世の友われらを捨て去るときも

2015年8月2日(日) 

 日本キリスト教団 徳島北教会 平和聖日礼拝説き明かし

38分間
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 イザヤ書2章4節 (新共同訳)
 主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。
 彼らは剣を打ち直して鋤とし
 槍を打ち直して鎌とする。
 国は国に向かって剣を上げず
 もはや戦うことを学ばない。





ライブ録画:聖書と説き明かし(38分)+分かち合い(47分)=85分間

 
▼今の日本の平和の状況

 おはようございます。
 今日は日本基督教団の暦では「平和聖日」ということになっておりまして、いまの私たちの置かれた状況における平和というものについて説き明かしをさせていただいて、それからみなさんと分かち合いで色々な思いをお聞かせいただければと思っています。
 特に現在この平和について日本の国会では非常に危なっかしい議論が行われている最中ですので、日々情報から目が離せない状況です。
 7月16日ですね、衆議院で自民党と公明党が進めるいわゆる安保法案というものが通過したのは、そして現在は参議院で審議中なわけですが、つい先日山本太郎氏という議員が安倍首相とその周辺に対して、痛烈に質問を浴びせていましたね。
 「もし日本中のあちこちにある原子力発電所にミサイルが着弾したらどうするんですか?」という質問に対して、首相も首相に振られて応答した官僚も、「具体的に想定していない」あるいは「もし着弾しても放射性物質の漏れは福島第一原発の1000分の1以下だ」とデタラメな答弁をしました。
 「嘘つけー!!」と大声で叫びたい気持ちであります。

▼生徒さんたちとの会話

 私は、ずいぶん前から学校の教室で、生徒さんたちと一緒に日本の安全保障、平和、戦争、原発による汚染についてお話ししてきました。もちろん聖書そのものについての授業もするのですが、ちょっと話題がずれて少し雑談をするたびに平和の話になって、生徒さんたちとやりとりをするわけです。
 去年あたりまでは、中学生は「先生、平和、平和、戦争反対なんて言ってたら、中国・韓国に舐められますよ」とか、「あいつらにバカにされてるって悔しくないですか。そんなんでいいんですか?」とか、やんちゃな男の子たちがまるで運動会のクラス対抗試合みたいなノリでニヤニヤ笑いながら私の話をなかなか聞いてくれませんでしたし、高校生の中には、「中国はいつ侵略を始めるかわからない。現実に尖閣諸島を取られてしまうかもしれない。そういう現実に対して、先生は一体どう対応すればいいと考えているんですか!」と非常に興奮気味に話す生徒さんがいました。
 今年になってから、安保法制の論議が具体的に国会で始まって、子どもたちがそんなに詳細にニュースを見ている様子は無かったのですが、しかし、そういう威勢のいいことを言う子は少なくなりました。
 そこで、例えば日本と中国がなぜ戦争をしてはいけないか、尖閣の問題は個別的自衛権で解決出来る問題ではないのか、集団的自衛権に踏み出してしまうと、アメリカと一緒に有志連合に入れられて、アメリカの戦争の下請け軍隊にされてアメリカの敵国での戦争に巻き込まれてしまうかもしれないよ、という話をすると、やはり何も知らなかったようで、「えー?」と驚かれます。
 すると今度は「俺は戦争には行かない」と言い張る子が出てくるんですね。すると、「けれどね、わからないよ」と私は言います。
 「いま戦争の危険が迫っていると感じて、自衛隊になる人が減っているし、辞める人も増えている。だから兵隊を確保するために徴兵制、つまり何年間が兵隊になるのを義務付ける法律ができるかもしれない。そうなったら、あなた自身が兵隊をやっている間にもし戦闘が始まって、前線に生かされたら、体や頭や手足が吹き飛ばされ、内臓が飛び出たり、全身真っ黒焦げになってブスブスいいながら人が死ぬ世界に放り込まれるわけだね。相手をそうやって殺さないといけないし、自分がそうなるかもしれない。そんな景色ばかり毎日見ながら、自分がいつ殺されるかわからん」という緊張とストレスで、たくさんの人が心の病気になって自殺したり、帰ってきてから家庭を破壊する人も、普通に仕事をすることもできなくなってしまう人も多い。さて、そういう状況に放り込まれたい?」と聞きます。
 大抵の子が「えー、いやだー!」と言うか、黙り込んでしまいますね。
 「だから、選挙権も18歳からに引き下げられたこともあるし、しっかりいまから考えて、ぼくは『どこの政党に入れなさい』ということは言えないけれど、自分の将来がどうなるのかをよく考えて、絶対に選挙にはサボらないで行きなさいよ」と言っています。「選挙一つで自分の命がかかっているんだからね」と。

▼現代の奴隷制

 そして同時に「日本の若者の労働状況がどんどん悪くなっている。結婚も子育ても苦しいくらい貧困状態に陥っている若い人が次第に増えていっています。大学を出ても、大企業には就職できなかったり、フリーターになる子も増えているんだよね」という話もします。
 そんな中で、「これから先みんなが安定した会社で安定した暮らしをしたり、お金持ちになれる可能性は減って行くよ」と。
 そして、そこから私が、大阪で言えば釜ヶ崎、関東で言えば、私が直接見てきた限りでは横浜の寿という地区での日雇い労働者、そして、ホームレスになってしまってネットカフェなどで寝泊まりしながら単発の肉体労働でなんとか生きている若者たちに対して、現在も「お国のために役立つ仕事をやらんか」、「兄ちゃんが日本を救うことができるんやで」という誘い文句で……また自己肯定感の少ない若者はそういう誘い文句を聞くと「え、俺でもお国のために役に立つんか!」と血気盛んに反応するんですね。そして「その代わり命をかける仕事や。かまへんか」とハッパをかけられると「よっしゃ命かけたろやんけ!」と乗ってしまう。で、何をやらされるかというと原発労働者ですよ。
 原発の一番放射線量のきついところ、3年かそこらでガンや白血病で死んでしまって、全く身寄りもありませんから遺体もどこかに捨て去られるような、そんな名もない原発労働者がもうすでに少なくとも数万人は行方不明になっているんですよね。
 だから、原発労働者というのは、これは一種の奴隷制だと私は思っているわけです。もっとも、今は日本の原発は1基も実際には稼働していませんから、メンテナンスの作業だけで済んでいますけど、実際に再稼働し始めたら、そういう貧しい若者たちの奴隷労働と屍の上に私たちのエネルギーが供給されるということになってしまうわけです。こんな罪深い電気の使い方があるでしょうか?
 そして、次の奴隷の使い道が兵隊です。
 わざわざ若者全体に徴兵の義務を課さなくても、兵隊に入れば高卒の資格を与えて大学に入れる権利を与えるとか、特別奨学金を給付するとか特典をつければ、貧困に陥った若者が自分のため、また家族のためにどんどん進んで志願してくるでしょうから。
 こういうのを「経済的徴兵制」と言いますが、これも最近は時々マスコミにもやっとチラチラで見られるようになってきましたが、これもずっと前から予想されていたことです。釜ヶ崎に出入りしていたら、政府はいつかそうするだろうということはすぐにわかるんです。

▼体にダイナマイトをくくりつけた人間

 此の期に及んでまだ「なめられてていいんですか」と言う生徒さんには、「いまの日本は国が相手であれ、テロリストが相手であれ、相手が本気になったら絶対に勝てない」と言います。
 「なんでですか!」と彼らは言います。私は「相手を負かしたとしても、自分も負ける。今の戦争は誰も勝つ者がいないんよ」と言うんです。やっぱり「なんでですか?」と言われます。わけがわからないといった顔をしています。
 私は「だって原発があるもん。こんな狭い狭い国土に、しかも地震も津波も多いのに、世界で3番目に多い、54基も核燃料が濃縮された原子力発電所があるんやで。これにテロリストが労働者のふりして入り込んで自爆テロやったり、北朝鮮か中国からミサイルが飛んできて、一発でも当たったら終わり。こんな狭い日本で54基。ダイナマイトを全身にくくりつけている人間みたいなもんやね」と。
 「福島第一原発の放射性物質の毒が200キロも離れた東京でも汚染して体調不良の人が増えているのに、たとえば今後、福井県の原発が一発やられたら、京都は60キロしか離れてないし、大阪でも100から150キロ。みんな住めなくなる」。
 そういうと、また生徒さんたち絶句。
 しかしさすがに私も、先ほども申し上げましたように参議院での質疑で、そのような原発への攻撃を、政府が本当にきちんと想定しないまま法案審議を進めていた。しかもそれを衆議院でも論議してない。与党も野党も何をやっているのかと唖然とせざるをえなかったですね。

▼尖閣はどうするのか

 それでもまだ「尖閣諸島」はどうするんですか、という子がいたりもします。すると、「尖閣ってどこまで政府は本気で守る気があるんやろか?」
 たとえば、いま沖縄の辺野古というところでは、珊瑚礁の海を埋め立ててアメリカ軍の新しい大規模な基地を建設しようとしています。そして、それに対する反対運動が最初は一部の平和運動家から、そしてやがて辺野古の住民、沖縄県民、そしていまは全国から入れ替わり立ち替わり反対派の人々が辺野古の浜を訪れて、カヌーやボートを出して反対運動を展開しています。全国からたくさんの牧師も応援にいっています。
 カヌーやボートで工事現場に近づくと、海上保安庁の海猿たちがカヌーをひっくり返して溺れさせたり、ボートに衝突してきたり、乗り込んできて恫喝したり突き飛ばしたり首をしめたりするんですね。それに対して徹底的に非暴力で抵抗しています。
 そんな中に、私の兄貴分の牧師がいて、さすがだと思うんですが、何度も海に出ている間に、次第に顔見知りの海上保安官もできてきて、「もう危ないことはやめて、一緒にお茶でも飲みませんか」と呼びかけたりしていると、次第に長くやってる年配の海猿さんほど応じてくれたりするそうです。
 それで海の上でお茶を飲みながら話していると、やっぱり命令だから反対派の人を痛めつけているけれど、心の中では苦しいと思っている人もいるんですね。まあ考えたら当たり前のことかもしれませんけれど。
 そして、ちょっと心を開いた海猿さんがこういうことを言ったりするそうです。
 「実はね、いま政府が尖閣、尖閣って言ってるじゃないですか。でもね、いま我々はこっちであんたたちの対応をやっているんで、尖閣は空っぽです。ガラ空きです」。政府なんてそんなものだと言葉には出さなくてもよくわかっているんですね、海猿さんたちも。
 彼らも一種の奴隷です。自分では不本意だと思っている暴力的な仕事を、命令一つでやらされているわけですから。可哀想な人たちです。

▼ヘイトの問題

 さて、それでも食い下がる子は食い下がります。ここまで来ると民族感情や、ヘイトスピーチ、ヘイトクライムのレベルになってきます。中国・韓国・北朝鮮がとにかく嫌いだという子が残ります。
 「それでもあいつらに大きな顔をされるのは気に入らない」と。「中国人、韓国人は歴史認識でも靖国の問題でもなんでもそうだが、何かあるたびに日本に面倒をふっかけてくる。日本人のプライドはどうするんですか?!」と言うわけですね。
 そういう問いかけに対しては、私はこれがベストの回答かどうかはわかりませんが、今のところ「ええやん」と言っています。
 「いま、ディズニーランドやユニバーサルスタジオジャパンや観光地や温泉街、大手の家電量販店や商店街などで聞こえてくるのは、日本語より中国語や韓国語のほうが多くない? ああいう風に中国・韓国の人たちがたくさんやってきて、遊んだり『爆買い』したりしてくれてるから、なんとか日本経済がやっていけてるんじゃないの? もし本当に戦争なんかして、お客さんが来なくなったら軒並み大きな会社が潰れて行くと思うよ」
 「それに、いまみんなが食べている加工食品のほとんどが中国製と違うか? 中国から食品が入って来なくなったら、庶民のほとんどが餓死してしまうかも知れんよ。国家のプライドのためにそこまで馬鹿なことをする意味があるか? 自分たちの食料も自給できなくて前の戦争も負けたんちゃうの?」
 「だから、ええやん。心底で馬鹿にされようがなんだろうか、君らだって相手のことが好きじゃないんやろ。でもそういうことは個人と個人の関係でもよくあることや。それをむき出しにしていがみ合うのは幼い子どものやることでしょう。
 それより、「いらっしゃいませ。いらっしゃいませ。どうぞ楽しんで行ってください。どうぞお買い求めください」と言って、しっかり商売させていただいて、豊かな国になった賢い生き方だと思わない?」と言うと、笑ってしまう生徒さんと、「いやそれでも嫌だ」という生徒さんに分かれます。
 長々と私と生徒さんたちの、安全保障をめぐる雑談の内容をお聞きいただきましたが、みなさんはどのようにお受け止めになられるでしょうか。
 
▼剣と鋤

 さて、やっとこさ本日の聖書の箇所ですが、
「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる」と書いてあります。
 国々が争いで物事を国際紛争を解決しようとしているのに対し、それをやめさせ、各国の国民を戒めて、紛争を戦争で解決するなということを言っている。つまりこれは「紛争を戦争では解決しない」という日本国憲法第9条につながる精神がさりげなく語られています。
 そして、
「彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」
 剣と槍は戦争の道具、人殺しのための武器、つまり兵器ですね。それに対して、鋤と鎌は農業の道具、すなわち人の食物を生産するための道具です。
 この言葉からも大切なことを学ぶことができます。さきほども申し上げましたように、自分たちの食料も失ってしまうことを知りながら(いや政府は想定してないかもしれませんが)、お互いのヘイトのために兵器で威嚇し合うほど愚かで無駄なことはありません。
 それに、どうも首相および政府の要人たちの動きを観察していると、さきほどから申し上げているように、現実的な戦争のシミュレーションをしているというよりは、戦争ができるという立場に立つことや兵を増員することや兵器を充実させること、あるいは外国に対して日本の高度なテクノロジーを使った兵器の販売による利益を考えているようなんですね。
 つまり、真剣に戦争する必要に迫られているのではなくて、剣や槍を作って儲けようということ。
 しかし聖書は、兵器を作り出すことよりも、国民の食料をを作り出すことは本当に大事なんだということ、そして共に食べることができるようになることが大切なんだということを教えています。
 戦闘機1機の値段のお金があれば、何百軒の家が建つでしょうか。それらのお金を福祉に回せばどんなに豊かな社会になるでしょうか。

▼戦うことを学ばない

 そして聖書の言葉、4節のしめくくり
「国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」
 「戦うことを学ばない」……重い言葉です。人同士、国同士、宗教同士の間にトラブルがあったときでも、絶対に「戦う」という方法で解決することを学ばない。
 逆に何を学ぶのか。「戦わないで紛争を解決することを学ぶ」ということです。
 もうあまり長々と私ばかりが話していてもどうかと思いますが、残念ながら教育の分野でも国家の統制はどんどん厳しくなってきていて、ほとんど自由な教育というものができなくなっているのが現実です。
 政府、文部科学省は、子どもの内面までコントロールしようとして道徳教育を教科として点数化する政策を、ある意味ものすごい情熱で推進しています。
 現在出されている試行版の教科書のような本を読んでも、世の中には多様な種類の人がいる、少数派の人もいるのだとか、世界にはいろいろな民族、いろいろな宗教がある、それらを互いに尊重し合おうという姿勢は全く見られていません。
 この教育が「戦わないことを学ぶ」ということになればよいのですが、いまの政府の、とにかく具体的な想定もいい加減なままでただアメリカと一緒に戦争ができる国になる体制だけを整えるという方針であれば、世界の平和に役立つ人間を育てるための教育にはなりようがないような危惧にあふれています。

▼世の友我らを捨て去る時も

 戦わないことを決意するというのは、大変難しい荊の道です。
 たとえばガンジーやキング牧師がしたことは非暴力主義ではありますけれども、無抵抗主義ではありません。辺野古の新基地建設反対運動をしている人々もそうです。しっかり抵抗はします。しかし、絶対に暴力を使うということはしないという方法で抵抗をしています。
 相手は暴力を振るってきますが、自分は絶対に暴力を振るわない、復讐も報復もしないということは苦しいことです。
 キング牧師が黒人の差別撤廃やベトナムの反戦運動をしてデモを行うときでも、ただ歩くだけでは済まなくて、石やビンを投げつけられたり、放水銃で水を叩きつけられたり警察犬に襲われたりと、散々な目に遭いながら必死に歩き続けるという苦しいものだったそうです。
 現在の辺野古の人々も海上保安庁の海猿たちに喉を絞められたり溺れさせられたり散々な目にあっていますが、絶対に暴力で応酬したりはしていません。今まさにキング牧師のときと同じことが行われていると言えます。
 「戦わないことを学ぶ」というのはそういうことではないかと思います。周囲の多くの人たちが戦争を支持するようになってしまっても、自分だけは反対を貫けるかどうか。自分がそのことで痛めつけられても、自分が痛めつけかえすことなく、信念を貫けるかどうか……。
 賛美歌の中に「世の友われらを捨て去るときも」という一節がありますが、私はこの一節を歌うたびに、たとえば職場などで自分一人が孤立したとしても……と考えると何とも言えない寂しさや悲しさがあふれてきたりするのですが、そのためにこの歌は、「イエスこそ慈しみ深い友なり」と何度も歌い直しているのだと、改めて歌詞全体を読み直して思い返すんですね。
 それに私たちは決して孤独な存在ではないと思っています。
 「世の友がわれらを見捨てる」ときがあっても、イエスこそ最後まで私たちと共にいてくれる友なんだということを信じようとする者たちは、ひとりぼっちではなく、こうして教会に集まることによって、多少の見解の違いはあったとしても、そのことを受け入れ合いながら、一緒に生きるということができているからです。
 私たちは孤独ではありません。たとえ世の多くの人が私たちを見捨てたとしても、暴力では物事は解決しない、また決して解決などできない。それは報復から報復へと暴力の連鎖を生むだけです。
 国際的ないさかいや揉め事があったとしても、決して武力は使わずに政治的手段で解決してゆく、決して戦争によって紛争を解決しないということを政府に求めていかないといけません。そして、それを最低でも選挙という形で意思表示しないといけません。
 暴力で問題を解決しないということも、ひとつの大切な戦いです。私たちはどこまで、またどんな形でこの非暴力的抵抗を続けることができるでしょうか。
 長くなりましたが、あとはみなさんの思いをご自由にお話いただければと思います。


〔この説き明かしの数日後、さらに参議院で山本太郎氏により、防衛省から日本学生支援機構に「奨学金の滞納者について企業から2年間自衛隊にインターン派遣する」というアイデアが示唆されていたことが明らかにされました。「経済的徴兵制」という言葉が、おそらく初めて国会討論の場ではっきりと発言された時だと思われます〕





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