マリアの苦労に報いるために

 (「被害者としてのマリア」の改題)

2016年12月4日(日) 

 日本キリスト教団徳島北教会 アドヴェント第2主日礼拝 説き明かし

約16分間
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聖書朗読と説き明かし15分間 + わかちあい46分間 = 61分間

 マルコによる福音書2章1-7節 (新共同訳)
そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これはキリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。
 人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフのダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムという町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。
 ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。
 宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。


(この説き明かしは、小林昭博「マリアのクリスマスの回復〜文化研究批評(ジェンダー・セクシュアリティ研究)による解釈」(『福音と世界』2016年12月号、p.30-35所収)に全面的に依拠しています)。


▼美しい物語か


 2本目のロウソクに火が灯り、アドヴェントの第2の主日を迎えました。こうして少しずつクリスマスの喜びの日が近づいてきます。
 しかし、今日はクリスマスの物語も読み方によっては非常に残酷な物語になるというお話をしようと思います。
 クリスマスの物語と言うと、従来は大変美しく和やかな物語であると受け取られてきました。
 特に私のようにキリスト教学校でこれまでページェントをプロデュースしたりする者にとっては、その美しい物語は身近ですし、子どもたちをカトリックの幼稚園に通わせて、そのクリスマスの行事の時には、天使ガブリエルの役を演じた娘の姿があまりにも美しすぎて涙してしまったという親バカな思い出もあります。
 しかし、最近学んだ別の神学の見方からすれば、これは女性にとっては非常に残酷な、配慮のない物語であると見ることができるようです。
 かつては「フェミニスト神学」と呼ばれており、現在ではさらに発展し、細分化されて、「ジェンダー・セクシュアリティ的研究」と呼ばれるようになってきた解釈の方法から読むと、クリスマスの物語は、マリアと云う一人の女性に対する虐待の物語と読めてくるのですね。
 そして、そのような虐待の物語を、多分著者も全く意識しないで、美しいことのように書いているということは、このルカと呼ばれている著者も、女性に対しての感覚は鈍いと言わざるをえないのでしょうね。
 私自身もよく女の人の気持ちが全然わかってないとよく言われますので、偉そうなことが言えるわけではないのですが、現代のジェンダー・セクシュアリティ研究的な聖書の読み方を通して、学べるものをたどって行きたいと思います。

▼虐待的妊娠

 例えば、いくら神の子を産んでもらうためとはいえ、そもそも14歳の未婚の少女を妊娠させるということが、当時としては不思議がなかったとしても、現代の私たちだったら、違う状況設定をしていただろうと考えられないでしょうか。
 確かに当時は、栄養失調や病気で、30代を迎えることなく死んでゆく人が多かったというのが貧しい人たちの置かれた状況だったので、なんとかして子孫を残すには、14歳か15歳頃に早々と妊娠させ、子どもを産ませるというやり方は貧困層にとっては仕方なかったことかもしれません。
 しかし、これが貧困者でなかったらどうでしょうか。そんなに幼い女子に妊娠を強いるという虐待がなくても済んだのではないでしょうか。事実、富裕層の人たち、富んでいて、栄養も足りており、清潔で病気にもなりにくかった層の人々は、もっと長生きができていました。
 もし人々が貧困から脱することができ、栄養状態も衛生状態も良かったとしたら、そして人々の寿命ももう少し長かったら、マリアのような幼い子が急いで妊娠を求められることもなかったのではないでしょうか。
 もし今の地球上でこのような状況があるならば、それは何らかの国際的な機関によって救済の対象とされるべきことだったのではないかと思われるのですがどうでしょうか。
 
▼妊婦の長旅

 また、本日の聖書の箇所にもありますように、マリアは臨月近く、もうすぐ赤ん坊が生まれるという時だったにもかかわらず、ガリラヤのナザレからユダヤのベツレヘムまで旅をさせられたと書かれています。
 ナザレからベツレヘムまでは、どのようなルートを通っていくかにもよりますが、だいたい140キロ程度の道のりを、ロバに乗って旅をしたとして、早くて1週間、遅くて10日間はかかると学者たちは見積もっています。
 ヨセフの引くロバに乗ってゆっくりと旅をしてゆくマリアの図は、のどかでロマンティックな様子のように描かれることが多いですが、実際的に考えて、もうすぐ赤ん坊が生まれ、いつ陣痛が起こってもおかしくないという妊婦に、1週間以上もかかる長旅をさせるというのは、あまりにも残酷ではないでしょうか。
 それも、新幹線のグリーン車に乗って行くのではなく、昼は直射日光でジリジリと焼かれ、夜は寒い寒い中で、野宿を強いられることもあったでしょう。マリアにとっては生命の危険を冒すような旅です。
 このような物語をあたかも美しいことであるかのように描こうとするルカは、女性の現実がわかっていない。このように女の人に対して酷なことを壁で書けるところに、彼の現実の認識の度合いが現れている、と批判的に読むことができます。

▼迷惑な博士たち、羊飼いたち

 さらに、マリアは家畜のそばで出産し、生まれたての赤ん坊を飼い葉桶に置いたと描かれています。
 ルカは、マリアのお産を誰が手伝ったか書いていません。おそらくそういうことはルカの関心にはなかったと思われます。家畜のそばという、現在の我々から見ればあまり衛生的ではなかった場所で、お産をし、赤ん坊を飼い葉桶に置かざるをえなかった。
 しかも、お産の介添えをするのは、女性のグループによってということに決まっていましたから、ヨセフが助産師のような役割を果たす能力があるとは到底思えない。そんなことはルカはお構い無しです。
 おまけに、赤ちゃんを産みたてのところに、東方からやってきた博士たちや、仕事を放り出してやってきた羊飼いたちが、どやどやとやってきて、マリアは休む間もありません。
 しかも彼らは、マリアがどういう状況であるかを悟り、今はそっとしておいて欲しいかもという配慮もなく、ただ赤ん坊が生まれたことをヤンヤヤンヤと喜んでいるだけです。
 しかし、これを感動の場面であるという風に演出できるのが、ルカという男の鈍感さがなせるわざだということなのですね。

▼産む機械

 要するに、ルカにとっては神の子の誕生をいかに感動的に描くかということが一番大事なことであって、そのためにマリアという幼い少女というのは、そのための道具としての登場人物にすぎないということが、わかってくるわけです。
 それはかつてある日本の政治家が「女性は産む機械だ」と発言したのと同じ発想が横たわっていると言っても過言ではないかもしれません。
 大事なのは子供を産むこと、神の子を産むことであって、産むのは誰でも構わないし、その女性の産みの苦労とか痛みとか、あるいは喜びであるとか子どもとの絆であるとかは、一切関心がない。つまり女性軽視。
 これが男性作家としてのルカの限界であったというのが、ジェンダー・セクシュアリティ的研究によるルカの分析です。
 このように聖書の物語を批判的に読み直した上で、私たちはどのようにクリスマスを迎えていったらよいでしょうか。マリアとともに喜びのクリスマスを迎えるためにはどうしたらよいでしょうか。

▼分かち合いと実践

 一つには、我々が聖書を読むときに、ただ文字で書かれた聖書の言葉だけではなく、私たち自身の想像力を駆使して、マリアの体験や思いを補って分かち合いにおいて語り合うことではないかと思います。そのことによって、聖書の読みがより深くなり、クリスマスを迎える思いがより豊かになるのではないかと思います。
 聖書は完璧な書物ではありません。著者が女性軽視の態度を、自分でも気づかないうちに内に抱えているとすれば、我々も自分で気づかないうちに、女性軽視を心の中に取り入れてしまうのではないでしょうか。
その聖書を、あるときは批判的な目で読み直すとき、聖書に何が書かれていないか、何が欠落しているのかを知ることで、自分に何が欠落してるか、そしてクリスチャンや教会に何が欠落しているのかを逆に知ることもできます。
 世の中では、列車やバスで妊婦がなかなか席を譲ってもらうこともできない風潮や、車内や公共の場所で泣いている子どもを連れた親を迷惑がることしかできないという現状がよく報じられている世の中で、私たちは子どもと子どもを産む人を大切にしてゆかないと、本当の意味でクリスマスを受け入れているということにはならないのではないかと思います。
 こういうことを私も人前で話すのは勇気が要ります。というのは、私自身もこれまでの人生の中で、女性を本当に大切にしてきたのかというと、むしろ大いに傷つけて後悔したり反省したりすることの方が多かったからです。
 けれども、もう一度改めて、女性と男性の関係のあり方について、もっと互いの自由を尊重し、豊かな支え合いの関係を築こうと努力し続けることが、マリアの苦労に報いる方法ではないかと思います。私はその努力を続けていきたいなと思っています。
 





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