イエスをキリストにした女

2015年1月25日(日) 

 日本キリスト教団 室町教会 主日礼拝メッセージ

39分間
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マルコによる福音書14章3−9節 (新共同訳)
 イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。
 そこにいた人の何人かが、憤慨して互いに言った。「なぜ、こんなに香油を無駄遣いしたのか。この香油は三百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに。」そして、彼女を厳しくとがめた。
 イエスは言われた。「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」





ライブ録画:聖書とメッセージ(39分間)

 
▼イエスをキリストにした女

 本日のメッセージには、「イエスをキリストにした女」というタイトルとしてつけさせていただきました。
「誰それを男にした女」というのは世間でもよく聞かれる言葉ですけれども、「誰それをキリストにする/救い主にする」というのは、並大抵の女にはできませんし、並大抵の男に対してするような行為でもありません。
 「キリスト」つまり元の言葉はギリシア語で「クリストス」と言いますが、イエスもイエスの周りの人たちも、若干方言の入ったヘブライ語を使っていました。ヘブライ語では救い主のことを、もうみなさんご存知ではないかと思いますが、「メシア」(マシアハ)と言います。
 つまり、ここでご紹介したいのは、イエスを「この人はメシアである」と初めて宣言した勇気ある女性のことです。

▼イエスにはメシアの自覚がなかった

 イエス自身が自分をメシアであると思っていたかというと、そうではなかっただろうというのが、現在では有力な説です。
 もちろん明らかに彼は、ある使命感を抱いて、30歳を過ぎて故郷のナザレの村から出てきました。そして、バプテスマのヨハネから洗礼を受け、その弟子になりました。
 バプテスマのヨハネが捕らえられて亡くなった後、イエスはヨハネの弟子の一部を連れて独自のグループを作り、また、漁師のペトロのような弟子を一人一人集めて活動を始めました。
 その活動というのは、貧しい人や「罪人」と呼ばれていた、ユダヤ教の基準では社会を汚す者とされていた人々……それは特に犯罪者であるとか、今の我々から見て人道的にひどいことをした人という意味ではなくて、ユダヤの戒律を守りきれないような仕事をせざるをえない人もみんな「戒律を破っている」という理由だけで「罪人」と呼ばれていたわけですが……そういう「罪人」と呼ばれていた人々を積極的に招いて一緒に食事の会をすることや、病気や障がいを持っていた人に触れて癒すこと、女性や子どもという、当時としては人口の数にも入れられないような低められた地位の人たちに気軽に声をかけて自分の仲間として受け入れたり、ユダヤの戒律を形だけではなく大胆に解釈して、形を守るのではなく、本質を極めるような行動を取ったり、本質を極めるためには、形の上では戒律を破ったり、といったことを自由自在に行っていました。
 イエスは自由自在に、私たちの現在の言葉で言えば「愛」と呼ばれる行為をしていたわけで、言い換えれば、人間の命というものを何よりも大切にし、もてなし、労わり、慈しむということを徹底して行っていたということができます。
 その一方で、彼は自分は「メシア」であるという自覚はまず無かったと思われます。というのは、「メシア(マシアハ)」というのは、彼らユダヤ人社会を占領し、高い税金を取り上げ、軍隊の兵士が一般市民を暴力を振るって虐待していた、そのローマ帝国をやっつけて、ユダヤ人国家の独立を実現する反乱運動のリーダーのことを当時指していたからです。
 イエスが政治的な主張をしたり、反乱軍の戦士になるようなメンバーを集めていた形跡は全くありません。

▼ユダヤ人の正しさとイエスの正しさ

 イエスのやっていたことというのは、ローマ軍の占領支配や、ユダヤ人社会の指導者たちによる支配という二重の押さえつけの中で生きざるを得なかった苦しい民衆の生活に寄り添うことでした。
 それも、食べ物を共有する、病の手当てをする、話の相手になる、という人間にとって一番基本的で、しかし一番大切なことを実際に行うということに尽きます。
 それを自由自在に自分の判断でイエスは行っていたのですが、ユダヤ人の社会、少なくともエルサレムを中心とした、しかも古代のユダヤ人社会というのは、愛や自由よりも、何よりも律法という戒律を守ることが神の意志であり、正義だったんですね。
 愛よりも自由よりも、正義が大事だったんです。「正しいこと」が大事でした。これはもうそのユダヤ人社会の中で「正しい」と言ったら、それが正しいんであって、私たち現代の日本人の基準で「そんなことが本当に正しいのか?」と疑問を持っても仕方がない。とにかく彼らの論理だったわけです。
 「正しさ」の基準というのは、民族や宗教によって違うわけで、我々の文明で「正しい」と思っていることが、相手にとっては完全に「間違っている」ということがありますし、逆もありえます。
 ところが、イエスという人は、ちょっと変わった人だったんですね。
 彼は、律法の正しさを丸ごと否定したわけではありません。しかし、自分の中に「何が大切か」という基準をしっかり持っていました。その自分の基準によって判断したから、「何の権威があって、お前はそう言うのか?!」と問われた時に「私は私の権威で言うのだ」と答えたわけですね。
 もうこれだけで、彼は神を冒涜した罪人です。ユダヤ人としては失格、正義を曲げています。神の律法を忠実に行い、細かいことは祭司や律法学者の解釈集にしたがって裁かれるのがユダヤの正義ですから、自由自在に何が大事かを判断すること自体が罪です。

▼女性の位置付け

 今回はイエスと女性たちとの関係について話を絞りましょう。
 従来はイエスの弟子は12名の男性であるというのが当たり前とされてきましたが、現在の研究ではそうとは限らないということがわかってきているということは、ひょっとしてもう既に浅野牧師からお聞きになっていらっしゃるでしょうか?
 イエスと一緒に旅をした直接の弟子は、12人の男性たちだけではありません。もっとも、私個人は男性が12人というのも疑っていますけれども、その話は今日は置いておきます。
 イエスと共に旅をしたメンバーの中には女性もたくさんいました。
 たとえば、マルコによる福音書の15章41節には、イエスが十字架で息を引き取った瞬間を目撃していた女性たちについて、こう書いてあります。
 
「この婦人たちは、イエスがガリラヤにおられたとき、イエスに従って来て世話をしていた人々である。なおそのほかにも、イエスと共にエルサレムに上って来た婦人たちが大勢いた」
 もちろんこの女性たちの中で、もっともよく福音書に名前を現すのはマグダラのマリアという女性ですが、他にもたくさんの女の人たちがイエスと一緒に、イエスの活動の初期からエルサレムでの最期の日々までついてきていたわけです。
 しかし、福音書には、マグダラのマリア以外の女性については、その名前を記されている人はほとんどいません。せいぜいイエスの母のマリアと、ベタニア村のマルタとマリアくらいなものでしょう。それに、彼女たちの活躍を描いた記事が福音書の中にはほとんど記されていません。
 なぜ、男性の弟子たちに負けないくらい存在していて、活躍していたはずの女性の弟子たちが、福音書の中ではこんなに存在感が薄いんでしょうか。

▼女性的キリスト教への弾圧

 それは、福音書を書いた人たちが大金持ちの男性だったからだろうと推測されています。そもそも文字を読めない人が95%以上、読み書きできる人は5%いたかどうかという時代です。それもこれだけの長さの書物をかける人というのは、相当高度な教育を受けた超エリートです。しかも、紙といえば当時はパピルスですが、このパピルスというのが超高級品で、今だったら文具屋さんでコピー用紙なんか100枚で2〜300円で買えるんじゃないかと思いますが、当時は1枚で今の値段で5000円くらいの値段がしたそうです。こういう超上流階級の男性エリートが書いた作品なので、女性が主人公の物語は書きにくかったんじゃないか、という説があります。
それから、こういう福音書が書かれたのが、そもそも一番早い時期に書かれたマルコでもイエスが亡くなってから40年くらい経ってから書かれていますし、他の福音書はもっと後です。
 そして、本当はこの私たちの持っている聖書の中に入っている4つの福音書の他にもいくつも福音書や言行録はあるんですが、それらをカットして4つに限定して「これが正典である。他は要らない」と判断したのも男性中心で構成された一番大きな派閥のキリスト教の人たちなんです。
 この男性中心の教会の人たちは、ローマ帝国の皇帝に気に入られることに300年近くかかって成功して、皇帝と結びついて自分たちを「正統派教会」であると名乗り始めると同時に、自分たちにとって都合の悪い福音書や言行録を削除して、自分たちと考えの合わないキリスト教の教派を弾圧して潰していったんですね。その弾圧は、それまでキリスト教が受けていた弾圧よりも激しかったと言われています。キリスト教が、自分とは考えの合わないキリスト教を迫害する方がはるかに激しかったと言うんですね、皮肉なことに。
 そういうわけで、女性が中心になって活動している教派はつぶされ、女性が主人公になっている書物はどんどん捨てられていった結果、今の男性中心の弟子たちがイエスとともに旅をする物語だけが、私たちの手元に残っています。

▼消せない女性たちの姿

 しかし、いかに書いた人たちがエリート男性で、いかに最初の正統派教会の連中が男性中心の権威主義の集団で、女性の活躍を封じ込めようとしても、やはり封じ込められない出来事というものはあります。
 先ほども申し上げましたように、一番古い、最初に書かれた福音書でもイエスが亡くなってから40年近くたってから書かれています。
なぜそんなに遅かったかというと、これも先ほど申し上げましたように、文字が読める人が非常に少なかったので書いても読む人がいないということ。描こうとしても非常に費用がかかる。
 もちろん、何十年も経てば、イエスのことを直接知っている人やせめて目撃したとか、そういう人もどんどん世を去っていきますから、やはり書いて残さないとイエスのことを後世に伝えることができないぞということで書物にしようという案が出たのでしょう。
 しかし、文字のない社会というのは、話す世界、語りの世界です。いろんな人がいろんな語り方で、それぞれ何が大事かという重点を変えながら様々な家の教会で語っていたのに、それを誰かが、それも超エリートの男性が統一版として書いて固定してしまうというのは、反対もあっただろうと思います。特に各地の家の教会で語り部として活躍していた女性たち(喋るのが上手なおばさんやおばあさんたち)が大反対したと思います。
 しかし、金持ちが「書く」と言ったら「書く」わけで、結局書いたものが、人が死んで世代が変わっても残ってゆきます。
 ところが、いくら男性エリートが男性に良い役を回すように物語を書こうと思っても、すでに40年の間に教会のほとんどの人に知れ渡っていて、いまさら隠したりすることもできないエピソードというのがあります。そういうエピソードはたとえ女性が主役であったとしても、福音書記者も書かざるを得ません。なかったことにはできないからです。
 ということで、長くなりましたが、本日お読みした「ベタニアで香油を注がれる」という出来事は、イエスが亡くなってから40年の間に、多くの信徒たちが聞いて知っていた大切で有名な話だったということです。

▼油を注ぐ

 マルコによる福音書14章3節以降……
 イエスはベタニアという村で、重い皮膚病を患っていたシモンという人の家で食事をしていました。この「重い皮膚病」というのは、現在で言う所の何の病気かわからないのですが、とにかく汚れている証拠である、つまり神から離れているか背いている、すなわち罪の証拠だとされていたのですね。そして、近づくと汚れが移ると信じられていました。ですから、そういう人の家に入って食事までして交わっているという点で、イエスは当時のユダヤでは罪人です。
 それから、イエスの食卓というのは男性と女性を分け隔てすることはなかったであろうと考えられますので、これも掟破りです。そもそも古代のユダヤで男性と女性が同席して食事をするということは考えられず、女性は男性より汚れた、つまり神から遠いとされていましたから、男性の食事の席に入るということは考えられませんでした。
 しかし、イエスの食卓は一切の差別と境界線がありません。ですから、当然男性も女性も平等に食事に参加していたことでしょう。
 そのように、「正しい」とされていることによって疎外感を味わって傷ついていたり、不満や憤りを者に対して、イエスは敢えて当時「正しい」しかも神の名において「正しい」とされていたことに逆らって、自分自身の自由な判断で、「誰もが同じように神に愛されている」、「あなたを愛しておられるのだから、私はあなたを愛する」と生き方を徹底しました。その結果ユダヤの指導者たちに命を奪われるであろうことがわかっても、目の前の虐げられた人の味方になることを絶対にやめませんでした。その彼の身体を張った生き様が、どんなに人を慰め、励ましたでしょうか。
 そこで、一人の女性が立ち上がり、300デナリオン以上と言われる高価な香油の入った壺を割って、イエスの頭に注ぎかけました。300デナリオンというと、現在の価格で安くて150万円、高くて300万円といったところでしょうか。下手をすると車が買えます、現代なら。
 とにかく、彼女にとっては、イエスはそれほどの価値のある存在だと信じられたということです。

▼イエスを王とする

 ご存知の方も多いと思いますが、頭から油を注ぐという行為は、ヨーロッパでいうと戴冠式と同じで、その瞬間から王として認めるという儀式で行われるものです。
つまり、この女性は「イエスは私たちの王さまです!」と宣言した。イエスこそ本当のメシアです!」と宣言したわけですね。
 もうこのメシアは、人々が期待しているユダヤの独立復興の戦争指導者としてのメシアではありません。
 そうではなく、すべての人を自由にし、すべての人の命を手厚く受け止め、「神が正しいと言っているのだ」とされていることに逆らってでも、ひとりひとりの人間を大切にしようとしたこの人物に、「この人こそ本当の王、本当のメシア、人間を救う方です」と宣言せずにはおれなかったのでしょう。
 ちなみに、頭の上から油を注いで王として叙任するというのは、本来、これから王になるという人よりも高い地位にある聖職者からなされることなので、そういう位置にこの女性が立つことができた、「立とう」と思い立つことができたということだけを見ても、いかにイエスの食卓では男女平等の雰囲気が満ちていたかがわかるように思われますし、それだけ彼女はこの世とは全く違うこのイエスの食卓の場に神の国と救いを見出していたんでしょうね。

▼彼女のことを伝えてくれ

 この女性の行為に「もったいない!」、「貧しい人への寄付に使うこともできたのに」と怒った他の弟子たちがいました。でも、イエスはこの女性を庇いました。「彼女は私の埋葬の用意をしてくれたんだよ」。イエスは自分が殺されることを予感しています。もう弟子たちと過ごす時間は多くは残されていませんので、このような言い方で彼女を庇ったのでしょう。
 この時でもイエスは、自分がメシアだとは言っていません。彼女が油を注いでくれたからといって、「そうだ。よくわかってくれた。私が本当のメシアだ」とは言っていません。血気にはやって勘違いしそうな男性の弟子たちを調子に乗らせないように、わざとその点は公には認める態度を取らなかったのかもしれません。
 けれども、イエスは彼女がしてくれたことの真意はちゃんとわかっていました。ですから、自分がメシアかどうかといった余計なことは言わずに、こう言ったと書いてありますね。
 マルコの14章9節。
「はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう」
 これは、「福音を宣べ伝える時は、必ず彼女のしたことを記念として語り伝えてくれ」というイエスの懇願の言葉です。だから、家の教会の人びと誰もがこの出来事を伝えることを忘れなかったでしょう。
 この女性がイエスをメシアであると宣言したから、教会の人びとは後々「イエスは私たちのメシアだ」と伝え、それがギリシア語の聖書で「キリスト」と訳されて、現在の私たちもイエスをキリストである、メシアであると信じているのです。
 すべての始まりは、この一人の女性がイエスは「王です! メシアです!」と宣言したことにあります。
 それは、彼女がイエスによって、自由で、大事にされていて、自信を持って自分らしく生きていいんだ、自分は神さまに祝福されて生まれてきて、自分が生きていることを神さまが喜んでくれてるんだ! という確信を与えてもらった。
 つまり、彼女は救われたのです。
 私たちも救われたいと思いませんか?
 私たちは一人残らず神の愛する、神の子どもです。私たちが与えられた命を、私らしく自由に生きましょう。
 自分が愛されるに足る存在であるということに自信を持ってください。それがイエスが命をかけて伝えたかったことですから、それを信じてください。
そして、イエスに救われて思わずイエスに油を注いだこの女性の後に続いて、のびのびと自分の道を歩いて行きましょう。

 祈ります……




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