10メートル下の地面(ナザレ人イエス)

2017年12月6日(水) 

 同志社大学京田辺キャンパス水曜チャペル アドヴェント礼拝 奨励

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 ヨハネによる福音書1章43−46節 (新共同訳)
 その翌日、イエスは、ガリラヤへ行こうとしたときに、フィリポに出会って、「わたしに従いなさい」と言われた。フィリポは、アンデレとペトロの町、ベトサイダの出身であった。
 フィリポはナタナエルに出会って行った。「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。」
 するとナタナエルが、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったので、フィリポは「来て、見なさい」と言った。



▼アドヴェント

 キャンパスにもクリスマス・ツリーが光る季節になり、クリスマスが近づいてきたんだなと皆さんも感じる頃になったと思います。キリスト教のカレンダーでは、3日前に日曜日からアドヴェントという時期に入り、教会でも本格的にクリスマスの準備をする時に入りました。
 日本ではクリスマスをキリスト教とは関係なしにお祝いする人がほとんどですが、それでも、「本当はイエス・キリストの誕生日なんだよね?」と知っている人は多いようです。「でも、イエス・キリストって本当にいたの?」と聞いてくる人も多いですけどね。
 キリスト教主義の幼稚園や小学校の出身の人は、たいてい「ページェント」あるいは「聖劇」という呼び名で、クリスマスのイエス・キリストの誕生の劇をやったことがあるようです。「ページェント? なにそれ?」という人は、京田辺でもクリスマス礼拝があり、その中でクリスマスのお芝居も行われるようですから、ぜひ見て欲しいなと思います。聖書に描かれたイエス誕生のいきさつが、美しく物語られることであろうと思います。
 

▼ナザレっ子

 ところで、イエス・キリストの出身地はどこか知っていますか?
 イスラエルですね。イスラエルのどこでしょう?
 ナザレという村なんですね。
 聖書の中のクリスマスの物語では「イエス様はベツレヘムという町に生まれた」と記されていますし、ページェントでもそのように描かれます。イエスが生まれたのは、ベツレヘムという町である。それは、かつてイスラエルの王国を作り上げたダビデという王様の出身地であり、新しい救い主はダビデの家系から出る。だから、イエスの誕生地はベツレヘムに違いないと、古代の人たちは信じていたからです。
 このベツレヘムでイエスが誕生したというお話には、実は神学的には賛否両論があります。しかし、それが本当であったかどうか、いずれにせよ、イエスがベツレヘムでどのように過ごしたかということは、聖書にはほとんど書かれていません。
 その一方で、ナザレという村の名前は頻繁に出てきますし、イエス自身も「ナザレの人」と呼ばれています。また、初期のキリスト教の信徒たちも、地域によっては「ナザレ人の分派」と呼ばれていたようなので、イエスのことをナザレの出身として記憶していた人は多かったんでしょうね。
 私も本当は兵庫県の明石市の生まれなんですが、幼い頃に神戸市に引っ越しまして、その後大人になるまで神戸に住んでいたので、自分は「神戸っ子」だと感じています。自分のアイデンティティとしては神戸出身者なんですね。
 それと同じように、多分イエスも生まれがどこであろうと、彼のアイデンティティはナザレ人だろうし、周囲の人も彼のことをナザレ出身者と認めていたわけです。

▼旅のチャンス

 では、ナザレとはどんな村だったんでしょうか。
 私はこの夏に、ナザレを訪問するチャンスに恵まれました。
 私はクリスチャンなんですが、クリスチャンなら一度は旅をしてみたいと願うのがイスラエルという国だと思うんですね。
 いや、もちろん全てのクリスチャンが絶対にそうだとまでは言うつもりはありませんが、それでも、聖書の登場人物、特にイエスの見た風景を自分の目でもじかに見てみたい、イエスの歩いた土地を自分でも歩いてみたい。そしてイエスが吸った空気を自分も吸ってみたいと思う人は少なくありません。
 私自身も、キリスト教の出発点に立つイエスという人物への興味が非常に強く、彼のゆかりの地をいつか訪ねてみたいと思っていました。彼がどんな土地で、どんな生い立ちを過ごし、どのように育ったのかということに特に関心を持っていたからです。
 とはいうものの、実はイエスの幼年時代・少年時代のことは、もうほとんどわからないと学問的にはある程度結論づけられているんですね。文献が全く無いわけでは無いんですが、ほぼ100パーセント作り話だとされているんです。
 それでも、イエスの育ったナザレの村の遺跡は残っているし、彼が歩いて回ったガリラヤ湖という湖の沿岸地方の景色などは、彼が生きていた頃とほとんど変わっていないらしいんですね。そうなると、チャンスさえあれば是非行ってみたい。イエスのいた風景を体験してみたいというのは当たり前です。少なくとも私にとってはそうだったわけで、この夏、旅行をする機会に恵まれたのは、自分で言うのもなんですが、なんだかんだ言って忙しい私にとっては、千載一遇のチャンスだったんですね。

▼喧騒に満ちた町

 さて、ナザレに行ってみました。
 ナザレは大都会でした。人口約10万人。多くの店々、ごった返す観光客、そして激しく鳴らされる乗用車や観光バスのクラクション。そしてとんでもない方向に手当たり次第に停められている路上駐車。そんなごちゃごちゃの喧騒に満ちた町。それが現在のナザレでした。
 以前、ある写真集で、イエスの育ったナザレの村の写真を見たことがありました。それは幾つかの小さな家々が、たくさんの樹木に囲まれている、いかにもイエスの出身地にふさわしいと思いたくなるような牧歌的な風景の写真だったので、私の記憶の中のナザレはそういうのどかで静かな村だったのですが、実際のナザレはそんなものではなく、私は全く騙されたような気分でした。
 ナザレには中東で最大のキリスト教会と言われる「受胎告知教会」が建っていました。イエスの母マリアがナザレの出身で、そのマリアに天使ガブリエルが、「あなたのお腹の中には神の子が宿っているのですよ」と告げたことを記念して建てられた巨大な教会です。
 この教会の中に入ると、やはり巨大な空間が広がっており、その中央部にポツンと小さな洞窟が保存してありました。現在の地面より数メートル低いところに古代の地面のレベルがあり、そこに洞窟の入り口があって、鉄格子で閉じられていました。
 その洞窟でマリアがガブリエルに対面した、とされていますので、多くの観光客がスマホでパシャパシャと写真を撮っていました。私もその一人でした。そこだけは、なんだか神秘的で静寂に満ちた空間でしたが、一歩教会の扉を出ると、やはり喧騒に満ちた町で、教会の警備員と観光客が何やらもめて、怒鳴りあっていました。

▼野宿の人

 それでナザレもこんなもんで終わりかな、と思っていたら、その「受胎告知教会」の近くに、一回り小さな「聖ヨセフ教会」がありました。イエスの育ての父である大工のヨセフを記念した教会です。マリアが主役でヨセフは脇役なんですよ、といった風情でした。
 その聖ヨセフ教会に入ってみると地下室が展示してありました。現在の地面から約7メートルから10メートル下。洞窟をさらにくりぬいて作った古代のナザレ人の住居や沐浴場などがあります。
 聞けばナザレは、数十人ほどしかいない人々が集まって細々と暮らしていた、非常に貧しい集落だったといいます。まともな建物を建てることもできず、洞窟の中などを主とした地下生活で雨風をしのぐ生活だったということなんですね。
 聖ヨセフ教会と受胎告知教会の間には、発掘された2000年前の地面の遺跡もありました。現在の地面よりも10メートル近く下に埋まっていたナザレの路地、おそらく間違いなくイエスが歩いたであろう地面を、私たちも見られるようになっています。
 それらの洞窟や路地を見て、やっとイエスのいたところにたどり着いたという思いになりました。と同時に、人口数十名の、洞窟に住み着いている、貧しい人々に囲まれ、守られている、赤ん坊のイエスの姿を思い浮かべることができました。
 それは、光り輝く衣を着た、栄光に満ちた救い主イエスではなくて、ボロ雑巾のような布に包まれた、野宿の人の群れの中に抱かれた幼子でした。

▼被差別者イエス

 今日、読んでいただいた聖書の箇所では、「ナザレの人イエス」の話を聞いたナタナエルという人が、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」という言葉を発しています。
 これは「ナザレ出身者にろくな奴はいないだろう」という差別発言です。今で言うならば部落差別や沖縄差別にも相通じるものがある、ナザレ人差別です。つまりイエスは出身地による差別を受けている被害者であります。
 このナザレという人々から蔑まれた小さな集落で、イエスはおよそ30歳ごろになるまで育ち、それからある日、この故郷を発って、イスラエル南部のユダの砂漠の方に向かい、洗礼者ヨハネの弟子になり、そしてやがてその教団の中で頭角を現して、人々の目に頻繁に触れるようになったとされています。
 しかし、イエスの人生の大部分を過ごしたのは、ナザレという貧しい集落です。そこで彼は、暑さや寒さ、飢えや渇き、貧しさゆえの悩み、労働の厳しさ、そして何より、「あいつはナザレのもんだ」という他の地域の人々の嘲りの目。それらを肌身でヒリヒリと感じながら、日々を生きてゆく経験を30年続けたことが、彼の価値観を形づくったことは、想像しにくいことではありません。
 イエスは生涯を通じて、貧困にある者、権力から搾取されている者、差別される者の味方でした。ルカによる福音書には、こんな彼の言葉が残されています。
 「貧しい者は幸いだ」、「飢え渇いている者は幸いだ」、「裕福で今笑っている者は災いだ」、「満腹している者は災いだ」。
 これは、ナザレという土地で差別され続け、自分自身食に事欠いたこともある人の、同胞に対する愛がにじみ出た叫びだと言えるのではないでしょうか。
 そして、羊飼いや農園で働く労働者に寄り添ったたとえ話は、家族とともに食べてゆくために、彼自身が出稼ぎに出た羊飼いや農園での経験に基づいて話されたのではないでしょうか。
  
▼ナザレ人イエスの誕生祝い

 クリスマスは赤ちゃんイエスの誕生を祝う季節です。
 イエスの実際の生い立ちというものは、実は本当に地味で、粗末なものでした。どちらかというとイエスを生んだ家族の生活は、「どん底」っていう感じだったのではないかと思われます。
 イエスはそんな中から育って、いろいろな意味で「どん底」の暮らしをする人の味方になろうとしました。
 だからこそ、そんなイエスの誕生を祝うのだったら、この世で生きるのがつらいと感じていたり、悲しみや悩みや重荷を抱えている人に寄り添えるような。あるいは、普段は誰からも顧みられないような暮らしをしている人に目を向けるようなクリスマスにしてもいいなと思うし、その方がきっとお祝いされているイエスも嬉しいんじゃないでしょうか。
 自分のためのクリスマス、自分の大切な人のためのクリスマス、そして、自分が普段見落としたり、見失っている人のためのクリスマスというのがあってもいいんじゃないでしょうか。
 そんなことを私は、現代のナザレの喧騒の中では考えることができなかったけれども、現代の地面よりも10メートル下に埋まっている、2000年前の地面を見ることで、思いを巡らせることができました。
 本当のナザレは、誰の目にも止まらないような、小さな小さな存在です。だからこそ私たちも、ナザレ人イエスの誕生を祝うなら、小さな所、弱い所に目を留めるクリスマスを祝いたい。そう思うのですが、皆さんはどのようにお感じになりますでしょうか。





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