イエスならどう戦うか?

2015年3月1日(日) 

 日本キリスト教団 徳島北教会 主日礼拝メッセージ

33分間
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マルコによる福音書12章13−17節 (新共同訳)
 さて、人々は、イエスの言葉じりをとらえて陥れようとして、ファリサイ派やヘロデ派の人を数人イエスのところに遣わした。
 彼らは来て、イエスに言った。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てせず、真理に基づいて神の道を教えておられるからです。ところで、皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めてはならないのでしょうか。」
 イエスは、彼らの下心を見抜いて言われた。「なぜ、わたしを試そうとするのか。デナリオン銀貨を持って来て見せなさい。」彼らがそれを持って来ると、イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。彼らが、「皇帝のものです」と言うと、イエスは言われた。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」彼らは、イエスの答えに驚き入った。





ライブ録画:聖書と説き明かし(33分間)+分かち合い(25分間)=58分間

 
▼ガリラヤ

 イエスはガリラヤ地方の出身です。クリスマスの伝説ではベツレヘムということになっていますが、実際のイエスは間違いなくガリラヤのナザレの村の出身で、家は大工と農家の兼業だったようです。
 ガリラヤ地方というのは、実はローマ帝国軍を攻撃するテロリストが出る地域であったとされています。当時ユダヤ人はローマ帝国に占領され「属州」つまり実質的に植民地として支配されていました。それは人頭税を取り立てられるだけではなくて、例えばローマの軍人は、たまたま自分の近くにいた通りすがりのユダヤ人を呼んで、自分の荷物を持たせて運ばせることができる、という法律があったりあるくらいユダヤ人は見下されていたんですね。
 一事が万事こういう具合ですので、ユダヤ人の怒りと、独立への望みは沸騰寸前でした。そういうわけで、ユダヤの民族主義者の中でも過激な人たちは武力を使ってローマの軍隊を攻撃し、兵隊や将校を暗殺したり処刑したりしていました。
 イエスはそういうテロリストたちが出没する地域で、ローマ帝国に怒りや恨みを抱く人たちが住んでいる雰囲気の中で育ったわけです。

▼癒しによる抵抗

 しかしイエス自身は、大人になってもそういう武力や暴力による抵抗運動には加わりませんでした。
 まずは大工を辞めて、バプテスマのヨハネによる終末論的な宗教運動に加わり、ヨハネが捕まって殺された後は、そこから何人かの賛同者を連れ出して独自の運動を始めました。
 その時彼は、人々にこう呼びかけました。
「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1.15)。
 その時イエスが始めた運動は、ただ「神の国は近いぞ!」「心を入れ替えて、この良い知らせを信じなさいよ!」と言葉で呼びかけるだけではありませんでした。
 彼は「神の国はここにあるんだよ」、「神の国というのはこういうものなんだ」ということを実演して見せて回るということをやりました。
それは例えば「癒し」でした。
 当時、現在のような医学も生物学も無かったので、病気の原因といえば、悪霊が取り憑いたか、神の罰を受けているか、神から離れて汚れているか、といった判断でした。
 悪霊を追い払うということは、神からの霊を持つ特別な人でないと不可能だと思われていたため、それを実行すると「自分は神の力を授かった者である」と自称することになり、神を冒涜していると告発されることもあり得ました。
 また、神の罰を受けている者を勝手に助けることは、神に反抗することになると取られますし、汚れている者には近づくだけで汚れがうつるとされていました。
 ということは、つまり病人の手当は公然とすることは許されず、基本的には自然に治るか、あるいは死ぬまで放ったらかし。病人が出たら、家に隠しておくか、どこかに捨てに行く。病人が出た家は、そうだとバレたら他の住民から汚れた家と家族だと言われて避けられる、というのが当たり前だったわけです。
 そして、しかもそれが、神の前に正しいこととされていたわけです。
 イエスはこれに公然と反抗する道を選びました。
 彼は悪霊を追い出し、病人の手当てをし、障がいを持つ人の世話をしました。近づくだけで汚れると言われていた人のところに行って、素手で触れたんですから、一般人も本人もビックリ仰天したでしょうね。
 でも、今まで、この世から捨てられ、人間として扱われず、生まれてきたことさえ自分で呪っていたような人が、きちんと人間として扱われ、手当てを受け、治療をしてもらえることで、心底救われ、癒され、イエスを神の人だと思ったのは何の不思議もないことだと思います。

▼共食による抵抗

 イエスのもうひとつの反抗は、共同の食事、いわゆる「共食」でした。
 たとえば、徴税人と呼ばれる職業の人々は、ユダヤ人にとっては恨んでも恨んでも足りないようなローマ帝国に収める人頭税を集めるのが仕事でした。人に恨まれ、嫌われる職業だから、あえてローマはこれをユダヤ人にさせたんですね。沖縄で米軍基地を作るのに反対している人たちを強制排除するのに、日本の警察や海上保安庁や、米軍に雇われた日本人の警備員が暴力を振るっているのと同じです。日本人同士を憎みあわせるんですね。
 そういうわけで、徴税人というのは、ユダヤ人でありながらユダヤ人の敵に仕えている。くそったれの売国奴、人間以下の奴らという扱いでした。そういう人のことを、当時の言葉で「罪人」と言いました。当然、神に背いている人間という意味です。
 他にも、漁師・羊飼いなど、生き物の命をとって生活をしていたり、独特の匂いを発していたり、生き物の世話で安息日の礼拝が守れなかったりする職業の人たちも、神に忠実ではなく、呪われた職業を神に与えられた者とされていましたし、そもそも貧しい家系に生まれたということ自体が、神から嫌われている証拠だとされていたんですね。
 つまり、ユダヤの祭司の家系は、身分が高くお金持ちであると同時に、国家の宗教の祭儀を行う役割の階級ですから、それだけ神に近いとされていたわけですよね。だから、逆に言うと、貧しかったり、3K労働をしなければ食べて行けない人々は(そういう人がほとんどでしたが)、神から離れた罪深い人々とされていたわけです。
 神に近い身分の高い家系の人は、身分の低い下々も人々と絶対に交わりはしません。近づくだけで汚れがうつるからです。これも今まで述べたことと同じで、身分の低い、貧しい人や徴税人や病人や障がい者が、身分の高い人と交わること自体が罪とされていました。
 イエスはこれにも反抗しました。もちろん彼自身、身分のかなり低い貧農階級の出身ですが、それでも、自分より財産のある人、自分よりも見下げられているホームレスの奴隷、もちろんお金はあるけれども人間のクズのように扱われていた徴税人など、あらゆる人と一緒に交わり、一緒に食事会をするということをしたんですね。
 忘れてはいけないのは、彼はこの食事会に女性を招いたということでした。当時、女性と男性が一緒に食事をするなどということは考えられないことでした。女性は男性よりも神から遠い者とされていましたし、人間というよりは、男性の所有物として扱われていましたので、女性と男性が対等で平等である、などと言うだけで、気が狂っているのではないかと言われてもおかしくない社会でした。
 というわけで、イエスの食事というのは、あらゆる面で神の意志に背く犯罪と見なされることになりました。
 また、これはユダヤの戒律に背くだけではなく、ローマ帝国にも背くことだったと言われています。
 ローマ帝国も、基本的にはローマ人、ローマの市民権を持つ異民族、自由人、解放奴隷、奴隷……といったように様々な階級に分かれる社会でしたし、さらにその下に位置するユダヤのような属州の異民族が反乱を起こしたりしないように、しっかり軍事力で押さえていました。身分の低い一兵士でも、通りすがりの貧しいユダヤ人を奴隷として自由にこき使うことが許されていたのはさっきも言った通りです。
 つまり、イエスは人間扱いされていなかった人々を、人間として迎え入れて、食事という一番仲良しの仲間がすることをやってみせた。そして、「誰でもが自分の食べたい分に応じて食べられる。これが神の国だ」と言ってみせたわけです。
 人間と見なされていなかった女性や、その他の罪人と呼ばれていた人たちに、「何を言ってるんだ。あなたは私と同じ『人間』だよ」と、一緒にパンやおかずを食べながら言って聞かせたイエス。そのイエスによって多くの人が「そうなんだ。私は人間なんだ!」と目覚めてゆきました。

▼危険人物

 この目覚めた人たちが、イエスを新しいユダヤの王にしたいと望むのは無理もないことでした。貧しく、身分が低く、汚れているとされていた人が人口の90パーセントを超えている時代、しかも半分は女性です。この人たちがイエスによって解放され、イエスを支持し、イエスこそが新しい「メシア」つまりユダヤの王になる人だと期待して、彼をエルサレムに迎えました。
 こんな運動を起こす男を、ローマ帝国が見逃すはずがありませんね。ユダヤ人の一斉蜂起をうながしかねない。今だったらアルカイダのオサマ・ビン・ラーディンかイスラム国のバグダディかというほどの危険なリーダーの出現に見えたはずです。
 よく聖書の受難物語には、いかにもユダヤ人の祭司たちがイエスを陥れ、うまくローマの総督ピラトをたらしこんで処刑をさせたという風に描かれていますが、これについては現在、疑問を持つ学者が現れてきています。
 福音書というのは、「もうユダヤ教から離れて(もっと言うとユダヤ人のことなんか見捨てて)、これからローマ帝国全体にキリスト教を宣べ伝えていこう」という時代に書かれたものですから、平気でユダヤ人の指導者たちに「キリスト殺し」の汚名を着せて、悪者扱いするんですね。その一方で、これから宣べ伝えていかなくてはいけない相手であるローマ帝国の人の悪口は書けないわけです。
 それに、何といってもイエスは十字架で殺された、つまり政治犯として処刑され、「ユダヤ人の王」という罪状書きをつけられたといいますから、これは明らかにローマ帝国に危険人物と見なされて処刑されたという見方があります。
 そういうわけで、イエスは武器をとってローマ帝国に抵抗しようとはしませんでしたけれども、今まで「人間ではない」とされていた多くの人々を「私は人間、神の似姿だ」と目覚めさせ、目覚めた人々の大きなうねりに祭り上げられ、まるで「ユダヤの春」のような運動を巻き起こし、その結果、その言って見れば人間回復運動、神の国運動の首謀者として逮捕され、死刑に処せられたという見方ができるわけです。
 彼のやっていた神の国を実演してみせるという運動は、人を癒すことや人と一緒に食事をするという、非常に穏健な平和的な方法に見えますが、これは実際には彼の命を危険にさらすほどの社会に対する反抗的行動だったんですね。
 当然、彼はそのことによって自分の命が狙われるということはわかっていたはずですが、処刑されるまでそれをやめませんでした。死を覚悟して、彼はこの平和的・非暴力的抵抗をやめなかったんですね。

▼エルサレム

 そして、彼はエルサレムに群衆の大歓迎をもって迎えられる。そして神殿に礼拝に行く。そこで、ファリサイ派やヘロデ派の人々に挑戦を受けます。ヘロデ派とその仲間ということは、ヘロデはローマ帝国の操り人形みたいな支配者ですから、これはローマ帝国側に立った人たちの質問だったと思われます。
 そのローマ帝国のシンパの人たちが、「ローマに人頭税を収めるのは、ユダヤの戒律に適っているかどうか」と論争を挑んできています。
 ここで「適っている」と言えば、ローマを撃退したいと思っている民族主義者たちがイエスにがっかりして、「何がユダヤ人の王だ。期待していたのが間違いだった」とイエスを袋叩きにするでしょう。かといって、「適っていない」と言えば、「こいつはローマに反抗する政治犯だ」と言ってすぐに訴えることができます。つまりこれは罠ですね。
 ところがイエスは、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と返事をします。これはどういう意味でしょうか?
 当時のローマ帝国の通貨には、ローマの皇帝の肖像と名前が彫りこんであり、その貨幣は「皇帝のもの」と呼ばれていました。そして、人頭税というのは、「皇帝のものを皇帝に返す」のは当たり前だと言って属州の人々から取り立てられていたわけです。
 それと同じように、ユダヤの祭司階級たちも、各地のユダヤ人から神殿税という税金や献げ物を取り立てていました。貧しいユダヤ人がなぜ貧しいかというと、それはローマの人頭税と祭司階級の神殿税の両方を納めないといけなかったからです。そして、祭司階級は神殿税を「神のものは神に返しなさい」と言って、結局は自分たちの懐に入れて、それで大金持ちになっていたわけです。
 ですから、イエスが「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返したらよかろう」と言ったのは強烈な皮肉ですね。
 「おまえらは普段から『神のものだから、神にお返ししなさい』と言って神殿税を集めて大儲けしとるやないか。ローマの人頭税のことをどうのこうの言えるような分際か? どの口が言うとるんじゃ!」と喧嘩を売っているのです。
 イエスって、結構ただ優しいだけの人ではないというか、怒るときには怒る激しい人だったんですね。

▼過激な平和

 そういうわけで、私たちは今、レント、すなわち受難節の真っ最中を過ごしているわけですが、イエスがなぜ受難したのか、なぜ彼が十字架で政治犯として処刑されなくてはいけなかったのかを考え直した時に、彼の苦しみを思って、ただ喪に服するというような意味で反省とか禁欲の日々を過ごすということが当てはまるのかどうか、ちょっと私は疑問に思ったりする時もあるんですよね。
 まあ、自分が反省も禁欲もせず毎日ビールを飲んでいるようないい加減なレントの過ごし方をしているダメダメクリスチャンであることの言い訳を言いたいのではなくて、イエスはただ愛のために、ただおとなしい子羊のように殺されていった、その謙遜に私たちも倣いましょうということが本当に的を射ているかどうかということですね。
 イエスは実はその当時としては、非常に反抗心の強い、図太い、しつこい、しかも彼独特の個性の強い抵抗運動を死ぬまでしぶとく続けていた、その結果殺されたというのが受難であるならば、彼の受難を覚えて彼のあとについて行くというのなら、私たちは、彼が続けていた神の国運動、すなわち神の国を実演するという活動を引き継いで行い続けることが本当のキリストへの倣いであるのではないかと思うんですね。
 そして、私たちは、いずれ復活の日:イースターを迎えるわけですけれども、その日こそ、イエスは今も生きているということを確認する記念の日なのでありまして、その準備の日々である今は、いかにしてイエスの実演した神の国を私たちも広げていったらいいのか、いかにしてイエスの戦いを継続して行けばいいのか、ということを心を巡らせて想いを馳せる時ではないかと思うのですが、いかがでしょうか?
 本日の説き明かしは以上とさせていただきます。





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