「タラントが足らん!」と言う人たち

2016年7月3日(日) 

 日本キリスト教団徳島北教会 主日礼拝 説き明かし

約23分間
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聖書朗読と説き明かし20分間 + わかちあい46分間 = 66分間

 マタイによる福音書25章14−30節 (新共同訳)
 「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。
 早速、五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。
 さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。
 まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』
 主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』
 次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』
 主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』
 ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』
 主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」


 
▼タラントンとムナ

 タラントンのたとえ話は、大抵は金持ちの主人が神さまで、負債を抱えている奴隷たちが人間であるという風に解釈されることが多いようです。そして、タラントンというのは人間が与えられた人生や才能のことであるという意味に解釈され、そこから、「タレント」すなわち才能という言葉に発展していったのだとされています。
 しかし、この解釈には結構苦しいところもあって、人間にはそれぞれ違う寿命や違う才能が与えられているのはなぜだろう? という疑問には答えてくれないんですね。
 まあ、人間の現実というのは残念ながらそういうもので、「天は二物を与えず」とはいうものの、実際に一人の人に天は二物も三物も与えているような、そんな人もいます。
 そういう意味では、人によって与えられているタラントンが違うのだというのは、まさに実際そうなんですけど、そうなると「そうか、神様ってもともと不公平なんだな」という結論しか出てこないですよね。
 それに、タラントンはタレントのことだと思い込んでいるから私たちはついついタラントンは才能のことだと思ってしまいがちですけれども、実は同じようなお話がルカによる福音書にもあって、そちらでは「ムナのたとえ」ということになっていますが、ムナというお金の単位が違っているだけで、内容はほぼ同じようなお話です。こっちのお話はどうなるのでしょうか。残念ながら、ムナのたとえ話の方は、あまり礼拝でも引き合いに出されることが少ないようです。
 しかし、2つのたとえ話がほとんど同じストーリーで、タラントンでもムナでも語られているということは、要はどっちのお金の単位でもいいのであって、大事なのはストーリーなんだという風に考えられませんでしょうか。

▼債務者と債権者

 そこでストーリーを素直に読んでみると、これは金持ちの主人が奴隷たちにそれぞれ大金を貸すという話です。
 タラントンという金額がどれほどの大金であるかについては、すでに以前のTKさんの説き明かしで説明されていたのではないかと思うのですが、要するに1タラントンでも庶民が一生かかって稼ぐこともできないような、日本円で言っても何億という莫大な大金です。
 最後の方を読めばわかるように、そのまま銀行に預けておいても利息である程度儲かることも期待できるのですが、この金持ちの主人はそれよりも多くの利益を上げられるように、それぞれの奴隷に、その奴隷たちが普通に働いたのではとても手が届くはずもないような大金を貸し出すわけです。
 つまり、このタラントンは金持ちの主人が投資家、資本家、つまり債権者であり、奴隷たちは負債を抱えた債務者だということになります。債務者は債権者に対して、利子も含めた金額を返さないといけないし、それ以上に自分の利益を得るために必死に資本を運用しないといけません。
 その結果、5タラントンの融資を受けた奴隷はさらに5タラントンを儲けた。2タラントンの融資を受けた奴隷はさらに2タラントンの粗利を上げた……というわけです。そこで金持ちの投資家は喜んで、「おまえたちよくやった!」と喜ぶわけですね。そして当然、投資した分を回収し大きな利益を上げるわけです。

▼期待に添わない奴隷

 ところが、1タラントン貰った奴隷は、その1タラントンを元手にビジネスを展開し、利益を上げるということをやりませんでした。
そのかわり、この奴隷はこんなことを言いますね。
 「あのご主人は、蒔かないところから狩り集めるような人だ」。つまり、あのご主人は自分では働かないで、お金を転がして儲けるような不労所得者だと言っているわけです。
 そういうビジネスのやり方にはこの奴隷は賛同できなかった。彼は日ごとに汗をかいて働いた分を稼ぎ、生きてゆくという生き方がいいと思ったのでしょう。ですから、いざというときのため貯金をするという方法を選びました。
 さあ、そこに債権者の大金持ちがやってきて、それぞれの債務者がどれほどの利益を得たのかを調べに来た時に、この1タラントンの奴隷は「あなたは蒔かない所から狩り集めるような人ですから、わたしはこのお金を運用してあなたと同じようにお金を生み出すということをしませんでした。わたしはこのお金をいざというときのために保管しておきました」と言います。
 債権者は当然のことながら怒ります。「おまえに資金を預けて事業をさせようとしたのに、おまえは何の利益も生み出さなかった。そんなのだったら、まだ銀行に預けておれば利息がもらえたのに!」と怒り出す。この金持ちは、タラントンが増えないと気が済まないのですね。いくらタラントンが増えても、「タラントンが足らん!」と言っているわけです。

▼タラントンが足らんという人びと

 このような人びとは今の世にもいますが、イエスの時代にもいたということですね。
 お金がお金を生み出すような仕掛けを作って、不労所得をふんだんに稼いで、日々汗水たらして働く労働者や、日々の食事をも節約して暮らさなくてはいけない人たちより自分たちの方が優れていると思っている人びとがいます。
 また、大企業の経営者の中にも、安い労働力を求めて容赦なくクビを切り、とことん劣悪な環境で働かせている人もいるし、そのような一般庶民の現状を見て見ぬ振りをしている政治家たちもいます。
 昨今大きなニュースになったことに「タックス・ヘイブン」の問題がありますが、法人税というものがない小さな島にペーパーカンパニーを置いて、多くの大企業が税金逃れをしているという話ですね。聞くところによれば、そこで税金逃れをしている日本の企業が全部きちんと納税したら、日本の国家予算が賄えるそうです。
 ということは、消費税もいらないし、福祉も教育も一般庶民の納税がなくてもぐんとよくなります。
 しかし、財務大臣は「これが問題なのは、違法ではなく合法だというところだ」と言って本気で改革しようという姿勢を見せません。
 このように、世の中には、すでに儲かっているのに、さらにそんなに儲けてどうすんの? と言いたくなるような人たちがいます。そんなに儲けてなにをするの? と言いたくなりますが、儲かれば儲かるほど、欲望もさらに大きくなるのでしょうか?
 こういう人たちは、いくらタラントンがあっても、タラントンが足らん人たちなわけです。

▼タラントンよりデナリオン

 イエスがこういう人たちの側に立ってものを考えなかったのは確かです。イエスは日々の暮らしをそこそこやっていくのが精一杯、あるいはひょっとしたら今日、明日食べるパンもどうしようかと不安を抱きつつ暮らしている人の側に立っていました。
 このような普通の人間にとってはタラントンというのは手の届きようのない雲の上のような金額のお金です。このような人間にとっては、1日働いて手に入れるデナリオン銀貨の方が現実的なお金でした。デナリオンを日々かせぐことで、まあなんとか食べて行けるわな、と。タラントンが足らんのじゃなくて、デナリオンが足らんのじゃといって暮らしています。
 ところがこういう暮らしをしている人のところに、突然降って湧いたようにタラントンという、一生かかっても稼げないようなお金が転がり込んだらどうするでしょうか?
 これはまあ、たとえば宝くじが当たって3億円が手元に入ったら、あなたどうしますかといったのと似た状態ですよ。
 あるテレビでタレントたちが話しているのを見たことがありますが、たいていの人が「とりあえず旦那には黙っておく」とか「妻には黙っておく」という答えが一番多かったですね。じゃあ友達にも言えるかというと、なにをされるか分からない。たかられるだけならまだしも、犯罪に巻き込まれるかもしれませんよね。そしたらどうするか。
 ツボにでも入れて地面の下にでも埋めておこうかなという話になりませんか? そうなると、この1タラントンをもらった奴隷のやったことは、まあ庶民としては当たり前の行動ということになりませんでしょうか。また、こういう行動から、この人は特別に事業を起こすほどの才覚があるというわけでもない、貧しい庶民であることがわかるわけです。

▼持たない者はますます奪われる

 大金持ちの資本家はこのような庶民的な人間を、役に立たないろくでなしとして叩き出して、この奴隷は泣きわめいて歯ぎしりをすると書かれています。
 また、「持っている人はますます持つようになり、持っていない人は持っているものまで取り上げられる」という言葉もあります。
 この言葉が貧しい庶民は持っているものまで重税で吸い上げられ、金持ちはますます儲かるようになるという世の中の現実を庶民の怒りを代弁して言ったものですが、この言葉がkのたとえ話全体をまとめた一言だと言ってもいいでしょう。
 金持ちと事業家が倍々ゲームでお金を増やしている中、貧しい庶民はせっかく手に入れた大金もぬか喜びのまま取り上げられてしまう。それが庶民の現実というものだ、という嘆きを代弁しているのではないかと思われます。
 他にも、人の負債をチャラにしてあげて友達を作る人のたとえ話がありますね。主の祈りにも、「私たちが人の負債を許しますように、私たちの負債も許してください」という言葉があります。毎日、負債の返済に追われ、そのまま一生を終わってしまう庶民の祈りをイエスが代表して祈り、こんな風に祈りなさいと言ってくれているわけですね。
 そういうわけで、このタラントンのたとえ話は、世の中の残酷な現実をまとめて「世の中とはこういうものだ。そうじゃないか」と、皮肉交じりに人々に語ったイエスの口調をよく表した話です。

▼ギフト

 それを、タラントンというのは人間に神が与えた才能だという風に解釈するから、「タレント」という言葉もできてくるわけですが、神が人に与えた才能を表すには他にも素敵な言葉があります。
 それは「ギフト」という言葉です。ギフトというのは贈り物のことですが、神が人間に与えた才能のことも表します。才能とは神からの贈り物です。
 私たちは、自分たちの儲けを増やして資本家に褒められるような人生ではなく、与えられたギフトを生かして、他の人にも何らかのギフトを与えてゆくような人生が送れたらいいなと思いますし、イエスは地味にそんな生き方をしている味方になってくれていると思うのですが、いかがでしょうか。


(この説き明かしの聖書解釈は、山口里子さんの神学に大きく依拠しています)
 




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