信じるものがあるために苦しむ

2017年1月8日(日) 

 日本キリスト教団徳島北教会 新年主日礼拝 説き明かし

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聖書朗読と説き明かし17分間 + わかちあい20分間 = 37分間

 ルカによる福音書2章22-35節 (新共同訳)
 さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つ買いか、家鳩の雛二羽をいけにえとして捧げるためであった。
 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定通りにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。
 シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。
 「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり
 この僕を安らかに去らせてくださいます。 
 わたしはこの目であなたの救いを見たからです。
 これは万民のために整えてくださった救いで、
 異邦人を照らす啓示の光、
 あなたの民イスラエルの誉れです。」
 父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。
 シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。-あなた自身も剣で心を刺し貫かれます-多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」



▼明けましておめでとう

 みなさん、あけましておめでとうございます。
 この新しい年もどうぞよろしくお願いいたします。
 さて、キリスト教の暦では、と言いますか、私たちの伝統を遡ってゆくと、つながっているのは、ヨーロッパでのいわゆる西方教会の方:カトリック教会にまで遡ってゆくことができるんですが、そちら西方教会の暦では、1月6日がエピファニー(日本語では公現日:公に現れる日と書くのですが)と言うことになり、イエスが人間世界に公に現れた日ということになっています。
 で、これは要するに、3人の博士たちが飼い葉桶に寝かされた赤ん坊のイエスを発見した日とされているんですね。公に現れたと言っても、イエスがヨチヨチ歩いて街に出て行ったのではなくて、公の人間がイエスに出会ったというのを、「公に現れた日」すなわち「公現日」と言っているわけです。
 そして、いわゆる西方教会の支配していた西ヨーロッパのエリアでは、12月24日の夜から1月6日までがクリスマスで、だいたいこの2週間程度の期間を通して、新年のお祝いの期間としているようですね。
 それで、今日は1月8日ですので、公現日の次の日曜日ですから、公現日の出来事の次に起こったことを記した聖書の箇所を選ばせていただいたわけです。

▼シメオンとメシア待望

 今日お読みしたルカによる福音書の2章22節以降を見ますと、古代のユダヤでは長男が生まれた時には、清めの期間が終わると神殿に献げ物をすることになっていたようですね。
 この清めの期間というのは、どうやら、出産した女性も生まれてきた新生児も、オトコ社会の中では「気持ち悪い」と思われたからなんでしょうね。だから、しばらく家の中に引っ込んでなさい、というわけなんですね。古代の医学とか衛生学とかの知識のなかった、しかも男性中心の感性で全てが行われていた時の話です。
 そして、その清めの期間が終わったら、やっと母親も子どもも外に出ることができて、それで、肉の献げ物が大好きな神様のところに、動物を献げに行きます。お金持ちの人だったら、ヤギとか羊とかを捧げるのですが、貧しい人は鳩でもいいことになっていますから、これはイエスの家庭が貧しかったということをルカさんは言いたいんですね。
 そしてそのためにエルサレムの神殿に行ってみますと、シメオンという人がおりました。
 この人は、25節に「イスラエルの慰められるのを待ち望み」と書いてありますから、当時のイスラエル民族、すなわちユダヤ人の独立と王国の復興を望んで、そのリーダーとなるべき人物を待ち望んでいたということですね。こういうのを「メシア待望思想」と言います。今まで外国の支配に苦しんできたユダヤ人がやっと慰められて、神から贈られた王(すなわちメシア)によって解放され、独立するということを夢見るユダヤ人が当時エルサレムにはたくさんいて、このシメオンという人はその代表みたいな人です。

▼異邦人の救い、ユダヤ人の名誉

 この人は、このメシアに会うまでは死なない、と聖霊によってお告げを受けていたといいます。
 そして、実際にイエスに会った時、イエスを抱きかかえて、神を賛美して「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます」と言いました。
 ということは、この人はもう待ちくたびれて、待ちくたびれて、もう早くこの世から去らせてくださいと思っていたのかもしれませんね。イエスに会った時、ああ、やっと私はユダヤ人の新しい王様に出会うことができた。やっと安心して終わりを迎えることができる、神様ありがとうと思ったんでしょう。
 ところが、この言葉の後半で、このシメオンは、普通のユダヤ人のメシア待望思想とはちょっと違うことを、この神への賛美の中で言うんですね。
 それは31節以降の、「これは万民のために整えてくださった救いです」、「異邦人を照らす啓示の光です」、「あなたの民イスラエルの誉れです」というところですね。
 つまり、シメオンの心の中にあるメシアというのは、ユダヤ人のことだけを考えているのではなくて、ユダヤ人以外の人にとっても救いの光を照らすものなんだ、それがユダヤ人の名誉になることなんだということなんですね。
 これは、創世記で最初にアブラハムがイスラエルの先祖として神に選ばれた時に、「諸国民の祝福のために、イスラエルが神に仕えることになる。イスラエル以外の民が神の祝福を受けるために、イスラエルは仕えるのだ」という、いわば奉仕のための民族として選ばれたという原点に立ち返る発想だということであろうと思われます。
 これは当時、あるいは今のユダヤ人国家の、「自分たちの独立自治のためには、他の民族の命などカスのように蹴散らしても構わないといったやり方とは全然違うものです。
 でも、そうではない。自分たち以外の民族が神様に照らされ救われるように、奉仕するのがイスラエルの原点なんだよということをルカさんは、シメオンの賛美の祈りの言葉を通して読者に伝えようとしているんですね。

▼反対を受け、刺し貫かれる

 そして、今度はシメオンはお母さんのマリアの方に向かって、言葉をかけるわけですが、これが不吉な予言です。
 「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。ーーあなた自身も剣で心を刺し貫かれますーー多くの人の心にある思いがあらわにされるためです」
 これはもう、先ほど申し上げたように、すべての民が神様の祝福に入るとか、救われるということを人々に説き始めると、人々からどういう仕打ちを受けるかということを予言しているわけですね。
 多くの人は自分たちの民族、自分たちの国家が優位に立つために、常に「どこそこの国に負けるな、舐められるな」、「どこそこの国をガツンと言わしてやれ」と、自分たちの民、自分たちの国民に切磋琢磨を要求します。
 我々の国に関して言えば、昨年いっぱいで、「国のために命を捨てるような若者を育てなくてはいけない」とか、「戦争は魂を浄化する儀式です」などというカルトの信者が政治家の座に収まっているということが明らかになりました。
 でもそれは、特別の国だというのではなく、それが「普通の国」だというのがその政治家たちの認識なのであり、またそれは日本だけではなく、他国民が不利益を被っても、あるいは他民族に被害に与えても、自分たちの利益を追求するというのが、いわゆる「普通の国」となっていっている世界の大多数の現状があります。
 そんな中で、すべての民が神の祝福に入るために奉仕しましょうというのは、当然、多くの同朋をつまづかせますし、反対を受けるに決まっています。
 場合によってはイエスのように、嘲笑われたり、迫害を受けたりするかもしれない。イエスの場合は最終的に殺されてしまいましたし、そのためにマリアの心が、シメオンの言うように、剣で刺し貫かれるような思いをするわけです。
 私の場合だったら、殺されたりする、はるか以前に脅しや圧力をかけられただけで、抵抗をやめてしまうかもしれません。
 しかし、少なくとも、私たちの信じているイエスが辿るべきであると運命付けられた道は、「自分たち以外の民が、共に神様の祝福を受け、共に救われるために、自分たち以外の民に奉仕する」という生き方でした。
 私たちはイエスの弟子として、真摯に生きようとするならば、この先、世の中の多くの人から反対を受けたり、迫害を受けるということは避けられないかもしれません。
 それに耐えなさい。と誰も強制はしませんし、強制されるべきではないことですが、少なくとも、これからの世の中の情勢において、「イエスならどうしただろうか」、「今ここにイエスがいたら、どんな言動をしただろうか」ということを、いつも考える私たちでありたいと思いますが、いかがでしょうか。
 





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