朝に夕に神の呼びかけを思い起こそう


2017年9月3日(日) 

 日本キリスト教団徳島北教会 主日聖日礼拝 説き明かし

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聖書朗読と説き明かし22分間 + 分かち合い41分間 = 63分間

 申命記6章4-15節 (新共同訳)
 聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
 今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供達に繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語りきかせなさい。更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。
 あなたの神、主が先祖アブラハム、イサク、ヤコブに対して、あなたに与えると誓われた土地にあなたを導き入れ、あなたが自ら建てたのではない、大きな美しい町々、自ら満たしたのではない、あらゆる財産で満ちた家、自ら掘ったのではない貯水池、自ら植えたのではないぶどう畑とオリーブ畑を得、食べて満足するとき、あなたはエジプトの国、奴隷の家から導き出された主を決して忘れないように注意しなさい。
 あなたの神、主を畏れ、主にのみ仕え、その御名によって誓いなさい。他の神々、周辺諸国の神々の後に従ってはならない。あなたのただ中におられるあなたの神、主は熱情の神である。あなたの神、主の怒りがあなたに向かって燃え上がり、地の面から滅ぼされないようにしなさい。



▼おはようございます

 みなさん、おはようございます。
 先日は私のわがままで説きあかしの日程を変更させていただきましたこと、申し訳ありませんでした。たくさんのことを実際に見聞きして、学んできたことを、これからの説きあかしに活かしてゆければいいなと思っております。

▼シェマー

 さて、今日お読みした聖書の箇所、申命記の6章4節以降は、「聞け、イスラエル」という呼びかけから始まっています。
 この呼びかけはヘブライ語では、「シェマー・イスラエル」といいまして、この言葉から始まる祈りを「シェマーの祈り」と呼んで、ほとんどのイスラエル人は知っています。
 もう一度朗読してみます。
 「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」

 こうして、手に結びつけ、額につけ、門にも、柱にもつけなさいと書かれていますので、実際にユダヤ人は今でも、普段からやっている人は少ないですが、少なくとも重要な儀式の時には、この聖句の紙に書いたものを小さな黒い箱に入れて、腕に巻きつけたテフィリンという帯でくくりつけたり、頭に巻いたりして額に着けます。
 この写真は、ユダヤの成人式「バル・ミツバ」の時の写真ですが、こういう風に親子でこのような格好をします。
 また、ユダヤ人のお家には必ず扉に向かって右側に、メズザという細長い箱が設置されていますが、ここに入れられているのも、先ほどお読みしました「シェマー」です。
 写真のように、家の戸口にはもちろん、ホテルの部屋の入り口にも必ずついています。
 無意識になってしまっり、形骸化してしまっては、あまり意味がないようにも思えますが、それにしても、ふと目をあげると、そこに神からの「聞け」という言葉が常に掲げられているという日常生活というのは、何もない生活よりもきっと信仰の根付き方が違う気がするのですがいかがでしようか。
 正直、「シェマー・イスラエル」「聞け」という言葉しか暗唱してない人が多いのかもしれませんが、少なくとも、朝夕出入りするたびに、「聞け」と呼びかけられていることを思い出すことができるようになっているんです。

▼最も重要な掟

 お気づきではないかと思いますが、このシェマーの祈りの中に、「心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、神を愛しなさい」という言葉がまず最初に含まれていますね。
 これはイエスが最も重要な掟だと言って、ここから引用したところですよね。ここと、レビ記の「自分と同じように隣人を愛しなさい」というところを組み合わせて、「これがたくさんある律法の中で一番大事な掟なんだ」とイエスは言いました。
 イエスは当然、シェマーの祈りの中に「心を尽くし、思いを尽くし……」という言葉があることを、大抵の人がわかっていることを前提の上で、「あのシェマーの心を思い出せ」という心も込めて我々に呼びかけているのですね。

▼イスラエルの原点

 申命記という本は、バビロン捕囚、つまり遠い異国の地に強制連行されたイスラエルの民が、再び元いた土地に戻ることを許されて、再び神殿を再建し、ぺんぺん草しか生えてなかったようなエルサレムに都をやっと復興させた時に、改めて律法を民に浸透させて、いわば民全体を引き締めるために、発表された文書です。
 ここにイスラエルの根底があり、原点がある、ということを切々と訴えているわけです。
 「いいか。この美しい都を見なさい。この都は、お前たちが自分で作ったものか。いや、そうではない。この豊かになった街は、お前たちが自分で作ったものか。いや、決してそうではない」。
 これらの言葉によって、神は、あなたがいま生きているのは、決して自分自身の力で生きているのは、神の恵みによってであったことを、ゆめゆめ忘れるでないぞと戒めています。

▼神の言葉を中心に

 エルサレムという都は、神殿を中心にして、その周囲に王宮も街も建設されています。
 時代によって王宮の場所や人々の住む街の城壁は変わりますが、神殿自体の範囲、境界線はほとんど変わっていません。いつも神殿は変わらないイスラエルの魂の中心でありました。
 このことによっても、イスラエルの民は、自分たちの暮らしが神の導きと支えが無くては成り立たないということを証ししていることになります。
 もちろん、暮らしを再建するために、人間が途方も無い努力、奮闘をしたことは間違いありません。
 しかし、決して全てが自分の力によるものなのだと思ってしまうのではなく、そこには神の介添えが必ずあったのだという謙虚な思いに立ち返る、その信仰を彼らは大切にしたのですね。
 イスラエルの原点、それは自分がなぜ努力、奮闘できるのか、その根底には神の押し出しがあるたらだという信仰であります。

▼エジプトからの解放

 そして、さらに申命記は、イスラエルの原点はエジプトからの奴隷解放であると説きます。
 イスラエルは紀元前1250年ごろ、つまり申命記の書かれる700年近く前、エジプトで奴隷状態にされていました。
 奴隷といっても、もちろん肉体的な重労働をやらされるわけですが、それにしても一応定時には仕事を終わることもできましたし、帰ったらビールも飲んでリラックスすることもできたようです。
 ビールの発祥地はエジプトだったようですね。発酵した麦の汁を壷に入れて、周りを囲んでストローのように真ん中が空になっているような草の茎でちゅうちゅう吸って飲んでいたようですね。
 また、「エジプトの肉鍋」という言葉も聖書の他の場所にあるように、すき焼きのような肉鍋をつつくことも時折あったようで、その奴隷生活は、決して過労死者が次々出るような過重労働の毎日ではなかったと言われています。
 それでは、なぜ彼らは命をかけてそこから解放されなくてはならないと思ったのでしょうか。

▼バビロンからの解放

 紀元前600年ごろに起こったバビロン捕囚においても、イスラエルの民、もうその頃にはユダヤ人という呼び名になりつつあった頃ですが、彼らはそんなに苦しい生活を強いられていたというわけではなかったようです。
 生計を立てるのが苦しい、労働があまりにも激しすぎるというわけではなく、問題はユダヤ人であること自体を辱しめられるということのほうが、彼らの苦しみでした。
 ユダヤ人たちは自分たちのアイデンティティを守り、誇りを保ち続けるために、聖書を編纂し始め、それを「持ち運べる神殿」として、巻物をケースの中に納めて、自分たちの集会所で礼拝ができるようにしました。
 しかし、彼らの根本的な問題は、常に故郷のユダヤの地で、神殿を中心とした自分たち自身の生活を取り戻すことでした。

▼ローマからの解放

 その後もユダヤ人はペルシャ、シリア、エジプトなどの支配を受け、さらにはローマ帝国にも占領されました。
 それでも彼らは自分たちの自治を取り戻したいと願い、紀元前100年ごろにマカバイ戦争という反乱を起こして、つかの間の独立を勝ち取りました。
 このマカバイによる独立は100年ほどしか経たないうちに再びローマによって鎮圧されてしまうわけですが、この時の反乱の首謀者、ユダ・マカバイという人の名前はユダヤ人の間ではモーセ、ダビデに次ぐ政治的なヒーローで、「マカビー」というビールの銘柄にもなっているくらいなんですね。
 そこまでして、何度も何度も潰されては立ち上がり、潰されては立ち上がりして彼らが拘っていたのは何なのか。
 それは私が思うに「自由」では無かったかと思うのですね。

▼自由への闘争

 イスラエルの民、あるいはユダヤ人は、誰からも支配されたくない、どうのこうの命令されたくない、自分たちの生活も信仰もアイデンティティも、絶対に他の民族には依存したくない、という強烈な自治、自立、自由へのこだわりがあるんですね。
 しかも、単なる独立心だけなら、どの民族にも見られそうなものですが、他の民族にはない彼ら独自の個性を作っているのは、やはりその神への信仰でしょう。
 それも、いくつもある神ではなく、ただひとりの、唯一の神に我々は結び付けられているのだという、強烈なこだわりであります。
唯一の神に頼り、唯一の自分の存在にこだわり、とことんまで自由にこだわる、ここにユダヤ人の個性を形作るものがあるのではないか、と私は思います。

▼朝に夕に

 この強烈なひとりの神へのこだわりを、イエスも、そして私たちキリスト教会も受け継いでいます。
 イエス自身も、シェマーの祈りを身につけ、戸口の横につけるような文化の中に生き、シェマーの祈りこそが最も重要な掟なのだと認めるほどの、生粋のユダヤ人でした。
 神は唯一の神である。その神の掟の中でも最も大切なのはこの掟である。
 どのような時でも、この掟の「シェマー、イスラエル」という言葉を忘れてはならない。
 「シェマー(聞け)イスラエルよ」という言葉が戸口を通るたびに心に蘇るほどしっかりと染み付いた生活が、私らしい生き方、本当の自分の存在の大切さというものを確認させてくれる。
 常に神に聞くことが、私の日々の暮らしを支えてくれる。
 そのような強烈な神への意識づけを私たちも倣って、朝に夕に「私に聞け」という神の呼びかけを思い起こす者になりましょう。






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