章1−12節 (新共同訳)
 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。
 王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
 そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。
 彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
 ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。
そある。





ライブ録画:聖書と説き明かし(27分間)+分かち合い(24分間)=51分間

 
▼公現日

 みなさん新年あけましておめでとうございます。
 と言いましても、今日は2015年に入ってから第2の主日ですね。第1の主日はお休みとしていましたので。
 私たちプロテスタントのキリスト教の暦では、クリスマスは12月25日から1月6日までで、その1月6日は「公現日」あるいは「顕現日」といいます。ついこの前の火曜日ですね。
 公現日というのは、「公に現れた日」という意味で公現日といいますが、別にキリストが自分で歩いて「我こそがキリストじゃ!」と現れたという意味ではありませんで、「マリアとヨセフという両親以外の人に初めて姿を見られた」という意味なんですね。
 要するに、家族関係者以外に初めてキリストが目撃された。東の方からやってきた占星術の学者たちが幼子を発見したということを記念するのが、毎年1月6日の公現日ということなんですね。
 これはこのマタイによる福音書を基準に考えられた暦とも言えますよね。私たちは2週間前の年末の礼拝で、羊飼いたちがキリストに会いに来た物語を取り上げましたが、それはルカによる福音書に記されている物語であって、今日のテキストであるマタイによる福音書には書かれておりません。
 ですから、初めてキリストを発見したのは占星術の学者たち、すなわち博士たちであった、それが公現日だというとりきめは、マタイによる福音書によるものです。
 まあとにかく今日は、このマタイによる福音書の公現日の物語についてのお話をしようと思います。

▼よそ者が先に知らされる

 まず、この物語では、「ユダヤ人の王」と呼ばれている救い主の誕生が、ユダヤ人以外の人たちに先に知らされているという点が重要です。
 「占星術の学者たちが東の方からエルサレムの方に来て」(マタイ2.1)とありますが、東の方:東方から来た学者たちというのは、「東の方/東方エルサレム」としか書いていないので、はっきりしたことはわかりませんが、少なくともユダヤの人間ではなく、ユダヤの東の外国……近くで考えても、ヨルダンかシリア、あるいはさらにその東側に位置するティグリス・ユースラテス川のあったメソポタミア文明、かつて、バビロニア帝国のあったところ、その当時の今でいうイラクのあたりからやってきた学者たちと考えられます。
 要は、「ユダヤ人の王」と呼ばれる人物が生まれたことを、ユダヤ人以外のよそ者が先に知ったということです。
 このあたりは、ルカによる福音書で「まず羊飼いたちが、救い主の誕生を知った」という点と、テーマが似通っていますね。ユダヤの一般社会の人たちが知る前に、その一般社会から差別され、排除されていた人たちが、まず自分たちこそが神に愛されていることを知った、ということ。そして、今回は、ユダヤの一般社会の人たちが知る前に、ユダヤと全く違う地方の違い文化圏の人たちがそれを知らされたということです。
 ここに、神の救いというのものは、人間が期待しているところ、期待している形でくるものではない、というメッセージが読み取れます。神の働きかけというものは、必ず人間が求めている形でやってくるわけではなく、必ず意外な時に、意外な場所に、そして意外な人のところに示されるということです。

▼恐怖の独裁者

 この占星術の学者たちは、それなりに東方の世界では地位のあるインテリ層の人たちだったんですね。星の動きを見て、これから起こることを予言したりするわけですから、たとえばユダヤ人の歴史上の人物でいうと預言者に当たる人でした。預言者は神のメッセージを直接夢や幻覚の中で見て社会に伝えますが、この東方の学者たちは、星の動きを見て未来を予言したり、宇宙からのメッセージを社会に伝えたりしていました。ですから、それなりに地位のある人たちだったんですね。
 ですから、そういう人たちが思いもかけず訪ねてきて、「あなたがたの社会に変化が起こりますよ」と言いに来たわけですから、そりゃ支配者も民衆も不安を抱きます。
 このあたり、ちょっとこのヘロデ(「ヘロデ大王」と呼ばれていますが)という男の背景をお話ししますと、この人はユダヤ人ではないんですね。ユダヤ地方の少しだけ南にあるイドマヤ地方というところの出身です。そして、イドマヤ人というのはユダヤ人からは若干見下されていたんですね。
 ところが、このヘロデの家系は徹底的にローマ帝国と友好関係を保って、ローマに従った軍事行動をとっていましたので、最終的にはローマ帝国がユダヤを属州として取り込んでしまうときに、ヘロデはユダヤを治める王としてそこを任されるんですね。
 そのあと彼は、ユダヤ人の王朝の人間を徹底的に一人残らず処刑します。また、そういった政治家だけではなく、宗教関係者(祭司や律法学者たちやレビ人などですね)の中でも自分に対して反抗的な者は遠慮なく処刑しています。そういう形で、ユダヤ人社会、特にその首都であるエルサレムを完全に自分の支配下に置きます。
 彼の残酷さは有名で、そうやって自分に対して反抗的だとか、謀反を企てようとしているんじゃないかと疑った人間は身内でも遠慮なく殺していくんですね。
 イエスが生まれる30年ほど前には、妻の弟を暗殺しています。20年ほど前には妻も処刑しています。その後間もなく妻の母も処刑しています。そして、ちょうどイエスが生まれる頃には、自分の子どものうちの2人を処刑しています。
 こういう自分の妻も子どもも迷わず処刑するような恐ろしい大王ということで、今日読んだ聖書の箇所の後に出てくるように、イエスを殺すためにベツレヘム一帯の赤ん坊を皆殺しにする、みたいな物語も、「ああ、あのヘロデだったらやってもおかしくない……」というようなリアリティをもって当時の福音書の読者にも感じられたのだと思います。
 まあそういうわけで、エルサレムの祭司長も律法学者も、みんなヘロデのご機嫌を伺うような学者ばかりで、まるで「原発は安全です」とか「ちょっとくらいの放射能は体にいいんです」とか「福島の甲状腺癌の増加は原発とは全く関係がありません」みたいなことを言っている御用学者みたいな人たちばかりだったわけです。
 こういう人たちにとって、「ユダヤの王が生まれた」ということは、「自分たちに替わる支配者が現れた」ということですから、そりゃ赤ん坊のうちに殺さなあかんということになりますよね。

▼御用学者の媚びへつらい

 それで、ヘロデは御用学者たちに、「お前らのメシアが生まれると言われているのはどこだ!?」と聞くわけです。すると、御用学者たちが引用してきたのが、旧約聖書のミカ書5章1節ですね。ここで、御用学者たちが読んでいるのはミカ書5章1節。ところが重要な間違いと言いますか、食い違いがあります。
 ちょっと面倒ですけれども、旧約聖書の1454ページを開けてください。ミカ書5章1節を読んでみましょう。
 「エフラタのベツレヘムよ/おまえはユダの氏族の中でいと小さき者。/お前の中から、わたしのために/イスラエルを治める者が出る」(ミカ5.1)
 さて、マタイによる福音書の御用学者の引用を見直してみましょう。
 
「ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない」と彼らはミカ書を読んでいます。
 全く逆の意味ですね。本当の旧約聖書には「ベツレヘムよ、いと小さき者」と書かれているのに、御用学者たちは「いちばん小さいものではない」と読み違えています。
 なぜこんなことが起こっているんでしょうか? わかりません。しかし、元々は「神の救いというのは、いと小さき者の中から出てくるんだよ」と告げられているのに、それを全く逆に読み替えて、「相手は恐ろしい強い敵ですぞ」と進言するのも、いかにも支配者に媚びへつらう御用学者らしい間違いという気がします。

▼愚かな支配者

 そこでヘロデは、東方から来た博士たちに
、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と、自分の心にとぐろを巻いている殺意を隠して、博士たちをベツレヘムに送り出しました。
 ここを読むと、この物語の中のヘロデは「アホやなー」と私は思います。みなさんも思いません? アホですよね。
 なんでここでヘロデは、博士たちの後を密かに尾行する部隊を送りださなかったんでしょうね? そうしていれば、博士たちが救い主を見つけた途端に、その赤ん坊を瞬時に抹殺してしまうことができますよね。
 それなのに、12節を見ますと、
「ところが、『ヘロデのところに帰るな』と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った」。そして、16節「さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った」
 こんなアホな大王さまはいません。
 ということで、この物語が、実際に歴史的に起こったことを記録しているというよりは、マタイさんが創作したイエス誕生にまつわる物語であるということが、こういうことからもわかります。
 しかし、こういう物語を語ることで、マタイさんが伝えたかったことがあるはずです。

▼破壊者への抵抗

 この公現日の物語に関して言えば、マタイさんにとっては、ヘロデという本来のユダヤ人ではなく、ユダヤ人ではない者がユダヤの伝統を踏みにじって、しかも非常に暴力的な支配をしている。それをひっくり返さないといけないということがひとつのテーマになっていることが見て取れます。
 マタイという人は、非常に旧約聖書に示された預言がイエス・キリストによって実現するという考え方を大事にする人なので、ユダヤの伝統・ユダヤの信仰・ユダヤの文化などを軍事力によってぶち壊し、支配しようとする政治的手法には、全く納得がいかなかったでしょう。
 そうではなく、救い主は旧約聖書に書かれた預言の通りに、神によってこの世に与えられたはずなんだ。
 だから、たとえばマタイによる福音書は、一番最初から、救い主:メシアがユダヤ人の祖先であるアブラハムからダビデ、ソロモンを通じて代々ユダヤの家計から生まれるのだということを系図によって表そうとしたり、その系図の次の、ヨセフに夢に現れる天使の話でも、23節で
「見よ、おとめが身ごもって男を生む。その名はインマヌエルと呼ばれる」(マタイ1.23/イザヤ7-8章)とか、先ほどの2章6節のミカ書5章1節の引用とか、2章15節「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」(ホセア書11.1)とか、この後もずっと続いていきますが、旧約聖書からの引用が随所に出てきて、「これは実現したのだ、これが実現したのだ」と語ってゆくわけです。
 ローマ帝国は当時最大の軍事大国で、世界の警察のような役割を以て任じている国だとされていました。ヘロデというのはこのローマの言いなりになって、ローマの軍事力に憧れ、ローマの後ろ盾を得て、支配力を確立しようとした男でした。そして、そのローマとヘロデのために、ユダヤの信仰・伝統・文化そして自然……大切なものが破壊され、奪われてしまいました。
 マタイの福音書のイエス誕生の物語の中には、そういう「力」によって、伝統的なものや美しいものを破壊しながら支配力を示そうとする者たちへの抵抗の思いが込められていると思われます。
 そして、そのような「力」を頼みにする者たちがいかに愚かであるかを戯画化といいますか、漫画のようにからかって見せ、そして全く力の無い赤ん坊のような存在による、しかも決して支配者には発見できないところからその支配をやめさせる救いがやってくるのだという信念を描いたのだと思われます。
 どこか私たちの生きている社会の現実と二重写しになって見えてくるものがあるのではないでしょうか。




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