生まれる場所は選べないけれど

2015年11月15日(日) 

 日本キリスト教団徳島北教会 主日礼拝 説き明かし

約17分間
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説き明かし17分間 + 分かち合い66分間 = 83分間

この動画の聖書の箇所表示は間違っています。正しくはこのページのとおり、マルコ4:1-9です。

 マルコによる福音書4章1-9節 (新共同訳)
 イエスは、再び湖のほとりで教え始められた。おびただしい群衆が、そばに集まって来た。そこで、イエスは舟に乗って腰を下ろし、湖の上におられたが、群衆は皆、湖畔にいた。
 イエスはたとえでいろいろと教えられ、その中で次のように言われた。
 「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。
 ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
 ほかの種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆いふさいだので、実を結ばなかった。
 また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった。」
 そして、「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われた。


 
▼パーッと蒔く

 今日のお話もよく知られているお話ですね。
 種まきが種をまく。道端に落ちた種、石地に落ちた種、いばらの中に落ちた種、そして良い地に落ちた種、それぞれの種の運命が語られます。
 この種まきは一体どういう種の蒔きかたをしているんですかね? パーッ、パーッと適当にまくんですかね?
 日本では1個1個丁寧に地面に穴を開けて種を植えて行ったり、苗床で育てた苗を、一本ずつ丁寧に田んぼか畑に植えて行く方法をよく見かけるような気がするんですが、パーっと蒔いてしまうしまう地域や作物もあるみたいですね。
 昔、『プリンス・オブ・エジプト』という、モーセの出エジプト記をアニメで映画化したのがあって。それで、畑に種をパーッ、パーッと蒔いてる場面があったので、ひょっとしたら、昔の麦の種の蒔き方というのはそういうものだったのかも知れません。
 それとも、麦というのは、そもそもそういう蒔き方をするもんなんですか?
 まあとにかくこのたとえ話の中では、種はパーッと蒔かれているわけですね。

▼人間は種なのか、畑なのか

 このたとえ話の語っている意味なんですが、実は、この福音書を書いたマルコさん、自分でこのたとえ話の解釈を書いてしまっていますよね。
 13節以降ですね。「『種を蒔く人』のたとえの説明」と小見出しが付いている箇所があって、このたとえ話の解釈の書いています。
 これを見てみると、要するに種のというのは神の言葉で、道端というのは聞いてもすぐサタンに取られてしまう人、多分聞いてもすぐ忘れてしまう人のようなものですね。私なんかもその類です。
 それから、石だらけの土の少ない所というのは根が生えないので、困難にあうとすぐにつまずいてしまう人。
 それから、茨の中のような人というのは、いろいろな欲望や誘惑によって、神のみ言葉を塞いでしまう人。
 そして、良い土地とは、神のみ言葉を受け入れて大きく育てる人のことである、と言うわけですね。
 僕みたいな者は、こういう風に書いてあると、なんでマルコさんはわざわざこんなことを書かないといけなかったのかなと思ってしまいますね。
 聖書の中には、すべてのイエスのたとえ話に、こんな風に解説が書いているわけではありませんから、マルコさんはここはちゃんと読者に分かってもらわないと困る、と思って力を入れているわけです。
 でも、だいたいこういう風に著者が力を入れて強調する部分というのは、イエスの言いたかった本意とは別に、著者自身が言いたいことがあって、そっちの方にねじ曲げているというのが、よくあるパターンなんですよね。
 ですから、マルコさんが言うように、イエスは本当に種が神の言葉で、地面が人間であるという風なことを意味したかったのかな? と逆に疑問に思うんです。
 例えば、これは地面が人間なのではなくて、種の方が人間のことを言っているのではないかな? と考えたりするんですよね。

▼人間は蒔かれる土地を選べない

 だいたい、イエスのたとえ話の中には、「神の国はこのようなものだ」と言って始まるものと、そうでないものがあります。
 このたとえ話は、別に「神の国はこのようなものだ。ある人が種まきに出て……」とはイエスは言っていませんよね。ただ、「よく聞きなさい」(マルコ4:3)とだけ言って、すぐ話を始めています。
 そして最後は、「聞く耳のある者は聞きなさい」と言っているだけです。要は「聞きたい人は聞きなさい。あとは自分で考えなさいよ」ということですよね。
 ひょっとしたら、このたとえ話は、神の国とか神のみ言葉とかそういうことではなくて、単に人間の現実、人生の現実というものを「こんな感じじゃないかな」とイエスが言ってみたということなのかも知れない。
 もしも種が人間のことと考えてみたら……。
 確かに私たち人間は、パーッ、パーッと蒔かれる種に似ています。
 だって、自分が生まれる場所も時代も選べませんからね。蒔かれてみたらたまたまそこが道端だたり、石だらけの土地だったり、いばらの茂みの中だったり、よく肥えた畑だったりする。
 人の生まれる条件というのは、自分では選べない。生まれてみたらこんな境遇だった。その境遇を引き受けて生きるしかないわなあということですよね。
 前回にお話ししたことでもあるんですが、当時の社会では人が生まれる場所や境遇も、神の御意志だということになっています。だから、今日明日の生活もわからないような貧乏な家に生まれたら、それはお前の先祖が罪を犯したからだと祭司や律法学者たちに言われるわけです。

▼我が身を呪う人たちに

 あるいは、経済的な境遇だけじゃなくて、性の問題でもそうです。女に生まれたら、だいたい人生は損です。結婚する前には父親の財産で、結婚したら旦那の財産です。話も意見も聞いてもらえないし、男の前で自己主張なんかしたら、殴られるかもしれません。
 子どもを産んで家事をすることだけしか値打ちのない存在と見られているし、子どもが生まれないとなると一方的に自分のせいにされて、離縁されて実家に帰らされるか、あるいは路頭に迷うしかないわけです。
 また、その当時は男が家を継ぎ、男が多ければそのぶん家族が繁栄すると考えられていたので、女の子が生まれること自体あまり喜ばれなかったんですね。だいたい女の子が生まれたらせいぜい1人程度でやめておいて、2人目に女の子が生まれたら捨てられるか殺されることが多かったという歴史研究の結果もあります。
 それくらい女性の地位というものは低く見られていたわけですから、もうこの世で女として生まれたこと自体が損だったというか。生まれてみたら自分は女だった。それだけで我が身を呪った人も多かっただろうということです。
 そういう女の人たちや貧乏で困っている人たちに、イエスは「そうだよなあ」と、「神さまはさ、適当に種を蒔くように、人間を生まれされたんだよなあ」と言ったんでしょうね。
 これは少なくとも、「あなたは自分や先祖の罪のためにそのように生まれたわけじゃないんだよ」ということなんですよね。
 人はどのような土地に生まれるかは選ぶことはできない。人生というのは不公平に出来ている。現実だよ。でも、別に神さまは意図があって、あなたをそんな風に生まれさせたわけじゃないんだよ。みんな同じように蒔かれたのさ、ということではないでしょうか。

▼いろいろな人生

 ある人は、道端に落ちた種のように、すぐに死んでしまう。
 ある人は、石だらけの土地に落ちた種のように、人生の最初のうちはすぐに芽を出して色々期待されてちやほやされるけれども、すぐに成長が行き詰ってダメになってしまって、そのまんま亡くなってしまったりする。
 ある人は、いばらの中に蒔かれた種のように、色々と自分のことを抑えつけたり、邪魔をする人ばかり、困難なことばかりに覆われてしまって、結局、大した身を結ぶことなく終わってゆく。
 またある人は、恵まれた土地に蒔かれた種のように、恵まれた境遇で育ち、才能を発揮したり、財産を増やしたり、色々とさらに恵まれた人生を送ることになるかも知れない。
 人生とはそんなものだ。しかし、それが何だって言うんだ。
 あなたがたを生まれさせた神から見れば、特にあなたがたには差はない。あの祭司たちも、律法学者たちも、こちらの貧しい農夫も漁師も、女も男も、元はみんな同じように蒔いた種なのさ、ということなんでしょう。
 例えば、聖書の他の箇所に、「タラントンのたとえ」というお話もありますけれども、そこでも人に与えられたタラントンには量の違いがあって、それぞれ公平ではなかったというのと同じです。
 人生というのは不公平なもの。でもそれはあなたのせいじゃない。あなたのせいじゃないんだから、全然落ち込んだりひねくれたりする必要もない。
 そして、イエスはそう言った上で、女も男もない、貧しい者も財産のある者も一緒に食事を分け合うという人の群れを作っていきましたよね。
 その根底にある発想として、この種まきのたとえのように、人はみんな同じ神さまの種なんだということがあったのではないかと思います。
 そして、この不公平な現実の中で、どうやって一緒にみんなで生きてゆけるかなということをイエスは考えていたんではないかと思います。
 皆さんはどう思いますか?





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