2つの祈り~シャロームの完成に向かって~


2017年8月6日(日) 

 日本キリスト教団徳島北教会 平和聖日礼拝 説き明かし

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聖書朗読と説き明かし22分間 + 分かち合い41分間 = 63分間

 コへレトの言葉3章1-8節 (新共同訳)
 何事にも時があり
 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
 生まれる時、死ぬ時
 植える時、植えたものを抜く時
 殺す時、癒す時
 破壊する時、建てる時
 泣く時、笑う時
 嘆く時、踊る時
 石を放つ時、石を集める時
 抱擁の時、抱擁を遠ざける時
 求める時、失う時
 保つ時、放つ時
 裂く時、縫う時
 黙する時、語る時
 愛する時、憎む時
 戦いの時、平和の時。



▼歌姫

 海上自衛隊には音楽隊というのがあり、その中でも「海上自衛隊の歌姫」と呼ばれている、三宅由佳莉さんという方がおられます。若いとても美しい方で……と言っても美しいかどうかというのも主観が入りますし、私の主観ではないのですけれども、まあ美人だということで評判で、何度かテレビにも出演経験があり、とても人気のある方であります。
 この人が歌う『祈り』という歌があります。YouTubeでも何度も再生されていて、CDも売り出されていますので、皆さんもお聞きになることができると思います。
 この『祈り』という歌は、同じ海上自衛隊の隊長でもあられる河邉一彦さんという、この人ももちろん自衛官の方で、この『祈り』という歌は東日本大震災を心に留めながら作詞・作曲をされたそうなんですね。
 この歌をお聞きになりたい方はインターネットを通じてYouTubeで視聴することができます。非常にゆったりとした美しい歌です。ここで僕が歌えれば良いのですが、元の美しい歌姫のイメージを大幅に損傷してしまいそうですね。で、ここでYouTubeで流しても良いのですけれども、情緒に流れてしまいたくもないと私は思いましたので、ここでは歌詞を朗読してみたいと思います。
 よろしいでしょうか? こんな詩です。

▼祈り

 
 『祈り』  

  小さな光たどり 暗い闇を歩く
  人はみな旅人 荒野のさすらい人
  一筋の光がきみの前を照らす
  心にはともし火 いつも灯しながら

  それは希望 夢 未来 祈ってる

  悲しい出来事や 迷い悩んだこと
  やがて満たされるよ きっと信じている
  君の姿見えず 声も聞けないけど
  いつも感じている 君と共にいると

  きみは希望 夢 未来 祈ってる

  青い空に浮かぶ 白い雲のように
  自由な風に乗って 強く生きていこう
  つまづきやためらい 心痛いときは
  いつもここにいるよ 君とともにいるよ

  いつも希望 夢 未来 祈ってる
  きみは希望 夢 未来 祈ってる

 いかがでしょうか。
 闇の中や迷い、悩みにあっても、小さな光を見出し、やがて、希望・夢・未来について、祈っているよ、という優しい雰囲気、青い空、白い雲、自由な風、明るくて爽やかな詩ではないかと思います。
 まあ我々一神教の信徒としては、「祈ってる」といきなり言われても、何に対して祈っているのかハッキリしていないじゃないかとか、いろいろ突っ込みどころはあるんですが、まあそれは日本人一般のありふれた信仰心というのは、そんなものかなということで今日は置いておくとして、まあ全体としては優しさに溢れた詩であります。
 この詩における「つらい時にも君と共にいるよ、君は希望・夢・未来なんだよ」という時の「君」というのは、被災者一人一人とも言えるし、自衛官一人一人のことであるとも解釈できます。どちらであっても、聞く人を励ましたい、前向きに生きようとする人を後押ししたいという意図を持っている歌だということはわかります。

▼もう一つの祈り

 これに対して、やはりインターネットを通じて、私のところに流れ着いてきた情報の中に『自衛官の祈り』という詩がありました。
 ちょっと調べてはみたのですけれども、この詩の出展がわかりません。作者がはっきりしません。しかし、これも自衛隊の現実の一面をよく示していると思われますので、これもまた朗読してみたいと思います。

  『自衛官の祈り』

  日本の全自衛官のために祈ります
  彼らはその任務のため
  過酷な節制と訓練を続け
  いつ来るか分からない敵と対峙して
  二十四時間絶えることなく
  この国を守っています
  この国に住む全ての人のために

  領空を侵犯して私たちを窺う輩から
  彼らをお守り下さい
  飛来するミサイル 弾丸 全ての火器から
  彼らをお守り下さい

  あらゆる邪悪な誘惑から彼らをお守り下さい
  致命的なミスから彼らをお守り下さい
  予知できない危険からお守り下さい
  時に際して 最善の判断が下せますように
  そして彼らが無事帰ることができますように
 
  私はまた祈ります
  どうかこの空に平穏が与えられますように
  どうかこの地に平穏が与えられますように
  どうかこの海に平穏が与えられますように
  いつの日か真の平和が与えられ
  全ての国が手と手をつなぎあえますように
  全ての軍人が家に帰ることができますように
  全て邪悪な組織が滅ぼされますように
  全ての兵器が不必要なものとなりますように

  どうかその日が来るまで
  彼らをお守り下さい
  この国をお守り下さい


▼現実的な祈り


 いかがでしょうか。随分趣が違いますね。
 領空侵犯してくる航空機、ミサイル、弾丸などがあることを否定していませんし、「時に際して」という言葉は「有事」を想定しているということですね。しかし、「陸・海・空」に平穏が与えられますように、とこの自衛官(「彼ら」と呼びかけているのですから、これの詩は司令官の祈りなのかもしれませんが)、この自衛官は祈り、「全ての軍人が家に帰り、全ての兵器が不必要になるように」と祈っています。
 ただ1点、気にかかるのは、「全ての邪悪な組織が滅ぼされますように」とあり、この「邪悪な組織」とは誰のことか、また「滅ぼす」のは誰なのかは、はっきりしません。そこもまた解釈のしどころなのですが、一つには、「イスラム国」や「アルカイダ」のようなテロリスト集団・組織を指して、これが滅ぼされますようにと願っていると考えることはできます。
 しかし、また考えようによっては、今、一番日本の安全保障上の脅威になっているのは、実は日本の総理大臣自身、防衛大臣自身(と言っても防衛大臣はつい先ごろ辞任されましたが)まあその人々であるという説もささやかれているくらいですので、案外、自衛官の身を一番危険にさらす可能性の高い人々としての、この政府のことを暗に揶揄しているのかもしれません。
 ともあれ、現在ある武力をすぐに一方的に放棄することができなくなってしまっている事実を見据えながらも、全ての軍人が家に帰り、全ての兵器が不必要になる、その時まで自衛官たちを守ってくださいと祈る方が、はるかに現実的な言葉ではないかと思うのですか、皆さんはいかがお考えになりますでしょうか。

▼平安

 ご紹介しました2つの祈りの詩は、どちらが良いとか悪いとかいうことは言い難いと思います。最初に紹介した方は、主に災害救助を念頭に置いており、次に紹介した方は、防衛や軍事に関することを歌っているからです。
 しかし、平和というのは、ただ戦争がない状態であるというだけでは収まらない大きな言葉ではないかなと思っています。
 例えば、日本語では「平和」という言葉は「平らか」という漢字と「和らぎ」という漢字でできています。戦争がただ無いということではなくて、日々の生活が平らかで和らいでいるということが大切。もちろん自然災害も無いに越したことはないですし、和らいだ安らかな気持ちで生きてゆくことができるという状態を指します。
 日本のクリスチャンの間では、「平安」という言葉を使うこともあります。「平安」というのは中国語では「ピンアーン」でしたっけ? あれは韓国語でしたっけ? とにかく日本では、今さっき申し上げたような意味で、平和に生きるということを「平安のうちに生きる」という言い方をしたりすることがあります。
 英語では、平和も平安も“Peace”という言葉で表現できると思います。日本語で「平和に生きる」と言っても、「平安に生きる」と言っても、“Living in Peace”という言い方になると思います。これはまた「安心して生きる」という風に訳すこともできます。

▼シャローム

 聖書の言葉では、有名なのは、旧約聖書のヘブライ語の「シャローム」というのが「平和」という言葉ですけれども、ご存知のように、「シャローム」は日常の挨拶として「こんにちわ」「さようなら」としても使いますし、聖書の中では「完全な」という意味も含んでいます。
 つまり平和こそが神の望んだこの世の完全な状態なんだという考え方ですね。
 人間が互いに争うということを神が願っているはずはないのであって、あくまで世の中が「シャローム」な状態であるのが、本来の人間のあり方なんだ、完全な状態なんだということを、挨拶の言葉からも明確に表しているわけです。
 さらに言えば、キリスト教神学の中では、神の創造のわざはまだ未完成であって、最終的な完成は終わりの時であるという考えもあります。完成する=完全なものとして出来上がるということですが、言い換えるとそれは「世の中が『シャローム』な状態になる」ということが、この世の最終目標だとも言えるわけです。
 まだ私たちの世の終わりは来ていませんし、一体全体、終わりの時というものが来るのかも怪しくなってきている今日この頃ですけれども、時間的にいつ来るということではなく、私たち人類の最終的な完成目標が「シャローム」(平和)なんだという理想が、ヘブライ語の底には潜んでいるのではないかと思うわけです。
 
▼平和な終わり

 私たちの先ほど読んだ「コヘレトの言葉」3章の詩にも、「平和の時」(シャローム)という言葉が使われています。8節の最後の「平和の時」というのがそれです。
 この詩も大変現実的な意識を漂わせていますね。観念的な美しさとか爽やかさとは縁遠いです。人間というものをしっかり見据え、長年観察した上で、悟ったことをこのコヘレト(伝道する者)と呼ばれている人が語っているわけですが……。
 「殺す時があれば、癒す時もある」、「石を放つ時もあれば、石を集める時もある」、そして「戦いの時もあれば、平和の時もある」というわけで、決して綺麗ごとではなく、戦いがあり、石を放ち、殺す時があるのだということをはっきりと言葉にしています。そして、「すべては空しい」と言い切るのですね。
 しかし、最後に「シャローム」の言葉でこの詩を締めくくっているところには、やはり最後には「シャローム」でこの世が終わって欲しいという願いが込められているのではないかと思います。実際、この世が完成するときには、シャロームで終わるはずだという信仰は、このコヘレト自身も持っているはずだからです。
 この世の現実は、すぐには各地の戦いが終わりそうにはない状況です。しかし、必ず最後にはシャローム、すなわち平和であり、平安であり、安心して暮らせる、神の目から見て「完全」な世の中が来るように、願いつつ、またそのために自分にできる限りのことをなしつつ、希望を捨てずに、祈りつつ、生きてゆきたいと思います。
 




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