良心が全身に充満した人間

2017年2月19日(日) 

 日本キリスト教団徳島北教会 主日礼拝 説き明かし

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聖書朗読と説き明かし21分間 + わかちあい33分間 = 54分間

 エフェソの信徒への手紙3章14-19節 (新共同訳)
 こういうわけで、わたしは御父の前にひざまずいて祈ります。御父から、天と地にあるすべての家族がその名を与えられています。どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。
 また、あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をあるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。
 わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりするすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。



▼新島襄の生涯

 手前味噌な話になりますが、私の働いている学校の創立者で、新島襄という人がいます。
 幕末のまだ鎖国が解かれていない時に、函館から外国船に密航して乗り込み、日本を脱出して単身アメリカに渡った冒険家です。そして、10年間アメリカで英語と自然科学とキリスト教神学を学んだ後、牧師の資格を取って、宣教師の一人として日本に帰ってきました。その間に、日本は開国し、キリシタンの禁制も解かれて、一応日本人がキリスト教の入信することも形の上では認められるようになりました。
 日本に帰ってきた翌年の1875年11月29日(今から142年前)に小さな塾を京都で始めました。それが同志社英学校で、さらにその翌年には同志社女学校も開設し、のちの同志社大学に発展してゆきます。
 よくキリスト教の学校はミッション・スクールと呼ばれるわけですが、正確な意味では同志社はミッション・スクールではありません。ミッション・スクールというのは、その名の通り「ミッション」つまり「宣教」あるいは「伝道」を目的として始められた学校です。日本人の子どもたちをクリスチャンに育てて、日本にキリスト教を広めたい、という願いからアメリカやイギリスなどの宣教師たちが幼稚園を作ったり、教会学校をベースにしてそれを拡大した塾を作ったりという形でできてきたんですね。元々伝道が目的だったので、「ミッション・スクール」と呼んでいたわけです。
 ところが同志社はそれとは違って、新島襄と他の宣教師たちが対立してまで、「ミッション・スクール」ではない学校を作ったんですね。つまり、キリスト教を生き方の基本として教えるけれども、伝道だけの学校ではなく、いろいろな科目を教えて、近代日本を作っていく「一国の良心」である人々を輩出したいと考えて、キリスト教を科目の一つとして教える、総合的な学園を最初から作ろうとしたわけです。

▼三十番教室

 他の多くの外国人宣教師たちは、まずキリスト教を広めたいと思っていたので、外国人居留地など港町に近くの、出島のような、そこだけなら外国人は好きにしてよろしいというエリアの中でキリスト教の教育を始めました。
 ところが新島襄は最初から日本の内地というか、外国人が入りにくい地域でいきなり学校を始めようとしたので、キリスト教教育については、かなり抵抗を受け、いばらの道を進むことになりました。
 実は創立したばかりの同志社は、聖書の授業を表立ってすることができなかったんですね。というのは、京都府が「校内でキリスト教を教えてはいかん」という条件をつけて、学校設立を認可したからです。もしも、学校内の教室で聖書の授業などしていたら、京都府に密告が入って、学校に役人が押しかけ、授業をやめさせ、校長である新島は始末書を書かされるということが何度も起こっていたそうです。
 何度始末書を書いても、キリスト教の授業を再びしつこく始めるわけですが、同志社には新島襄以外に山本覚馬という元会津藩士が同志として加わっていまして、この人が2−3年前のNHKの大河ドラマ『八重の桜』で主人公だった八重さんのお兄さんに当たります。そして、覚馬の妹の八重はのちに新島と結婚することになるんですが、とにかく、この山本覚馬という人が、アイデアを出します。「校内で教えたらいかんのであれば、学校の敷地外で教えたらよかろう」と。
 それで、新しい校舎(それが現在の大学のキャンパスになっていますけれども)に移った時に、キャンパスの筋向いにあったボロボロの家を学校の予算でなく、新島のポケットマネーで買い取るんですね。そして、聖書の授業の時には、キャンパスから出て、その筋向いの建物で勉強するという方式をとって、抜け穴をくぐったわけです。
 この校外にある秘密の教室を「三十番教室」と呼びました。

▼新島襄の最期

 そのようないばらの道を踏み越えて、新島は1882年から大学を具体的に立ち上げる準備を始めます。
 結果から言いますと、彼は大学の設立を見る前に亡くなります。大学設立のための献金を集めている最中に体を壊して倒れてしまうんですね。今から127年前の1890年1月23日、46歳11ヶ月にして、神奈川県大磯で亡くなりました。
 その大磯で病に臥せっている時に、彼は遺言を残したり、切れ切れの言葉を発したりしているのですけど、今日お読みした聖書の箇所は、彼が遺言を述べた後に、読んでくれと頼んだ箇所なのですね。
 新島襄は遺言を2時間にわたって述べた後、エフェソ3章の朗読を聞かせてくれと頼んだわけです。そういうわけで、私も個人的にはこのエフェソ3章が好きで、その中でも特にこの14節以降にところには思い入れがあります。
 このエフェソの信徒への手紙というのは、パウロが書いた手紙のような体裁をとっていますけれども、近年の研究では実はパウロ自身が本当に書いたものではないとされています。パウロよりちょっと後の時代に、パウロの書いていたことをちょっと参考にしながらも、パウロを修正するような意図で書かれた手紙なんですね。まあこんなことを言ってはなんですけど、パウロの言っていることはちょっとわかりにくくて支離滅裂じゃないかなあと思うところがありますが、まだエフェソの信徒への手紙の方が、若干わかりやすいというか、まともな文脈で書かれているように思えます。パウロが変わった人でエフェソが常識人、あるいはパウロが天才でエフェソが凡人なのかもしれませんが、少なくとも、エフェソはパウロの手紙よりも腰が低いです。パウロの言い方はかなり上から目線ですね。だからエフェソは読んでいてあまりストレスを感じません。
 今日読んだ箇所も、神様が与えてくださる愛が、いかに立体的で大きなスケールを持っているのかということ、また私たちの信仰をどのようなイメージを心に描くことで深めてゆけるのかというヒントを、わかりやすく目に見えるような描き方で表現しています。

▼キリストを受け入れるイメージ・トレーニング

 特に、17節の
「信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように」とあるところ。そして18節の「キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるか」というあるところは、とても印象深い表現ではないかと思います。
 神が私たちの信じる気持ちによって、私たちの心の中にキリストを住まわせてくださる……と記してありますから、私たちは自分の心を神に明け渡すような気持ちになって、心の中に「キリストよ、入ってきてください」と願う。そのような形で自分の信仰を高めてゆけば良いのではないでしょうか。
 そして、そのことによって、愛というものが私たちの心の中に芽生えてきます。
 「愛に根ざし、愛にしっかりと立つ」とありますが、これは英語の訳では「rooted and grounded」と書いてありますので、こっちの方がイメージしやすいですよね。「愛の根を下ろし、その根をしっかりと張る」というイメージですね。
 心の中にキリストを迎え入れるイメージ・トレーニングをします。そうすることによって、そのキリストによってもたらされる愛が根を張って、自分という人間をしっかりと立たせてくれるということですね。
 そして18節の「あなたがたがすべての聖なる者たちと共に」というのは、すでに亡くなって神様のもとにおられる方々と共に、ということですね。その方々と共に、「キリストの愛の広さ、長さ、高さ、そして深さがどれほどであるかを理解してください」と。これも目に見える形で思い浮かべることができるので、分かりやすいですよね。キリストの愛ってのは、広くて長くて、そして高いだけではなくて、深いんですよ、と。
 この深いというのが、さっきの根を張るというのと繋がってきます。キリストの愛の根っこというのは、下へ下へと深まってゆくもんなんだというイメージです。
 だから私たちは「天の神よ」と上を見上げるだけではなくて、「私たちの存在の根底にいます神よ」という風にも足元を見ることが大事になってくるんですね。神は上から私を見ているだけではなく、下から、根底から私を支えてくださっているという視点です。
 そして、19節「人の知識をはるかに超えるこの愛」。この愛は人の知識を超えているということですが、これは理性を失った状態や愚か者のようになるのが良いと言っているのではなくて、これまで人が当たり前だと思っている人間観を超えてゆくということでしょうね。人間は基本的には自分が良ければいいのであって、エゴイストなわけですが、私たちが神から与えられる愛はそのエゴイズムを超えてゆくということですね。
 でも、それはあくまで、人間の知識みずから生み出されるものではなくて、愛というものは神からあるいはキリストから与えられないと、補給しないといけないものなんだという考え方がここに現れています。といいますのも、私たちは人を愛そうとしてなかなか愛することができない。何度も何度も失敗しつつ、赦しを得ながらでしか、人を愛するということはできないし、まだ自分から愛そうと思ってもいなかった時に、結果として思いもかけず相手のことを大切にすることになっていた、というような、愛というのは自分の予想通りにコントロールできるものではなく、神に自分を明け渡すことから働き始めるというようなものだからです。

▼良心の全身に充満した人間

 そして、19節の後半
「そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように」とありますが、これは愛が全身にたっぷりと充満しているよなイメージです。さっき述べたような、自分の心に受け入れたキリストの愛が、全身に根を張って、たっぷりと体内に充満する。そのような状態になることを、私は祈っていますよ、とこの手紙を書いた人は切々と書き送っているのですね。
 神の愛の豊かさが全身に満たされる。このイメージを思い浮かべると、私は再び最初に述べた新島襄のことを思い起こします。
 彼が教え子に宛てた手紙の中に、このような言葉があります。
 「良心の全身に充満したる丈夫の起こり来らんことを望みて止まざるなり」。
 「良心の全身に充満したる丈夫」。「丈夫」というのは元気な若者のことですが、彼が自分の学校から、良心によって全身が満たされているような若者が出てきてくれたらいいのになあ、と思わずにはいられないんだ、と書いているんですよね。この言葉は同志社のいくつもある各学校に石碑として刻まれて置かれています。
 私はなぜエフェソ3章が新島の臨終に際して読まれたのか、これでわかったような気がしました。
 新島は「神の愛が全身に充満した人間」こそが人間の理想だと思い描いていたのではないでしょうか。
 彼はよく「良心」という言葉を使いました。「愛」という言葉をあまり多くは使わなかったのですが、これは明治時代に入ったばかりの日本人にとっては「愛」という言葉よりも、「良い心」=「良心』の方がわかりやすいと思ってのことだったのではないかと思います。「愛」という言葉の代わりに「良心」という言葉を使っていた。だから、今の私たちが「良心」という言葉を「神の愛」と解釈しても差し支えないのではないか。新島の心にあったのは、「神の愛の豊かさが全身に充満する」というこのエフェソ3章19節があったのではないかと、私は思っています。
 私たちは人の知識に従って歩む限り、エゴイズムからは抜け出すことはできないけれども、自分をキリストに明け渡すことで、少しは愛する人に近づけるのではないか。願わくば、この手紙の著者が願っているように、愛が全身に充満した人間になりたいものだと思い、私自身も祈りつつ進みたいと思います。
 今日の説き明かしは以上です。
 





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