弱さに留まる勇気

2015年3月15日(日) 

 日本キリスト教団 徳島北教会 主日礼拝メッセージ

32分間
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マルコによる福音書15章6−15節 (新共同訳)
 ところで、祭りの度ごとに、ピラトは人々が願い出る囚人を一人釈放していた。  さて、暴動のとき人殺しをして投獄されていた暴徒たちの中に、バラバという男がいた。群衆が押しかけて来て、いつものようにしてほしいと要求し始めた。そこで、ピラトは、「あのユダヤ人の王を釈放してほしいのか」と言った。祭司長たちがイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。
 祭司長たちは、バラバの方を釈放してもらうように群衆を扇動した。そこで、ピラトは改めて、「それでは、ユダヤ人の王とお前たちが言っているあの者は、どうしてほしいのか」と言った。群衆はまた叫んだ。「十字架につけろ。」
 ピラトは言った。「いったいどんな悪事を働いたというのか。」群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び立てた。
 ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバを釈放した。そして、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。





ライブ録画:聖書と説き明かし(32分間)+分かち合い(25分間)=57分間

 
▼誰が目撃したか

 レントの只中、あと3週間でイースターの喜びが待っていますが、本日もイエスの受難を通して、皆さんとご一緒に色々なことを考え、思い巡らせ、話し合ってみたいと思います。
 今日お読みしました聖書の箇所を簡単に要約しますと、過越の祭の時に総督のピラトが一人の囚人を恩赦で釈放するということをやっていたと。そこで群衆は暴動(おそらくローマ帝国への暴動)の首謀者の一人バラバを釈放し、イエスを十字架につけろと大騒ぎします。その背景にはユダヤの祭司たちの扇動があったと。そして、さらなる暴動を避けるために、ピラトは群衆の要求通り、イエスを十字架にかける決定をする、という場面ですね。
 この場面が実際にあったかどうか、というのは非常に疑われております。というのは、イエスの弟子達、少なくとも男性の弟子達は全員逃げていた可能性が高いからです。一人あとをつけてきたペトロでさえも3度「知らない」と言って逃げていますし、他に誰かいたという話は書かれていません。
 ひょっとしたら女性の弟子が残っていて見ていたかもしれませんが、それにしても、この場面はあまりにも旧約聖書の預言が成就したということが言いたいための創作である可能性のほうがよく感じられるのですね。
 イエスが突然逮捕されて、あっという間に十字架刑に処せられて殺されてしまった。その事のあまりのショックに、そこにどんな神の御意志があったのかを、弟子たちは必死に調べようとして、旧約聖書をくまなく丹念に研究しました。また大昔から行われているユダヤの祭や風習の中にその意味を見出そうとしました。
 そして、彼らが最終的に見出した結論が、過越の祭に殺される羊の役割をイエスは引き受けられたのだ、ということだったわけです。

▼過越のフィクション

 過越の祭というのはヘブライ語で「ペサハ」と言います。英語でも「Pass Over」で、まさに「過越した」という意味ですね。
 これはご存知ではないかと思いますけれども、かつて当時よりもさらに1250年ほど前に、エジプトで奴隷であった彼らの先祖が神の助けによってエジプトを脱出した。その時に決定的にエジプトに打撃を与えたのが、エジプト中の全ての子どもの命を神の霊が奪ってゆくという恐ろしい仕打ちです。
 ユダヤの神もひどいことをするもんですね。こんなことをお祝いしているユダヤ人に対してエジプト人が好い印象を持つはずがありませんよね。
 とにかく、エジプトの子どもは全員殺すけれども、ユダヤ人はその代わりに小羊を殺して、その血を家の入り口に塗れば、それを目印にして神の霊は通り過ぎる。すなわち過ぎ越す、というわけで「過越祭」と呼ばれるわけです。
 そこで、過越祭には自分たちの身代わりとして小羊を殺して血を神殿の祭壇に撒く。イエスは自分たちの身代わりとして死んでくれた、過越の小羊だ……という解釈がなされたわけです。イエスが死んでずっと後から。
 そして、イエスが死んで40年近く経ってから、「イエスが死んだのは過越の祭の時期だ」という伝説が完成して福音書に書かれるようになったわけです。ただし、ヨハネの福音書はそういうことは書いていません。ということはヨハネ福音書は、イエスの死を特に過越の小羊だと解釈しているわけではないということになるんですね。

▼贖罪日のフィクション

 もうひとつ、旧約聖書およびユダヤの風習からイエスの死を意味づけた形跡があります。それは「贖罪日」または「大贖罪日」と呼ばれている祭です。ヘブライ語では「ヨム・キプール」と呼ばれています。
 詳しいことはレビ記16章に書かれているんですが、大祭司が2匹の雄の山羊を連れてきて、くじ引きで1匹を主のもの、もう1匹をアザゼルのものと決めます。アザゼルというのは、荒れ野に住んでいる堕天使の一種でもともと天使だったのが、神さまの機嫌を損ねて地に落とされた連中のことです。
 で、くじで決めた1匹の雄山羊を大祭司は殺してその血を祭壇に撒くんですね。過越の時と似ています。これは人間の罪の身代わりとして殺されるわけです。
 そして、もう1匹の雄山羊は、大祭司がその頭に両手を置いて、イスラエルのすべての人の罪を告白してその頭の上に載せるとされているんですね。そして民全体の罪をその雄山羊の頭に移したら、あとはそれを荒れ野に追いやるんです。アザゼルの所に行かせるんです。
 そうやって、年に1回、かつてのイスラエル、後の当時のユダヤ人は自分たち民全体の罪を贖ってもらって、罪とその罰、神の怒りから解放されるという儀式をやっていたわけです。

▼バラバとイエス

 さて、翻って今日の聖書の箇所を改めて見直してみると、ピラトのやったことは贖罪日の大祭司と同じことであるとは言えないでしょうか。
 一人の囚人を釈放し、もう一人の囚人を殺すことにするわけです。このような物語が描かれたのは、「イエスはヨム・キプールの雄山羊として殺され、私たちの罪を贖ってくださったのだ」という解釈が生まれてきたからだという研究がなされているわけです。
 さらに、バラバとイエスが対等であるということを示す徴として、バラバの名前がそうだと言われています。
 バラバというのは、ヘブライ語で「バル・アバ」、つまり「父の子」という意味です。これを天の父の子と解釈すれば、「父の子」と同じ父の子であるイエスがそれぞれ贖いの雄山羊とアザゼルの雄山羊という役割を演じた対等の存在であったという解釈も成り立つわけです。
 さらに、ユダヤ人の群衆が「十字架につけろ」と叫ぶのはおかしい。ユダヤの処刑方法は石打ちの刑のはずです。十字架はローマ帝国の政治犯に対する処刑方法のはずです。イエスが神への冒涜をしたというのなら、ユダヤ人は「石打ちにしろ」と叫ぶはずです。ところが、イエスはすでにローマの総督ピラトの囚人で、ピラトは十字架につけることを選んだ。つまりイエスはローマに対する政治犯として処刑されたわけです。
 これは2週間前にも申し上げましたように、と言ってももうお忘れになっているでしょうけれど、イエスがローマ帝国自体にとっても危険人物だと見なされたからでしょうね。十字架につけられて殺されたというのは、公開処刑なので、誰でも目撃できたことでしょうから、これは事実でしょう。

▼ユダヤ人差別の温床

 さらにさらに加えて、マルコによる福音書、またそれを受け継いだマタイでもルカでもそうですが、ユダヤ人を悪者にする傾向が強いです。そして、ローマ帝国の悪口をあまり言いません。
 それはなぜかというと、紀元70年にユダヤ戦争というユダヤの独立戦争にユダヤが負けて、エルサレムが陥落します。そして、最初にできた12使徒の教会を名乗っていたエルサレム教会は滅んでしまいます。それはユダヤ人がイエスを殺し、12使徒もイエスの御心に沿わなかったからの天罰だという考え方がマルコの福音書に色濃く反映しているからというんですね。
 その一方で、エルサレムは滅んじゃったからもういいとして、そういうユダヤの都のことは見捨てて、どんどんこれからローマ帝国全域、今で言えばヨーロッパや北アフリカ全域にキリスト教を広めていこうじゃないかというときに、ローマ帝国のせいで殺された人がこの宗教の教祖ですよなんてことは言えないわけです。
 かといって、ローマ帝国の処刑法である十字架で殺されたという事実はもはや隠せない。そこで、ローマから来た総督であるピラトは、ユダヤの大祭司や祭司長たちの陰謀で、エルサレムの混乱や暴動を収拾させるために、仕方なくイエスを処刑したのだ……というストーリーが作られたと考えられるわけです。
 というわけで、長くなりましたが、今日お読みしたピラトがイエスを処刑することにしぶしぶ賛成した、というのは作り話であるということになります。
 イエスはやはりローマにとって危険な男であり、この前にも申し上げましたように、イエスの戦いは武力を使ったものではなかったけれども、神の完全な平等を預言することと、誰にでも癒しを行うことと、誰とでも食事を行うことという、平和ではあるけれども、当時の社会秩序を根底からひっくり返すような運動によって、しぶとく反抗を続けていた結果、支持者が増えて危険な人物に祭り上げられたということがあったわけです。

▼「雄々しさ」からの脱却

 さて、私はこのイエスの戦いを「弱さに留まる戦い」であったと言うことができると思います。
 戦いと言えば、通常は力と力、強さと強さのぶつかり合いによって、どちらが強いかを競い合い、相対的に強い方が勝つ。そういうものだと思われています。
 しかし、イエスは武器も兵力も用意しなかったし、政治的に金を集めたり、人を組織したりして力をつけようともしませんでした。
 ただストレートに平和と平等と愛を実践するということだけでイエスは戦おうとしました。
 彼は強くなろうとしませんでした。むしろ、弱い人と一緒に生きることに徹しました。
 私たちは現在の日本の世の中で、「強い国」に作ろうと声高に主張する政治家によって「強い人」になれと要求される状況にあります。
 国の指導者の口から出てくるのは「強い国」とか「強靭な」とか「誇り」とか「負けない」とか「毅然たる態度」とか「自信を持て」とか、そういった言葉ばかりです。
 しかし、私たちはそのようなことを声高に主張する人間の姿の内面に、弱さに対する恐れ、劣等感、コンプレックスのようなものを感じたりはしないでしょうか?
 アルノ・グリューンという人が書いた『私は戦争のない世界を望む』という本があります。心理学の知識を用いながらも、心理学的な専門用語は一切使わずに、わかりやすく、ヒトラーやブッシュの心の弱さを明らかにし、戦争を望んでいないはずの一般大衆がなぜ戦争を推進しようとする政治家を選んでしまうのかという仕組みを解説し、平和を作り出すにはどうしたらいいのか、ということが書いてあります、いい本です。
 そして、そこに、「強い人」になろうとする人、「強くありたい」と思う人の危険性が指摘されています。
 この本はもともとドイツ語で、翻訳した人は「男らしさ」と訳していましたが、私は「雄々しさ」と言った言葉のほうが誤解が少ないかなと思いました。
 もちろん「雄々しさ」も「男らしさ」も大して意味の違いはなく、要するに強いことが男の特徴で、弱いことが女の特徴だということで、「雄々しい」の反対語として「女々しい」という言葉のあるわけですから、どちらにしても差別用語のようなものなんですけれど。
 とにかく要するに「雄々しさ」、「男らしさ」にこだわることに危険があるんだということです。

▼「毅然たる態度」からの脱却

 このことでまた私が連想したのが『ヒトラー最期の12日間』という、これもドイツの映画です。
 第二次世界大戦で、ドイツが連合軍に包囲されて、もう終わりだという追い詰められた状況にあるときに、アドルフ・ヒトラーの妻や親族の人々が「もうだめだ」と泣き崩れそうになりつつ、アドルフの前では、涙を振り払い、「こんなことではいけない。もっと毅然とした態度を貫かなければ!」と、ムキになって強さを装う態度を取る姿が何ども描かれています。
 ここにも、あの時のドイツ人は、自分の弱さを隠して偽物の強さを装って、国家の誇りや毅然たる美しさといったものばかり追求し、どこまでも進撃していこうとした結果、結局は自ら崩壊を招いたのだ……というメッセージが込められているように感じました。
 この「涙を流すな」、「命に代えてでも誇りを守れ」、「弱さを見せず毅然たる態度を貫け」という物の考え方が、どこかで張り詰めた糸が切れるように潰れてしまうという歴史の教訓を、私たちは学ばなくてはならないと思いました。
 思えば、同じような精神論で無茶な戦争を拡大していった結果、敗戦したどこかの国に私たちも住んでいるわけで、先日もドイツの首相がそのどこかの国にやってきましたけれども、そのどこかの国の首相は、いまいち対話がかみ合わなかったみたいですね。

▼弱さに寄り添う戦い

 イエスの戦いは、強さによる戦いではありませんでした。
 イエスは世の中で強い立場にいる人も弱い立場にいる人も、自分のもとに来ようとする人を拒んだりはしませんでしたけれども、それでもイエスが関わった人びとは圧倒的多数が、病んだ人、障害を持った人、女性、子ども、孤独な人、差別された人、貧乏な人……要するに弱い立場にいる人たちでした。
 そういう人たちが、神から祝福されていないという理由で、神から切り離された人、すなわち罪人と見なされていました。
 しかしイエスは、その神から切り離され、見放された人の所に行って、そういう人が一番愛され、平等に扱われ、食べたり癒されたり休んだりできる場所が神の国なんだという実演を続け、またそのことを語り、説いて歩きました。
 そういう社会秩序に対する反抗的な、しかし平和的な運動を、彼は捕まって殺されるまでしぶとく続けました。
 捕まる時も殺される時も、彼は無抵抗でした。まあ彼の弟子に刀で斬りかかった者もいるという話もありますが、イエス自身が武力で抵抗しようとした形跡は見られません。
 そして、彼はそのまま十字架につけられて、あっけなく殺されてしまいました。
 最後まで彼は、弱い者と共に生き、自らも弱い一人の人間として殺されて行きました。
 もしここで、彼は強い者、栄光に満ちた者として命を救われていたとしたら、逆に彼がいつも一緒に苦しみを共にしていた弱い者を見捨てて、自分だけ抜け駆けしたような状態になったでしょう。
 しかし、彼はあえて弱い者の一人として命を奪われて行きました。
 その姿に「イエスは私の身代わりとして死んでくれた」という実感を持った人がいても全くおかしくないと私は思います。そして、なぜ神がそんな役割をイエスに負わせたのか、必死に解釈しようとした人びとがいたのもわかります。
 ですから、その解釈の結果、フィクションの物語が生まれたとしても、その背景には、それだけイエスがこの世の中で弱い立場にいる人と、いかに徹底して一緒に寄り添おうとしてくれたのかが窺い知れると思うんです。
 そのイエスの弱さ、それこそが本当の強さかもしれません。もう何が弱さで、何が本当の強さかもわかりません。
 しかし、イエスのこの弱さに留まり続ける強さ、雄々しさや見せかけの強がりとは何の関係もない開けっぴろげな愛情あふれる神の国への招きが、今も私たちを癒し、導いてくれているのではないでしょうか。
 みなさんの感じることをなんでもご自由に話してみてください。





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